2022年10月1日土曜日

言葉のもつエネルギーに圧倒される 〜宗左近の長篇詩『炎える母』〜

◆ 時々、投稿をお願いしている吉沢先生に、今回の投稿をお願いしました。

 

 長編詩というジャンルをご存知でしょうか。雄大な構想のもとに書かれた長い詩、または、いくつもの詩を集めて構成した長編の詩集です。長編ですから、国語の教科書に載ることもなく、優れた作品であっても多くの人の目にはふれることがありません。
 今回は、そのような長編詩の一つを紹介します。宗左近による長篇詩『炎える母』です。★1
 私がこの本を手にしたのは、高校1年生の時です。圧倒されました。たたみかけてくる言葉のエネルギーにふれ、感動しました。難しい言葉や、わかりにくい比喩などもでてきますが、そこで足踏みせず、とにかく駆け抜けるように読みました。語りかけてくることばのイメージとテンポに身を委ね、読み進む。そんな体験でした。

▷ 内容と構成
この作品は、1945年5月の東京大空襲の時、母とともに逃げる途中ではぐれ、母を死なせてしまった経験をもとに書かれたものです。
次のような6章で構成されています。

献辞
序詞―墓
Ⅰ その夜
Ⅱ さかしまにのぞく望遠鏡のなかの童話
Ⅲ 来歴  
Ⅳ 明るい淡さ無機質の
Ⅴ 祈り
Ⅵ サヨウナラよサヨウナラ
終詞―墓  

 第1章で、作者と母の行動を記述し、第2章で、作者の出生、幼年時、少年時の記憶を辿り、第3章で、母の出自と来歴にふれます。第4章以降、母を失ったことへの感慨、痛恨の思い、省察、覚悟などを、さまざまなイメージとともに語っています。
 300ページを越える大作です。その全体を網羅した紹介はできませんが、「第1章 その夜」が、空襲に遭遇した時の状況をつぶさに語っており、ハイライト部分と言えますので、そこを中心に紹介します。

▷ 献辞
 冒頭に置かれた「献辞」は、この作品に取り組んだ作者の思いを伝えています。

母よ
あなたにこの一巻を
これは
あなたが炎となって
二十二年の
炎えやすい紙でつくった
あなたの墓です
そして
わたしの墓です
生きながら
葬るための
墓です
炎えやまない
あなたとわたしを
もろともに
母よ

▷ 冒頭
 当時、作者は26歳。東京に住んでおり、妻子は福島に疎開していました。母はその前夜福島から上京し、荷物を背負って、午後10時半、上野駅発の夜行列車で福島に戻る予定でした。

たえずわたしたちはわたしたち自身の荷物を
背負って歩いて行かざるをえなかった
(「その夜1 月の光」)

 作品はこのように始まります。「私たちは自分の荷物を背負って歩いた」と書けば済むところを、2行を費してこのように書いています。1行が長いのです。これが、この長編詩に見られる特徴のひとつです。

▷ 逃げ惑う二人
 作者は、当時間借りしていたお寺の離れをでて、最寄りの駅に向かいます。駅に足を踏み入れた時、空襲警報のサイレンがなります。大編隊の敵機が近づきつつあることを知った二人は、お寺の離れに戻ることにします。戻った途端、

あっと息をのみおえたときにはすでにわたしたちは
油脂焼夷弾の炎える花園に閉じこめられてしまっている
(「その夜4 炎の小鳥」)

という状況に置かれます。作者は火叩きで消そうと奮闘します。

いつのまにか母の正面にむいていたわたしは母の頭の
黒い防空頭巾にもうひとつの花が炎える花びらを散らしているのを見た
はじめて驚きと怒りがわたしのなかで爆けた爆けたと同時に
オカアサンはりあげたに違いないわたしの声をわたしは聞けなかった
(「その夜5 金箔の仏壇」)

▷ 母とはぐれる
 作者と母は、崖を降りて逃げ道をさがしますが、崖下の谷底にも火の手が迫って来ます。再び、木の梯子でお寺の墓地に戻りますが、そこも炎上しています。とにかく炎の波を蹴って走るしかありません。そのような状況が描写された後、作品は、この章の最終節「その夜14 走っている」にたどり着きます。

走っている
火の海のなかに炎の一本道が
突堤のようにのめりでて
走っている
その一本道の炎のうえを
赤い釘みたいなわたしが
走っている
走っている
一本道の炎が
走っているから走っている
走りやまないから走っている
わたしが
走りっているから走りやまないでいる

 ところが、ふと見ると、母がいないことに作者は気づきます。

いないものは
いない
走っていないものは
走っていない
走っているものは
走って

走って
走って
いるものが
走っていない
走って
いたものが
走っていない
いない
いるものが

いない

母よ

いない
母がいない
走っている走っていた走っている
母がいない

 作者を襲った驚き、焦り、怒り。それが、ことばの繰り返しと改行、行間に込められています。そして、母の描写が入ります。

母よ
あなたは
炎の一本道の上
つっぷして倒れている
夏蜜柑のような顔を
もちあげてくる
枯れた夏蜜柑の枝のような右手を
かざしてくる
その右手をわたしへむかって
押しだしてくる
突きだしてくる

わたしよ
わたしは赤い鉄板の上で跳ねている
一本の赤い釘となって跳ねている
跳ねながらすでに
走っている
(「その夜14 走っている」)

▷ 母への思い
 この母の最期についての痛恨の思いは、このあと、さまざまな形で表現されていますが、そのエッセンスともいうべき言葉が、第5章「祈り」に見られます。

愛するとはどういうことなのか
そう尋ねることが直ちにわたしには
殺すのはどういうことなのか
殺しておきながら生きているとはどういうことなのか
そう尋ねることとまったく同じことなのだから
燃えさかる炎のただなかにたしかにわたしは
母をおきざりにして逃げてきました
引き返し抱きおこすこともできたはずなのに
一目散に走りに走ってふりむきませんでした
見殺しにしたのではないそれ以上です
(「Ⅴ祈り」―「愛しているというあなたに」)


 この作品は、東京大空襲の悲惨さを訴えるとか、戦争の醜さを告発するといった視点では書かれていません。自分にとってかけがえのない一人の人間を失うということ、その一人を死なせてしまうということ、そしてそれに向き合いつつも、それによって癒されることのない作者の心を伝えていると、私は感じます。少しでも多くの人に、作品の一端にふれて欲しいと思います。★2


★1 初版は彌生書房より1968年に刊行されました。すでに絶版ですが、2006年に日本図書センターにより再版されています。

★2 『現代詩文庫70 宗左近詩集』(思潮社, 1977年)に、『炎える母』より、第1章のほぼ全編を含む計27編の詩が収められています。ただし、この本も新刊書としては入手できなくなっています。
北九州市立文学館が、第1章の全編をホームページ上に掲載しています。
宗左近「炎える母」(抄)- 北九州市立文学館
https://www.kitakyushucity-bungakukan.jp/wp-content/uploads/2020/05/9f36d82c6487717527c6d0e2831e485b.pdf

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