2021年7月30日金曜日

詩との出会いを経験する

(時々、投稿をお願いしている吉沢先生に、今回も以下の投稿をお願いしました。)

 2021年3月12日のWW/RW便りで、アメリカの大統領就任式で詩が読み上げられたエピソードが紹介されています。★1  そして、学校でも、「始業式、卒業式その他いろいろな節目の式に詩人を招き、その時にふさわしい詩を読んでもらう」、それが難しければ、校長先生が全校規模の集会や式で、または教師が自分の教室で詩を読み聞かせることで、講話の「一つのパターン」になるのではないか、という提案をしています。そうすると、どんな詩を選ぶか、その選択の質が問われます。そのことで、教師自身もアンテナを張って、自分の選択を吟味することが楽しみになるだろうと、言っています。

 子どもたちの前で詩を読み聞かせることは、多くの学校現場で行われていることでしょう。国語の教科書にも詩作品が収められています。

 大事なことは、それが楽しいことになっているかどうかです。教師が、「自分の選択を吟味することが楽しみに」なっているかどうかです。そのためには、教師自身が、「面白いなあ」とか「いいなあ」と思える詩に出会う経験をすることが必要です。

 今回は、そのような詩との出会いを経験するための方法を、私自身の経験をもとに提案します。そして、もし私が生徒たちの前で詩を読み聞かせるチャンスがあるとしたら、どのような詩を選ぶか、生徒にどのような仕方で読み聞かせるかについて、書いてみたいと思います。


▶ 詩との出会いを経験するために

①まず一人の詩人の一つの作品を読む

 自分の知っている詩人の作品を読みます。宮澤賢治とか、高村光太郎とか、名前だけは知っているという詩人で良いのです。

 国語の教科書に載っている詩でもかまいません。授業で教わったことを覚えて終わり、ではなく、「この詩人はどんな人なんだろう」「どういう詩を書いたのだろう」という気持ちを持つことが出発点になります。

②その詩人の他の作品をたくさん読む

 次に、その詩人の他の作品を読みます。生涯にわたって作品を書いた詩人は、歳を経るにつれて作風が変わっていくものです。と同時に、変わらない部分もあるものです。

 例えば、宮澤賢治であれば、『宮澤賢治集』といった本があります。公共図書館で見ることができます。それをパラパラとめくりながら、読んでいきます。

 大事なことは、その詩人の言葉の使い方や作品の世界が、自分にフィットするかどうかです。「わけがわからないけれど、どこか惹かれるなあ」という場合もありますし、「この人の作品は私の感覚には合わないなあ」という場合もあるでしょう。自分の感覚を大切にします。いくつか作品を読んでみて、フィットしなければ、その本を読むのをやめます。

③他の詩人の作品を読んでみる

 次に、他の詩人の作品を読んでみます。自分の知っている詩人でもいいですし、図書館でたまたま手に取った詩集でも構いません。詩作品の多くは短く、すぐに読めますから、手に取って、いくつか読んでみます。

 一編だけでなく何編も読むことが大切です。教科書に載っているのは、編纂者によって選ばれた「名作」が多いですが、その詩人の個人詩集には、小さな作品、初期の習作なども含まれています。そういうものも含めて色々読むのです。そうすると、「この中ではこの詩がわりといいな」という感覚を持つようになってきます。

④第三者からの情報を手がかりにする

 数々の詩作品、詩人にふれていくと、自分の好みの詩人や作風に出会うかもしれません。または、「数は読んでみたけれど、今ひとつだなあ」という場合もあるでしょう。

 この段階になると、第三者からの情報が役に立ちます。その一つは、詩に関心のある知人、文学に詳しい知人と話をすることです。自分が数々の作品を読んでいれば、そのような人と話がしやすくなります。また、その人を介して、詩に詳しい人を紹介してもらえるかもしれません。

 もう一つは、アンソロジー(選詩集)を読んでみることです。多くのアンソロジーには解説や、本によっては作品ごとに鑑賞文がついています。どのような点が優れているのかについて知ることは、おおいに参考になります。★2

 また、インターネット上には、詩人や評論家によるブログがあります。「おすすめの詩」という類のサイトもあります。そのような情報源も刺激になるでしょう。★3


▶ どのような詩を読み聞かせるか

  今度は、詩を読み聞かせる立場として、どのような詩を選ぶかについて考えてみます。私は次のような観点で選びます。

①自分自身が感動した作品、気に入った作品であること

 さまざまな詩があります。作品の持つメッセージ、言葉自体の響き、イメージの美しさ、展開の意外性、など何に感動するかもさまざまです。読み聞かせたい、という気持ちのもとにある感動を大切にしたいものです。

②耳で聞いてほぼ理解できる内容であること

 場合によっては、プリントを配布したり、スクリーンに写したりして、文字を目で追いながら、読み聞かせるというやり方があっても良いと思います。特に、難しい言葉が含まれている場合は、このことを考慮します。

③聞き手が広く共有している話題であること

 どのような話題を扱っているかについて意識しておくことが必要です。読み始める前に、軽く前振りをすることもあります。逆に、全く前振りなしで聞かせることがあっても良いと思います。

 聞き手があまり知らない状況を扱った作品の場合は、前提となる知識を与えることが必要な場合もあるでしょう。

④長すぎないこと

 聞き手の集中がどのくらいか、どれくらいの時間を割くことができるかにもよるでしょう。


▶ 私の好きな詩2編

 私が好きな詩を2編、選びました。一つは戦争を、もう一つは東日本大震災の津波を素材にした詩です。いずれの詩も、声高に戦争反対や津波被害の悲惨さをことばにした詩ではありません。しかし、詩の差し出す世界に引き込まれ、深く考えさせられます。

 最初の詩です。

 読み上げる前に、「匍匐」という漢字を黒板に書き、「ほふく」という読み方を教えます。意味については、教えても良いですが、「今から読む詩の中に何度も出てきます。どういう意味か考えてみて下さい。」と言って、読み始めるのでも良いと思います。


桔梗★4

       金井 直


ぼくは匍匐していた ぼくはぼくの外で

苦痛のようにのたうちまわっていた

なぜなら ぼくは兵隊だったから そして

ぼくの夏は死ぬかもしれなかったから

夏はぼくの肘のところで

水蜜の皮のようにむけた なぜなら

匍匐していたから

夏はぼくの肘のところで

かさぶたのようにはがれた なぜなら

匍匐していたから

夏のぼくの肘のところで

うんでいた そして砂利がくいこんだ地面のように

夏のぼくの肘にくいこんでごつごつした なぜなら 

ぼくは匍匐していたから そして夏は

ぼくの中でのたうちまわり

ぼくの傷口から血うみのように流れでていた

なぜなら ぼくは死ぬことをそして殺すことを教えられた兵隊だったから

そして ぼくは貧乏な みじめな兵隊だった

だから夏は飢え 渇いていた

そして ホームシックのない絶望のない夏だった

そして ぼくはどこにもいなかった

なぜなら 世界は戦争だったから

そして ぼくは疲労だった 疲労と眠気だった

なぜなら 太陽も空もなかった

なぜなら ぼくは匍匐だったから 匍匐そのものだったから

匍匐しながら一輪の桔梗をみつけた

みつけたのはぼくではなかった

なぜなら ぼくは兵隊だったから そしていつか

彼女にほほえみかけていた

ほほえみかけていたのもぼくではなかった

なぜなら ぼくは兵隊であり ぼくの夏は死にかかっていたから

そして 彼女にだまって別れた

別れたのは一人の兵隊だった

なぜなら 戦争だったから

けれども 彼女を忘れないぼく

死なない彼女の夏 戦争のない夏

彼女の太陽 彼女の空を持っているのはぼく

兵隊ではないぼくだった


 〈ぼく〉は〈兵隊〉であり、〈兵隊〉は〈ぼく〉ではない。この屈折した心持ちが、戦争という状況の中の一つの場面で描かれています。どの部分に共感するか、人それぞれの受け取り方があることでしょう。


 もう一つの詩です。

 東日本大震災から、すでに10年が過ぎました。テレビで津波の映像が流れることも、ほとんどなくなりました。私は高校生に教えていますが、東日本大震災のことを知っている生徒はあまりいませんでした。このような自然災害は、実際に体験したもの以外は、どうしても遠い出来事になってしまうものです。


海は忘れない★5

     高橋 順子


町を歩いているとき

わたし(わたしのいのち)は意識したくない

いまにも頭上にクレーンが倒れてくるかもしれないのを

いまにも足元にマンホールの蓋が開いて そこから

海が湧いてくるかもしれないのを

もしも意識したら 恐怖のあまり

わたしの暦はまるまってしまう

それを元にもどして

歯医者さんに予約した日時を確かめなければ


あの日

東日本の太平洋側一帯に波のクレーンが落ち 海が襲ってくるのを

わたしたちは直前まで知らなかった

知らないでわたしたちは歯医者さんに行っていた


古里の海はいつも荒れていたが

荒れているなりに静かだった

三百年間海は静かだったので

海に守られていると町の人びとは信じていた

人びとは三百年前のこと「元禄十六年十一月廿二―廿三日晩

浜津波三丁退転七十余人死家船共に皆無*」を忘れた

わたしたちは小さな貸し借りや

三日後の約束で頭をいっぱいにしていた 恐怖の代わりに


三百年が経って 海はようやく歯を剥いた

海は忘れなかった

大津波を

そのとどろきを その目くらましを その黒さを

再現した 十四人を呑んだ それから砂浜に白い貝殻を撒くことを

流木を岸辺に返すことを 忘れなかった


忘れる者であるわたしたち(わたしたちのいのち)は

海の怖さを忘れる

海の美しさを忘れないのは

わたしたち(わたしたちのいのち)ではない

いのちを忘れたわたしたちである


*千葉県旭市飯岡の玉崎神社古記録による。


 作者の高橋順子さんは、千葉県の太平洋に面する町の出身です。郷里の町も津波に会い、友人を失っています。津波が去った後の海辺に巻かれた貝殻とか、流木など、実際にその場を目にした体験がもとになっているに違いありません。

〈わたしたち〉は、〈わたしたちのいのち〉であるという前提。そこに安住してきた私たちの心のあり様を、最終行の〈いのちを忘れたわたしたち〉という言葉が照らし出しています。


*****

★1 WW/RW便り 2021年3月12日 

「講話は読み聞かせとセットで?〜『キャプテンたちのコーラス』を読みながら」

https://wwletter.blogspot.com/2021/03/blog-post_12.html

★2 例えば、中公文庫版『日本の詩歌』シリーズ(中央公論社発行)があります。ただし絶版ですので、amazon等で入手するか、公共図書館を利用するしかありません。

★3 例えば、下記のようなサイトがあります。

「日本の名作詩ベスト100」

https://kazahanamirai.com/nihon-shiika-selection.html

「詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)」

https://blog.goo.ne.jp/shokeimoji2005

★4  金井直『現代詩文庫34 金井直詩集』(思潮社, 1970)63〜64ページ

★5  高橋順子『海へ』(書肆山田, 2014)92〜95ページ


2021年7月23日金曜日

それぞれにぴったりの方法を見つけることをサポートする、という教師の役割

  「スペイン語の勉強中、教科書の文章にうんざりしました。ホセが駅までの道順を尋ねるとか、どうでもいいでしょう?」と、「新しい言語を学ぶ秘訣」というタイトルのTEDトークで、スピーカーのリディア・マホヴァは語ります。彼女は、複数の外国語を流暢に操ることのできる人たち100名に学び方を尋ねると、おそらく100通りの学習方法が 返ってくるだろうと言います。そして、学習方法はそれぞれに違っても、その共通項として、「方法はバラバラですが、どれも必ず自分が楽しめるものにしてある」と、全員が「言語を学ぶ過程の楽しみ方を知っている」ことを強調します。https://www.ted.com/talks/lydia_machova_the_secrets_of_learning_a_new_language(英語、日本語どちらの字幕でも視聴できます)

 このTEDトークから、それぞれにぴったりの方法を見つけることをサポートする、という教師の役割に関連して、以下の2つのことを考えました。

(1)それぞれに学び方が異なること

 「100名に学び方を尋ねると、おそらく100通りの学習方法が 返ってくる」 というところから思い出したのが、ライティング・ワークショップです。『ライティング・ワークショップ』(フレッチャー&ポータルピ、新評論)では、子どもたちそれぞれにとってうまく書ける方法は異なること、そしてそれを見つけられるようにサポートすることも、教師の役割であることが記されています。

「実際のところ、それぞれの書き手はほかの人とは全く異なる独特の執筆方法をもっています。したがって、教師がすべての子どもたちに一つの書くプロセスを押し付けることは大きなまちがいであり、それは書き手としての子どもを潰してしまうことにもなりかねません」(『ライティング・ワークショップ』82ページ)。

 ライティング・ワークショップでは、「書く前の準備」から始まり「出版」に向かう「書くプロセス」を踏まえて教えることが多いです。例えば「書く前の準備」段階。そのための方法はいろいろありますが、「往々にして、書く前の準備はこうしなければいけないという、決まりきったもの」になっていて、「すべての子どもたちが、話のアウトラインをつくったり、話の進め方を決まった形式の図で整理してみたり、と教師が決めた方法で書く準備をさせられて」いることが指摘されています(『ライティング・ワークショップ』83ページ)。

 教師が「往々にして、書く前の準備はこうしなければいけない」と思ってしまい、教師が決めた方法で書く準備をさせる。同様のことは、ライティング以外のことを教える時でも、教師は、おそらく善意から、「一つの良い方法」をあたかも「唯一の方法」であるかのように教えてしまう(押し付けてしまう)可能性があることは、自分を見ていても、実感します。

 → 自分にとって「これは便利、うまくいく、効果的」と思えることが、他の人にとってそうではないことを、忘れないようにしたいです。そして、私自身、多様な方法を知っていること、そのためにも、学び続けることの大切さも思います。

(2)100通りの学び方の共通項は、プロセスを楽しむ方法を見つけていること

 このTEDトークで、リディア・マホヴァが、100通りの学習方法の共通項として挙げているのは、「楽しい」というなんともシンプルな基準です。「ただプロセスを楽しむ方法を見つけて、言語の学習を退屈な学校の科目ではなく、毎日やりたくなる楽しい活動にしているだけなのです」と指摘し、そして、「単語を紙に書き出すのが嫌なら アプリで入力すればいいですし、教科書のつまらない内容を聞きたくないなら YouTubeやポッドキャストに いろんな言語の面白い番組があります」と選択肢の例も提示しています。実際、このトークの中で、彼女自身も、自分の大好きな番組(フレンズ)や本( ハリー・ポッター)を活用したことも教えてくれています。

 「学ぶプロセスが楽しい」このシンプルさに、戸惑いも感じました。また、教師が無意識のうちに自分の中につくりあげた「学びはこうあるべき」という、教室内に限定していたことの壁を崩してくれるような気もしました。

 他方、学習者がとても楽しそうであっても、その学びが、教師から見ると、極めて効果が低いと思うときもありそうです。

 そのギャップ?を、学習者の学び方を、教師が理解するスタート地点にできる、と、このTEDトークを試聴しながら思いました。つまり「ある学びかたを楽しめているのか」という、一見、とてもシンプルな点から学習者についての知識を得る、ということです。

 書き手として、あるいは読み手としての、それぞれの学び方の特徴を知って、それぞれにぴったりの方法を見つけられるようにサポートしよう、と思うと、どこから取り組んで良いのかわからないという時もあると思います。そんな時に、その学習者が楽しんでいる学び方を知るというアプローチも一つの方法のように思いました。

2021年7月17日土曜日

「ヒトの言葉」と「機械の言葉」との共生

「私たちは本当に「意味」が分かっているのか」「「理解する」とは、「意味」とは、「コミュニケーション」とは、「知性」とは――」「AIは本気で「人類を滅ぼす」と言っている? 「コンピュータはまだ「忖度」できない?」「「絶対に押すなよ!」を「押せ」と解釈できる?」「ロボットと「口約束」ができる日はくるのか・・・・・・」等々、川添愛さんの『ヒトの言葉 機械の言葉―「人工知能と話す」以前の言語学―』(角川新書、2021年)という本の帯にはこうした言葉が並んでいました。

この本では「今の「機械の言葉」に関わる問題点」のいくつかを指摘しながら、「今後、まるでドラえもんや鉄腕アトムのように巧みに言葉を操る機械が現れたとき、それが私たちと同じように言葉を理解していると言っていいのかなどといった問題」が扱われていました。現実に、スマホに向けて質問するだけで望んでいる情報を手に入れることができる世の中です。しかし、スマホは言葉を理解していると言えるのか?

川添さんは本書の終わりの方で次のように言っています。 

私たちが「必ずしも人間と同じ仕方でなくても、機械が言葉を理解することはあり得る」と言いたくなるとき、それによって私たちが「本当に主張したいこと」はなんでしょうか? 私は、それは「この機械は人間と同じように言葉を理解しているわけではないが、十分に実用的だ」とか、「この機械の言葉の扱い方は十分に信頼できる」などといったことではないかと思います。つまり、「機械が言葉を理解している」という表現を、以下の①の意味ではなく、②の意味で使いたい、ということだと思うのです。

① 機械が私たち人間と完全に同じ仕方で言葉を理解している。

② 機械による言葉の扱いが、実用的な面から見て十分に信頼できる。

(『ヒトの言葉 機械の言葉』244245ページ)

 

 川添さんによれば①のことはすぐには実現がむずかしいとのことです(本書を読んでいただければその理由がよくわかります)。しかし、私たちがAI研究に期待するのは②の方でないかと述べた後で川添さんは次のように言っています。 

 「理解する」という言葉は、つきつめて考えると非常にあやふやではあるものの、私たち人間にとってはかなり強い実感を伴って受け止められる言葉です。誰かが「この機械は言葉を理解している」と言うのを聞いた場合、誰でも最初に思い浮かべるのは①の「人間と同じ理解」の方でしょう。

 問題は、②のつもりで言った言葉が①の意味で受け止められることで、何か不都合が生じないかということです。①か②かをはっきりさせないまま「機械による言語理解の達成」が喧伝されることは、過剰な期待や恐怖を煽るでしょうし、もし技術の面で実体が伴っていなければ、AI研究に対する失望や過小評価にもつながります。これは、過去のAI研究の歴史においてもたびたび繰り返されたことでもあります。

                                                          (『ヒトの言葉 機械の言葉』246ページ)

 

ではそのような誤解を避けるためにはどうすればいいか。川添さんは「実用的に問題がないレベルの言語理解とはどういうものか、その定義を明確にしておくことは大切かもしれない」と言っています。

これは「機械の言葉」の問題である以上に「ヒトの言葉」の問題です。いや「理解する」ことについてのきわめて重要な問いであるように思えます。私たちの「言語理解」においても、「実用的な面から見て十分に信頼できる」ことが大切だといいながら優れた読み手・書き手と同じ仕方での言語理解の達成がすべて、と考えがちなのではないでしょうか? むしろ「実用に問題がないレベルの言語理解」とはどういうものかが不問にされがちです。むしろモデルとなる言語理解の姿をカヴァーし、記憶すること、復誦することが言語理解のすべてと考えることはないでしょうか。

『理解するってどういうこと?』の第5章「もがくことを味わい楽しむ」には「人が効果的に読み、書き、話し、聞く際に使う6つの領域」が提示されています(166167ページ)。「表面的な認識方法」として「文字と音声の領域」「語彙の領域」「構文の領域」、「深い認識方法」として「意味づけの領域」「関連づけの領域」「優れた読み手・書き手になる領域」の「6つの領域」が示されていますが、川添さんの言う「実用に問題がないレベルの言語理解」とはこの「6つの領域」をバラバラに切り離さないで使いこなすことだと考えることができます。すなわち「自分の生活や、他の本や文章や、自らの体験や知識との結びつき」(『理解するってどういうこと?』178ページ)を重んじることです。

たとえば「深い認識方法」の「関連づけの領域」では優れた読み手の使う理解するための7つの方法によって強化されるとエリンさんは言っていますが、その目的地は次のように表現されています。

 

1 自立的に使いこなせる―教師の支援を受けないで、理解のための7つの方法を使うことを学ぶ。

2 柔軟に使いこなせる―理解のための7つの方法を、本や文章に応じて、すべてを使うか、いくつかを選んで使うか、まったく使わないか、判断しながら使うことができる。

3 状況に合わせて使いこなせる―読もうとする本や文章にぴったり合った方法を選んで、その方法を目的をもって使うことができる。

(『理解するってどういうこと?』179ページ)

 

理解することを学ぶことは、このようなことを目指して「もがく」ことだと考えることができます。そうなると「機械が私たち人間と完全に同じ仕方で言葉を理解している」ということは川添さんが本書で解き明かしているようにきわめて遠いゴールのようにも思われます(私自身がAI研究に詳しくないことを差し引いても)。しかし、ヒトが、自立的に、柔軟に、状況に合わせて、理解のための方法を「使いこなせる」ようになり、もがきながら理解の成果を手に入れる道筋で、「実用的な面から見て十分に信頼できる」ような「言葉の扱い」をする「機械」と共生する道を考えることができるなら、幸いなことだと思います。「ヒトの言葉」だけでは見ることのできなかった「理解する」風景を手に入れることができるのかもしれません。

 

2021年7月9日金曜日

新刊『静かな子どもも大切にする ― 内向的な人の最高の力を引き出す』

 訳者の一人で、大学で国語科教育法などを教えている島根の古賀洋一さんが以下の紹介文を書いてくれました。

 *****

 グループワークを中心に進む授業や、単元の最後にプレゼンテーションなどの発表活動を位置づけた授業を頻繁に目にするようになりました。その場面を見ていると、「はたしてこれで良いのだろうか」と不安になることがあります。

一つ目は、グループでの話し合いが声の大きな一部の生徒のみで進んでしまい、根拠のない思いつきの発言の羅列に留まったり、考えの深まりがみられなかったりすることです。なかには他の生徒と違う鋭い考えをもっている生徒もいるのですが、そうした生徒の多くは発言しないまま時が過ぎるのをじっと待っています。二つ目は、グループワークや発表活動の際の教師の指導が、声の大きさや目線といった外面の振る舞いに偏っていることです。そこでは「外向的な振る舞いが良い振る舞いである」というメッセージが発信されていて、じっくり相手の考えを聴いたり、それぞれの違いを整理したり、それをもとに更に考えを深めたりするような「内面の活発さ」は、あまり意識されていないように見えます。

これらの場面に共通しているのは、「内向的な生徒(頭の中でじっくり考え、観察力が鋭く、一人でいることを好む生徒)」の価値がクラス内で認識されておらず、本人も自分を価値ある存在だと見なすことができていないということです。これだけでも大きな問題ですが、私たちの3050%は内向的な人であると言われています。また、世界にイノベーションを起こしてきた偉大な人物の多くは、実は内向的な人であったと言われています。クラスでの学びを実り多いものとしていくためにも、世界に変革を起こすかもしれない生徒の芽を摘んでしまわないためにも、私たちは内向的な人への見方を改め、強みを理解し、それを教室でいかしていくための工夫を考えていく必要があります。

『静かな子どもも大切にする―内向的な人の最高の力を引き出す―』には、内向的な人の個性と強み、彼らの置かれた息苦しい状況が生々しく描かれています。また、意欲・態度面の評価やICT活用の視点、生徒と教師・生徒相互の信頼関係の構築方法、教室環境の整え方、グループワークの工夫、教師が「待つ」ことの大切さなど、内向的な生徒が最高の力を発揮できるための多様な方法が紹介されています。本書は、教師がほんの少し工夫するだけで、内向的な生徒が輝けることを教えてくれます。また、他の生徒がそうした強みを学ぶことで、教室の学びが一層実りあるものになっていくことを教えてくれます。

なかでも本書で注目していただきたいのは、「内向的な生徒は配慮すべき弱い存在ではなく、外向的な生徒とは異なる強みをもった存在である」という見方が一貫して強調されていることです。内向的な生徒をいかす方法をいくら学んだとしても、彼ら/彼女らへの見方を変えることができなければ、教師の意識しないところで「外向的な人こそが理想である」というメッセージを発してしまうことになりかねません。それは結局のところ、「内向的な人は弱い存在である」という見方を生徒の内に強化してしまうことにつながるのです。

以上のような内容について、難解な用語や理論ではなく、著者の家族や同僚、生徒とのいきいきとしたエピソードをもとに述べられている点も、本書の大きな魅力です。読者は自身の経験と照らしあわせながら、イメージ豊かに読み進めることができるでしょう。

 

◆本ブログ読者への割引情報◆

1冊(書店およびネット価格)2640円のところ、

WW&RW便り割引だと    1冊=2400円(送料・税込み)です。

5冊以上の注文は     1冊=2300円(送料・税込み)です。


ご希望の方は、①書名と冊数、②名前、③住所(〒)、④電話番号を 

pro.workshop@gmail.com  にお知らせください。

※ なお、送料を抑えるために割安宅配便を使っているため、到着に若干の遅れが出ることがありますので、予めご理解ください。また、本が届いたら、代金が記載してある郵便振替用紙で振り込んでください。



2021年7月2日金曜日

新刊『社会科ワークショップ』

リーディング・ワークショップの日本での実践を紹介した『読書家の時間』の中心的メンバーだった冨田明広先生が、今度はそのアプローチを社会科に応用した実践報告を紹介してくれています。

 *****

 勤務校の経験年数の浅いA先生から、5年生の「我が国の国土の様子と国民生活」の学習の進め方について、質問を受けました。「運動会が終わった時期で、学習計画も手際良く消化させていきたい」「新聞づくりを学習成果物としてゴールに設定し、暑い土地、寒い土地、高い土地、低い土地、それぞれの暮らし方について、調べ学習を取り入れていきたい」そのようなリクエストがありました。自分の「社会科ワークショップ」の知見を生かして、細やかなアドバイスをしてみることにしました。

 まず、A先生が参考にしていたものの一つに、業者テストがありました。見ると、業者テストは、暖かい土地のテストと寒い土地のテストとで別々の内容になっていたのです。これでは確かに、「一つ一つの土地の暮らし方をしっかり教えなければ」という気持ちになってしまうのもよく分かります。しかし、もっと高い視点から考えた方が、先生だけでなく子どもたちにとってもおもしろい学習ができるでしょう。

 ゴールの設定にテストを参考にしてしまうのは、おかしいからです。経験の浅い先生にとって、自分の教えている内容が正しいかどうかという不安はとてもよく分かります。けれど、それではどうしても知識偏重の単元構想になってしまいます。

 暖かい土地と寒い土地をはっきりと分けて考える必要はなく、むしろ、例えば衣服という観点で暖かい土地も寒い土地も、そして自分たちの今の衣服など、複数の視点で調べて比べる方が、子どもたちにとっては、暮らし方の違いがわかりやすいでしょう。A先生は「寒い土地をどう教えようか」という狭い視点で考えていたので、「気候の特色と暮らし」全体でユニットのデザインを考える必要があります。

 社会科ワークショップでは、ユニットという考え方があり、教科書単元ごとに学習を区切るのではなく、大きく学習内容を捉えたり、子どもたちの実態にあった具体的な学習の範囲を設定したりと、子どもたちの学習に応じた学習内容やゴールの設定を行います。A先生は、ユニットの枠をもっと広げて、子どもたちが暮らし方を土地間で比較できるように工夫すると良いように思います。

 新聞作りも、国語と関連させてじっくりと取り組むならばよいですが、時間が限られている中で、書く力の良し悪しに大きく影響をする新聞作りを全員に行うと、子どもたちに負荷がかかりすぎて、5・6月の段階から社会科嫌いを作ってしまいそうです。もっとアウトブットの負荷を減らして、ユニットの最後だけでなく、何度も自分の考えを伝えられるカードやICTを活用したペアでの活動などを提案しました。子どもたちの様子に合わせて、ユニットのデザインを調整していくと、子どもたちにも無理のない学習が進められます。

 A先生が行いたいと思っていた調べ学習。私たちの勤めている市では、子ども一人につき一台のiPadが配付され、授業の中で活用しようと先生たちが工夫をこらしています。A先生も同様に、子どもたちにiPadで、寒い土地の代表として取り上げられている札幌市の暮らしについて調べさせたいと考えているようです。新しいことにチャレンジしようとするA先生の試みは大変素晴らしいものです。

 しかし、心配なことは、子どもたちの調べ学習で完成した新聞作りが、札幌の観光サイトなどからの引用文で埋め尽くされ、自分の思考がまったく入らない物になってしまうと予想されることです。子どもたちは意気揚々と先生から出された学習課題である札幌の雪祭りや農作物で検索をするのでしょうが、観光協会などのサイトで雪まつりの盛り上がりについて理解はできるものの、そこにその土地の気候と暮らしが関連していることまで考えを深めるられる子は少なく、観光ガイドブックの延長のような新聞がたくさん作られてしまうでしょう。

 子どもたち一人ひとり、自分が興味をもつところは違います。雪まつりに興味をもつ子どももいれば、家屋、農産物、観光業など、子どもによって目の付け所は様々です。しかし、そこばかりに目をつけていると、暮らしというテーマから離れていってしまいます。ですから、興味をもって調べ始めた子どもたちに、「暖かい土地では、どんな観光イベントがあるの?」「札幌の家と比べて、私たちの県ではどんな工夫がある?」と、比較して考えられる暖かい土地の暮らしや4年生で学習した自分の都道府県の特色と結びつけて考えられるように一人ひとり助言をしてあげると、気候や暮らし方へと思考は動いていくでしょう。「社会科ワークショップ」でいうと、これは「カンファランス」になります。

 調べ学習は、先生が調べる内容を設定してしまいがちです。目的の知識にたどり着いたら終わりでは、社会科を十分に楽しんだとは言えません。調べ学習から探究学習へと移行させていきましょう。調べたことから、問いが生まれ、考えが浮かび、終わることのない探究のサイクルが回り始めます。何度も発表できるカードやICTを活用したペアとのやりとりであれば、時間の許す限りサイクルを回し続けられますし、家庭でも学習の続きを行うことができます。

 ICT活用は、本来、多様な学習を可能にするツールであり、学校や家庭などの障壁を超えて学習を深められるツールであるはずです。知識を得るためだけに使っていたのでは、ICTの真の活用とは言えないでしょう。社会科ワークショップにICTの活用を組み込めば、もっともっと学習は多様性を広げ、一人ひとりに応じた探究を行うことができるでしょう。

 その後のA先生の実践を聞くと、私も勉強になることがありました。ロイロノートというアプリケーションを使って、社会科のアウトブットを行ったことです。情報をカード化して視覚的に繋げられるこのアプリケーションは、手軽なアウトブットを可能にしています。感染症対策などで、ペアや小グループでの対話が制約されている中、便利なアプリケーションを活用して、視覚的な対話を行うことができたことは、とても素晴らしいことだと思います。 

 社会科は、自分と社会、自分と友達のように、人と人との繋がりの中から学習を深めていく教科。社会科は、人の顔が見える学習でありたいものです。

 

 しかも、教師にも生徒たちにも主体性はほぼゼロなので、知識としてほとんど残らないことが約束されます!

 

◆本ブログ読者への割引情報◆

1冊(書店およびネット価格)2640円のところ、

WW&RW便り割引だと    1冊=2400円(送料・税込み)です。

5冊以上の注文は     1冊=2300円(送料・税込み)です。


ご希望の方は、①書名と冊数、②名前、③住所(〒)、④電話番号を 

pro.workshop@gmail.com  にお知らせください。

 

※ なお、送料を抑えるために割安宅配便を使っているため、到着に若干の遅れが出ることがありますので、予めご理解ください。また、本が届いたら、代金が記載してある郵便振替用紙で振り込んでください。