2023年12月30日土曜日

固定観念をくつがえすような詩にふれる 〜私の読書体験〜

*時々、投稿をお願いしている吉沢先生に、今回の投稿をお願いしました。 

 これまでに何回か、RW/WW便りで日本の現代詩を紹介してきました。

 今回は、「え、これが詩なの?」と言いたくなるような、ちょっと変わった詩、学校で先生から教わるような感じとは異なった詩を紹介したいと思います。

中江俊夫「語彙集」★1

 語彙を集めた本、というまさにその名の通りの詩集です。収められた作品の書き出しの部分を見ていきましょう。★2

第一章

儀式。集り。

非常に。

悪い男。

縛る。

唇。口。呪い。

おきる。

股。脚。影。

狭い。

中庭。

・・・

→ これ何? と思いました。儀式が集りであることは、まあ、わかります。それが、「非常に。悪い男。」とどう関係があるのでしょう? 縛る、って何を? 唇を? わからないことだらけです。

第二章

おとなう

戸弟

うとうと

問う

訪う

とおとお

遠い

追い

かけっこ

結婚

・・・

→ 単語の音を手掛かりに、連想される言葉が連なっています。

第十二章

こいこい

来い

来い

故意

行為

好意


鵜呑みだ

鷲捉みだ

千鳥足だ

ねこばばだ

たぬきねいりだ

・・・・

→ 書き出しは、語呂合わせです。「来い/恋」というふうに並んでいると、恋がやってきてほしい、というイメージが浮かんだりします。「故意/行為/好意」の3つの言葉は、何となく関連する場面が浮かぶかもしれません。第二連は、生き物の名前を含んだ表現が並びます。

第六十一章

べたつく

いちゃつく

にちゃつく


じゃらつく

でれつく

ほれつく

べちゃつく


くっつく

せっつく

はりつく

・・・


→「べたつく」も「いちゃつく」もわかる気がします。場面が思い浮かびます。でも、「にちゃつく」って何? わかるような、わからないような。第二連の「じゃらつく」はどうでしょう? 「でれつく」は私にはわかりません。詩人の造語でしょうか。

 こんな感じで、言葉が延々と並んでいるのです。私がこの詩集に出会ったのは十代の後半でした。「わからない! 何だ、これは?」とつぶやきながらも、その言葉のイメージの連なり、言葉の音の重なりに圧倒されたことを覚えています。

和合亮一「詩の礫」★3

2011年3月、東日本大震災の時、高校教師で詩人の和合亮一さんは43歳。福島市に住んでいました。津波で原子力発電所が被災し、爆発。放射能漏れが報道されます。

和合さんは書いています。「ラジオからは、新潟や山形へと避難する人々へ、慌てないで下さいという呼びかけ。アナウンサーも時々、涙声になる。人は減っていく。放射能の恐怖。食料・水・ガソリンは手に入る見込みがない。気力が失われた時、詩を書く欲望だけが浮かんだ。」★4  

和合さんは、ツイッターに投稿を始めます。それが反響を呼び、多くの人に読まれました。それをまとめたのが、『詩の礫(つぶて)』という詩集です。

次のように始まります。


震災に遭いました。避難所に居ましたが、落ち着いたので、仕事をするために戻りました。皆さんにいろいろとご心配をおかけいたしました。励ましをありがとうございました。

2011年3月16日 4:23


本日で被災六日目になります。物の見方や考え方が変わりました。

2011年3月16日 4:29


これが最初の2編です。身辺のことを書き連ねた文章です。次のように続きます。


行き着くところは涙しかありません。私は作品を修羅のように書きたいと思います。

2011年3月16日 4:30


放射能が降っています。静かな夜です。

2011年3月16日 4:30


ここまで私たちを痛めつける意味はあるのでしょうか。

2011年3月16日 4:31


4時23分から4時31分の間に、5編の投稿があるのです。刻々と言葉を書き付ける和合さんの思いが、その勢いに乗って伝わってきます。

3月20日から引用します。


馬よ、詩よ、余震よ、ヘリコプターよ、風よ、春よ、雲の切れ間よ。何を、何を、追っているの。命、命を。…だから、優しく、優しく…。また祖母の声だ。

2011年3月20日 22:46

(中略)


はるか 遠い 森の 奥の 一本の木 心の中の あなた はるかな あなた

2011年3月20日 20:49


緊急地震速報。震源地は宮城県沖。緊急地震速報。震源地は茨城県沖。緊急地震速報。震源地は岩手県沖。緊急地震速報。震源地は冷蔵庫3段目。緊急地震速報。震源地は革靴の右足。緊急地震速報。震源地は玉ねぎの箱。緊急地震速報。震源地は広辞苑。緊急地震速報。震源地は、春。

2011年3月20日 22:52


 相次ぐツイッターの投稿を追いかけるように読みながら、読み手は、ある時は静けさを感じ、ある時は問いかけについて考え込み、ある時は差し出されたイメージを味わったことと想像します。

 そして「緊急地震速報」で始まる一編。私は、まさに読んでいる私自身が震源地にいるような、言葉の衝撃を感じました。テレビやラジオでよく耳にする言葉です。被災者にとっては身に迫る言葉。しかし、当事者でなければ、聞き流してしまう言葉です。それが、ツイッターという形で、読み手を揺さぶったことでしょう。

 私は、多くの人たちが、この言葉を「詩」として読んだのではないと思います。ただ、和合さんの発する言葉を追いかけるように、その勢いに乗り、刺激を受けた。そのような書き手と読み手の関係があったのです。


谷川俊太郎「好きリスト」★5

次のような詩です。


好きリスト

谷川俊太郎


ノルウェーの空港で買った木のトングが好きです

冬 庭に降り積もっている落ち葉が好きです

昔から使っている錆びかかったとんかち 好きです

天井裏に住んでいるネズ公も困るけど好きかもしれない

あ ジョニー・デップ好きです

もちろん夕焼けどんなのでも好きだし

真ん中に草が生えている田舎の一本道好きだなあ

バルトークの「子どものために」好きです

アラーキーが撮る写真おおむね好きです

山萩のたたずまい好きです 花の咲き方も

いま乗っているファイアット・プント好きです    

松の実好きです イチジク好きです アボカドも

ユニクロの今年出たアンダー(黒)好きです

シェーカーの家具好きです 持ってませんけど

カニグズバーグという作家好きです


この中で好き以上に愛してるのはどれだろう

それを考えるの好きです

嫌いなもの(と人)のこと何故嫌いか考えるのも

 1行目から15行目まで、自分の好きなものを並べているだけの詩です。「並べているだけ」と言いましたが、そこには、著者の生活や気持ちが織り込まれ、「あなたの好きなものって何?」って聞かれて、「そうだなあ、ええと」と言って喋り出したような、そんな趣があります。

 1行目。「ああ、ヨーロッパに旅行に行ったのだろうなあ。空港の売店に立ち寄って、トングで良いものを見つけたのだろう。旅先でこういう買い物する時ってあるよねえ。」と私は想像します。

 2行目。「これは自宅の庭かな。落ち葉が降り積もるのだから、木立があるんだろうなあ。」と私はイメージします。

 4行目では、ネズミではなく「ネズ公」なのですね。「困るけど、好きかもしれない」という気持ちの持ちようがいいなあ、と思います。「好き」と「嫌い」の二つに分割するのではなく、その間の揺れを味わう感じが好きです。

 この詩を読むと私は、「この作品のテーマは何ですか?」とか、「著者は何を言いたいのでしょう?」などという発問が野暮なものに思えてきます。

「詩を読み解こう」などと構えることなく、素朴に、「好きなものについて自分も喋ってみたい、書いてみたい。」そんな気持ちになりませんか。

 実は、この詩は詩集ではなく、『すき好きノート』という書き込み式の本の冒頭に掲げられているのです。自分の好きな俳優は? 好きな音楽は? 好きな窓は? 好きな雲は? 好きな瞬間は?・・・といったいろいろな質問に自分で書き込んで、自分だけの「本」が出来上がる仕組みになっている、そんな本です。

*****

★1 中江俊夫『語彙集』思潮社、1972年発行。

★2 中江俊夫『現代詩文庫39 中江俊夫詩集』思潮社、1971年発行、より引用。

★3 和合亮一『詩の礫』徳間書店、2011年発行。

★4 同書、6ページ。

★5 谷川俊太郎『すき好きノート』アリス館、2012年発行。


2023年12月22日金曜日

大介くんが自分の意思で書き始めるまで 特別支援学級の作家の時間

 最近とても良いことが、ゆっくりと時間が流れる特別支援学級の教室で起きています。

 あの大介くんが、自分の意思で作文を書いているのです。これほど嬉しいことはありません。


大介くんに関する記事

https://wwletter.blogspot.com/search/label/%E7%89%B9%E5%88%A5%E6%94%AF%E6%8F%B4


(すべての子どもの名前は仮名です。エピソードや児童の特性などにも、ある程度の加工を加えています)


⚪︎作家の時間で何も書けない大介くん


 3年生の 大介くんは作家の時間で何も書けない子でした。

 大介くんは、答えを間違えてしまったり、どうしていいか分からないことに、強い不安を感じてしまう子でした。うまくいかない自分を他人に見られることもとても嫌がり、自分を認めることができずにいました。

 私が彼と出会ったのは、私が特別支援学級を受け持ち始めたときで、それと同時に、彼が1年生で入学してきたときでした。私たちは同じ時に入学した同学年ということになります。低学年の頃はまだ良かったのですが、中学年にもなると客観的な視点も芽生え、自分が生み出したあらゆるものに自信を持つことができないようでした。


 作家の時間が始まっても、長い間、本当に書きませんでした。もし、書いたとしても、ホワイトボードに自分の好きな絵を描く程度。紙に何かを描いても、それを他の人に見られないように机の中にずっと持っていたり、ぐちゃぐちゃに丸めて細切れに破き、捨ててしまったりを繰り返しました。書く様子も見せたくないので、彼の机だけをパーテーションで囲い、安全地帯をつくりました。

 おそらく、自分の理想がとても高いのだとおもいます。すぐに100%を求めてしまう。消しゴムで紙が汚れてしまうことも、とても嫌がり、反発してしまう。まさにガラスの心をもった完璧主義者なのです。

 本当はとても器用なのです。図工でも、自分の作りたいものが定まればすごい緻密なものを作ることができます。彼のアイロンビーズの作品がそれを物語ります。また運動会の表現運動もずっと友達のダンスを見て、いつの間にか見ただけで覚えてしまう。体を動かして練習する気は毛頭ないのですが、ただ自分の納得がいくまで見ていました。完璧にマスターすると自分の体をやっと動かし始める学習スタイルです。

 もともと文字の読み書きは大変苦手です。発語もなかなか即時に出すことができない。友達とのコミニケーションもフラストレーションが溜まってしまい、ついつい拳を振り上げてしまう。作家の時間で自分の良さを活かすことができず、1年間以上が経過しました。

 作家の時間で、文字を書けるのに何もせず、漫画ばかりを描いていると、やっぱり戸惑います。指導者として心の中がざわざわしてしまう。何もやらない、取り組まないことを放置しておくことで、教育としてこれで良いのだろうかと、私自身が不安になりました。強い指導をして無理矢理に文字を書かせたこともありました。しかし、私たちの特別支援学級のあり方として、そんな強い指導を継続させることはできません。本当にこれでいいのか、迷いを秘めておくことができず、一緒に教室運営している大橋先生に打ち明けました。大介くんがその気になるタイミングはいつか来ると話し、彼が好きな絵を描くという姿を、担任二人でずっと様子を見ていました。


⚪️私たちは大介くんに何をしたか


 あるとき、その大橋先生の支援によって、タブレットを使って作品作りをすすめると、紙で書くよりもずっとハードルが低いということが分かりました。消し跡も残らないし、やり直しもすぐにできます。例えば、タブレットで日記のようなワークシートを作って、そこに彼にとって印象深かった学校生活の写真を入れておき、その中に自分がやったことをキーボード入力できるようにしていく。その支援で、一枚の作品であれば、なんとか作ることができるということが分かりました。ただそれが大介くんが本当に表現したいものかは、私たちにも捉えることができず、どうしても無理矢理に場を設定して、何とかワークシートを作らせるような作品づくりの強要になっている可能性もありました。まあ、何もないよりはいいかと。それでも、作品集に大介くんの作品が掲載されるので、友達や保護者からファンレターをもらうことができました。

 もしかしたら、大介くんは長い時間をかけて、書くことは自分にとってどんな楽しさがあるのか、友達や保護者に作品を見てもらうことで、どういう気持ちになるのかと言うことをゆっくりゆっくり理解していって自分のものにしていったんじゃないかなと思います。

 振り返ると、このタブレットを使った日記形式への支援は、大介くんが自ら書けるようになるための継続的な支援とはならなかったのですが、それに至るためには良い支援になったのではないかと考えています。自分から書くまで何もしないでとことん待つことが得策とは思えません。大切な時間がどんどん少なくなってしまいます。いくら「信じて待つ」ことが大切とはいえ、それを全ての状況に当てはめるのであれば、教師という仕事は必要なくなってしまいます。やはり、具体的な支援とそのタイミングを考えなければなりこません。

 けれども、強引な指導や強い制限をかけることで大介くんの人格を否定するような教え方は、あってはなりません。無理に支援を行えば二次障害を誘発してしまうことも考えられます。特別支援学級に在籍する子どもは、周りの環境に適応することが難しい子や二次障害に苦しむ子も多く、絶対に避けなければなりません。そうなると、熱すぎず、ぬるすぎない、ちょうど良い支援を行うためには、私たちが日頃から大介くんの様子をアセスメントし、対話をしていたからできたのだと思っています。


⚪︎自分の意思で鉛筆を動かし始めた大介くん


 9・10月のブログにも書きましたが、オリジナルキャラクター「大チュウ」との出会いが本当に大きいと思います。大チュウが大介くんの分身となって、冒険をしたり、仲間を作ったり、ホワイトボードや紙の上で大活躍するようになったのです。時間があれば、大介くんは大チュウを描き、周りの友達もおもしろがって、自分の自由帳に大チュウを描きました。大チュウを通じて、仲間とのコミュニケーション量が増大していきました。

 コミュニティの力は大きいです。教師の直接的支援の重要性もさることながら、コミュニティは子どもにとって空気のような存在です。その空気が持つ属性によって、自分の力が十分に発揮できるかが左右されてしまいます。温かさに満ちた仲間とのコミュニケーションの量と質が、大介くんの安心して学習に臨む姿勢を生み出していきました。もしかしたらそれは、教師と大介くんとの関係だけでは成立できなかったかもしれません。しかし、その空気を作り出すことは、教師の大切な仕事であると考えています。教師にとっても、教室の空気作りに成功メソッドはなく、大変難しい仕事ではありますが、子どもたちの力を引き出す重要なファクターであることは否めません。そして、その空気を生み出す一番の存在が、教師に他なりません。

 最初、日記形式のワークシートに大チュウを載せても、大介くんはあまり喜びませんでした。大チュウの日記を出版することを拒み、普通の学習の場面の日記を出版しました。ところが、この後から次第に自分から原稿用紙に手を伸ばしていきます。きっと、自分の納得のいく大チュウを描いてみたいという気持ちになったのかもしれません。休み時間も家でも、大チュウを描き続けました。そして、原稿用紙にまで手を伸ばし、ついに、字を書き始めるようになったのです。大介くんが、こんなにも字を書けるという事実に気づいたのは、最近のことかもしれません。彼が運動会の表現運動もずっと傍から友達のダンスを見続け、当日の2・3日前から踊れるようになる学び方と同じことが、今回の作家の時間でも起きているのだろうと思いました。

 今回、彼が本心で出版したいと決意し、自分の力で書き切った作品『大チュウの大冒険』を私も読み終えて、20年も仕事を続けてきましたが、改めて子どもの成長に携わることができてよかったという思いでいっぱいです。大チュウが仲間に後押しされながら、冒険の旅に出発するところで終わっていて、「つづく」と書かれています。大介くんの不器用ながら成長したいという気持ちが現れた良い作品だと思い、私もファンレターを送りました。もう彼に強引な指導をしなくても、鉛筆を動かし続けています。ファンのために、続きを書き始めているからです。大介くんが本当に表現したいことを失敗や恥ずかしさに負けることなく表現できる喜び、そんな学習の真の楽しさを感じていることは、彼がいきいきと書く姿を見れば、誰にでも分かることであると思います。




2023年12月16日土曜日

深く学ぶ喜びを味わう道

 『理解するってどういうこと?』の第1章で、小学校2年生のジャミカの質問を受けた後、エリンさんは「理解」について再考し始めるのですが、そのときに「理解することとは、知的能力が発達することと同義である」ということに気づきます。それがどういうことか説明するために、エリンさんは自分自身の知的な体験の記憶を次のように語っています。

「私は、高校生のときにアメリカ史の授業で死刑制度についての研究プロジェクトに取り組む課題を与えられたことがあります。私は、数十もの資料を使って、幅広い背景と年齢の人々にインタビューを行い、いろいろな州の法律を調べて、自分自身がこれまでにもっていた価値観や考えていたことをもうこれ以上は無理というまで掘り下げました。いろいろな疑問やイメージで頭のなかがいっぱいになって、夜中に目を覚ましたり、この問題についての話に友だちや家族を長々とつきあわせたりしながら、自分の考えを繰り返し修正したのです。そして、クラスメイトに自分の考えを披露し、主張したことを正当化しなければなりませんでした。クラスメイトたちは質問や難題を浴びせてきました。私の発表が終わって、レポートを提出した後も、私はまだそのテーマに終止符をうつことはできませんでした。頭のなかはずっと揺さぶられ続け、この答えの出ない複雑な問題にもがき続けたのです。自分の成績がどんなものだったかは思い出せませんが、知的な取り組みに高揚感を覚えたのは確かです。その私の満足感は、内面的なものでした。外部から与えられるどんな報酬も、細切れの情報をつなぎあわせてパズルを解いていったこのときの興奮にとってかわることはできないでしょう。この死刑制度という複雑な問題を理解できるようになったことによって、私はもっと多くのことを知りたくなりました。」(『理解するってどういうこと?』9ページ)

 「答えの出ない複雑な問題にもがき続けた」ことで自分の「内面」に「高揚感」「満足感」「興奮」を覚えたエリンさんにとって、「成績」という「外部」からの価値づけは関心の外であったと言ってもいいでしょう。だから「よく覚えていない」と語っています。このプロジェクトで一番いい成績だったというような回想ならおそらくその結果が書かれることになります。ですから「よく覚えていない」なのです。その代わりにここでは、プロジェクトに取り組んだ自分自身が、何をやったか、他の人の反応はどうだったかという過程が克明に書かれています。これは、エリンさんのこの学習の過程で他の何ものにも替えることのできない「内面」の報酬を得たことをあらわします。この引用の後に「もっと多くのことを知りたくなりました」とエリンさんは続けています。知的な探究心がどのように芽生え発展してくのかということを伝え、知的な探究がいかにそれに取り組んだ者の自己効力感を高めるのかということを教えるエピソードでもあります。

 ロン・バーガーさんの『子どもの誇りに灯をともす―誰もが探究して学びあうクラフトマンシップの文化をつくる―』(塚越悦子訳、藤原さと解説、英治出版、2023年)には、エリンさんが経験したような学びの高揚感や達成感や興奮を覚える子どもたちの姿がたくさん描かれています。その一つ「水の学習」プロジェクトで、大学生とともに近隣の小川や井戸の調査研究に協働で取り組んだ子どもたちは、ロンさんを驚かせる「成長ぶり」を示します。プロジェクトに参加した生徒の母親の言葉はロンさんに言います。「私の息子は変わりました。いくらテストの結果が振るわなくても、息子は自分が勉強のできない生徒だと思わなくなりました。あのプロジェクトを成し遂げたのだから、自分にはそれだけの能力があると信じているのです」と(『子どもの誇りに灯をともす』180ページ)。

 おそらくこの生徒もエリンさんと同じく「内面」で知的な高揚感や達成感や興奮を覚え続けたのでしょう。それがあるから、外部からの評価を気にしなくなった。そして自らの知的発達を確信することができたということでもあります。

 『子どもの誇りに灯をともす』のなかで、もう一つ興味深かったのは、208ページから始まる「ある教室のストーリー―教えるためのインスピレーション―」です。「がっしりとした筋肉質の大柄な小学6年生」である「バディ」という男子生徒と並んで歩くシーンから始まりますが、「バディ」を含めた小学生たちと「旧鉱山」に出かけて、岩石採取をするプロジェクトの描写です。「旧鉱山」には洞窟もあったので、そこでも色々な石を採取します。学校に戻ってから、洞窟での体験をもとづいてマーク・トウェインの『トム・ソーヤーの冒険』の洞窟のエピソードを読み直して、洞窟地図をつくったり、また洞窟を素材にした短篇小説を書いたり・・・というふうにこのプロジェクトは続いていきました。

 「手のかかる」生徒だった「バディ」も、こうした野外での活動には熱心に取り組んだようです。他の生徒たちもそうでした。感心するのは、一人ひとりの生徒たちが自分の「得意」や「興味あること」を見つける手がかりが随所にあるプロジェクトだというところです。また、体験と言葉を結びつけることが組み込まれているというところにも目を引かれました。体験して考えたことを表現する手立てをもつことができるからです。

 エリンさんは「死刑制度」の研究プロジェクトに参加する過程で、知的な高揚感と興奮と達成感を覚えました。ロンさんの生徒たちはプロジェクトに参加する過程で知的な発達を見せました。どんなに小さなものでも入り口を見つけて、そこに入って見つけたものにこだわって探究し、仲間とやりとりしながら、何かをつくり上げる過程で達成感を覚えるからこそ、その後生きていくうえで重要になる自尊心がうまれるのだということを、二人の言葉は教えてくれます。深いレベルで学ぶ喜びを味わう道を。

 

★うかつにも、『子どもの誇りに灯をともす』は「PCL便り」の2023.7.24でも取り上げられていることに、上の文章を書いてから気づきました。引用した生徒の母親の言葉が一致しています。あの言葉はそれぐらいインパクトがあります。

https://projectbetterschool.blogspot.com/search?q=%E3%83%AD%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%90%E3%83%BC%E3%82%AC%E3%83%BC

 

2023年12月9日土曜日

自転車に乗る練習からイメージする「ガイド書き」

 これまで、時々、「ガイド書き」(guided writing) という言葉を耳にしつつも、「ガイド読み」の書くこと版?ぐらいのイメージしかありませんでした。(「ガイド読み」(ガイデット・リーディング guided reading) では、読むことについて共通の課題を持っている子どもたちを集めて、少人数で短い時間、教えます。ガイド読み」については、『リーディング・ワークショップ』(新評論、2010年)第8章「ガイド読み」と「効果的な読み」125ー138ページをご参照ください。★1)

 最近、「小グループで教える」ことに焦点を当てた本『Teaching Writing in Small Groups』(★2)を読んでいます。ライティング・ワークショップで、「全体へのミニ・レッスン」と「個別カンファランス」に加えて、様々な小グループでの教え方をうまく取り入れると、「それぞれの子どもたちへの個別カンファランスの頻度が上がらない」とか「クラス全体にデモンストレーションしても、うまくできない子どもがいる」等への対応ができるヒントがたくさんあるような印象を受けています。

 多様な小グループの教え方の一つが「ガイド書き」(guided writing)で、この本では「ガイド書き」という章(76-86ページ)で説明されています。(以下のページ数は『Teaching Writing in Small Groups』のページ数です。)

 著者のセラヴァロウ氏(Jennifer Serravallo)は、小グループで書き手を教える場合、実のところ、それは「ガイド書き」になっていると言います。それは、集められた子どもたちが、現時点ではまだできていない新しい作家の技や方法にトライして、できるようにガイドするのが目的だからです。教師はいろいろな目的で小グループ活動をすると思いますが、他の小グループとの違いは、書き手に与えられるサポートの量(ガイド書きではサポートがたくさん与えられる)と教え方の構成(ガイド書きでは、教師がしっかりコントロールしている)だと記しています(80ページ)。

 ガイド書きで子どもたちを集める場合、教えるポイントは同じですが、子どもたちは、それぞれ異なるトピックの作品に取り組んでいることも多いです。教師は、異なるトピックでも共通するような指示をたくさん出し、しっかり足場かけ(scaffolding)をしてサポートします(80ページ)。

 例えば、幼稚園の子どもたちを教えているニカルズ先生は、「自分のこと(経験や行ったこと)を書く(personal narrative)」というユニットを教えている時に、「海岸には砂があります。海では泳ぐことができます。海岸が大好きです」というように、事実を書いているものの、それだけで終わっている子どもたちがいることに気づきます。そこで、そういう子たちを集めて、「自分のこと(経験や行ったこと)を書く」時には、ストーリーにはいくつかの出来事の連続性があることや、実際に行ったことや言ったことなどの情報を織り込むことを、ガイド書きで教えることにしました。 (ここから、以下の数段落は、77ページと78ページから、ざっくり紹介です)。

 集められた3名の子どもたちは、それぞれ、プール、海岸、公園について書こうとしています。先生は、それぞれの子どもたちに、プール/海岸/公園に行った、「ある特定の時」を考えるように言います。それから「その時に起こった最初のこと、そこで自分が行ったことを考えるように指示し、それについてさっと絵を書いてみるように言います。「絵に誰がいるの?」「この人は何をしているの?」等も聞きながら、さらに、次に起こったこと、その次に起こったことの絵を書くように言います。 

 簡単な絵ができると、最初の絵について、子どもたちに最初に何をしたのかを尋ねて、それぞれが自分の行動を言えれば、それを文として絵の下に書くように言います。

 また絵に書かれている人が言ったことを、吹き出しで書くようにも言います。

 こんな感じでガイド書きを続け、最後には付箋に「言ったこと」「行ったこと」と書いて子どもたちに渡し、「言ったこと」「行ったこと」を加えるという二つの方法を、子どもたちが今後も覚えられるようにして、終了です。

 先生は最後には「言ったこと」「行ったこと」を強調していますが、実は、ガイド書きの間には、もっとたくさんのことを、サポートをいっぱい出して、できるようにしていることも指摘されています。

 例えば以下です。

・「(プール、海岸、公園に行った)ある1回」について書くのか「プール、海岸、公園について」書くのかの違い

・文を書く前に、場面を思い出して、絵を書いてみる

・文を書く前に、口に出して言ってみる

・一つの文を書いてから、次の文を始める

・絵に戻って吹き出しをつけることで、出てきた人が言ったことを思い出す

・絵を見て、言葉を足す

(77-78ページ)。

*****

 上記のようなことは、先生がどんどん「具体的に行うように促す」ことで、子どもたちは行っています。

 私がイメージしやすかったのは、「ガイド書き」で行うサポートを、自転車に乗り始めた子どもと親に例えていたことでした (80ページより)。

 初めて自転車に乗ることにトライする時に、親が自転車を支えることで、子どもは転ばずに進めます。これは自分一人ではできないことです。親は、コンスタントにサポートをしながら、子どもに「前を見て」「ハンドルをまっすぐにして」「ペダルを漕いで」など、どんどん指示を出していきます。

 これで、「自転車に乗る」という感覚がつかめます。

 でも、いつも親がサポートすることは必要ではありませんし、いつも親がサポートしていると、子どもが一人で乗れるようになることの妨げにもなります。

 同様に、ガイド書きの時は集中的にサポートし、指示もたくさん出しますが、それはガイド書きのときだけですし、ガイド書きばかり使うのも望ましくないようです。

*****

(★1)「ガイド読み」には多様な方法があり、行う人によってかなりバリエーションもあり、『リーディング・ワークショップ』で説明されている「ガイド読み」は、『Guided Reading』という著書もあるゲイ・スウ・ピネル(Gay Su Pinnell) に影響を受けた教え方だと説明されています(『リーディング・ワークショップ』126ページ)。

(★2) Jennifer Serravallo著

Teaching Writing in Small Groups (Heinemann社より 2021年)



2023年12月1日金曜日

子どもたちが国語を好きになり、読み書きの力をつける授業にするための13の問い

 先週の記事の執筆者の冨田先生は、『作家の時間』と『読書家の時間』を15年ぐらい実践し、それらを社会科に応用した『社会科ワークショップ』も10年弱実践しています。なので、国語の授業を「作家の時間」や「読書家の時間」で行う際の「問い」はもはや必要なく、それらを「学校ワークショップ」として実践すべく「問い」を考えたわけです。

しかし、教科書をカバーする従来の国語の授業に疑問を感じている方(や「作家の時間」にチャレンジし始めたばかりの方)は、そういう問いがあった方が考えやすい/実践に進みやすいと思って、考えてみました。参考にしたのは、「作家の時間」を先生たちの学びのコミュニティーづくりに応用した「学校ワークショップ」をする際に冨田先生が考え出した問いのリストです。★ 問いの後には、簡単な解説や情報が得られる本やサイトを紹介しています。


・生徒一人ひとりが、主体者意識を伴った目標を設定することができるか? ~ これを可能にするヒントが、『イン・ザ・ミドル』(特に、第8章? 本全部?)や『あなたの授業が子どもと世界を変える』が得られます。
・教師による講義(話)を1コマの国語の授業で10分ぐらいに押さえられているか? ~ この10分ぐらいというのは、脳の機能に由来しています(人権問題に由来しているという人もいます!)。一番長い時間を生徒たちが実際に書く時間(「読書家の時間」の場合は、実際に読む時間)に割けていますか? 最後の5~10分は「学んだことの共有」や「振り返り」として確保できていますか? ※しかし、いま日本中で行われている振り返りシートを使った「振り返り」は弊害が大きすぎますので、要注意です!!
・国語の授業の「成果物(出版)」は出せているか? ~ 生徒たちが学んだことを発表し、輝ける機会をつくれていますか?
・生徒はポートフォリオを紡ぐことができているか? ~ 自分の学びの記録(作家のサイクルhttps://wwletter.blogspot.com/2012/01/blog-post_28.html を回し続け、それぞれの段階で試行錯誤している記録だったり、ジャンルによって、自分が学んだことやチャレンジしたことの記録など)は、宝物になります。
・生徒たちが主体的かつ対話的に学び続けられる学習環境をどのようにつくり出しているか? ~ 主体的に学んでいる人、話している人が一番よく学んでいるので、それができる環境をどのように作っていますか? http://wwletter.blogspot.com/2010/05/ww.html

・生徒が作品を作ることをモデルで示すように、教師はどのようにモデルを示しているか? ~ WW/RW便り: モデルの検索結果 (wwletter.blogspot.com) でこの点についての記事がたくさん読めます。
・国語の授業におけるカンファランスは実施できているか? ~ 作家の時間は、英語ではライティング・ワークショップ、ライターズ・ワークショップまたはカンファランス・アプローチというぐらいに、教師と生徒、教師と複数の生徒、そして生徒同士のカンファランスを中心に据えた教え方です。
・ファンレター(他者からの反応)は、誰から、どのように受け取るべきか? ~ これをもらうことが、子どもたちには最高のやる気(さらに努力して取り組み続ける意欲)になります。その意味では、最後にもらうよりも、学びの過程でもらえた方が、はるかに価値は高いです。
・生徒の成果・成長を祝うために何ができているか? ~ そもそも、成果物や成長を感じられるものをつくり出しているか? 日本ではこれまで、成果物(生徒の作品やパフォーマンス)をつくる授業や、それらに対する評価をほとんどしてきませんでした。教育界の傾向や本書は、テストに向けての授業や、テスト以外には評価方法は考えられないという「偽の教え方」や「偽の評価」から、「本物の教え方」や「本物の評価」に転換する要として、成果物が位置づけられています。『学びの中心はやっぱり生徒だ!』や、https://docs.google.com/spreadsheets/d/1KXuWtBc4kl6jRr2KGwnqPAH1vSryYkM7qNXd0ArKpYU/edit#gid=1042705275のリストの本のなかでは、本物の成果物やその発表の対象なしの学びは、「生徒中心の学び」とは言えない、という主張が貫かれています。(以上、『みんな羽ばたいて』の5ページより)
・授業を持続可能な形で運営することができるか? ~ ここは、https://projectbetterschool.blogspot.com/2023/01/blog-post_15.html が参考になります。
・一人ひとりの生徒が「学ぶ責任」に耐え、支え合えるか? ~ 生徒たちが責任を担えるような教師の教え方が肝心で、『「学びの責任」は誰にあるのか』や『一斉授業をハックする』が参考になります。
・生徒の多様性が、教師の指向に合う教育論に偏ってしまうことはないか? ~ この点については、『イン・ザ・ミドル』の第1章で著者が『教える論理』から『学ぶ論理』に移行した経緯が詳しく紹介されています。
・「世の中」 のトップダウン・マインドに対して、教室/授業(作家の時間の教え方)を防衛することができるか? ~ テストをして、その成績を出すことや、そのために教える授業がいまだに横行しています。そんな悪習に流されずに、自分を貫くことは容易ではありません。管理職、保護者、同僚たちのその悪習を踏襲する圧力に対して、生徒が書くこと(や読むこと)を好きになり、書く(読む)力をつける教え方を貫くのは大変なことです。『成績をハックする』などを参照してください。

 上の問いのなかには、教材のこと、教材研究のこと、指導案のこと、教科書をカバーすることなどは一切含まれていません。それらはすべて、最後の項目の「悪習」に含まれるものであり、「教える論理」に基づいたものです。ぜひ、「学ぶ論理」に転換した教え方・学び方をお願いします。


http://wwletter.blogspot.com/2023/11/blog-post_24.html の最後のほうで掲載されている問いは、とてもいいリストです。日本の教育書や論文を読んでいると、正解志向があまりにも強すぎて、いい問いを見かけることはほとんどありません。問いこそが、思考を促し、正解(らしきもの)は思考を停止させてしまうにも関わらず。