2021年7月30日金曜日

詩との出会いを経験する

(時々、投稿をお願いしている吉沢先生に、今回も以下の投稿をお願いしました。)

 2021年3月12日のWW/RW便りで、アメリカの大統領就任式で詩が読み上げられたエピソードが紹介されています。★1  そして、学校でも、「始業式、卒業式その他いろいろな節目の式に詩人を招き、その時にふさわしい詩を読んでもらう」、それが難しければ、校長先生が全校規模の集会や式で、または教師が自分の教室で詩を読み聞かせることで、講話の「一つのパターン」になるのではないか、という提案をしています。そうすると、どんな詩を選ぶか、その選択の質が問われます。そのことで、教師自身もアンテナを張って、自分の選択を吟味することが楽しみになるだろうと、言っています。

 子どもたちの前で詩を読み聞かせることは、多くの学校現場で行われていることでしょう。国語の教科書にも詩作品が収められています。

 大事なことは、それが楽しいことになっているかどうかです。教師が、「自分の選択を吟味することが楽しみに」なっているかどうかです。そのためには、教師自身が、「面白いなあ」とか「いいなあ」と思える詩に出会う経験をすることが必要です。

 今回は、そのような詩との出会いを経験するための方法を、私自身の経験をもとに提案します。そして、もし私が生徒たちの前で詩を読み聞かせるチャンスがあるとしたら、どのような詩を選ぶか、生徒にどのような仕方で読み聞かせるかについて、書いてみたいと思います。


▶ 詩との出会いを経験するために

①まず一人の詩人の一つの作品を読む

 自分の知っている詩人の作品を読みます。宮澤賢治とか、高村光太郎とか、名前だけは知っているという詩人で良いのです。

 国語の教科書に載っている詩でもかまいません。授業で教わったことを覚えて終わり、ではなく、「この詩人はどんな人なんだろう」「どういう詩を書いたのだろう」という気持ちを持つことが出発点になります。

②その詩人の他の作品をたくさん読む

 次に、その詩人の他の作品を読みます。生涯にわたって作品を書いた詩人は、歳を経るにつれて作風が変わっていくものです。と同時に、変わらない部分もあるものです。

 例えば、宮澤賢治であれば、『宮澤賢治集』といった本があります。公共図書館で見ることができます。それをパラパラとめくりながら、読んでいきます。

 大事なことは、その詩人の言葉の使い方や作品の世界が、自分にフィットするかどうかです。「わけがわからないけれど、どこか惹かれるなあ」という場合もありますし、「この人の作品は私の感覚には合わないなあ」という場合もあるでしょう。自分の感覚を大切にします。いくつか作品を読んでみて、フィットしなければ、その本を読むのをやめます。

③他の詩人の作品を読んでみる

 次に、他の詩人の作品を読んでみます。自分の知っている詩人でもいいですし、図書館でたまたま手に取った詩集でも構いません。詩作品の多くは短く、すぐに読めますから、手に取って、いくつか読んでみます。

 一編だけでなく何編も読むことが大切です。教科書に載っているのは、編纂者によって選ばれた「名作」が多いですが、その詩人の個人詩集には、小さな作品、初期の習作なども含まれています。そういうものも含めて色々読むのです。そうすると、「この中ではこの詩がわりといいな」という感覚を持つようになってきます。

④第三者からの情報を手がかりにする

 数々の詩作品、詩人にふれていくと、自分の好みの詩人や作風に出会うかもしれません。または、「数は読んでみたけれど、今ひとつだなあ」という場合もあるでしょう。

 この段階になると、第三者からの情報が役に立ちます。その一つは、詩に関心のある知人、文学に詳しい知人と話をすることです。自分が数々の作品を読んでいれば、そのような人と話がしやすくなります。また、その人を介して、詩に詳しい人を紹介してもらえるかもしれません。

 もう一つは、アンソロジー(選詩集)を読んでみることです。多くのアンソロジーには解説や、本によっては作品ごとに鑑賞文がついています。どのような点が優れているのかについて知ることは、おおいに参考になります。★2

 また、インターネット上には、詩人や評論家によるブログがあります。「おすすめの詩」という類のサイトもあります。そのような情報源も刺激になるでしょう。★3


▶ どのような詩を読み聞かせるか

  今度は、詩を読み聞かせる立場として、どのような詩を選ぶかについて考えてみます。私は次のような観点で選びます。

①自分自身が感動した作品、気に入った作品であること

 さまざまな詩があります。作品の持つメッセージ、言葉自体の響き、イメージの美しさ、展開の意外性、など何に感動するかもさまざまです。読み聞かせたい、という気持ちのもとにある感動を大切にしたいものです。

②耳で聞いてほぼ理解できる内容であること

 場合によっては、プリントを配布したり、スクリーンに写したりして、文字を目で追いながら、読み聞かせるというやり方があっても良いと思います。特に、難しい言葉が含まれている場合は、このことを考慮します。

③聞き手が広く共有している話題であること

 どのような話題を扱っているかについて意識しておくことが必要です。読み始める前に、軽く前振りをすることもあります。逆に、全く前振りなしで聞かせることがあっても良いと思います。

 聞き手があまり知らない状況を扱った作品の場合は、前提となる知識を与えることが必要な場合もあるでしょう。

④長すぎないこと

 聞き手の集中がどのくらいか、どれくらいの時間を割くことができるかにもよるでしょう。


▶ 私の好きな詩2編

 私が好きな詩を2編、選びました。一つは戦争を、もう一つは東日本大震災の津波を素材にした詩です。いずれの詩も、声高に戦争反対や津波被害の悲惨さをことばにした詩ではありません。しかし、詩の差し出す世界に引き込まれ、深く考えさせられます。

 最初の詩です。

 読み上げる前に、「匍匐」という漢字を黒板に書き、「ほふく」という読み方を教えます。意味については、教えても良いですが、「今から読む詩の中に何度も出てきます。どういう意味か考えてみて下さい。」と言って、読み始めるのでも良いと思います。


桔梗★4

       金井 直


ぼくは匍匐していた ぼくはぼくの外で

苦痛のようにのたうちまわっていた

なぜなら ぼくは兵隊だったから そして

ぼくの夏は死ぬかもしれなかったから

夏はぼくの肘のところで

水蜜の皮のようにむけた なぜなら

匍匐していたから

夏はぼくの肘のところで

かさぶたのようにはがれた なぜなら

匍匐していたから

夏のぼくの肘のところで

うんでいた そして砂利がくいこんだ地面のように

夏のぼくの肘にくいこんでごつごつした なぜなら 

ぼくは匍匐していたから そして夏は

ぼくの中でのたうちまわり

ぼくの傷口から血うみのように流れでていた

なぜなら ぼくは死ぬことをそして殺すことを教えられた兵隊だったから

そして ぼくは貧乏な みじめな兵隊だった

だから夏は飢え 渇いていた

そして ホームシックのない絶望のない夏だった

そして ぼくはどこにもいなかった

なぜなら 世界は戦争だったから

そして ぼくは疲労だった 疲労と眠気だった

なぜなら 太陽も空もなかった

なぜなら ぼくは匍匐だったから 匍匐そのものだったから

匍匐しながら一輪の桔梗をみつけた

みつけたのはぼくではなかった

なぜなら ぼくは兵隊だったから そしていつか

彼女にほほえみかけていた

ほほえみかけていたのもぼくではなかった

なぜなら ぼくは兵隊であり ぼくの夏は死にかかっていたから

そして 彼女にだまって別れた

別れたのは一人の兵隊だった

なぜなら 戦争だったから

けれども 彼女を忘れないぼく

死なない彼女の夏 戦争のない夏

彼女の太陽 彼女の空を持っているのはぼく

兵隊ではないぼくだった


 〈ぼく〉は〈兵隊〉であり、〈兵隊〉は〈ぼく〉ではない。この屈折した心持ちが、戦争という状況の中の一つの場面で描かれています。どの部分に共感するか、人それぞれの受け取り方があることでしょう。


 もう一つの詩です。

 東日本大震災から、すでに10年が過ぎました。テレビで津波の映像が流れることも、ほとんどなくなりました。私は高校生に教えていますが、東日本大震災のことを知っている生徒はあまりいませんでした。このような自然災害は、実際に体験したもの以外は、どうしても遠い出来事になってしまうものです。


海は忘れない★5

     高橋 順子


町を歩いているとき

わたし(わたしのいのち)は意識したくない

いまにも頭上にクレーンが倒れてくるかもしれないのを

いまにも足元にマンホールの蓋が開いて そこから

海が湧いてくるかもしれないのを

もしも意識したら 恐怖のあまり

わたしの暦はまるまってしまう

それを元にもどして

歯医者さんに予約した日時を確かめなければ


あの日

東日本の太平洋側一帯に波のクレーンが落ち 海が襲ってくるのを

わたしたちは直前まで知らなかった

知らないでわたしたちは歯医者さんに行っていた


古里の海はいつも荒れていたが

荒れているなりに静かだった

三百年間海は静かだったので

海に守られていると町の人びとは信じていた

人びとは三百年前のこと「元禄十六年十一月廿二―廿三日晩

浜津波三丁退転七十余人死家船共に皆無*」を忘れた

わたしたちは小さな貸し借りや

三日後の約束で頭をいっぱいにしていた 恐怖の代わりに


三百年が経って 海はようやく歯を剥いた

海は忘れなかった

大津波を

そのとどろきを その目くらましを その黒さを

再現した 十四人を呑んだ それから砂浜に白い貝殻を撒くことを

流木を岸辺に返すことを 忘れなかった


忘れる者であるわたしたち(わたしたちのいのち)は

海の怖さを忘れる

海の美しさを忘れないのは

わたしたち(わたしたちのいのち)ではない

いのちを忘れたわたしたちである


*千葉県旭市飯岡の玉崎神社古記録による。


 作者の高橋順子さんは、千葉県の太平洋に面する町の出身です。郷里の町も津波に会い、友人を失っています。津波が去った後の海辺に巻かれた貝殻とか、流木など、実際にその場を目にした体験がもとになっているに違いありません。

〈わたしたち〉は、〈わたしたちのいのち〉であるという前提。そこに安住してきた私たちの心のあり様を、最終行の〈いのちを忘れたわたしたち〉という言葉が照らし出しています。


*****

★1 WW/RW便り 2021年3月12日 

「講話は読み聞かせとセットで?〜『キャプテンたちのコーラス』を読みながら」

https://wwletter.blogspot.com/2021/03/blog-post_12.html

★2 例えば、中公文庫版『日本の詩歌』シリーズ(中央公論社発行)があります。ただし絶版ですので、amazon等で入手するか、公共図書館を利用するしかありません。

★3 例えば、下記のようなサイトがあります。

「日本の名作詩ベスト100」

https://kazahanamirai.com/nihon-shiika-selection.html

「詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)」

https://blog.goo.ne.jp/shokeimoji2005

★4  金井直『現代詩文庫34 金井直詩集』(思潮社, 1970)63〜64ページ

★5  高橋順子『海へ』(書肆山田, 2014)92〜95ページ


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