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2025年2月7日金曜日

「修正」を通じて、生徒たちに書く自信を育む

 修正は、推敲のように「すでに書いた文章の表現や言葉遣いをより良くすること」がメインの目的ではなく(それも含まれますが)、「すでに書いた文章に新しい命を吹き込むこと」こそが中心的な目的です。

 表題の実践紹介のはじめに、タミー・ルーロ先生は次のように書いています(以下、●の部分は先生自身の言葉で、◆は紹介者のコメントです)。

 

● 私は、小学校で作文を教えており、修正(revision)の重要性を強く感じていますが、これを教えることは難しいことも理解しています。修正は時に、堅苦しくフォーマットに縛られているように感じられたり、生徒がやる気を失ったりして、それを試みようとしないことがあります。最悪の場合、修正は生徒の文章を「直す」こととなり、彼らに自分の書いたこと(=考え)が間違っているという感覚を与え、作品を自分の意志で表現することを抑制してしまいます。その結果、個性が損なわれ、「先生が言ってほしいことを教えてよ。そのまま書くから」といった態度が生まれることもあります。しかし、修正がうまくいった場合、それはクリティカル・シンキングや創造的な言葉遊び、さらには社会正義を育むものであり、計画的で具体的な活動と、時間をかけて自然に進行するプロセスを通じて、作品を再構築する重要な方法となります。

◆ クリティカル・シンキングは、「批判的思考」ではなく、「何は大切で、何は大切ではないかを見極める力(であると同時に、その判断に基づいて行動する力)です。「言葉遊び」や「社会正義」を意識していることがいいです! 日本の作文の授業で、これら3つは意識されているでしょうか? 「計画的で具体的な活動」と「時間をかけて自然に進行するプロセス」を、これから紹介してくれると思います。修正は、生徒が書いている作品を「再構築(revise)」する重要な方法です。それは、一人ひとりの子どもが「自分の人生を再構築する/生き直す/自分自身をつくり出す」重要な段階と言い換えられますから、とても大切です。

 

● 私はジャマイカ・キンケイドの「文章を書く際に頭の中でアイディアを反復し、修正を加えるプロセスを大切にしており、それは衝動的に行うのではなく、時間をかけて心の中で整えられていきます。執筆において決まったスケジュールや流れもありません」という書き方や修正の仕方に影響を受けて、私のアプローチに活かそうとしています。

◆ ジャメイカ・キンケイドの本は、4冊ぐらい翻訳されています。教師にとってモデルにしたいメンターや「メンター・テキスト」(本ブログの左上で検索をかけるとたくさんの情報が入手できます)があると、実践が進化します。

 

 修正は、書くときだけに使うのではない。他の教科でも、「修正」という言葉は、「再考する(考え直す)」「創造的に斬新な解決法を考え出す」「すでに作成したものを改良・改善する」などに置き換えて使えるように指導しています。そうすることで、修正の価値を理解しやすくなり、子どもたちにとって自然に理解を深めることができます。

◆ 文章を書くときに大切な「修正」は決して特別なものではなく、他の教科でも大事にされている考え方であることがわかります。他に、どんな言葉が実際に使われているでしょうか/考えられますか?

 

● 芸術作品を分析する。私は、モネが同じ主題を何度も再訪し、その都度異なる視点で見直して描き直すというアプローチを、執筆における改訂の架け橋として使っています。

◆ モネは、フランスの印象派の画家のことです。モネの作品では、同じ風景や主題を異なる時間帯や気象条件で何度も描くことが特徴的です。このアプローチは、同じシーンを異なる視点で見ることで、時間や環境が作品に与える影響を強調するために用いられました(たとえば、「睡蓮」シリーズなど)。この手法は、変化する環境や視覚的な体験を強調することで、印象派の特徴的なスタイルを作り上げました。これを、「モネのアプローチ」と言っており、執筆における再構築や見直しに関連づけられています。

 音楽や舞台芸術なども使えるでしょうか?

 ロール先生は、他の方法も紹介してくれています。自分(ないし誰か)が書いた作品を、漫画に書き直したり、手紙を詩にしたりして、作品を新たな視点で想像/創造し直します。外国語の詩を、その言語の知識や翻訳アプリの助けを借りずに翻訳し、作品の自分なりのイメージを作りあげる方法などです。ジャンルや言語を変えることで、異なる方法や視点で再構築したり、創造的に新たに解釈したりすることを可能にします。これは、前の作品に新しい命を吹き込むことを意味します。(修正の本来の意味は、これではないでしょうか? 推敲★とは、根源的に異なる視点に立っています!)

 

● 教師の書き方を開示する。自分の混沌とした書くプロセスを隠すのではなく、それをモデルとして示し、最初から最後までの思考過程をあえて紹介します。それには、作品を一度置いておき、何度も戻ってくる過程も含まれます。私たちは作家が行う選択、特に一見型破りに見える選択についても分析します。これにより、言葉のニュアンス、文学的手法、そして執筆における書き手の本当の声について議論する場が開かれます。また、他の言語や方言、スラング★★の使用を促します。私たちの目標は、作品を完璧にすることではなく(それは声を抑圧することになる可能性があります!)、書き手の声を見つけることです。

◆ ルーロ先生は、書く際に自分がすることをオープンにし、完成度を追求するのではなく、独自の声を見つけることに重点を置いている点を強調しています。日本の作文教育で、この点はどのくらい大切にされているでしょうか? 作品第一主義になっていないでしょうか? ライティング・ワークショップの最大の特徴は、「作品をよりよくするために教えるのではなく、よりよい書き手になってもらうために教えます」。


● 修正は、ポジティブな体験であるべきです。信頼し合い、協力的な教室での書き手のコミュニティーを作ることが大切です。最初は、判断やフィードバックをせず、感謝や称賛だけを共有し、生徒が自分の貢献を個々のスキルのレベルに関わらず大切にできるようにします。私と生徒たちがフィードバックを始めるときは、まずポジティブな点から始め、その後、もっと明確にする必要がある部分に移ります。

◆ ポジティブな体験とは、書いてよかった、自分は貢献していると思える体験です。私たちの目は、批判的になりがちなので(それは、練習しなくても、すぐにできてしまいます。それに対して、感謝や称賛は相当の練習が必要です!)、とにかく書かれていることや生徒がしていることの「いいとこ探し」を徹底的にします。教師が、そして生徒たちが相互にフィードバックをする際に参考になるのが「大切な友だち」のやり方です。

https://projectbetterschool.blogspot.com/2012/08/blog-post_19.htmlを参照。生徒たちは(大人も!)、これをしてもらうのが大好きです。ファンレターは、場合によっては、自分が書いたものよりも大事な宝物になることすらあります。

 

 以上のような実践を通して「修正」の大事さと方法を教えているルーロ先生は、次のように言います。 

● 修正に限らず、書くこと全般に関して、一人の生徒に役立つことが、他の生徒にも同じように役立つとは限りません。そこで、基本は一対一のカンファランスをベースに教えています。

こうした実践を通して、私の生徒たちは自信を高め、書くときに実験的な姿勢が増しました。生徒は書くことが楽しいものであるという考えをもち、修正が極めて重要なステップであることを理解し、小学校高学年以降でより高度な内容や概念で書く準備ができています。

◆ 生徒への個別カンファランス(のちには、ピア・カンファランスも)を中心にした教え方が、ライティング・ワークショップが開発された理由の一つです。これは、読むことに関しても、そして他の教科でも同じように大切と言えるでしょうか?

生徒たちは、書くことに対して前向きな態度が身につき、修正を重要なプロセスとして捉え、いろいろなジャンルを含めて、高度なスキルにも挑戦できるようになった様子が伝わってきます。

 

ChatGPTに修正と推敲の違いを尋ねてみました。その回答は、以下の通りです。

推敲は、主に日本語に特有の言葉で、文章や詩を何度も読み返して、表現や言葉を練り直す作業を指します。特に、より美しい言葉や響き、意味を追求する意味合いが強いです。言葉の選び方やリズムにこだわりながら、繰り返し練り直すことが特徴です。

一方で、revision/修正は英語圏で使われる言葉で、文章を修正する、改訂する、という意味です。内容の改善や誤りの訂正、または構成の変更を含む広範な作業が含まれます。厳密に言うと、「推敲」のように表現を美しくするだけでなく、論理的に整える、情報を追加する・削除する、新しい発見や再構築なども含まれることがあります。

★★スラングは、友人同士や若者の間でよく使われ、時にはユーモラスだったり、親しみを込めて使われたりする言葉のことです。

出典:https://www.edutopia.org/article/teaching-revision-elementary-school

2017年10月13日金曜日

書き手を育てるピア・カンファランス


教師によるカンファランスと、子どもたち同士が行うピア・カンファランスは、あまりに効果的なので、これまでも繰り返しこのテーマについては扱ってきました。
http://wwletter.blogspot.jp/ の左上の検索欄に「ピア・カンファランス」を入力して🔍をクリックしてください。)

ピア・カンファランス(およびカンファランス)のいい点は、フィードバックを受け取る側はもちろん、提供する側にも学びがあることです。

http://wwletter.blogspot.jp/2010/05/ww.html のような環境が整っていますから、子どもたちは極めて主体的に学び、書き手(や読み手)に成長していきます。

今回は、フィードバックを提供することに焦点を当てた情報提供です。

受け入れられるフィードバックをするには、それなりのスキルが必要です。(自分が言いたいことだけを言っていては、受け取る側はいい気持ちがしませんし、そのほとんどを受け取ってくれない可能性も大です!)
その意味では、教師が子どもたちに対してカンファランスする際に使うスキルがすべて必要であることを意味します。★そのポイントについては、『リーディング・ワークショップ』(ルーシー・カルキンズ著)の第6章に詳しく書いてありますが、このプログで紹介した

ピア・カンファランスを通して、フィードバックを提供する側が身につけるスキルには(ライティング・ワークショップの場合)、
・読み手として、作品や書き手を意識する。
  ・効果的な書き方にはどんな特徴があるかを意識する。
  ・書くときに使う言葉を使いこなせるようになっていく。
  ・編集者としての目を、自分が書くときに応用できるようになっていく。
   (書くときに自分の中の編集者と、自問自答ができるようになる!)

だからと言って、子どもたちみんながすぐにいいフィードバックが提供できるわけではありません。練習が必要です。(教師ががんばって教え続けるよりも、子どもたちががんばって練習できる機会をできるだけたくさん提供することの方が、授業としてははるかに価値があり★★、これこそがアクティブ・ラーニングと言えるものです!)

それでは、具体的に、どのようにその練習の機会とサポートをしたらいいのでしょうか?

○ チェックリストを提供する ~ リストの数や内容等は、対象年齢等で柔軟に対応する。(特に小学校低中学年は、少なくとも初期のうちは不可欠と捉えた方がいいでしょう。)

○ 「好きなこと、~ならよかったと思うこと、疑問に思うこと」 ~ 作品にフィードバックを提供する際は、以上の項目を一つずつ提供することを念頭に入れて読むと、「間違い探し」にならなくて済みます。(その意味では、教師こそが使える方法です!!)★★★
ちなみに、この方法は、「大切な友だち」=カンファランスのアプローチにとても近いです。

○ 小学校高学年以上の生徒には、フィードバックをする際に大切にしたい点をリストアップさせてから、やってもらいます ~ リストには、テーマ、構成、文の構造/滑らかさ、言語規則などが含まれます。
 どの段階でピア・カンファランスをするかによって、力点は違ってきます。まだ下書き段階なら、内容やテーマが中心になります。かなり修正を加えた段階なら、構成や文の構造や滑らかさに力点が移ります。清書段階のものは、言語規則ー=校正が中心です。その意味では、フィードバックを提供する側よりも、受ける側のニーズこそを重視する必要があると言えます!

○ 建設的な話し方とは・・・ ~ 「ピア・カンファランスをするときにしていいことと悪いこと」
 まずは、フィードバックをする側が言ったり、したりしてはいけないことからリストアップします。「これ、最悪!」「この書き始めじゃ、続けて読むは気しないよ」など。
 次に、望まれる言い方をリストアップしていきます。「この点についてとても興味を持ちました。もう少し詳しく教えてもらえませんか」「書き始めはとても惹かれますが、他のよりいい方法はないかなとも思いました」など。

○ 具体的に指摘する ~ 読み終わってから、「とてもよかったです」では、何がよかったのか、さらに何をよくできる可能性があるのか、さっぱり分かりません。ピア・カンファランスを通じて、具体的なポイントを指摘できる目を養うことは、イコール自分が書いているときに、それらの点を意識することを意味します。

子どもたちは、自分の作品よりも、他者の作品に対しての方がクリティカル★★★に見られるものです。

私自身が、ピア・カンファランスを普及する段階で学んだことを最後に紹介します。もう10年以上前のことですが、ピア・カンファランスのやり方として、「批判的な友だち」という方法を紹介しました。しかし、その言葉のまずさによって、子どもたちはあまりやりたがりませんでした。いくら、「批判的なんだけれども、建設的・前向きに接してフィードバックをしてください」と言ってもダメでした。そこで、criticalという言葉には、「大切な/重要な」という意味もあることを思い出し、名称を「大切な友だち」に変更したところ、子どもたちはすぐに受け入れてくれました。誰も、批判的には接したくないようです。いい点や改善点に焦点を当てた方が、積極的に取り組めるのです。誰もが褒めてもらいたいし、さらに良くなりないのですから。ということで、使う言葉が大事であることを思い知らされました!



★ 教師は自分だけがカンファランスをするのだとがんばっていては、極めて重要な学びの機会を子どもたちから奪い去っていることにもなりかねない、ということです。

★★ だからこそ、ライティング・ワークショップやリーディング・ワークショップは極めて効果的な教え方なわけですが、学びを最大化するために教師の責任(役割)と子どもの責任(役割)を見直すのに役立つ「責任の移行モデル」を紹介する『「学びの責任」は誰にあるのか』(ダグラス・フィッシャー&ナンシー・フレイ/吉田新一郎訳、新評論)が来月出版されますので、参考にしてください。

★★★ ピア・カンファランスをしながら、クリティカルな思考力も身につけられるというお得な方法です!! ここでの「クリティカル」は、単に「批判(的)」ではありません。まずいところも、いいところも両方です。

2025年8月8日金曜日

生徒の文章にポジティブなフィードバックをするには

「添削は細かく丁寧にしているのに、ほめ言葉はざっくり短くなりがちそんなあなたに、全米の教師たちからのアドバイスを紹介します」と、バーモント州バーリントン近郊にある小規模なオルタナティブなセラピーハイスクールで校長を務めた経験があり、現在はコミュニティー・カレッジの教師をしているアレックス・シェヴリン・ヴェネットさんは書いています。そして、さらに次のようにも。

「よくできました」「すばらしい」「この一文、力強いね」——こうしたあいまいで効果の薄いコメントが、最近の私の文章指導のフィードバックにまぎれ込んでいました。生徒にはあまり響かないとわかっていながらも、つい書いてしまうのです。そんな自分を画面越しに見ながら、「このままじゃいけない」と感じていました。
 一方で、改善点については長々と細かく書いていました。提案や修正のコメントばかりが目立っていたのです。生徒の文章を正すことにばかり意識が向いていて、「中身のあるポジティブなフィードバックを伝える」という、本来の目的が置き去りになっていたことに気づいたのです。

 書き手である私自身(2冊の本を書いています!)、ネガティブなフィードバックばかりが目立つと、どれだけしんどいかよくわかっています。誰にでも改善すべき点はあるけれど、直すべきところばかりに目が向くと、自分の力をちゃんと認めてもらえているとは感じられなくなってしまいます。
 私の生徒たちは、本当に一生懸命に文章を書いています。だからこそ、「よくできました」といった二語だけのほめ言葉では、とても足りないのです。

 このままではいけないと思い、私は自分がいちばん信頼しているプロフェッショナル・ネットワーク、つまり「教師たちのTwitter」に助けを求めました。
「生徒の文章に対して、あなたがよく使うポジティブなコメントは何ですか?」と問いかけたのです。
 すると、100件を超える返信がすぐにあり、その中には素晴らしいコメントや、いくつかの共通したテーマが見えてきました。

 皆さんは、こういう時にどうしていますか?

 身近な同僚に尋ねる? Twitter以外のSNSを活用して情報収集する? さらには、生成AIに頼る? いずれにしても、ネットワークをもっているか否かは、教師の実践に大きく作用することは確かです。(生成AIに関しては、個別の声は紹介してくれず、あくまでも「たくさんのなかの最も頻度の多いもの」を紹介してくれていると思うので、その特性をわきまえた使い方や判断の仕方が寛容かと思います。)

 以下で紹介されているのは、それらのなかから彼女が選りすぐったものです。

 

あなたが書いたものを読んでいるときの「読み手としての体験」を伝える

生徒は、自分の文章を読んでいるときの教師の様子を見ることができません。だからこそ、教師が「読み手としてどんなふうに感じたか/考えたか」を伝えるコメントは、とても力強くて前向きなものになります。
 教師のAmy Ludwig Van Derwaterさんは、次のようなコメントの書き出しを紹介しながら説明してくれました。

「書き方のスキルについて触れる前に、まず読みながらどんな体験をしたかを伝えることは、生徒への大切な贈り物のようなものです。」

 そして、具体的に次のような文章を紹介してくれています。

   この部分には本当に心を動かされました。

   この一文を読んで、思わず声を出して笑ってしまいました。

   あなたの文章を読んで、いろいろと考えさせられました。

   あなたの言葉が、私の中の何かをひらいてくれた気がします。

   この部分について、私は自分に問いかけています。

   この部分について、私は自分の経験とつなげて読んでいます。

   この部分と関連した昔のことを思い出しました。

これと似たような観点から、Virginia S. Woodさんはこんなふうに言っています。
「私は生徒に、自分が彼らの文章を読んでいて笑ったり、うなずいたり、ガッツポーズをしたりしたら、どこで/なぜそう感じたのかを必ず伝えます。」

私も最近、Woodさんのアドバイスを参考にして、生徒のプロジェクトの下書きを読んだときにとても楽しく感じたので、こう書きました。
「今、顔が思いきり笑顔になっています。すごくいいスタートですね!」

このように、読み手としての自分の体験を生徒に伝えることは、書くことの中にある「社会的・感情的な側面」との関連を明らかにするのに役立ちます。
 読んで感じたことを前向きなコメントとして伝えることで、生徒は「読み手にどう届くか」を意識して書くようになっていきます。

 

 この最後の点は、とても重要です。逆に言えば、こういうフィードバックがもらえないと、生徒のほとんどは「読み手にどう届くか」を意識できないことを意味します。

 

書き手としての工夫や選択を認める

効果的なフィードバックは、生徒の「書き手としての声」や「表現する力」を尊重することにもつながります。生徒がどんな工夫や選択をして書いているのかに目を向け、それを言葉にして伝えることで、「ちゃんと読んでもらえている」と実感でき、努力が認められていると感じられます。

Joel Garzaさんは、フィードバックの中で「私は〜と思った」という言い方は避けるようにしているそうです。それは、読み手としての感想が中心になってしまい、生徒の書いたものの価値が伝わりにくくなることがあるからです。

代わりに「あなたが〜した」という言い方を勧めています。たとえば、

  • 「〇〇という効果を、〜という工夫でとても自然に出せています」
  • 「このテーマをとてもひきこまれる形で展開していますね。特に〜の使い方が効果的です」
  • 「このトピックにぴったりの語り口(トーン)を選んでいますね。〜だからだと思います」

また、7年生の教師Jennifer Leungさんは、次のような表現で「上手に書けている箇所」を指摘することを提案しています。
「〜(つなぎ言葉、具体例、文法構造など)の使い方が上手です」

このようなコメントは、授業で扱った文法や表現のポイント、書き方のテクニックを定着させることにもつながります。

 ここでも、最後のポイントが大切です。教師の役割は、その文章をほめたり、さらによくしたりするよりも、書き手にいい書き方のテクニックを定着させて、よりよい書き手になってもらうことだからです。

 A Teacher’s Guide to Mentor Texts』の共著者のRebekah O'Dellさんは、フィードバックの中でメンター文(お手本となる文章)を活用する際の例をいくつか紹介しています。

  • 「ここの表現で、〇〇(メンター文)を思い出しました」
  • 「この部分は、〇〇(メンター作家)の書き方に似ていますね」

O'Dellさんのアドバイスは、「読むこと」と「書くこと」のつながりの大切さを改めて思い出させてくれます。これら二つをセットで考えることで、生徒の中に「読みながら学び、書きながら活かす」サイクル(フィードバックループ)をつくることができます。

たとえば、最近の精読(close reading)の活動では、生徒に「このメンター文(日本では教科書教材で扱った文章が中心だが、できるだけ本物を使いたいものです!)から学んだことを、自分の文章にどう活かせそうか」を考えてもらいました。
 生徒が次に書いたものにフィードバックを返すときは、「その学んだことが実際にここに表れているね」と伝えることができます。

 別の教師のGrete Howlandさんは、「評価っぽくならない言葉の選び方」として次のような表現を提案しています。
「私は『効果的ですね』という言葉をよく使います。そして、なぜそう感じたのかをできるだけ具体的に伝えるようにしています。そうすることで、『良い/悪い』のような意味のあいまいな評価から離れることができ、書くことを読み手とのやりとりとして捉えやすくなると思うのです。」

 O'Dellさんの読むことと書くことのつながりはとても大事です。特に、生徒たちが「読みながら学び、書きながら活かす」サイクルをつくり出せれば、読み書きの両方が飛躍的に伸びていくことでしょう。それが、本物の作家やノンフィクション・ライターやジャーナリストたちがしていることですから。

 また、Howlandさんの書くことを読み手とのやりとりとして捉えられたら、書くことが苦痛なものではなく、楽しいものになる可能性は大です!

 

成長をたたえる

ポジティブなフィードバックは、生徒の成長を支える大きな力になります。教師(またクラスメイト)による前向きなコメントは、生徒が「自分は書き手なんだ」という自信と意欲を育てていくうえでの原動力にもなります。

Kelly Frazeeさんは、成長を示す具体的な例を見つけて伝えることをすすめています。たとえば、
「この部分から、〇〇の力が伸びているのが伝わってきます。前回と比べて〜ができるようになっていますね」といったように。

教師は、生徒自身が気づいていない変化や成長を見つけることができます。だからこそ、「ここが前と違っています」と具体的な成長の証拠を示すことで、生徒自身が自分の前進に気づけるようになるのです。

最後に、ミシガン大学の講師Susan Santoneさんの素敵なアイディアをご紹介します。生徒が本当に見事な一文を書いたときには、そのことをしっかり伝えているそうです。Santoneさんはこう言います。
「大学生を教えていて、ものすごく深いことをたった一文で言い表しているのを見つけたら、『ツイートして!』『Tシャツにプリントして!』『額に入れて壁に飾って!』と書きます。つまり、これは取っておいて、誰かに見せる価値があるよって伝えるんです。」

 こういう称えられ方をしたら、誰だってうれしいですよね! 皆さんもほめ上手というよりは、称え上手になりましょう。生徒たちのさらなるやる気を引き出すために。

 以上は、教師による添削ないし対面のカンファランスの形で行われますが、その際の私のおススメは書き手に対する「大切な友だち」という方法でフィードバックすることです。そのやり方は、このブログの姉妹ブログの PLC便りの左上に「大切な友だち」を入力して検索すると、たくさんの情報が得られます。

 

出典: https://www.edutopia.org/article/how-give-positive-feedback-student-writing

2014年11月22日土曜日

自立心と協調性との緊張関係


 『理解するってどういうこと?』を刊行していただいた新曜社から『ロボットの悲しみ』という本が出ています。この本では、岡田美智男氏をはじめとした執筆者たちが、「自立する」ということがむしろ「依存先を増やす」ことだという考え方★を一つのキーコンセプト(鍵となる概念)として、ロボットと人間との新たな関係を探っていくのです。環境心理学やコミュニケーション、発達心理学、ロボット研究の専門家たちの議論がとても面白くて、一気に読み終えました。

 え? ロボットの本が「理解する」こととどう関係するかって? それが大いに関係あるようなのです。

 一例を挙げましょう。『理解するってどういうこと?』の第4章に、チャールズ・レイク小学校のキャスィとジョディの教室での、リタという女の子のエピソードが出てきます。

 リタはメキシコからオハイオ州クリーブランドにやってきた子で、スペイン語を母語としていて、まだ英語をうまく使えないので、文字なし絵本を抱えていました。そのクラスの教師の一人キャスィは、リタとカンファランスをしていて、部屋の本の山のなかから言葉のある本を選んでくるように言います。リタが選んだのはアレン・セイの『おじいさんの旅』。若い頃日本からカリフォルニアに渡った、セイのおじいさんの生涯を題材にしたものです。作者自身のこれまでと、その、おじいさんの生涯とを重ねて描いています。私も読んだことがありますが、半世紀近くのことが20ページほどの絵本に収められているので、結構込み入った筋立ての巧みな絵本だという印象があります。

 キャスィはそのカンファランスで、少し前にこの本を読み聞かせながら実施した「大切なことを見極める」のミニ・レッスンのことを思い出して、リタ自身が大切に思ったことを考えさせました。リタはどんどん自分が大切に思ったことを言っていきます(128ページから129ページ)。結構込み入った絵本なのに、リタはミニ・レッスンの時のことを思い出して、この本の大切なテーマにかかわる発言を連発し、ついに自分で『おじいさんの旅』を読もうとするのです。

 でも、英語がまだうまく使えないリタですから本のなかにとてもたくさんの知らない言葉があることに気づきます。キャスィはそれらの言葉の意味を直接教えるのではなくて、自分の知らない単語に出会ったときに「あなたにできるのはどんなこと?」と質問しました。リタは「声に出すの」と言いましたが、さらに「他にできることは?」と問いかけます。リタの次の行動は、壁にあった「知らない言葉に出会ったとき、私たちができること」というタイトルの模造紙でした。そこには、子どもたちがブレイン・ストーミングして話したたくさんの方法を、キャスィが書き留めたものです。『理解するってどういうこと?』にはその内容までは書いてありません。すぐ後に、「これもまた、自立心の促進です」と書かれてありますから、読者にも自力で考えるように工夫された「空所」なのかもしれません。私は、「知っていそうな友だちにきく(質問する)」、「先生にきく」、「辞書で調べる」、「自分の知っている言葉と似ているところがないか考える」といった内容だったのかなと思います。実際にキャスィがリタに求めたのは「知らない言葉に出会ったとき」、どのような依存先を探せばよいのかということが「自立心の促進」だというのは、最初に取り上げた『ロボットの悲しみ』に書かれてあったことと妙に符合します。

 依存先を探すことのできる場所に教室がなっているかどうか、つまり、協調性のある関係のなかで知的な発達を喚起するコミュニティになっているかどうか。「依存先を増やす」ことができることは、自立した読み手を育てる環境のとても重要な特徴なのです。「自立心と協調性との緊張関係」(133ページ)があらわれるための大切な条件なのです。

 

 

★岡田氏は、熊谷晋一郎氏の「依存先の分散としての自立」(村田純一編『知の生態学的転回』東京大学出版会、109-136ページ)という論文を参考にしています。

2020年9月11日金曜日

フィードバック・フォームを使った学校(授業)改善法

   学校にも、教室や授業にも、改善を要する点は「山のように」とは言わないまでも、結構たくさんあります。日々そこで仕事をしている人は、それらに気づくものですが、それを活かして改善する仕組みが学校にも、教室/授業にもないのが現状です。(もし、効果的な方法をすでにお使いでしたら、pro.workshop@gmail.com宛にぜひ教えてください。)

以下は、ある校長が学校の問題を解決/改善するために取り組んでいる例です。もちろん、教室/授業レベルでも応用できます。(さらには、保護者の学校への参加にも使えます!)

 フィードバックは、だんだん病みつきになります。私たちは、それが生徒にとってどれだけ効果的か、よく知っています。特に、WWやRWのカンファランスで提供されるフィードバックのインパクトには大きいものがあります。しかし一般的に、フィードバックはそれを受け取(って、うまく活用す)るよりも、提供する方がはるかに容易です。物事をよくするためのフィードバックを提供したり、受け取ったりするためには、いい仕組みと多くの練習が必要です。(カンファランスと「大切な友だち」https://projectbetterschool.blogspot.com/2012/08/blog-post_19.htmlを多用してください! 効果的なやり取りによって、物事は確実に改善していきます。効果的でないと、時間を無駄にしますし、よくもなっていきません。)

 職員会議や学年会議、教科会議、校務分掌の会議等は、まさにそのための場のはずですが、どれも改善のための機会として機能しているとは言い難い状況です。いつも発言する人や声の大きい人が、言いたいこと(それは、物事をよくすることに結びつかない方が多い!?そもそも熟考しておらず、思い付きレベルだから?)を言う場になっていることをみんな気づいています。校長としては、全員(職員だけでなく、生徒)の声も聴きたいところです。そんなふうに思っている時に知ったのが、「自分の気になること」を次のような体裁で発信できる用紙を提出してもらうことにしました。


 ・名前、日付:

 ・問題の深刻度(1~5の段階で。5が最も深刻!):

 ・私が気になる(問題と思う)のは:

 ・それに対する、私の提案は:

  気になること/提案のある人は、この用紙に記入して、校長の秘書に渡します。秘書は名前を除いて、それをオンライン・ドキュメントにアップします。(校長およびこの用紙の発案者は、この匿名性こそが大事だと考えているからです! そうすることで、誰が言ったかによって内容が判断されないからです。)

過去1年間に、9つの気がかりな点/提案を受け取ったそうです。当然のことながら、深刻度はすべて4か5でした。扱われていた内容は、どれも大切なことばかりでした。基本的に、個人にとって(この用紙を書きたくなるぐらい)の気がかりは、学校にとっての気がかり/問題ですから。

 たとえば、運動場で使う用具(たとえば、サッカーボールなど)の置き場所の問題は、読み書きとは関係ないと思われがちですが、そんなことはありません。もし、読み書きや授業以外のことで、教師が問題を抱えていたら、そちらに大切な時間と焦点を奪われてしまい、本来優先順位が高いことがおろそかにされてしまうからです。(ちなみに、運動用具の置き場所は、校舎の出入り口のすぐそばに置くことで解決でした。そこに行くまでに音がうるさくて問題だったのです!)

 そしてもちろん何よりもセンシティブなのは人間関係にまつわる気がかり/問題です。この点については、ここでは詳しく説明しませんが、あと3~4か月で出版される「関係修復のアプローチ」を紹介している『生徒指導をハックする』を参考にしてください。主には、教師が生徒たちの問題行動に対処する方法が描かれていますが、教師間、管理職と教師、さらには教師と生徒の間でも基本的には同じです。

 気がかりなこと/問題へのフィードバックを提供できる用紙を埋める機会を提供することで、学校関係者は「声」をもつことができたと、この取り組みを紹介してくれている校長は言います。そして、その書くチャンスは、いろいろな場面で発言することに確実につながったとも。(みんなが、書くことが得意なわけではなく、口頭で発言する選択肢を選ぶ人もいるわけです!)そして、みんながエンパワーされました。

 ある時、教師二人の衝突があった時、校長は両者の考えを聞いた上で、両者にお互いのやり取りを記録したり、それについて自分の考えを書いたりするように勧めたところ、自分自身に対してフィードバックができるようになったことで、問題の解消につながったそうです。まさに、学ぶために書くことが軽視/無視されていることを、教師がモデルで示していたわけです(http://wwletter.blogspot.com/2019/08/blog-post_9.html)が、ノートに記録し始めると書くことでより熟考しますし、振り返りますし、改善案まで考えますから、問題解決につながる可能性がはるかに高くなるわけです。

 書く文化を、学校レベルで、そして教室/授業で、さらには保護者とも、今まで以上にとってください。そうすることで、みんながよりよく考えられ、学校や教室/授業の課題が確実に解決/改善するようになります!

 

出典: https://choiceliteracy.com/article/using-concern-forms-for-feedback/


2025年4月18日金曜日

「本を選ぶことは明日の自分を選ぶこと」

古賀史健さんの『さみしい夜のページをめくれ』(ポプラ社、2025年)という本を読みました。海のなかの生き物たちを擬人化した同じく古賀さんの『さみしい夜にはペンを持て』(ポプラ社、2023年)と同じく主人公の〈タコジローくん〉が、この本でも語り手です。『さみしい夜にはペンを持て』では〈ヤドカリのおじさん〉が〈タコジローくん〉の「書くこと」の導師でしたが、この本ではおまつりの日にバスターミナル広場の路地で、占い師の〈ヒトデ〉に出会います。その〈ヒトデ〉に読むという行為について大切なことを教わっていきます。きっと〈ヤドカリのおじさん〉や〈ヒトデ〉さんは、本のなかで著者の古賀さんの考えを代弁する人物なのでしょう。読み書きのリーダーないしコーチのような存在です。それだけにこの人物たちが〈タコジローくん〉にかける言葉は、読者である私の胸にもしっくりとなじみます。

 『さみしい夜のページをめくれ』のなかで〈ヒトデ〉が〈タコジロー〉に向けて語ったことで私の印象に残ったのは「本を選ぶことは明日の自分を選ぶこと」という言葉でした。もちろん、本を選ぶという行為はが、どうして「明日の自分を選ぶこと」になるのでしょうか。不思議ですね。〈ヒトデ〉と〈タコジロー〉たちの会話を立ち聞きしてみましょう。

 

「アタシたちはずっと、『選んだおぼえのない自分』を生きてきた。中学生や高校生くらいま  では、とくにそうだ。選んでいいのはお菓子くらいで、大事なことはなにひとつ選べやしない」

 ぼくたちは黙ってうなずく。

「でも、家を出る。本屋さんに行く。本棚を眺める。

 そこでは、学校じゃ決して聞かせてくれないような話が、堂々と語られている。

 むずかしい話もあれば、おもしろい話、

 危険な話、残酷な話、

 思わず耳を塞ぎたくなるような話

 だってあるだろう。

 そしてアンタは、一冊を選ぶ。

 両親も知らない、学校の先生も知らない、

 仲良しの友だちだって知らない、

『自分だけの一冊』を選ぶ。

 それは、本を選んだんじゃない。

 自分の進む道を、選んだんだ。

 自分はこっちを信じる。

 自分はこっちに一歩踏み出すんだ、ってね」

「・・・本を選ぶことは、自分を選ぶこと?」

「ああ。そして自分を選んだその瞬間、

 アンタはもう、子どもじゃなくなるの」

(『さみしい夜のページをめくれ』297299ページ)

 

 「本を選ぶ」ということが、選んだその人の成長の一コマになるということを〈ヒトデ〉は言っているのです。たかが「本を選ぶ」ぐらいで人生が左右されるわけではない、と考える人もいると思いますが、されど「本を選ぶ」です。図書館や本屋の本棚の前で「『自分だけの一冊』を選ぶ」、それを幾度か繰り返してみると、以前とは違う自分が顔を出します。〈ヒトデ〉の「子どもじゃなくなるのさ」とはそのことを言っているのです。

 ここで〈ヒトデ〉の言う「子ども」とは「選んだおぼえのない自分」のことです。「『自分だけの一冊』を選ぶ」ということは、素朴な行為ですが、その「選んだおぼえのない自分」に別れを告げることです。「明日の自分を選ぶ」ことは、「選んだおぼえのない自分」からすれば、とんでもなく大きなことです。

 それを自力でできるようになるのは容易ではありません。〈ヒトデ〉のようなサポートしてくれる存在が必要なのだと思います。では、「選んだおぼえのない自分」が「自分で選ぶこと」ができるようになるためにどのようにサポートしていけばいいのでしょうか。『理解するってどういうこと?』には次のようなことが書かれています。

 

・一年を通して教師たちから選書について継続的にいろいろなことを教わりながら、次第に子どもたちが自分で適切な本を選べるようにします。

・教科書の教材を扱うだけでなく、ひとまとまりの本(一組の関連しあった本)を読むことによって、子どもたちは、さまざまな作者、テーマ、ジャンルの間に重要な関連づけができるようになります。

・教師がモデルで示すことは何より大切です。教師は自分が本を選んだり推薦したりするさまざまな方法をモデルで示し続ける必要があります。

・子どもたちは自分で選んだ本を実際に試してみる方法を見につける必要があります。たとえば、12ページが部分を試しに読んでみたり、考え聞かせをしてみたり、五本指法(知らない単語やよくわからない考えに出会ったら指を折って数える方法で、1ページに5本以上だと難易度が高すぎると判断する)などを試したりします。

(『理解するってどういうこと?』228ページ)

 

 『さみしい夜のページをめくれ』を手に取っていただくと、〈ヒトデ〉がおうしたことを実にうまく〈タコジロー〉たちの前でやっていることがわかります(四番目の「方法」についてはこの通りではなく、〈ヒトデ〉独自の魅力的な「方法」が示されています)。だから〈タコジロー〉たちも「自分で選ぶこと」の持つ大切な意味を実感することになるのです。それがどんなふうになされるのか。是非この本を手に取って読んでください。

 『さみしい夜のページをめくれ』はこの3月に、帰省していた実家近くの書店の店先で見つけました。『さみしい夜にはペンを持て』の続編であるということはすぐにわかりましたので、迷いなくその一冊を選びました。その時、この本を選んだからこそ、私は今日この文章を書くことができています。この本と出会ってちょうど一月ほど経ちましたが、ひと月前に私は「明日の自分」を選んだことになります。選んだから書くことができたのです。〈ヒトデ〉の言った通りです。

2012年3月16日金曜日

たとえば、どんなテーマ?

協力者、大募集!! に対して、「具体的にどんなテーマ/切り口があるのですか?」という質問をもらいました。

 春休みの少し時間の余裕がある時にスタートして、可能ならぜひ年間を通じてテーマで扱える(絵)本や詩を一緒に探し続けていただけると、うれしいです。

「セルフ・エスティーム」と「アイデンティティー」は、すでに紹介しましたが、これまでに以下のような項目をリストアップしていました。

愛 遊び 命 異文化の受容 意欲(自分から進んでする) 老い おもいやり・共感 かかわりを持つ 書き(ライティング) 家族 価値観と信念 学校 環境 聴く 協力 希望 計画/実行、時間の管理 計算・算数 原因と影響 好奇心 コミットメント コミュニケーション 死 幸せとは 時間 思考力(創造的思考力) 自己管理 仕事・職(失業/就職する) 自己の確立 自然 持続(へこたれない) 社会の変化 柔軟性 情報加工 信頼 性 正義と公平 誠実さ 責任(感)先生 相互依存 大切なもの(こと) 大切なものを選び出す力(クリティカル・シンキング) 対立 多様性/個性を認める 地域 友だち 努力 似ている点・異なる点 人間としての尊厳 忍耐(がまん) 能力 判断力 評価 プロセス ベストを尽くす 変化 本当のことを言う 本物とは 見下さない 問題解決 ユーモア 勇気 読み(リーディング) リーダーシップ 歴史

 この中には、2月17日の「教職につく人に読んでほしい(絵)本」と「一歩一歩頑張ろうと思える(絵)本」は含まれていません。
 ですから、上のリストは完成されたリストではありません。
 自分のこだわりの項目をぜひ付け足してください。

 いま考えると、理科や他の教科で使えるような、たとえば石、川、星・月・太陽、木、花、草、動物(魚、哺乳類、虫など)を加えてもいいと思います。

 なお、社会科の主なテーマは、ほとんどすべて含まれているはずです。すでに20年以上前になりますが、中高の社会科の先生たちと検討した『ワールド・スタディーズ』の基本コンセプト=社会科の基本コンセプトをすべて含めましたから。(ちなみに、日本の社会科はコンセプトで学ぶようにはなっていません。あくまでも「知識」です。大切なことは知識を覚えることではなく、コンセプトを身につけることなのに・・・)そうなると、理科(や他の教科)も同じことが言えますね。いったい、理科で大切にすべきコンセプトは何でしょうか? 星や花や魚や虫等の名前を覚えることが大切なわけではありませんから。たとえば、システム、バランス、パターン、分類、機能、進化、変化と不変、力/エネルギー、形(構造)、秩序と混乱といった感じでしょうか? 以前読んだ本には、これらとはちょっと違うのが書いてありました。数学のコンセプトと一緒に覗いてみてください。

2012年5月11日金曜日

カンファランス


今年度も1ヶ月が過ぎ、WW&RWの実践は順調に進んでいますか?
その核となるのは、なんといってもカンファランス。

以下、2010年8月29日に実施したWW研修会で甲斐崎博史さんが担当したカンファランスのワークショップから、その「極意」を紹介します。

まず、カンファランスは「子ども自身の感想を聞いたり、寄り添ってその作品についておしゃべりする」ことと捉えることです。
 そのために、
  1.いい読み手になる
  2.寄り添う 
  3.共に考える
の3つを押さえます。カンファランスの技術はもちろん大事ですが、その前段としてこれら3つのスタンスを押さえるだけでカンファランスの効果はかなり上がります。
 これらによって、以下のような環境や関係が築けます。
       子どもたちは安心でき、
       クリエイティブな環境ができ、
       子どもたちは相談できる/悩みを聞いてくれる相手だと思ってくれる。

カンファランスの具体的な進め方★としては、上記のスタンスを押さえながら
1)いいところは具体的にほめる (よく読めば必ず一つや二つはあるはず!)
2)わからないところ/もっと知りたいことは質問する。
 3 )  改善する必要があるところは、(1)質問するか、(2)選択肢を提供するか、(3)提案する(否定したり、命令することは避ける)

カンファランスをする際の視点としては、
  ・カンファランスの前にしたミニ・レッスン
  ・指導要領、評価規準
  ・その子の抱える課題
  ・どんな書き手を目指すのか
  ・勇気づけ、意欲づけ、動機づけ
  ・作家のサイクル、表記、構成、題材、文章表現
などです。

 なお、個別のカンファランスでは、必ず(無理に)改善点を質問の形で提示する必要はないことや、さらに上記の1)や2)もなしに「見守る、観察する、待つ」という接し方も「あり」であることも紹介されました。「見守る、待つ」は、教師にとっても生徒にとっても極めて能動的な接し方と捉えることができるからです。

 以上は、WWのカンファランスについて書いてきましたが、RWの場合も、スタンス、作り出す環境や関係、進め方、視点など、ほとんど変わりません。詳しくは、『リーディング・ワークショップ』の第6章をご覧ください。


★ ここでは「大切な友だち」のアプローチ(『作家の時間』の69~73ページ)も、そのまま使えます。小学校中学年以上なら「大切な友だち」を練習して身につけることで、教師によるカンファランスと引けを取らないぐらいに効果的なピア・カンファランスができてしまいます。
  「極意」の最後は、生徒たちを「カンファランスの対象」としてだけでなく、「カンファランスし合える人」と捉える方が、生徒にとっても、教師にとっても、そして社会にとってもプラスということです。

2019年1月4日金曜日

あなたが教える際にもっとも大切にしていることは?

あなたが教える際に、特に「読み・書き・聞く・話す」を教える際に大切にしていることは何ですか?
私がこの質問に出合ったのは、80年代の半ばでした。カナダの先生たちに対して行われたアンケートで見ました。
そして、カナダの先生たちの答えには、さらに驚きました。
なんと、「クリティカル・シンキング」という答えがもっとも多かったからです。
当時の私は、それを聞いたことさえありませんでしたから。(30年経ったいまも、この日本では多くの教師が聞いたことがない状態が続いているかもしれません。)
それ以来、私のクリティカル・シンキングの30年以上の付き合いが続いています。
最初は、「批判的だが、建設的な思考力」というように訳していました。同じように、90年代初頭に知った「critical friend」というアプローチは、最初は「批判的な友だち」や「批判的に、しかし温かく接する」などと紹介していましたが、ピンとこなかったと思います。★
2000年以降は、「批判的思考力」と訳され本などでも見かけるようになりましたが、日本人は表立って批判することがあまり好きではないのか、その中身と効果に気づけないまま、いまに至っていると思います。
より最近では「21世紀スキル」の中にも「批判的思考」として含まれていますが(論理的思考は含まれていないのに!! ある意味では、問題解決、意思決定と同じと言えますから論理的思考も含まれていると言えます)、ピンと来ている方は少ないと思います。
カナダやアメリカ等の教師たちが30年も前から、もっとも大切なものと位置づけているものに、いまだかつてその重要性に気づけない状態が続いているのです。

 『イン・ザ・ミドル』の中にこういう一節があります。
秀逸な文は偶然の産物ではありません。選択をする、拒否する、他のものを使ってみる、はっきりさせる等の方法を駆使して、紙の上で考え続けた結果なのです。」★★(163ページ)

 私は、これを読んだとき、クリティカル・シンキングそのもと、と思いました。
 この中には、「批判的」の一言も含まれていませんが、これならクリティカル・シンキングの中身を理解していただけるのではないでしょうか? そして、これは、書くときはもちろん、読むときも、聞くときも、話すときも、見るときも・・・考えるときは常に使う必要があるし、実際かなりのレベルで使っているのではないかと思います。(この辺についてさらに詳しくは、『「読む力」はこうしてつける』の「まえがき」をご覧ください。)

 これがないと、よりよい文章も、よりよい文章解釈も、よりよい話し合いやプレゼンも、よりよい選択も、よりよい目標達成も、よりよい問題解決も・・・・できないのですから、カナダやアメリカの先生たちが「何よりも大切」と言い続けていることをご理解いただけたでしょうか? スマホ時代になった今、教科書の内容を覚えることなど、何の役にも立ちません!

 繰り返しますが、選択をする、拒否する、他のものを使ってみる、はっきりさせる等★★★こそが書くときはもちろん、読むとき、聞くとき、話すとき、学ぶとき、考えるとき・・・に大切なのです。そして、それが国語の時間は当然ですが、すべての教科で。すべての学びの場で。これ抜きでは、学ぶ/教えるという行為自体が存在しないぐらいに。


  これについては、
https://projectbetterschool.blogspot.com/search?q=%E5%A4%A7%E5%88%87%E3%81%AA%E5%8F%8B%E3%81%A0%E3%81%A1 をご覧ください。名称を変えるだけで、子どもたちも進んでやってくれるようになります。

★★ この本には、読んですぐにわかるいいアイディアやヒントもたくさんありますが、このように気をつけていないと通り過ぎてしまうような文章もたくさんあります。見逃さないようにするために、ブッククラブ形式で2~4人で読むことをおすすめします。

★★★「等」とありますが、あなたはこれら4つ以外に何か考えられますか?
   これらを使った作文指導をされた経験がありますか?
   ライティング・ワークショップ/作家の時間は、これらを練習するためにあるようなものです。
   ちなみに、①センターや教育委員会が行う教員研修、②各学校で行われる授業研究や校内研修、③読む書きの力が落ちている(少なくとも向上していない)のに同じように行われ続ける読解教育と作文教育など、ここに書かれている4つが行われていないので、効果的ではないとみんなが分かっているものを続けざるを得ない(要するには、クリティカル・シンキングがまったくない)状態が長年続いています。(←私が強調して言いたかったことは、この部分だったような気がします。)それほどクリティカル・シンキングは大切なもので、21世紀スキルに含まれている理由でもあります。

2016年7月29日金曜日

「作家ノート」という生き方


いま、4人で『ライティング・ワークショップ』の著者の一人のラルフ・フレッチャーが、それをする時の必需品の『A Writer’s Notebook(作家ノート)』について書いた本をメールでのブッククラブで読みあっています。

この本を最初に読んだのは、10年近く前のことです(この本自体は、20年前に出ています!)が、一人で読むのと比較して、四人で読むと広がりや深まりがまったく違います。一人で読むよりは時間は掛かりますが、それから得られるものは何倍にも増幅しますから、このやり方はオススメです。(まだブッククラブの経験のない方は、友だち2~3人に声をかけて、ぜひ試してみてください! 進め方のヒントがほしい方は、下のコメント欄に書くか、吉田=pro.workshop@gmail.comまで連絡ください。)

今回読んで、引っかかったところをいくつか紹介します。

1) 作家ノートをもって、気づいたことをいろいろ書き続けるということは、「好奇心をもって人生を眺めてごらんという、人の本質に関わる」ことだと、つくづく思います。それが作家の存在であるわけなのですが、同じでレベルで読書ノートをつければ読書家であり、数学者ノートなら数学者であり、科学者ノートなら科学者であり、市民ノートや歴史家ノートなら社会科を学ぶ人であり、スケッチブックに描き続けるなら画家であり・・・・と思うのですが、その一番大切な部分に目を向けず、その代わりに教科書に目を向けすぎているのが日本の学校教育になってしまっています。
 この作家ノート等を書き続けるということは、作家(読書家、数学者、科学者・・・)のような生き方までも可能にしてくれます。ちなみに、私の場合は、このWW&RW便りの他にも、ギヴァーとPLC(授業改善/学校改善)のブログを書いています(=そのためのノートをつけています)から、ある意味では「WW&RW的な生き方」「ギヴァー的な生き方」や「PLC的な生き方」を可能にしてくれているのかもしれません。少なくとも、そういう視点で物事を見続けることを可能にしてくれていることだけは確かです。
なお、作文教育(や読書感想文)などは、すでに教師が分かっていることを書かせる場合がほとんどですから。好奇心も、人の本質もあったものではありません。あるのは、いったい何でしょうか?

2) もちろん、普通の人も日々の生活の中で、考えたり、感じたり、気づいたりしていますが、それらを書き留めず、やりすごしてしまうので、そのほとんどは忘れてしまうというか、消えていきます。しかし、書き手/作家は、それらをA Writer’s Notebook(作家ノート)に書き留めます。それによって、人生を二度(あるいは数度)生きるチャンスが与えられます。
  しかし、そのためには「書き留める」と「読み直す」という行為が大切なわけです。後者については、5)で触れます。

3) 大きく書くのではなくて、小さくが強調されています。「神は細部に宿りたもうGod is in the details」です。これは、俳句や短歌に通じる部分があります。
 さらには、「A single detail can sometimes give a window into a person’s whole life.p.4)=一つの具体的な描写が、時にはひとりの人の人生全体の窓を提供してくれる」です。
 それほど、細部は大切!!

4) 作家ノートは、「孵化器」という比喩も分かりやすいです。そこでじっと寝かせることによって、アイディアが育つのをじっと待つことの大切さです。しかも、当然のことながら、必ずしもすべての「卵」が孵って発育するわけではありません!
 ある意味では、「下手な鉄砲も数打ちゃ当たる」的な発想は大事です。(発育した結果が「出版」という形で「お披露目」します。)

5) 作家ノートは、現在の自己を「無数の、過去に存在した自分の集合体」として捉えられる媒体と表現した人がいましたが、私もその通りだと思いました。
  それは、読むものに対する自分の接し方から確実に言えます。同じ本でも、読む時を変えると読めるものが違うことがあります。それは、自分が変わっているから起こりえることです(退化しているのではなく、成長している、と捉えたいですが?!)。前に読んだときには気づけなかったことに気づける自分になっているのですから。この辺のことについては、『「読む力」はこうしてつける』の第3章に詳しく書いてありますので、興味のある方はぜひご覧ください。)
  この辺の議論を発展させると、国語の読みの解釈でいわゆる正解的な解釈があり、それはある権威というか研究者たちによって認められた解釈であることが多いと思うのですが、それと私たち常人というか生徒たちはどう接すればいいのか、という問題が出てきます。研究者たちにとっても、ある時点での解釈があり得る?(彼らの解釈も固定されるということはないはずで!! 彼らも成長しているわけですから。)そして、常人/生徒たちにも、ある時点や異なる時点の解釈があっていいはずで! ということは、「正解って何だ」ということになりませんか?

以上を読んで、作家ノート(および、ブッククラブ)に興味が持てた方は、ぜひ試してみてください。両方とも、とても大きな価値がありながらも、これまでの国語教育ではその価値を認めてこなかったものです。


2014年5月9日金曜日

『読書家の時間』の裏話シリーズ その3



それは、書いた分量を大幅に削減したことです。
それも、なんと原稿の3分の1もです。

せっかく書いたのに、もったいない!!
まったく、その通りです。

しかし、いい本にするためには必要不可欠な作業でした。
結果的に、247ページの本になっていますが、カットしなかったら350ページを超えていました。(それでは、とても買って読んでもらう本にはなりません。たとえ、内容的には吟味されていたとしても、料金的に、そして読まないといけない分量で大きな問題がありますから。)

削減の過程は、以下のようなプロセスをたどりました。
まずは、各章の執筆担当は、自分のベストを尽くして書きたいだけを書きました。
最初から、ページ数を割り当ててその分量だけを書いてもらうという選択肢もなかったわけではありませんが、それでいい本ができるとは思えません。(従来の分担執筆のアプローチなので。)
書いたものに対しては、「大切な友だち」とのやり取りを経て、ブラッシアップ(修正)の作業が繰り返し行われました。それでベストになったものを今度は残りのメンバーに読んでもらってフィードバックをもらって、さらに修正が行われました。
それらの原稿が集まって、ようやくベストの原稿が完了です。
しかし、上に書いたように、それでは売れる本の分量をはるかに超えていました。
そこで、今回の実践をするにあたって一番参考にした本である『リーディング・ワークショップ』のページ数を見ると、244ページです。値段も、本体価格が2200円。分量も、値段も、「これ以上だと、知り合いの先生たちにすすめられないよね」ということで合意。(ちなみに、この翻訳書の原書はなんと、580ページもある本で、全部を訳していたら千ページ近くはいっていた本でした。従って、日本版は「いいとこ取り」の本になっています!! もちろん、そういう3分の1ぐらいしか訳していない本ではありますが、必要なところは載せましたし、読んで違和感の内容にも最大限配慮したつもりです。これも、日本の本づくりの実態であることをご理解ください。厚い本は売れません!)

分量を削減するには、「大切な友だち」(=ピア・カンファランス)とは異なる能力というか視点が要求されます。つまり編集者の視点です。このことについては、まさにそれをしている時にすでにブログで紹介させていただきました

「要約は、愛情のない他人だからできる。書き手と読者にはできない」と塩野七生さんが『わが友マキアヴェッリ』(107ページ)の中で書いていますが、削減する作業も同じといえる気がします。クールな目(立場)でないとできません。
でも、いい本にするには両方必要でした。
この作業を自分たちでしたおかげで、出版社の本物の編集者の負担は大分軽くなった(?)と思います。そして私たちは何よりも、読むことの教え方についての本を書きながら、同時に書くことについて学び、さらに書くことの教え方についてのヒントまで得ることができました。

なお、「読書家の時間」出版記念イベントとして「本の手渡し会=ブッククラブの体験会」を企画しています。詳しくは、https://www.facebook.com/events/318393338316462/?ref=22をご覧ください。