なかなか、このステップが日本の作文には理解されません。
最初の段階で、下書きの一歩手前ぐらいのレベルを要求しているのが、その理由かもしれません。
従って、なかなか最初の段階での「実験」というか「遊び」というか「自由に書くこと」ができません/許されません。
私もそうでした。
28歳ぐらいになって、ワープロを購入してキーボードを打って「書く」までは、それこそ書けない人生が続いていました。(私の人生の半分近くですから、もったいなかったです!)「消す」(直す)のが大変だったからです。ワープロ(いまは、パソコン)なら、削除やコピペ(コピー&ペースト)が簡単なので、いい意味で「いい加減」にいくらでも書いて、修正することができます。
従って、「修正」とはなんぞやを説明するのも、これまでやられてこなかっただけに容易ではないのですが、いい事例を見つけました。
あの有名な芭蕉の俳句、「しづかさや 岩にしみ入るせみの声」です。
あれは、もともとは「さびしさや 岩にしみ込むせみの声」だったそうです。
主題と文の構造の転換が行われ、似て非なる作品ができあがりました。
(この間にも、試行錯誤が何回かあったのかもしれません!)
これが、修正のわかりやすい例だと思いました。
これは、短い俳句の例ですが、作文の場合も同じです。修正は、「主題と文の構造の転換」と理解してください。小手先レベルでの直しではありません。
なお、俳句の場合は分量は変わりませんが、文章の場合は分量が大幅に増減します。
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