2016年6月24日金曜日

夏休み中の読書量を維持する/増やす効果的な7つの方法


 「夏休みは、まだ一か月も先」、なんて言わないでください。「もう一か月先」なのです。
 1週間前では、時すでに遅しです。(何事も準備が大切で、それがなければ「すれ違い」の人生が続くだけ!です。)★
 夏休みに本を読み続けるか否かは、大人にも言えることですが、子どもたちの場合は一層顕著にその違いが表れるかもしれません。その意味では、学期中よりも影響が大きいぐらいです!

1 コンタクトを取り続ける。
登校日があるので、それをうまく使うことですが、それ以外に間が空く時のコンタクトの維持の仕方を考えておいてください。特に、学期中も読まない子たちは要チェックです。また、教師がすべてを自分でしなければとは考えずに、いかに親を巻き込むかが大事です。(休みの間の責任は親にありますから。もちろん、学期中もです! それほど親との連携は大切。★★)

2 一人ひとりにオススメの本や雑誌等を持ち帰らせる
 1学期の様子を踏まえて、その子にとってのベストの本や雑誌や漫画などを(教室の図書コーナーから)教師が選んで最低でも一冊(可能ならセットで)、夏休み前の最後の日に持ち帰らせる。(あるいは、数日前に。変更が可能なように。)理想は、それがその子の夏休み中の読書の出発点になるもの。
 アイディアとしては、家庭訪問を年初の忙しい時期にやらずに、夏休みの最初の時期にやってもいいのかも?(プール指導や登校日等がないなら) 家庭訪問と本などを届けることが一石二鳥でできるから。(アイディアとしては悪くありませんか? 暑すぎてダメ?)

3 地域の公立図書館で会う日を設定しておく
 2週間に一回ぐらい事前に設定した日に公立図書館で会うようにする。可能なら司書の助けも借りて、図書館の効果的な使い方、本の選び方、書くことの読むことのつながり、詩の読み方などのテーマを事前に決めておいてもいい。もちろん、最大の目的は、そこから数冊の本を持ち帰ってもらうこと。そして、頻繁に図書館に来られるようにすること。

4 たくさんの本を読む企画を子どもたちと考えて実行する
 個人で、あるいはチームで読んだ本の量を競うコンテストなど、子どもたちと事前に考えて、夏休みの間中実施する。大切なのは、本の冊数ではなく、読んだ結果であることも意識しながら。とにかく、教室以外の場で読むことの価値に気づいてもらうことが目的。

5 読むことの質を高めるためにブッククラブを実施する
 これは、今の時代は実際に会って行うか、ネットを介しても行える! ★★★

6 子どもたちにブログを書かせる
 読むことと書くことは連動している。もちろん、本の感想を書かせることに限定しないことが大切。要するには、昔の夏休みの宿題の定番だった(絵)日記の現代版。クラスの生徒たちだけの非公開ブログにしておけば、問題ないでしょう! それでも、ダメでしょうか?(これも、親の理解と協力が書かせないです。)

7 夏休みの間に行うプロジェクトを事前に計画し、そして実施する
 学期中に学んだことで膨らませたいこと、自分の好きなことでさらに追求したいこと、あるいは自分の弱点を補いたいことなどから、夏休みの間にプロジェクトとして事前に計画し、そして実行するのです。より詳しく知りたい方は、『リーディング・ワークショップ』の第13章「リーディング・プロジェクト」を参照してください。

 これらの方法のほとんどは、教師を含めた大人が率先してやれる/やるべきことだとは思われませんか?





★ この準備をしないで取り組めるものとして「夏休みの読書感想文」が存在し続けていると思いますが、その結果は多くの子どもたちに読むこと嫌いを作り出しているだけだと言うことを理解してください。大人も当たり前にすることでないものを、やらせてはまずいです。
★★ このテーマを模索したい方は、リーディング・ワークショップとライティング・ワークショップを親に体験してもらうために開発された『ペアレント・プロジェクト』を参照してください。
★★★ 具体的な効用ややり方については、『読書がさらに楽しくなるブッククラブ』を参考にしてください。

2016年6月17日金曜日

「共感」という宝物

 他者の「心」を読み取る能力(心の理論)は、物語や小説を読む前提となる能力なのか、それとも物語や小説を読むことで育つ能力のか、どちらでもあってどちらかではないのか、という込み入ったことを考えあぐねているときに出会ったのが、フランス・ドゥ・ヴァール著『共感の時代へ―動物行動学が教えてくれること―』(柴田裕之訳/西田利貞解説、紀伊國屋書店、2010年〈原著2009年〉)でした。ドゥ・ヴァールは動物行動学者・霊長類学者で原著刊行時、米国アトランタ市のエモリー大学心理学部教授です。
 『共感の時代へ』の目次は次の通り。
はじめに/第1章 右も左も生物学/第2章 もう一つのダー ウィン主義/ 第3章 体に語る体/第4章 他者の身になる/第5章 部屋の中のゾウ/ 第6章 公平にやろう/第7章 歪んだ材木
 オランダの動物園でのチンパンジー、マカクザル、ボノボなどの豊かで詳細な観察を通して、著者ドゥ・ヴァールが見いだした知見が、わかりやすい実例とともに示されていきます。「共感」の本ですから、「共感」とはどのようなことかについての考えも随所に書かれています。一カ所だけ、引用します。
 つまり、共感は哺乳類の系統と同じくらい古い起源を持つものの重要な部分だと私は思っている。共感は一億年以上も前からある脳の領域を働かせる。この能力は、運動の模倣や情動伝染とともに、遠い昔に発達し、その後の進化によって次々に新たな層が加えられ、ついに私たちの祖先は他者が感じることを感じるばかりか、他者が何を望んだり必要としたりしているかを理解するまでになったのだ。この能力全体は、ロシアの入れ子型細工の人形マトリョーシカのような造りになっているように思える。その核となるいちばん内側には、多数の生き物と共有する、自動化されたプロセスがあり、その外側を幾重にも層が取り巻き、このプロセスの照準や及ぶ範囲を調整している。ただし、すべての種がすべての層を備えているわけではない。他者の視点を獲得する種は数えるほどしかない。私たちはその達人だ。だが、この人形の最も精巧な層でさえ、原始的な核の部分と今なおしっかり結びついている。(『共感の時代へ』293~294ページ)
 「共感」能力は進化に伴って次第に高次なものに成長してきたのですね。「情動感染」のように他者の感情とぴったり符合する多くの生き物に共通の傾向が核となって、進化の過程で、他者への気遣いや、他者の視点を取得するといった、より高度で精巧な能力が次々に加わったというのです。「マトリョーシュカ」のたとえはそのような「共感」の多層性のことを言っています。少なくとも人間の「共感」能力は「マトリョーシュカ」構造を備えていると言うのです。こうした考えをもとに、ドゥ・ヴァールは人間が生まれながらにして手に入れている一番大切な「道具」とは「他者とつながりを持ち、他者を理解し、相手の立場に立つ能力」としての「共感」能力だと主張しています(『共感の時代へ』316ページ)。
 逆に言うと、いくら可能性としては「マトリョーシュカ」構造が備わっていると言っても、「他者への気遣い」や「他者の視点の取得」のような高次で精巧な共感能力は、それを使う機会を見つけて、使うことができたならそれが何かを指さしてあげないと、繰り返し使うようになれないことにもなりはしないでしょうか。
 『理解するってどういうこと?』の第9章には、エリンさんと小学校3年生の黒人の子どもたちが『ルビー・ブリッジスの物語』(ロバート・コールズ著、未邦訳)を一緒に読んで話し合うシーンが描かれています。「関連づける」という理解のための方法に焦点化したミニレッスンの一コマです(『理解するってどういうこと?』350~355ページ)。ルビー・ブリッジスはアメリカで、はじめて白人の小学校に通った少女ですが(アーネスト・ヘミングウェイが彼女の勇気に賛辞を贈ったことも有名ですし、あの、ノーマン・ロックウェルも彼女の登校の姿を描いています)、この本はそのときのことを物語風に書いたものです。
 このミニレッスンでは「関連づける」ことで何がわかったかということが話し合われているのですが、主人公ルビーと自分が知っていることや体験したこととを「関連づける」ことによって子どもたちからはいろいろな発言が出されます。初めは出すつもりでなかったらしい「共感」という言葉を、エリンさんが持ち出すのは子どもたちの発言が減ってきた頃でした。3年生にはむずかしいかもしれないけれど、今ならわかると思って教えています。
 「共感とは、みんなが他の誰かの経験を理解するだけでなくて、それを本当に共有することです。みんなは、他の人が話したことを、自分の力で感じたり知ったりしていました。みんなの心臓はしっかりと記憶するたびにドキドキして、自分もまったく同じだと感じたら、みんな頭のなかに自分の生活の一コマを思い起こしました。それが、読むときにみんなが経験することのできる一番大切なことのひとつなのです。自分の頭と心でそんなふうに感じるとき、みんなは確実にその本を理解できているのです。これは特別で、とても大切な体験なのです。共感とはこういうものだってみんなが言えるぐらいに、わかりやすく説明できましたか?」
 すぐに子どもたちは答えてくれました。レイモンドが待ちきれずに発言しました。「わかる、わかる、わかる。この本のあそこのところに自分がいて、自分がその子で、自分が本のなかにいて。で、作家は自分のことについて書いてるって感じることでしょう!」
 子どもたちの能力はすごいです。彼らはしっかり理解しました。共感とはどういうことなのかを。8歳の子どもたちですが、わかったのです。
 「そのとおりです、レイモンド。それが共感です。」
 デヴォンテが言いました。「別の本で共感したことがあります。ずっと昔の二人の女の子についての本で、さくが出てきます。白人のこどもたちはそれを乗り越えちゃダメで、黒人の子どもたちもそれを乗り越えちゃダメなんだけど、その二人の女の子はその上に昇ってすわってた―――」
 「ジャクリーン・ウッドソンの『むこうがわのあのこ』ね」と私。
 「うん、『むこうがわのあのこ』だよ」と彼。「僕は共感だ。」
 「『僕は共感した』、ね」と私は少し言い直しました。
                     (『理解するってどういうこと?』353~354ページ)
 デュ・ヴァールの「共感」の定義とは言葉こそ違いますが、レイモンドは、『ルビー・ブリッジスの物語』の主人公と自らを「関連づけ」る学習を通して、「共感」を「この本のあそこのところに自分がいて、自分がその子で、自分が本のなかにいて。で、作家は自分のことについて書いてるって感じることでしょう!」と、自分の言葉で見事に定義づけています。「他者とつながりを持ち、他者を理解し、相手の立場に立つ能力」とはどういう力なのかということについてのすばらしい説明です。それを、自分と周りの子たちとエリンさんに聞かせているのです。
 デュ・ヴァールの本とエリンさんのミニレッスンは物語や小説をなぜ私たちが読むのかということや、なぜ私たちが学ぶのかということの一つの回答を示しています。「共感」能力の成長は、理解のための方法のどれかを使いながら、物語や小説をひたすら読んで考えることで得られる宝物なのです。

2016年6月10日金曜日

「自立した読み手」を育てる!


プロジェクト・ワークショップで『読書家の時間』の実践をし、その本の執筆に向けて努力をしていた2010年9月4日のミーティングの時にメンバーで「自立した読み手とは?」をテーマにブレイン・ストーミングをし、それを整理した結果が以下の6項目でした。

リーディング・ワークショップ(=読書家の時間)は、これらを意識するだけでなく、実現するために運営されています。学校を卒業してからも生涯にわたって読み続ける自立的な読み手を育てることが何よりも大切だと捉えているからです。

それに対して、通常の国語の授業★で、これら6つの項目の一つでも押さえられているでしょうか? 目的にすら上がっているでしょうか? おそらくそれが、読まない人を育てている結果になっているのではないでしょうか? (さらに言えば、読むのが嫌いな子どもたちや、読むのが下手な子どもたちをつくり出している原因?

 「読み手」を「書き手」に変えても同じことができます。
 その結果は、ライティング・ワークショップ(=作家の時間)と通常の作文教育の違いを浮き彫りにしてくれます。

 さらには、「学び手」に置き換えても同じことができます。★★
 これだと、すべての教科で行っている授業と、あるべき姿とのギャップが浮き彫りになります。
 そして、その過程では、教える側の教師のあり方も問われることになります。
 「果たして、それらを自分はモデルで子どもたちに示せているだろうか?」という大切な問いが浮かびますから。
 そうなんです、教師に求められているのは、教材研究をがんばってすることなどではないのです。★★★自分が読み手や書き手としてのいいモデルを子どもたちにどれだけ示せているか、の方がはるかに教育的効果は大きいですから。


★ 読解教育の授業だけでなく、朝読や図書の時間とさえ比較できてしまうのではないでしょうか?
★★ もちろん、「自立した科学者」(理科)「自立した数学者」(算数・数学)「自立した市民」(社会)等に絞った形でのブレイン・ストーミングも可能ですし、やる価値は大いにあります。
 プロジェクト・ワークショップのメンバーが考えた「自立した学び手」の項目をお知りになりたい方は、pro.workshop@gmail.comに連絡ください。

★★★ 教材研究アプローチのおかしさだけでなく、教員研修(校内研究)のあり方のおかしさにも気づかせてくれます。(このブレイン・ストーミングをしないと、これらのおかしさに気づけない状態が続くことを意味します!)そして、あるべき姿も浮かび上がってきます。


2016年6月3日金曜日

「素敵で大事な『作者の権利』10か条」

 前回5月27日のRWWW便りでは、「熟読の呪縛」★から逃れる一つの方法として、例えばペナック先生の「読者の権利10箇条」のような、呪縛を解くようなスローガン(?)を子どもたちに伝えることを紹介しました。

 読者(読み手)の権利があれば、作者(書き手)の権利があってもよさそうなものです、と思っ
ていたら、タイミングよく、数日前に「作者の権利10か条」が、ある人のブログで紹介されていました。イギリスのナショナル・ライティング・プロジェクトUKが2011年に作成したものだそうです。

 そのブログには「これは素敵&大事!『作者の権利』10か条」という題がついていますが、たしかに素敵な権利です。

 今回は、そのブログの作成者の了承を得て、そのブログから「作者の権利10か
条」を中心に紹介します。(詳しくはブログ http://askoma.info/2016/05/29/3086 をご覧ください。)

 まずはブログで紹介されていた作者(書き手)の権利10か条は以下です。

•  書いたものを見せない権利
•  書き直したり、消したりする権利
•  どこででも書ける権利
•  信頼できる読者を得る権利
•  書いている途中で迷って、どこに行くかわからなくなる権利
•  書いたものを捨てる権利
•  考える時間をとる権利
•  他の作者から借りてくる権利
•  実験をしたり、ルールを破ったりする権利
•  パソコンを使ったり、絵を描いたり、紙とペンで書いたりする権利

 皆さんはどの権利が印象に残りますか? 

 私は個人的には
「•  書いている途中で迷って、どこに行くかわからなくなる権利 」



「•  実験をしたり、ルールを破ったりする権利 」が好きです。

 何か作り出す過程は、私には試行錯誤なので、それを権利して保障されるのは嬉しいです。

(← そして、その過程を経て、何かを創り出せたときは、とても嬉しいです!)

 上で紹介したブログ作成者のページ http://askoma.info/2016/05/29/3086 に飛ぶと、この10か条についての、ブログ作成者のコメントも読めます。

 また、この10か条の権利はイラスト付きでポスターになっているらしく、上のブログでは、そのポスターの写真も見れます。

*****

 ブログ作成者は、大学院の研究室のドアでこのポスターを見かけたらしいのですが、「このポ
スターを研究室の扉に貼っている先生への興味もむくむくと」とも書かれています。

➡ 職員室や教室のちょっとしたスペースに何を貼るのか、それを見た人から、思いがけない、つながりが生まれることもあるかも、と「作者の権利10か条」のブログを読みつつ、そんなことも考えたりしました。

 こんなふうに、あることを書きながらふと思いついたことを書くことは、「あることを書きながら、
少し横道に逸れることを書く権利??」かもしれません。

➡ 子どもたちに、追加したい権利を聞いてみてもいいかもしれない、とも思いました。

 また、追加した権利について話し合うことで、「権利としては存在しても、いい文章を書くことにはつながらないかもしれないね」等のコメントが出るかもしれません。もしかすると、「いい文とは?」を考えるきっかけになるかもしれません。

 今日は、途中で横道に逸れつつも、「作者の権利」の紹介でした。

★ 「熟読の呪縛」については、5月20日のRWWW便りで紹介されている本『遅読家のための読書術』に登場しますので、詳しくは5月20日のRWWW便りをお読みください。

2016年5月27日金曜日

「熟読の呪縛」を解くために、授業でできそうなこと

 「熟読の呪縛」という言葉は前回のRWWW便り(5月20日)で紹介された本★の中に登場し、ちょうど私が気になっていた問題と重なり、共感した言葉です。

 私の中では、「読み書きのブレーキになっている、一字一句症候群」と勝手に名前をつけていたのですが、前回のRWWW便りを読んでいて、まさに「呪縛」だと思いました。

 熟読の呪縛から逃れるために、私なりに、授業でどういうサポートができるのかを考えてみました。

✍ 前回のRWWW便りで書かれていたように、先生が効果的な読み方を紹介しながら、先生自身は、熟読の呪縛から逃れて、効果的な読み方を行っていることを、折りにふれて、実例やお手本で示す。← これはとても効果的だと思います。

✍ 呪縛を解くようなスローガン(?)を示す。 ペナック先生の「読者の権利10箇条」を教室の壁に貼るのもいいかもしれません。ちなみに第2条は「飛ばし読みする権利」、第8条は「あちこち拾い読みする権利」ですが、他の権利もとてもいいです。「読者の権利10箇条」は、ブログ版のRWWW便り2012年11月17日でも紹介されていますので、ぜひご覧ください。大好きな権利です。

⇒ 先生自身が読むときには、この10箇条の権利を享受(?)していることを、折りに触れてミニ・レッスンで伝えるのもよいと思います。

✍ 飛ばし読みとは逆に、時には「読み返す」楽しさを強調する。読み返すときは、読み返したい箇所を「飛ばし見」して選ぶので、少なくともその時間は呪縛から離れられるには? と思います。

✍ 「早く読める本」を準備する。2015年7月25日のRWWW便りにも書いていますが、読めない子どもは時間がかかることで、ますます分からなくなります。

✍ 対話的な読み聞かせを上手く使う。「途中で時々止めるから、その時には心に浮かんだこと、一番心に残ったことを、お隣の人に教えてね」等、熟読ではなくて、「自分が大切だと思ったこと」に集中できるような読み方を体験させる。

✍ 「作家ノート」「読書ノート」等に、気に入った言葉や文を引用するのもいいよ、と伝える。

➡ 前回のRWWW便りに書かれていた「引用する」ことの価値とも関連するように思いますし、大切なことを探す練習にもなります。

➡ 重要だと思った概念や文をノートに蓄積することで、本の紹介をするときに、「引用文」を入れる、こともできるかもしれませんし、読み書きのつながりもでてきます。

他にもありそうなので、また考えてみたいです。

*****

★    前回のRWWW便りで紹介されていた本は、 『遅読家のための読書術――情報洪水でも疲れない「フロー・リーディング」の習慣』です。詳しくは5月20日のRWWW便りをご覧ください。

★ 英語を読むときにも、一字一句を母語にしようとする人がいます。「熟読の呪縛」を外国語で行っているような印象です。こういう読み方は、母語で読むとき同様、「理解して楽しむ」点から考えると、労多くして得ることが極めて少ないように感じています。

2016年5月20日金曜日

フロー・リーディングのすすめ


 『理解するってどういうこと?』の第5章「もがくことをあじわい楽しむ」に三つの「表面の認識方法」と三つの「深い認識方法」が説かれています。そのうちの「深い認識方法」の一つ「関連づけの領域」は、『理解するってどういうこと?』での「理解の仕方」の中心になるものです。どういうものか。「新しいアイディアを自分がこれまでに持っていた知識と関連づけることによって、さまざまなアイディアと情報をたくわえたり思い出したりすることを可能にする」(178ページ)ものです。
 読書とはこの意味での「関連づけ」を行うことです。が、あまりに読むべき本が多すぎて、そんなことがなかなかできないということもあるでしょうね。読書する人の姿をみることはできますが、その人がどんなふうに読んでいるのかということを知る機会は案外少ないものですが、その「関連づけ」のありようを考え聞かせしてくれるような本を読みました。
 印南敦史(いんなみ・あつし)さんの『遅読家のための読書術:情報洪水でも疲れない「フロー・リーディング」の習慣』(ダイアモンド社、20162月)です。まず目次。

 第1章 なぜ読むのが遅いのか?―――フロー・リーディングの考え方
 第2章 なぜ読む時間がないのか?―――月20冊の読書習慣をつくる方法
 第3章 なぜ読んでも忘れるのか?―――読書体験をストックする極意
 第4章 流し読みにもルールがある―――要点を逃さない「サーチ読書法」
 第5章 本とどう出会い、分かれるか?―――700冊の選書・管理術

 印南さんは書評家として、いくつかの情報サイトに月60本近く(!!)のブックレビュー記事を寄稿しているライターです。しかしもともと「遅読家」なのだと言っています。「遅読家」なのになぜ月60本も書評を書けるのか? その秘密がこの本のなかにはあります。
 印南さんが言うのも、本を読んでわかるということも「関連づけ」の工夫一つであるということではないかと思います。彼は、「「本を速く読める人」と「遅くしか読めない人」がいるのではありません。「熟読の呪縛から自由な人」と「それにまだとらわれている人」がいるだけなのです」(34ページ)と言い、その「読書の呪縛」の元凶の一つが学校教育だと言っています。国語教師の端くれとしての私にとっては痛い言葉です。


「熟読の呪縛」の発端は、おそらく学校教育にあります。

 「作者のいいたいことを正しく読みとる」とか「主人公の気持ちを選択肢から選ぶ」といった教育を受けているうちに、「本を読むという行為は、著者の意図を一字一句、正しく理解し、それを頭の中に写しとることである」という不文律を植えつけられてしまっているのです。

 なにかのきっかけでその呪縛が外れた人(または最初から外れている人)は、もっとまじめに、自分に都合のいいように本を読んでいます。

 一方、熟読の呪縛にとらわれている人は、まるで教師の解説や板書を逐一ノートに書き写す生徒のように、本の内容をせっせと頭にコピーしようとしている。

 だけど、その努力って報われるのでしょうか?
  読書について、重たく考えすぎじゃないでしょうか?(4243ページ)

 でもまったくそのとおりだと思います。
 この本自体がその「熟読の呪縛」から読者を解放する本なのですが、「その本に書かれた内容が、自分の内部を“流れていく”ことに価値を見出す読書法」「ため込もうとしない読書」としての「フロー・リーディング」を提唱しています。「膨大な情報が押し寄せてくる時代」だからこそ、本に書かれていることを頭の中に「蓄積」する「ストック」型の読書法に換えて、「フロー・リーディング」が重要だと印南さんは言うのです。
 でも流されてばかりでは本の内容が記憶できないのではないか、と考えも浮かびます。印南さんは、それはまったく逆だと言っています。むしろ「ため込もうとしない読書」であるからこそ、「読書密度」が高くなり、その本についての「全体観」を持たなければならなくなるからです。
 「読書密度」を高め「全体観」を持つために、重要な一文をA4用紙に手書きで「引用」をしながら読み、本1冊分の「ハイライト集」をつくることも提案しています(84ページ、ちなみにこの原稿も印南さんの本の「ハイライト集」をつくってから書いています!)。
 そして次のような名言も書かれています。
・引用をすることによって、その本のどこに心動かされたのか、どんな文章が気になったのかが可視化される
・「じっくり読む」よりも、文を書き写したほうがその部分をしっかりと味わうことができますし、忘れづらくもなる(82ページ)
・「視点」を定めることによって、「重要なところ/そうでないところ」を区別する基準ができる(104ページ)
・本を気軽に開き、気軽に読みはじめられないのは、「その本を読むことによってなにを得たいか」がはっきり決まっていないから(130ページ)
 まだまだありますが、このあたりにしましょう。いずれもこれまでの自分との「関連づけ」が読書にとってどれほど大切かということを伝えてくれます。そして、これらはいずれも「わかる」ための具体的な方法であり、取り組みでもあります。

2016年5月13日金曜日

子どもたちとの「絆」こそが、教える/学ぶ前提条件!


 「好きな先生からは学べるけど、そうでない先生からは学べない!」

子どもたちと絆を持つとは(12ページ)、
     家族のように尊敬の念をもって接する ~ 使う言葉は決定的に大事です!
     親切に接する
     各人のことを大切に思っていることを示す
     子どもたちが言うことを聴く
     子どもたちの安全を第一に考え行動する
     子どもたちの努力や達成したことを祝う
     子どもたちの興味関心を把握し、それをカリキュラム(教える内容や方法)に組み入れる ~ これが学ぶ内容に意味を感じ、かつ取り組みがいも感じられる条件になります。
     最適の学びの環境を提供する ~ PLC便りで繰り返し紹介している「学びの原則」をご覧ください。
     最初の日から成功する(達成感が味わえる)ようにする ~ 別なところには、「子どもが輝いた瞬間を見つける」「成功が成功を呼ぶ」と書いてあります。
     学び手として子どもたちを信じる
     一人ひとりを人間として尊重する
~ これ以上の本質的なことはありませんね!! 昨今の学力向上の動きの中では、これらに努力したい先生たちも、軽視したり無視したりせざるを得ない状況に置かれている気がします。大丈夫ですか?

 別な言葉で言うと、「私たちが子どものことを知っていて、大切にしていて、そしてつながりをもっていることを示せるまでは、私たちは子どもたちを教えることはできない」ということになります。(12ページ) 読み手(さらには書き手、学び手、考え手・・・)として一人ひとりの子どもを知ることがすべてのベースです。小学校低学年では、家族の協力を得ることは不可欠になりますね!
 そして、教室の中に絆/コミュニティを形成する際に、ストーリー(教師の、子どもたちの、読み聞かせの本)を活用することの大切さが強調されています(17~20ページ)。

 以上が、前回に引き続きのReading Essentials(読む指導の本質)の第2章に書いてあることのダイジェストです。その最後に書いてある「もし私たちが子どもたちに学ぶことに興奮してほしければ、子どもたちが必要なのは、学ぶことを楽しんでいる教師、読むことや他の興味関心に情熱をもっている教師、そして教室を刺激があり、ワクワクする場と位置づけている教師です」(22ページ)は、1~21ページに書かれてあったことの前提というか条件の気がします。そして第3章には、そのことがさらに詳しく書いてあります。

 つまり、教師の人生の読む側面を子どもたちと共有することです。
     なぜ読むのか
     読む習慣の紹介 ~ いま何を読んでいて、次に読むもののリストを紹介
     読むことへのこだわり(情熱)を紹介する
     自分の書庫の大切さ → 自分がもっている本の大切さ
     自分の好きな作家と本 → 子どもたちの好きな本や作家の共有
     自分が参加しているブッククラブの紹介
     選書の仕方の紹介 → 子どもたちに選書の仕方の実践
     多様なジャンルを読むことの大切さ
     自分の読んだ記録をつけることの大切さ ~ 34ページの読書ノートは、1回目に読んだ時はつけるに至らず、2回目に読んだ2004年の8月5日以降、なんと12年間つけ続けています!!
     自分の読み方を子どもたちにモデルとして示す

要するには、教師の読むことへのこだわり(情熱)を子どもたちに伝えていくということです。 ← これだけのストーリーを紹介されたら、好きになれない方がおかしいです。逆に言えば、教師が嫌いとか興味をもっていないということも伝播してしまうことを意味します。(「子は親の鏡」ですが、まちがいなく「生徒たちは教師の鏡」でもあります!)

そういう環境でこそ、子どもたちは読むこと(そして同じように書くこと、算数、社会、理科等を主体的に学ぶこと・・・)を選択し、目的をもって読むようになります。テストでのいい点数はその結果として自然についてきます。