2021年3月20日土曜日

優れた読み手・書き手になる領域

  エリンさんは『理解するってどういうこと?』の第5章で「深い認識方法」についていくつか考察していますが、次のように自分の「ブックラブ」体験について語ったくだりがあります。

年齢も、背景も、人生経験のもさまざまに異なった女性たちは、一緒に読む本のページに極めて多彩な色彩を加え、私なら絶対に想像しなかったようなものの見方や、考えや、解釈を持ち込むのです。その本のなかで、もう自分がすっかり理解していると思っていた部分を意外な新しいレンズを通して読み直すことになります。そうすることによって、私がそれまでは少しも気づかなかった意味を発見するきっかけを、他のメンバーは私に与えてくれるのです。みんなで読んでいる本について彼女たちがしっかり考えて発見したことの質と深さ、思いがけない解釈に私が驚いていることを話すと、彼女たちはあなただってまったく同じことをしてくれているのよと教えてくれます。(『理解するってどういうこと?』180ページ)

  これを「優れた読み手・書き手になる領域」だとエリンさんは言っています。「深い認識方法」の一つです。仲間とともに、いや、仲間とやりとりして(対話して)「優れた読み手・書き手」になる、ということです。「意外な新しいレンズを通して読み直す」ことで「それまで気づかなかった意味を発見する」ことになるのだというのです。

 安斎勇樹・塩瀬隆之著『問いのデザイン―創造的対話のファシリテーション―』(学芸出版社、2020年)で語られる、「ワークショップ」と「ファシリテーション」の技術、「関係性が時々刻々と変化していく創造的対話のなかで、リアルタイムに出し入れする問いの技法」の成果と重なるところが少なくありません。安斎さんと塩瀬さんが重視するのは「問いの立て方」です。

 『問いのデザイン』では「問いの基本性質」が次のように七つ指摘されています。

1)問いの設定によって、導かれる答えは変わりうる

2)問いは、思考と感情を刺激する

3)問いは、集団のコミュニケーションを誘発する

4)対話を通して問いに向き合う過程で、個人の認識は内省される

5)対話を通して問いに向き合う過程で、集団の関係性は再構築される

6)問いは、創造的対話のトリガーとなる

7)問いは、創造的対話を通して、新たな別の問いを生みだす

 (6)(7)に使われている「創造的対話」とは、安斎さんたちによれば「対話の参加者の思考と感情が揺さぶられながら、対話に参加する以前には保持していなかった共通認識が新たに「創発」する対話のこと」(『問いのデザイン』33ページ)です。エリンさんの「私がそれまでは少しも気づかなかった意味を発見するきっかけを、他のメンバーは私に与えてくれるのです」という言葉と重なります。「深い認識方法」の「優れた読み手・書き手になる領域」とは、安斎さんたちの事を使えば「創発的対話」が生じる「領域」であると言い換えることができるのかもしれません。

 この点をわかりやすく示しているのが「よい漫画とは何か?」をめぐる、物心ついたときから漫画をよく読んでいたAさんと、成人してから漫画を読むようになったBさんの二人の対話についての次のような説明です。

 AさんとBさんの漫画を捉える暗黙の前提となっている認識は、まったくの別物です。Aさんは漫画を「非日常の体験」として捉えており、Bさんは「日常に役立つ道具」として捉えているからです。この背後にある価値観は、問いに対峙している時点では、本人には必ずしも客観視されているとは限りません。自分にとって「当たり前」すぎることは、日常においてはっきりと「メタ認知」(自分の思考についての客観的な思考)をすることは、簡単なことではないからです。/ところが、この2人が対話の機会を持つと、それぞれの暗黙の前提は、始めてメタ認知の対象となります。異なる前提から話されるそれぞれの経験や意見は、最初はお互いにとってどこか「違和感のある意見」として認識されるかもしれません。けれども対話的なコミュニケーションでは、そうした異なる意見に対して早急な判断や評価を下さずに、どのような前提からそれが話されているのか、背景を理解することが奨励されます。その過程において、自分とは異なる前提に立つ他者への理解を深めるととともに、自分自身の前提がどのようなものなのかが相対的に認識され、これがメタ認知につながるのです。(2829ページ)

  読み進めていくと「対話においては、異なる価値観に触れ、自分自身の前提をメタ認知しながら、お互いに素朴な疑問を投げかけたり、違う角度から意見を述べてみたりしながら、共通の意味を探っていきます」(30ページ)とありました。AさんとBさんは「よい漫画とは何か?」という問いを起点に「共通の意味」を探り、関係性を編み直しながら、対話する以前には持っていなかった共通認識を新たに「創発」していったのです。そして、『問いのデザイン』のなかでは「人々が創造的対話を通して認識と関係性を編み直すための媒体」という「問い」の定義が与えられていきます。

 「認識と関係性を編み直す」ために何が必要か。エリンさんはこう書いています。

 その本に書かれていたいろいろな出来事を単に再話するのではなく、後になってから思い出して、使いこなせるように、自分たちの考えをしっかりと理解して書くのです。(『理解するってどういうこと?』182ページ)

  本に書かれていたいろいろな出来事を再話するだけでは「認識と関係性を編み直す」ことにはなりません。本や文章について「自分たちの考えたこと」を話し合うことで、「それまで少しも気づいていなかった意味を発見」することができるのです。だからこそ「深い認識」がもたらされるのです。

 

2021年3月12日金曜日

講話は読み聞かせとセットで? 〜「キャプテンたちのコーラス」を読みながら

  この1月、アメリカ大統領就任式で、自身の詩「The Hill We Climb」を読み上げた22歳の詩人アマンダ・ゴーマンは、2月には、スーパーボウルの試合前イベントで、新作の詩「キャプテンたちのコーラス」★も読みました。このところ、大きな舞台での活躍が続いています。

 そういえば、大統領就任式では、『歌え、翔べない鳥たちよ ―マヤ・アンジェロウ自伝―』(矢島翠訳、2018年 青土社)で知られるマヤ・アンジェロウが招かれた大統領就任式もありました。ネットで少し調べてみると、1961年、ジョン・F・ケネディ大統領の就任式で、ロバート・フロストが式のために作った詩を朗読したのを皮切りに、アメリカの大統領就任式では詩人がけっこう登場しているそうです。(https://www.elle.com/jp/culture/celebgossip/a35270366/biden-inauguration-amanda-gorman-210121/)大統領就任式に詩人を招くのは「よくある一つのパターン」とも言えそうです。

 「始業式、卒業式その他いろいろな節目の式に詩人を招き、その時にふさわしい詩を読んでもらう」ということは、実現が難しいかもしれません。でも、子どもたちのことをよく知っている教師、あるいは自分の学校のことをよく知っている校長先生が、自分の教室で、あるいは全校規模の集会や式で、詩もしくは短い絵本を読み聞かせる。こんなことが、講話の「よくある一つのパターン」になると面白そう、と勝手に思いました。

 「教育者の仕事は心に残る感銘を与えることができますが、本もそうすることができます」★★と言う教育者もいるぐらいですから、本に活躍してもらうというのも、一つの選択肢に思えます。絵本や詩は短いので時間もかかりません。例えば、ある学校の20クラスのうち5クラスで、何かの式の時に読み聞かせがあり、その5クラスで読み聞かされた絵本や詩の情報が玄関に掲示されるだけでも、教師と子どもたちの世界は広がりそうです。

 もちろん、その選択の質が問われることになるので、教師自身もアンテナを貼り続け、自分の選択を吟味する、という楽しみも増えます。また何を選択したかが共有されることで、自分の好みや(時には)偏りを意識する助けにもなりそうです。

 そして絵本や詩で世界が広がる中で、何かを話す時にも、本や詩から得たことを使うこともできるかもしれません。

 そういえば、『リーディング・ワークショップ』(ルーシー・カルキンズ、新評論)には、「本が大好きな本担当の先生」を自認しているファリーナ校長が出てきます(「読み書きを学校の中心に位置付ける」というセクション、28〜32ページをに登場します)。ファリーナ校長は、「毎月の本」を選び、「ほかの人がまだ見つけていない本を探したいと思っているので、実は本屋さんや図書館の本棚をいつも丹念に見て、本を注文している」そうです。そして、それを「毎月の本」や他のいろいろな方法で、教職員や生徒たちに共有している様子が伺えます。子どもたちも親たちも、ファリーナ校長が「本が大好きな本担当の先生」であることをよく知っていて、親たちも本を推薦する手紙を校長に書いてくるそうです。

 ファリーナ校長先生が全校生徒に読み聞かせをしたという記述はありませんが、本のおかげでファリーナ校長がいる小学校ではみんなが理解できる共通の言葉が生まれ、何かを話すときに、本の登場人物がまるで学校内にいるかのように話の中に出てくるそうです。

 校長が学校全体の集会で話している場面は次のように書かれています。

「みなさんを見ていると、一緒に読んだ本の主人公のように行動していることが分かりました。ルビィ・ブリッジズさんのように、勇気をもって正しいことのために立ちあがり、ルピナスさんのような決意をもって、世界を美しい場所にしようとしていますね」

 第6小学校の子どもたちは、ファリーナ校長が、どの本の誰を指して、何を言っているのかが分かっています。そして、もっと大切なこと、つまり本が自分たちの生き方を変えてくれるということも分かっているのです。(30ページ)

*****

★「キャプテンたちのコーラス」の訳は以下(1)に、関連のニュースとアマンダ・ゴーマンが読んでいるニュース(こちらは英語)の動画は以下(2)をご参照ください。

(1) https://www.asahi.com/articles/ASP28424SP28UHBI00H.html?iref=pc_extlink

(2) https://www.harpersbazaar.com/jp/celebrity/celebrity-news/a35453835/amanda-gorman-super-bowl-210209-lift1/?utm_source=yahoonews&utm_medium=distribution&utm_campaign=210211_yahoo

★★ JoEllen McCarthy の Layers of Learning, Stenhouseから出版、2020年. Kindle版 16ページに "Yes, our work can leave lasting impressions, but so can books" と書かれています。ちなみにこの本は、絵本から、アカデミックな知識やスキルだけではなく、学び手のコミュニティづくり、主体性、尊重、エンパワメント等々、多くのことを学べるとして、概念に分けて多くの絵本を紹介しています。

2021年3月5日金曜日

年度末の「ふりかえり」の時期

 生徒たちに今年度の授業をふり返ってもらうことはもちろんですが、次年度以降に改善できることは何かを明らかにするためにも、ここ2週間ぐらいのうちに、ぜひアンケートやインタビュー★を行ってください。


 以下は、それを実際にした先生の紹介です。K君というもっとも気になる生徒を対象にした新潟の佐藤先生のインタビューの記録です。


****


まず、K君についてです。4月に異動してきた私が、初めて担当する中2のとあるクラスの生徒、それがK君です。このクラス、9割が国語嫌い。完全アウェーからのスタートでした。


中でもK君は、最初から倦怠感を丸出しにした態度で、体を机にだらーんと投げ出す、教科書はなかなか開かない、提出物も出ず、記述は1行程度ミミズの這ったような字で何か書いてあればいい方。騒ぎはしないものの、いつも心ここにあらずという様子でした。


他教科の様子をリサーチしてみると、やはり授業についていけていない様子です。周囲にちょっかいを出したり、私語したり、ノートをとっている「ふり」をしたり、居眠りをしたりして時間をやり過ごしています。どの教科も提出物は期限を守れない…というよりは課題自体を終えていない…。技術や体育は座学の教科に比べたら、それなりに取り組む様子です。


そのK君の様子が変わったと思ったのは10月の初旬あたりです。

体を起こして周りをキョロキョロ。遊んでいるのではありません、何をしたらいいのかを周りを観察して確認しているのです。話し合いでも、活発とは言いませんが、仲間の顔を見て、話を聞いて反応して、言葉を発しています。


詩の解釈の授業の時に、とても楽しそうにクラスメートと話し、自分とは別の解釈があることを友だちから聞くと「あ!」と何かに気づいた様子。そして一生懸命自分の考えを三角ロジックにあてはめて書いてくれました。20行くらいの文章を書き下げました。


書写の時間には、紙の中にうまく字が入りきらず、「どうしたらいいですか?」と、わざわざ一番後ろの席から教卓まで質問に来ました。これまでのK君からは考えられないような行動で、驚くやら嬉しいやら、ちょっぴり鳥肌が立ちました。


学級担任にK君の様子を報告し、彼が変わった理由を尋ねると「親父さんとの関係が落ち着いたようだ」とのこと。家庭生活の安定が一つの要因だろうという見立てでした。

しかし、よくよく考えてみれば、変わった理由は本人に聞くのが一番です。授業後の休み時間に、聞いてみました。以下が、K君の答えです。



質問:最近、国語の授業への参加の様子が素敵なんだけど、何がきっかけ?

リーディング・ワークショップで本を読むようになった。最初は面倒だったし、読む気もなかったけど、読むしかない環境だったので読んでいた。授業で言われていた(スキルのひとつ)「映像化」が、だんだんできるようになった。

「映像化」ができるようになると、本が面白くなってきた。読むことに集中できるようになってきて、楽しめるようになった。

授業でも、聞かれたことの答えを作るために、読めばいいところがなんとなくわかるようになってきた。あってるかどうかわからないけど。テストも苦手だけど。勉強自体も苦手。覚えるのとか、駄目。

でも、リーディング・ワークショップはいいと思う。楽しい。

(ちなみに10月までのリーディング・ワークショップの時間は、およそ35時間です。)



質問:K君が授業に参加しやすくなるには、何が必要?

自分は読むことが苦手で、スピードも遅いけど、勘弁してほしい。読む気持ちはある。

文章を書くときには、友だちの話を聞けるといい。安心する。時々、何をするのかすぐにわからないことがあるから。

黒板の内容をノートに写す授業は嫌い。意味が分かんないし、面倒。飽きちゃう。自分で考えたり、友だちと考えたりする方がいい。考えることは楽しい。できると嬉しい。




インタビューで得られた情報の考察


1 K君の現状

・じっくり考えるタイプ。練習によって、書写の字を用紙に収めることができました。教師に質問した後、友だちの書いている字の太さを観察して、何度も書いていました。できあがった作品は丁寧なもので、指導した行書のポイントはクリアできていました。


・語彙は少ないですが、課題について前向きに考え、参加しようとしています。


・やっと「読むこと」にたどり着いた感があり、読んだことをアウトプットするまでには今後もたくさんの補助が必要です。「面白い」以外の語彙がないので、読書を繰り返すことが必要です。レターエッセイはまだ敷居が高いかもしれないと思います。反応できた表現の書き出しなどから始めたいと思います。


2 必要な支援

・教師が「待つ」姿勢をもつこと。「支援」の手を抜かなければK君のやる気を持続できます。成長マインドセットが重要。


・「型」「見本」「助け」が必要。


・選択肢が必要。インタビューでも感じましたが、語彙が少ないので自分の気持ちや考えを他人に伝えるために、いくつか例を示すと答えることができました。真摯に答えようとする気持ちと態度は伝わってきました。


・対話が必要。話すこと自体は嫌っていません。話すことで考えを整理するタイプかもしれません。友だちとのスパイダー討論を楽しんでいます。人の顔を見て話したり聞いたりしています。人に話を振ることもできています。


・個人差を受け入れられる授業が必要。不器用ながらも、真摯にインタビューに答えようとする姿から素直さを感じました。頭ごなしの指導は入らないタイプです。点数や統制された学習形式に象徴されるこれまでの教育の形では認められないタイプの生徒です。テストでは瞬発力や暗記力が必要なため、既存の授業や評価システムではK君は評価されにくいのです。




K君が教えてくれていること


教室には多様な生徒が存在すること。


教育のシステムが柔軟なら、学びからの逃走を防止できること。


テストだけで評価をするのは公正な評価とは言えないこと。


自分で「する」授業、経験値を上げていく授業が効果的であること。


知識や技能は経験と結びつくことで、人を成長させること。それを繰り返すことでテストの点数ではなく、成果(パフォーマンス)の質が上がること。(もちろん長期的にはテストの点数に影響をあたえること。)



まとめ

K君の事例を通して、どんな子どもでも、「学び続けることに意味がある」と感じています。生徒の「学び」を「支援」する場が「学校」だと思います。

「学校」は、いつから生徒をテストの点数で値踏みをする場になったのでしょう。進学率や偏差値の高さが「成果」とされる学校は、大切な学校の役割を忘れてしまっているように思います。



★ https://sites.google.com/site/writingworkshopjp/teachers/kyouzai-daunrodoや、本稿を参考にして。


2021年2月26日金曜日

お薦め絵本

  今日はここ5年ぐらいに出版された絵本から、いいなと思った絵本を紹介します。

・『カールはなにをしているの?』デボラ・フリードマン/よしい かずみ、BL出版 2020年

→ しみじみ、いいなあと思いました。主人公はミミズのカールです。ミミズの土や生き物に対する「貢献」を学び、そして、それぞれに置かれた場所でなすべきことがある、と率直に思いました。

・『アランの歯はでっかいぞ こわーいぞ』ジャーヴィス/青山 南訳、BL出版 2016年

 → 文句なしに大好きな絵本です。動物たちを怖がらせるのを楽しむワニのアラン。歯もすごい迫力です。

・『フォックスさんの にわ』ブライアン リーズ/せな あいこ訳、評論社 2019年

→ いつも一緒だった仲良しさんを亡くしたフォックスさん。そんなフォックスさんに寄り添いながら描かれています。

・『おおかみのおなかのなかで』マック・バーネット/なかがわ ちひろ訳、徳間書店 2018年

→ 「こう進むのかな?」と思いながら読んだのですが、私の予測は全く当たりませんでした。私の思考の柔軟性のなさ?を感じつつ、「でもね」と反論したくもなります。

 なお、この著者は、TEDトークで「良い本が秘密の扉である理由」(日本語字幕あり)というタイトルで登場しています。TEDトークは、「皆さんこんにちは、マックといいます。私の仕事は子どもに嘘をつく事です。ただし、それは誠実な嘘です」で始まります。

・『めを とじて みえるのは』 同じ著者よりもう1冊です。 マック・バーネット/ まつかわまゆみ訳、評論社 2019年

→ TEDトークの最初に言った「誠実な嘘」?がたくさん出てくる本。楽しく読了し、後日「終わり方」を教えるミニ・レッスンでも使えるかも。

・『しっぱい なんか こわくない!』アンドレア・ベイティー/かとう りつこ訳 絵本塾出版 2017年

→ エンジニアとはこういう資質を持っているのですね。ロージーという女の子が主人公です。なお、この絵本は、女性の宇宙飛行士が宇宙から無重力状態で、読み聞かせてくれている動画があります(英語)。

https://storytimefromspace.com/rosie-revere-engineer-2/

 同じサイト(https://storytimefromspace.com/library/)では、宇宙関係の本の読み聞かせがたくさん! いろいろな宇宙飛行士が宇宙から読み聞かせをしています(英語)。

・『お話の種をまいて 〜プエルトリコ出身の司書プーラ・ベルプレ』アニカ・アルダムイ・デニス/星野 由美訳、汐文社  2019年 

→ こんな本がもっと増えてほしいです。こういう種からスクスクお話が育っていく土壌は、誰にとっても豊かな土壌だと思いました。

・『かべのあっちとこっち』ジョン エイジー/なかにし ちかこ訳、潮出版社 2020年 

→ 英語の題は The Wall in the Middle of the Book です。「向こう側」は、「こっち側」から見ている限り、なかなかわからないですよね。

・『エイドリアンはぜったいウソをついている』マーシー・キャンベル/服部 雄一郎、岩波書店 2021年

→  小学校高学年向き? 相手への理解や自分の行動、判断が変わることで、関係性も変わってくる??? 好き嫌いは分かれる本かもしれませんが、深い質問を考えることもできそう。

・『みんなとちがうきみだけど』ジャクリーン・ウッドソン/都甲 幸治、汐文社 2019年

→ 英語の題は The Day You Begin です。著者は『ひとりひとりのやさしさ』『わたしは、わたし』などを書いたジャクリーン・ウッドソン。

 なお、彼女もTEDトークに登場しています(日本語字幕なし、Jacqueline Woodson, What reading slowly taught me about writing)。

****

  いつもながらですが、リーディング・ワークショップ、ライティング・ワークショップ関連の本を読んでいると、教室内で使われている本や、著者たちのお薦め本などにたくさん出合えるのが嬉しいです。上記の絵本も、 Maria Walther and Karen Biggs-Tucker著の The Literacy Workshop(Stenhouse, 2020)を読んだおかげで知ることができました。

2021年2月20日土曜日

戦地における「理解することで得られる成果」

 

『理解するってどういうこと?』の第9章には表9・1「理解することで得られる成果」が3ページにかけて掲げられています。いずれも「理解のための7つの方法」(関連づける、質問する、イメージを描く、推測する、何が大切かを見極める、解釈する、修正しながら意味を捉える)を使うことで私たちが経験する「成果」です。「フィクション/ナラティブ/詩」についての見出しだけ列挙してみます。

 

書くために学ぶこと/共感全般/登場人物への共感/舞台設定への共感/登場人物の葛藤への共感/作者への共感/次は何かと思うこと/作品の独自性を見分ける感覚/自信/喜びを味わう/ある部分にこだわって、じっくり考えようとする欲求/支持しようとする願望/信じようとする気持ち/パターンとシンボルがだんだんわかるようになる/思考の修正/考えや価値観や意見の確認/思考力の持続/はっきりした記憶 (『理解するってどういうこと?』347349ページ)

 

 「理解のための7つの方法」を使って詩や物語や小説を読むことで、私たちはこうした「成果」を手に入れるのです。もちろん、いつでもそれがうまくいくということはありませんが、ひたすら本を読んでいる場合にはこのなかのいくつかの「成果」があらわれるものです。

 以前紹介したフェルナンド・バエス(八重樫克彦・八重樫由貴子訳)『書物の破壊の世界史―シュメールの粘土板からデジタル時代まで―』(紀伊國屋書店、2019年)という本には、人類がおこなった書物の破壊・毀損のさまざまな姿が描き出されています。もちろん災厄のなかで失われた書物もありますが、多くは圧政のなかでの「焚書」や空爆などによって失われた書物も少なくないことがわかります(そのなかで圧倒的なのは現代のデジタル焚書です!)。とくに戦争は「読む文化」と対立する、本を壊す側にあるもののようにも思われます。意外なことに戦争のなかで理解の「成果」を実感させてくれる本がありました。モリー・グプティル・マニング(松尾恭子訳)『戦地の図書館―海を越えた一億四千万冊―』(創元ライブラリ、2020年:初版単行本2016年)という本です。まず、次のようなことが書かれています。

 

ドイツは『我が闘争』を武器にし、焚書という恥ずべきことをした。しかしアメリカ人は自分が読みたいと思う書物を読み、その中に記されている思想を広めるのだ。「精神面で勝利すれば、戦場で勝利できるだろう。」(『戦地の図書館』69ページ)

 

 第二次世界大戦に従軍したアメリカの兵士のためにつくられた「兵隊文庫」のことが書かれたノンフィクションです。本をどのように扱えば「戦地」でもいきるのか。一人ひとりの兵士の目と心を通すことによってしか本が人のなかでいきることはありません。「戦地」で限られた空間に閉じこもって戦う兵士たちこそその恩恵を被るものです。そのことを描いた本書の言葉をいくつか掲げます。

 

手紙が届かず、スポーツをする道具もなく、映画を観ることもできず、読書だけが楽しみとなる場合が少なくなく、だからこそ書籍は大切にされた。ある従軍牧師はこう語っている。「本は心を傾ける価値のある何かを与えくれます。本を読むと、戦争がもたらす破壊についてただ悶々と考えていた兵士が、建設的な何かに心を向けるようになります」(『戦地の図書館』81ページ)

 

ここに「心を傾ける価値のある何か」「建設的な何か」と言われる、その「何か」こそが、エリンさんの言う理解の「成果」であることはほぼ間違いありません。

 

本を読むと兵士はやる気を起こし、環境に簡単に適応できるようになり、ノイローゼにならないとも言われた。ある記事には次のように述べられている。「フィクションや戯曲を読むと、自分に必要なこと、目標、身を守る方法、物事の価値が分かるようになる。また、自分に本当に必要なものを取り入れ、自我を脅かすものを拒絶するようになる」兵士は読書をすることで、勇気、希望。決断力、自我を取り戻し、戦争によって心に空いた穴を埋めた。(『戦地の図書館』82ページ)

 

ある学者は、戦時中の書籍の役割についてこう述べている「兵士が本を喜んで読んだのは、望郷の念に浸れたからだ。本が自分の気持ちや考えを代弁してくれたからでもある。騒々しく、落ち着かない軍隊生活では、兵士はなかなか心の内を話せなかった」さまざまな人物の物語を読むことで、自分の置かれた境遇に対処できるようになるために、兵士はもっと本を読みたいと思うようになった。(『戦地の図書館』160ページ)

 

「やる気」「環境に簡単に適応できるようになる」「自分に必要なこと、目標、身を守る方法、物事の価値がわかるようになる」「自分に本当に必要なものを取り入れ、自我を脅かすものを拒絶するようになる」「自分の気持ちや考えを代弁する」「自分の置かれた境遇に対処できるようになる」・・・これらは、まさしく兵隊たちが「兵隊文庫」の本を理解した「成果」に他なりません。登場人物や舞台設定への「共感」や、「自信」「喜びを味わう」「支持しようとする願望」「信じようとする気持ち」「思考力の持続」といった、エリンさんの言う「理解の成果」を、確実に兵隊たちが得ていたことの証言として読むことができます。とくに最後の引用に書かれてあるように、軍隊生活で「心の内」を語れない兵士たちが、本を読み、理解しようとすることで「自分の気持ちや考え」をあらわす機会を得られたことの意義は大きいと思われます。ルイーズ・ローゼンブラットの言う交流(transaction)が、戦地という状況下での本と兵士とのあいだで引き起こされたということです。

 

2021年2月12日金曜日

『私にも言いたいことがあります!』


教育の変化やトレンドについて研究している人たちであれば、「生徒の声こそが効果的な教室の学びの中心である」という考え方を支持するでしょう。実際、現場の教師はご存じのとおり、生徒が学校生活で主体性を発揮できると感じたり、自分の言いたいことを安心して聞いてもらえると感じたりするとき、教室は「生きた学びの場」となるのです。私たち教師が、双方向的で、サポート的で、身近なことにチャレンジできるような授業を確立することができれば、生徒はきっと「私にも言いたいことがあります!」と言い放ってくれることでしょう。

 これは、この本の著者が「まえがき」の最後に書いていることです。

 日本で教育にかかわる多くの人も、これには賛同するのではないでしょうか。しかし、現実には「生徒の声こそが効果的な教室の学びの中心」になっている割合はどのくらいでしょうか? (中心にあり続けているのは、教科書であって、生徒の声はもちろん、教師の声すら活用されることはない、という「声」が聞こえてきそうです!)

 トーク(話す・聞く)活動そのものは教科ではありません★。・・・新しい概念を理解すること、主体的な学び手として他者ときちんとコミュニケーションをとること、多様なものの見方ができること、他者に対する寛容さを育てること、といったさまざまな機能があります。(本書、5~6ページ)

 さらに著者は、トーク活動の価値というか効用について、次のように書いています。

 トーク活動は、生徒の知識を高めるだけでなく、質問することや話し合うこと、振り返ること、情報から意味をつくり出すことといった能力を高めることになります。

 ですから、学校はトーク活動を推奨し、それによって学習へと誘う場であるべきです。熟考に満ちた探究が評価され、探究には対話が必要だと認識されている場所であるべきです。そして、教室でのトーク活動を最大限に活かすためのさまざまな方法とカリキュラムを開発する必要があります。そうすれば、生徒は次のようになります。

 ・言葉や言い方を文脈にあわせて選ぶ。

 ・聞き手、聴衆に対する自分の発言の効果に気づく。

 ・自分の内なる声(意見、考え、思い)に気づき、他者の発言と結びつける。

 ・書く活動を行う前に話し合う。

 ・グループ活動においてより高い理解につながる。

 ・すべての学習において意味をつくり出す際、その中心に話し合いを位置づける。

 ・自らが参加した方法を振り返る。

  これだけの効果があるのですから、ぜひトーク活動を活用してください。そして、考えるため、コミュニケーションを取るため、振り返るため、何よりも学びのコミュニティーの一員であるために、トーク活動を使いこなせる生徒を育てましょう。トーク活動は、アイディアを試し、フィードバックを得て、視点を増やし、協働して知識を構築する機会を生徒に提供するのです。

 本書は、こうしたトーク活動を組み立てる多様な方法を紹介することを目的として書かれています。(12~13ページ)

 実際、「多様な」どころではなく、「膨大な」量の方法と情報を提供してくれています。そして、各章の最後には、極めて効果的なチェックリストも! たとえば、次のような感じです(第1章のごく一部の紹介にとどめます。)

あなたは、学校での勤務経験を通して、トーク活動をどのように変化させてきましたか?

現在、学校で生徒がよく取り組んでいる対話の形を考えてみてください。インタビュー、質問、グループでの問題解決、読み聞かせ、日々の生活の話、調べたことの共有、理科の実験について説明すること、ロールプレイ、読み取ったことのグループ間交流などです。あなたのクラスでは、どのような活動を行い、とくに何を強化していますか? 生徒の学習がどのように活性化しているかについて気づき、学校でのトーク活動にどのような変化をもたらすことができますか?

授業では、自然に話すといった機会が歓迎されていますか? ペア、グループ、クラス全体で話すとき、もっとよい状況を設定することはできないでしょうか? そして、生徒がリアルで重要だと思えるような活動を通して、自然に話す・聴くことの力を成長させることはできないでしょうか?(32ページ)

 これらの問いかけは、WWRWのカンファランス・アプローチと同じです。教師が生徒に「~をしなさい」と指示をしても効果は薄いのと同じで、問いかけアプローチこそがアクションに結びつく可能性は高いからです。

 この本の中で書かれていること(の全部ではなくても、一部)を自分のものにできたら、国語教師としての力量を大幅にアップさせられることは間違いありません。

 

◆本ブログ読者への割引情報◆

1冊(書店およびネット価格)2640円のところ、

WW/RW便り割引だと   1冊=2400円(税込み・送料サービス)です。

5冊以上の注文は     1冊=2300円(税込み・送料サービス)です。


ご希望の方は、①書名と冊数、②名前、③住所(〒)、④電話番号を 

pro.workshop@gmail.com  にお知らせください。

※ なお、送料を抑えるために割安宅配便を使っているため、到着に若干の遅れが出ることがありますので、予めご理解ください。また、本が届いたら、代金が記載してある郵便振替用紙で振り込んでください。

★それに対して、読むと書くは、アメリカ等では異なる教科になっているところが少なくありません。

 

2021年2月5日金曜日

読む・書くを好きにする国語の授業のやり方

 先週の「読むことを嫌いにする国語の授業に意味があるのか?」と「教科書ベースのカリキュラム/教え方/評価」をうまく乗り越えるためのヒントを、公立中学校でRWを実践している佐藤可奈子先生が以下に紹介してくれます。少し長くなりますが、6つのハックでうまくまとめてくれています。


*****


 昨今、「単元デザイン」「カリキュラム・マネジメント」等の言葉が広く使われています。学校の先生の授業は、もっとクリエイティブでいいし、教科書に縛られなくてよいという方向で進んでいるように思います。


 何のために「読む」「書く」のか。他人の価値観で設定された賞をもらったり、点数をもらったりするためではありません。他人から能力を値踏みされるためではありません。

子どもたちが世界を知って、意味や価値を考えて、自分で選んだ人生を歩むためだと私は考えます。そうなると「総合」「学活」と教科の連携はとても大事です。根っこは一緒ですから。「どういう力をつけたいのか」がベースなのだと思います。


 ところで私の自治体の某学校は、新学習指導要領への対応を「通知表」から始めました。「他人の目線」への対応と「能力の値踏み」から始めたわけですが、やっている側は、そのおかしさに気づいていないと思います。「評価=通知表」というレベルの思考なんだと思います。(ちなみに、通知表は法定帳簿ではありません。)


 では、授業をどう変えたらいいのでしょうか。


 同僚との温度感に差がありすぎる。WW/RWなんて理解されない。同僚からテストを盾にされたら何も言えない。周りはテスト至上主義で育ち、自分の経験した授業を再生産しているだけの教師たちだ…という方は少なくないと思います。


 私も同じ状況です。特に4月に異動した現任校は「ザ・昭和」の学校です。チョークと黒板を駆使する講義型の授業と管理教育が得意技です。生徒は教師の顔色を見て忖度し、行動します。テストの点数への執着が強く、人間関係の中にも学力によるカーストが見られます。


 前期はゲリラ戦でWW/RWの実践を進め、夏以降は校内の様子を探り、しっかり考えを持っている職員を探しました。教科は違えど、方向性を同じくする2~3人の同僚がいることが見えてきました。


 以下は、そうした状況で、私が現場で実践しているハックです。


〔ハック1〕新指導要領を「錦の御旗」にする  

 新学習指導要領を熟読することをお勧めします。(私の周りにいる「ザ・昭和」の授業の方々は、基本的に学習指導要領を読みません。)誰よりも先行して新指導要領を熟読し、授業を変える根拠を得ましょう。


 まず、新学習指導要領(国語科)は、相当「読書」に肩入れをしています。

 ところが現実には、多くの国語教室が年間140時間以上使って教科書1冊を解説する講義・解説・精読の国語授業を行っています。この情報化の時代に効率が悪すぎませんか? 無駄が多すぎませんか? 教科書だけでなく、たくさんの本を選択肢にして、生徒が選び、インプットしたりアウトプットしたりする場(WW /RWの場)をつくる。そこに、もっと時間を投資しましょう。


 新指導要領は、生徒のパフォーマンスに価値を置いています。つまり、生徒が「根拠ある推測」などの「優れた読み手 /書き手がつかう方法」を手に入れられる授業をしなければなりません。新学習指導要領には、非常に曖昧な形で、国語科の「見方・考え方」という言葉が出てきます。私は、これを「優れた読み手 /書き手がつかう方法」と読み換えることができると考えます。こうした「優れた読み手 /書き手がつかう方法」、つまり、スキルや知識を活用して表現したり思考したりする場をつくることを新学習指導要領は求めていると考えられます。WW/RWの授業がやりやすい指導要領だと言えると思います。


 一気にWW/RWへ移行できなくても、新指導要領は、スキルや知識を活用しながら力を身につけさせることを求めているので、パフォーマンス評価は避けて通れません。

パフォーマンス評価をどうするかについては、ルーブリックで共通理解をしておく必要があります。そこから先の授業運営は以下の〔ハック2〕をお読みいただき、教師が学び、力量を形成するしかないと考えます。新指導要領は、教師にも学びを求めている気がします。そうして時代の要請に応じて授業を変えることを求めているのだと思います。



〔ハック2〕教科書「も」使う

 私は日本の公立学校でWW/RWを実践するには、「教科書との共存」が最も抵抗なく実践を進めるための条件だと思っています。私は教科書教材を使ってミニ・レッスン部分を指導しています。1教材1~4時間程度しか時間を使いませんが。そうして生み出した時間でWW/RWを実践します。私立では教科書を使わずにWW/RWをできるそうです。ですが、ミニ・レッスン教材としての教科書は、そう悪いものでもありません。もちろん保護者からのクレームも防止できます。


 WW/RWの学びのない同僚には、まず、教科書の授業を解説する授業から脱皮していただくために〔ハック4〕で説明している内容の教材を提供し、「資質・能力」ベースの授業に転換するきっかけを作ります。

 変わらない授業をすることが最も楽に生きる方法だという考えもあるでしょう。しかし、学年で読む物を指定する教科書だけだと、個々の生徒の力量差への対応ができません。現に教科書自体が難しいという子どもが、どこの学校にも存在します。教科書だけなぞるような授業は、機会の均等性、教師の歩調合わせという部分で、ある意味で「平等」ではあるかもしれませんが、「公正」とは言えないと思います。https://projectbetterschool.blogspot.com/search?q=%E5%B9%B3%E7%AD%89

 また、一度やってみると分かるのですが、生徒が「する」授業は、教師が、ずーっと話し続ける授業に比べたら体力的には楽です。(が、生徒への指導はより細やかさが必要になります。また、「手法」の消化で終わらないように、同僚には手取り足取り世話をする必要がありますが。)

 初めてWW/RWを実施した場合でも、生徒が概念を理解できれば半年~1年で自立できると思います。


         <ここまでは、フェイスブックでも掲載>  


〔ハック3〕生徒に委ねる

 私のWW/RWの時間には、その時間に何をするかを生徒自身が決めます。「読む」「書く」以外に「4時間に1時間は国語のテスト勉強」を「してもよい」と設定しています。その時間に何をしているのかはチェックイン★で私が把握しているので、生徒が不正を働くことはありません。一般に、授業の始めの帯活動で行われる漢字テストなども、私はやりません。教師に依存するのではなく、生徒が自分で決めて自分の責任で学習することが重要だと考えています。これによって、「テスト対策をしないなんて!」というようなクレームを回避できます。Googleでは「20%の時間」という自由な探究の時間が保障されていますが、私は25%与えています!


★詳しくは、『イン・ザ・ミドル』の278ページ以降を参照してください。



〔ハック4〕単元(教科書)ベースの授業を「資質・能力」ベースの授業に転換する

 教科書「で」教えると言いながら、教科書「を」教えている教師のみなさんがいます。教科書に引っ張られるのは、やはりテスト対策があるから。テストに出すと言えば生徒は言うことをききますし。黙ってつまらない授業でも受け入れてくれます。それを失いたくない、他の方法も知らない(学ばない)人が単元(教科書)ベースに固執するのでしょう。


 さて、私は2017年ごろから、自分の授業で取り扱う内容を整理しました。

例えば・・・一部ですが紹介すると

《ジャンル》詩歌 物語 論説 随筆 批評文 鑑賞文 メモ書きなど

《スキル》 比較 選択 映像化 質問 根拠と推測 関連付け など

《表現技法》比喩 倒置 反復 対句 体言止め 省略 切れ字 など

《形式/フレームなど》 起承転結 具体と抽象 トピックセンテンス 三角ロジックなど

《メニュー》 情報の取り出し 解釈 熟考 評価


 結局、中学校の国語科はこういう内容を3年間教材を変えながらぐるぐる繰り返しているのですね。これを扱うミニ・レッスンとWW/RWでカリキュラムを組めます。教科書、テストとWW/RWの共存です。


 どの教科でも、どういうジャンルでどういうスキルを狙うのか、どういうフレームで学ぶのかなどを考えるといいのかもしれません。(ただ、気を付けるのは、例えば同じ「スキル」でも知識として知っている「スキル」と、実際の表現の道具として使いこなす「スキル」では評価場面が異なるので、ごちゃまぜにはできないなというところです。)



〔ハック5〕時間をかけて成績評価を「公正」に変更する

 これまではテストの点数によって決まった成績ですが、新学習指導要領を機に、テストの価値を、まず今の半分にします。5年後には全体の20~25%にすることが目標です。一発勝負しかないテストはアメリカ並みに小さくなってもらいたいのです。


①定期テストの出題内容を「知識」レベルに限定する。

 テストの採点が楽になります。テスト内容を、言語事項、情報の取り出し、情報の補足、正誤問題レベルだけにします。ICTによって将来的には自動採点できるといいなと思っています。評価項目の「知識・技能」はテストで測れる力として基礎的な内容のみです。多くの生徒が事前に練習すればできる内容にします。ですから、これまで通り、教科書教材でよいと思います。小学校の業者テストは、ほぼこの部分に該当すると思います。極端なことを言えば、業者テストをやめて、〇✖クイズレベルでも良いと私は思います。


②パフォーマンス評価を充実させる。

 〔ハック4〕のジャンルなどの部分を使って、生徒のパフォーマンス評価教材を用意します。私は教科書教材バージョンと教科書外のテキストバージョンを使っています。これまで色々作っていて、数えてみたら96教材ありました(テキストは「教科書(各社、新旧あれこれ)」「新聞記事」「絵本」「小説」「詩歌」など)。これらはパフォーマンスにおけるスキルの練習テキストとして使っています。PISA型です(〔ハック4《メニュー》〕参考)※


※ここの教材作りが難しいという方もいると思います。すぐにアイテムを欲しがるのではなく、まず『教科書をハックする 21世紀の学びを実現する授業のつくり方』を、お読みください。一緒に学んでいただけたら嬉しいです。



 WW/RWのレターエッセイ★もここで評価します。こちらを評価の主軸にしたいのですが、同僚の力量形成までは時間が必要です。

 指導において、作品を値踏みするのではなく、教師がサポートを繰り返し、できることを増やしていくことが重要です。教師が「こういう作品を書けたらA」などという発言を絶対にしてはいけません。成果物の「質」の向上が目的です。ある時点での状況、または一番よくできたと本人が申告してきた作品を、ルーブリックによって評価します。更に、今後は口頭試問も評価材とできると考えています。これらが評価項目の「思考力・判断力・表現力」に該当します。教師側の価値観の変容が必要ですし、学ぶことがたくさんです!


★詳しくは、『イン・ザ・ミドル』の290ページ以降を参照してください。


③アナログでポートフォリオを作る。

 自己評価やWW/RWの記録、成果物等をポートフォリオとして保管し、評価シーズンに振り返りをさせます。こうした記録や成長の自覚とメタ認知を「主体的な取組」として評価します。教師が主観的に「授業態度が悪いからC」とか「ノートが汚いからC」ということで評価する時代は終了です。ポートフォリオの概念を学ぶには、日本の中学生はアナログから始めた方がいい気がしています。教師のICT能力への配慮も必要ですので。


 個別カンファランスでの評価が可能ではないかというご意見を伺いました。同意します。評価自体が子どもにとって大切な気づきを得る場面になることが重要だと思います。だからこそ「ルーブリック」の設定が必要です。評価基準は授業開始時に知らせることを原則としなければ、生徒は目指すゴールが分かりません。もはや後出しじゃんけん的な評価や、闇討ち評価はできないものと理解しましょう。評価は生徒のものなのだということを当たり前にしないといけないですね。Gsuiteでルーブリックの作成ができます。



〔ハック6〕教師の力を使う場所を変える、考える

 「主要5教科」「技能4教科」という呼び方に、いつも違和感を覚えます。国語科は「技能教科」だと思います。英語、数学、理科、社会も同様に(これは小学校も変わらない気がします。)だからこそ「スキル」を学ぶ必要があるし、成果物を求めます。子どもたちが「できる」ように「支援」します。

 講義にエネルギーを使うのではなく、必要な道具と材料を与えて、一生懸命取り組んでいる生徒を支えるように指導することにエネルギーを使う方が、楽しくて実践的だと思います。講義型の職員研修、楽しいですか?楽しくないですよね。自分の力を発揮する場、育てる場を用意する国語教室を運営したいものです。


 また、親にもメッセージが必要です。


 現在の親世代は受験戦争世代。偏差値で輪切りにされてきた過去を、子どもたちに当てはめて、わが子を自ら点数で輪切りにしています。それ以外の評価や価値を知らないのです。(テストを盾にする教師も、この片棒を担いでいないでしょうか。「テストに出るぞ」「入試に出るぞ」という言葉で学習させるやり方は、点数至上主義を強化します。)親も教師も「親の生きた時代とは違う時代を子は生きる」という現実を認める必要があります。


 私の周辺ですが、保護者の皆さんは、ほとんどが指導要領の改訂を知りません。だから「テスト」ばかりに注目してこだわり続けるのかもしれません。

学校は「資質・能力」ベースの授業と評価を慎重にアナウンスしていかねばなりません。GIGAスクールはこれらの説明を支えることになるでしょう。時代が違うことの象徴として。


「どうすれば点数が上がるのか。」「どうすれば志望校に入るだけの成績を得られるのか。」

 こうした目先の質問に、私たちが答えられるのは以下の原則的なメッセージだと思います。

「学習指導要領の範囲で、必要な知識を身に付けて、それを活用したパフォーマンスの力量を身に付けること」「公立高校入試の出題は、学習指導要領の範囲を超えない」


 保護者に対して学校は、学びの主役は子どもであることを明確にすることだと思います。(もちろん、学びの責任を生徒が自覚できるような授業をしている必要がありますが。ここのあたりのことは、『「学びの責任」は誰にあるのか 責任の移行モデルで授業が変わる』で学べると思います。)



 最後まで読んでくださって、ありがとうございました。