2021年2月5日金曜日

読む・書くを好きにする国語の授業のやり方

 先週の「読むことを嫌いにする国語の授業に意味があるのか?」と「教科書ベースのカリキュラム/教え方/評価」をうまく乗り越えるためのヒントを、公立中学校でRWを実践している佐藤可奈子先生が以下に紹介してくれます。少し長くなりますが、6つのハックでうまくまとめてくれています。


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 昨今、「単元デザイン」「カリキュラム・マネジメント」等の言葉が広く使われています。学校の先生の授業は、もっとクリエイティブでいいし、教科書に縛られなくてよいという方向で進んでいるように思います。


 何のために「読む」「書く」のか。他人の価値観で設定された賞をもらったり、点数をもらったりするためではありません。他人から能力を値踏みされるためではありません。

子どもたちが世界を知って、意味や価値を考えて、自分で選んだ人生を歩むためだと私は考えます。そうなると「総合」「学活」と教科の連携はとても大事です。根っこは一緒ですから。「どういう力をつけたいのか」がベースなのだと思います。


 ところで私の自治体の某学校は、新学習指導要領への対応を「通知表」から始めました。「他人の目線」への対応と「能力の値踏み」から始めたわけですが、やっている側は、そのおかしさに気づいていないと思います。「評価=通知表」というレベルの思考なんだと思います。(ちなみに、通知表は法定帳簿ではありません。)


 では、授業をどう変えたらいいのでしょうか。


 同僚との温度感に差がありすぎる。WW/RWなんて理解されない。同僚からテストを盾にされたら何も言えない。周りはテスト至上主義で育ち、自分の経験した授業を再生産しているだけの教師たちだ…という方は少なくないと思います。


 私も同じ状況です。特に4月に異動した現任校は「ザ・昭和」の学校です。チョークと黒板を駆使する講義型の授業と管理教育が得意技です。生徒は教師の顔色を見て忖度し、行動します。テストの点数への執着が強く、人間関係の中にも学力によるカーストが見られます。


 前期はゲリラ戦でWW/RWの実践を進め、夏以降は校内の様子を探り、しっかり考えを持っている職員を探しました。教科は違えど、方向性を同じくする2~3人の同僚がいることが見えてきました。


 以下は、そうした状況で、私が現場で実践しているハックです。


〔ハック1〕新指導要領を「錦の御旗」にする  

 新学習指導要領を熟読することをお勧めします。(私の周りにいる「ザ・昭和」の授業の方々は、基本的に学習指導要領を読みません。)誰よりも先行して新指導要領を熟読し、授業を変える根拠を得ましょう。


 まず、新学習指導要領(国語科)は、相当「読書」に肩入れをしています。

 ところが現実には、多くの国語教室が年間140時間以上使って教科書1冊を解説する講義・解説・精読の国語授業を行っています。この情報化の時代に効率が悪すぎませんか? 無駄が多すぎませんか? 教科書だけでなく、たくさんの本を選択肢にして、生徒が選び、インプットしたりアウトプットしたりする場(WW /RWの場)をつくる。そこに、もっと時間を投資しましょう。


 新指導要領は、生徒のパフォーマンスに価値を置いています。つまり、生徒が「根拠ある推測」などの「優れた読み手 /書き手がつかう方法」を手に入れられる授業をしなければなりません。新学習指導要領には、非常に曖昧な形で、国語科の「見方・考え方」という言葉が出てきます。私は、これを「優れた読み手 /書き手がつかう方法」と読み換えることができると考えます。こうした「優れた読み手 /書き手がつかう方法」、つまり、スキルや知識を活用して表現したり思考したりする場をつくることを新学習指導要領は求めていると考えられます。WW/RWの授業がやりやすい指導要領だと言えると思います。


 一気にWW/RWへ移行できなくても、新指導要領は、スキルや知識を活用しながら力を身につけさせることを求めているので、パフォーマンス評価は避けて通れません。

パフォーマンス評価をどうするかについては、ルーブリックで共通理解をしておく必要があります。そこから先の授業運営は以下の〔ハック2〕をお読みいただき、教師が学び、力量を形成するしかないと考えます。新指導要領は、教師にも学びを求めている気がします。そうして時代の要請に応じて授業を変えることを求めているのだと思います。



〔ハック2〕教科書「も」使う

 私は日本の公立学校でWW/RWを実践するには、「教科書との共存」が最も抵抗なく実践を進めるための条件だと思っています。私は教科書教材を使ってミニ・レッスン部分を指導しています。1教材1~4時間程度しか時間を使いませんが。そうして生み出した時間でWW/RWを実践します。私立では教科書を使わずにWW/RWをできるそうです。ですが、ミニ・レッスン教材としての教科書は、そう悪いものでもありません。もちろん保護者からのクレームも防止できます。


 WW/RWの学びのない同僚には、まず、教科書の授業を解説する授業から脱皮していただくために〔ハック4〕で説明している内容の教材を提供し、「資質・能力」ベースの授業に転換するきっかけを作ります。

 変わらない授業をすることが最も楽に生きる方法だという考えもあるでしょう。しかし、学年で読む物を指定する教科書だけだと、個々の生徒の力量差への対応ができません。現に教科書自体が難しいという子どもが、どこの学校にも存在します。教科書だけなぞるような授業は、機会の均等性、教師の歩調合わせという部分で、ある意味で「平等」ではあるかもしれませんが、「公正」とは言えないと思います。https://projectbetterschool.blogspot.com/search?q=%E5%B9%B3%E7%AD%89

 また、一度やってみると分かるのですが、生徒が「する」授業は、教師が、ずーっと話し続ける授業に比べたら体力的には楽です。(が、生徒への指導はより細やかさが必要になります。また、「手法」の消化で終わらないように、同僚には手取り足取り世話をする必要がありますが。)

 初めてWW/RWを実施した場合でも、生徒が概念を理解できれば半年~1年で自立できると思います。


         <ここまでは、フェイスブックでも掲載>  


〔ハック3〕生徒に委ねる

 私のWW/RWの時間には、その時間に何をするかを生徒自身が決めます。「読む」「書く」以外に「4時間に1時間は国語のテスト勉強」を「してもよい」と設定しています。その時間に何をしているのかはチェックイン★で私が把握しているので、生徒が不正を働くことはありません。一般に、授業の始めの帯活動で行われる漢字テストなども、私はやりません。教師に依存するのではなく、生徒が自分で決めて自分の責任で学習することが重要だと考えています。これによって、「テスト対策をしないなんて!」というようなクレームを回避できます。Googleでは「20%の時間」という自由な探究の時間が保障されていますが、私は25%与えています!


★詳しくは、『イン・ザ・ミドル』の278ページ以降を参照してください。



〔ハック4〕単元(教科書)ベースの授業を「資質・能力」ベースの授業に転換する

 教科書「で」教えると言いながら、教科書「を」教えている教師のみなさんがいます。教科書に引っ張られるのは、やはりテスト対策があるから。テストに出すと言えば生徒は言うことをききますし。黙ってつまらない授業でも受け入れてくれます。それを失いたくない、他の方法も知らない(学ばない)人が単元(教科書)ベースに固執するのでしょう。


 さて、私は2017年ごろから、自分の授業で取り扱う内容を整理しました。

例えば・・・一部ですが紹介すると

《ジャンル》詩歌 物語 論説 随筆 批評文 鑑賞文 メモ書きなど

《スキル》 比較 選択 映像化 質問 根拠と推測 関連付け など

《表現技法》比喩 倒置 反復 対句 体言止め 省略 切れ字 など

《形式/フレームなど》 起承転結 具体と抽象 トピックセンテンス 三角ロジックなど

《メニュー》 情報の取り出し 解釈 熟考 評価


 結局、中学校の国語科はこういう内容を3年間教材を変えながらぐるぐる繰り返しているのですね。これを扱うミニ・レッスンとWW/RWでカリキュラムを組めます。教科書、テストとWW/RWの共存です。


 どの教科でも、どういうジャンルでどういうスキルを狙うのか、どういうフレームで学ぶのかなどを考えるといいのかもしれません。(ただ、気を付けるのは、例えば同じ「スキル」でも知識として知っている「スキル」と、実際の表現の道具として使いこなす「スキル」では評価場面が異なるので、ごちゃまぜにはできないなというところです。)



〔ハック5〕時間をかけて成績評価を「公正」に変更する

 これまではテストの点数によって決まった成績ですが、新学習指導要領を機に、テストの価値を、まず今の半分にします。5年後には全体の20~25%にすることが目標です。一発勝負しかないテストはアメリカ並みに小さくなってもらいたいのです。


①定期テストの出題内容を「知識」レベルに限定する。

 テストの採点が楽になります。テスト内容を、言語事項、情報の取り出し、情報の補足、正誤問題レベルだけにします。ICTによって将来的には自動採点できるといいなと思っています。評価項目の「知識・技能」はテストで測れる力として基礎的な内容のみです。多くの生徒が事前に練習すればできる内容にします。ですから、これまで通り、教科書教材でよいと思います。小学校の業者テストは、ほぼこの部分に該当すると思います。極端なことを言えば、業者テストをやめて、〇✖クイズレベルでも良いと私は思います。


②パフォーマンス評価を充実させる。

 〔ハック4〕のジャンルなどの部分を使って、生徒のパフォーマンス評価教材を用意します。私は教科書教材バージョンと教科書外のテキストバージョンを使っています。これまで色々作っていて、数えてみたら96教材ありました(テキストは「教科書(各社、新旧あれこれ)」「新聞記事」「絵本」「小説」「詩歌」など)。これらはパフォーマンスにおけるスキルの練習テキストとして使っています。PISA型です(〔ハック4《メニュー》〕参考)※


※ここの教材作りが難しいという方もいると思います。すぐにアイテムを欲しがるのではなく、まず『教科書をハックする 21世紀の学びを実現する授業のつくり方』を、お読みください。一緒に学んでいただけたら嬉しいです。



 WW/RWのレターエッセイ★もここで評価します。こちらを評価の主軸にしたいのですが、同僚の力量形成までは時間が必要です。

 指導において、作品を値踏みするのではなく、教師がサポートを繰り返し、できることを増やしていくことが重要です。教師が「こういう作品を書けたらA」などという発言を絶対にしてはいけません。成果物の「質」の向上が目的です。ある時点での状況、または一番よくできたと本人が申告してきた作品を、ルーブリックによって評価します。更に、今後は口頭試問も評価材とできると考えています。これらが評価項目の「思考力・判断力・表現力」に該当します。教師側の価値観の変容が必要ですし、学ぶことがたくさんです!


★詳しくは、『イン・ザ・ミドル』の290ページ以降を参照してください。


③アナログでポートフォリオを作る。

 自己評価やWW/RWの記録、成果物等をポートフォリオとして保管し、評価シーズンに振り返りをさせます。こうした記録や成長の自覚とメタ認知を「主体的な取組」として評価します。教師が主観的に「授業態度が悪いからC」とか「ノートが汚いからC」ということで評価する時代は終了です。ポートフォリオの概念を学ぶには、日本の中学生はアナログから始めた方がいい気がしています。教師のICT能力への配慮も必要ですので。


 個別カンファランスでの評価が可能ではないかというご意見を伺いました。同意します。評価自体が子どもにとって大切な気づきを得る場面になることが重要だと思います。だからこそ「ルーブリック」の設定が必要です。評価基準は授業開始時に知らせることを原則としなければ、生徒は目指すゴールが分かりません。もはや後出しじゃんけん的な評価や、闇討ち評価はできないものと理解しましょう。評価は生徒のものなのだということを当たり前にしないといけないですね。Gsuiteでルーブリックの作成ができます。



〔ハック6〕教師の力を使う場所を変える、考える

 「主要5教科」「技能4教科」という呼び方に、いつも違和感を覚えます。国語科は「技能教科」だと思います。英語、数学、理科、社会も同様に(これは小学校も変わらない気がします。)だからこそ「スキル」を学ぶ必要があるし、成果物を求めます。子どもたちが「できる」ように「支援」します。

 講義にエネルギーを使うのではなく、必要な道具と材料を与えて、一生懸命取り組んでいる生徒を支えるように指導することにエネルギーを使う方が、楽しくて実践的だと思います。講義型の職員研修、楽しいですか?楽しくないですよね。自分の力を発揮する場、育てる場を用意する国語教室を運営したいものです。


 また、親にもメッセージが必要です。


 現在の親世代は受験戦争世代。偏差値で輪切りにされてきた過去を、子どもたちに当てはめて、わが子を自ら点数で輪切りにしています。それ以外の評価や価値を知らないのです。(テストを盾にする教師も、この片棒を担いでいないでしょうか。「テストに出るぞ」「入試に出るぞ」という言葉で学習させるやり方は、点数至上主義を強化します。)親も教師も「親の生きた時代とは違う時代を子は生きる」という現実を認める必要があります。


 私の周辺ですが、保護者の皆さんは、ほとんどが指導要領の改訂を知りません。だから「テスト」ばかりに注目してこだわり続けるのかもしれません。

学校は「資質・能力」ベースの授業と評価を慎重にアナウンスしていかねばなりません。GIGAスクールはこれらの説明を支えることになるでしょう。時代が違うことの象徴として。


「どうすれば点数が上がるのか。」「どうすれば志望校に入るだけの成績を得られるのか。」

 こうした目先の質問に、私たちが答えられるのは以下の原則的なメッセージだと思います。

「学習指導要領の範囲で、必要な知識を身に付けて、それを活用したパフォーマンスの力量を身に付けること」「公立高校入試の出題は、学習指導要領の範囲を超えない」


 保護者に対して学校は、学びの主役は子どもであることを明確にすることだと思います。(もちろん、学びの責任を生徒が自覚できるような授業をしている必要がありますが。ここのあたりのことは、『「学びの責任」は誰にあるのか 責任の移行モデルで授業が変わる』で学べると思います。)



 最後まで読んでくださって、ありがとうございました。



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