2016年11月4日金曜日

本物の書き手たちから学ぶ、説得力




「教師が書き手になる、そのためにできることは?」というタイトルで、2016年7月23日のRWWW便り(http://wwletter.blogspot.jp/2016/07/blog-post_23.html)では、中学校で書くことを教える教師の本から、教師が書き手であることや、そのことを授業にどう活かすのかについて、紹介しました。

 

 その時のRWWW便りの最後に、私が個人的に行いたいことの一つとして、「外部の書き手たちの集まり(私の場合は英語を教えていることもあり、英語の書き手たちの集まり)に 出席すること」を挙げました。

 

 そういう目的を書いたことも後押しになって、この10月下旬、初めて「書き手のための会合」★に、恐る恐る?出席しました。


 
 書き手として活躍している人たちの話は、現実に書くことに基づいていて、説得力がありました。


 逆に聞こえるかもしれませんが、教育関係の学会「ではない」ので、文脈が教室「ではない」のが、よかったような気がします。
 
「明日の授業にすぐにつかえるアクティビィティ」はないのですが、ミニ・レッスンのアイディアも含めて、得たものは大きかったです。WWに関わらなければ、こういう会合にはまったく関心がないまま、一生を終えていたかも、です。
自分が書き手として、いかに狭い世界にいて、いかに経験不足かということをしっかり認識できましたし、書き手としてもっと成長したい!とも、思いました。


 
 私は、5つのセッションに出ましたが、一番面白かったのが、原稿料を払ってくれて、採用されるのに競争率の高い詩の雑誌に、詩を書いている人が、詩の書き方を語ってくれたセッションでした。現実を踏まえての話なので、納得ですし、いいミニ・レッスンをセットで聞いたような印象で、なんだかとても得した?気分です。

 

これを聞きながら、自分の子ども時代に、こんなミニ・レッスンを受けていれば、自分の現在の読み書きはまったく違ったものになっただろうと思いますし、何よりも「こんなふうに教えることができるようになりたい!」と思いました。
 
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 自分を書き手として成長させてくれそうな機会を意識してさがすこと、つくること、その大切さを「実感」でき、こういう機会を続けてさがしたいと思いました。


 見つけるのが難しければ、ちょうどRWに関わる先生が「大人のブッククラブ」を作って楽しむように、自分たちで「大人のライティング・クラブ」(あるいは大人のライティング・ワークショップ)をつくるのも「あり」では?とも思いました。

 

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 ★ 私が今回参加したのは、Japan Writers Conference で、毎年、開催されている、こじんまりとした集まりのようです。同時並行で開催されているセッションも3つ程度です。使用言語は英語で、上で紹介したように、詩人がどうやって出版できる詩を書くのかについても学べましたし、日本の作家の本や日本に関わる本の翻訳をコーディネイトしている人が多くの本を紹介してくれるセッションもありました。教科書を多く出版している人からは、教科書の提案書の書き方やマーケットと編集者の視点も学びました。

2016年10月28日金曜日

選書能力をつけるには?


ある意味では、10月7日号(および9月2日号)の続きです。

もう一人別な読者からの質問をもらいました。

読書家の時間の一番大切なところは選書だと思います。そして、自分の読みたい本を選んで読み浸るところが要です。選べる力をつけてほしいのですが、どうしたらその力がつくのでしょう。子どもたちが気付いてさまざまなジャンル、ちょっと難しい本へ自然とシフトしていければよいのですが、そうならないとき、どうしたらよいのでしょうか?

まず、「読む力」がタイトルについた本は、かなりの数出版されていますが、選書力に言及している本に出あったことはありますか?
10月7日号で見たように、司書も含めて、教師の多くは良書を読ませれば、読む力は自然につくと思い込んでいるようです。
確かに、自分で良書を選べるような子は、すでに「優れた読み手が使っている理解のための方法」も身につけているので、上の質問に書かれているようなことは、教師や司書の助けもなくやれている可能性が大です。
しかし、そこまで行っていない(多くの?)子たちにとっては、まさに上記の質問の中身が大きな課題であり続けます。中でも、選書が。自分にピッタリあった本が見つからないということは、読み浸る環境に入れないことを意味し、さらには、「優れた読み手が使っている理解のための方法」を駆使して読み漁ることもできませんから。

具体的な方法としては、『「読む力」はこうしてつける』★の中に、「自分にあった本を選ぶ」という項目立てで、8つのレッスンというかエクササイズが紹介されています。

その中から、「子どもたちが気付いてさまざまなジャンル、ちょっと難しい本へ自然とシフトしていければよいのですが・・・」の部分に応えるために、レッスン4の一部を紹介します。これは、「みんなで楽しく本選び」という方法で、Yellow Brick Roadsという本の103~106ページで紹介されていた事例です。




以上は、『「読む力」はこうしてつける』の179~180ページのコピーでした。
この最初の部分「教師が子ども達に読んでほしいと思う様々な本をクラスの人数分集めます」のところを、自然ではなく、かなり意図的にはなりますが、さまざまなジャンルや、ちょっと難しい本も交えて選んで集めればいいのです。そうすることで、自分だけでは広げられない読みの領域を、教師やクラスメイトの助けや刺激を借りながら、徐々に押し広げていけるようになります。

他にも、優れた読み手(校長先生? 保護者の親?)を教室に招き、通常、どんなものを読んでいるのか、そしてそれらをどのように選んでいるのかを紹介してもらう(これは、『リーディング・ワークショップ』の22~23ページで紹介されている方法)や、友だち同士で本を紹介し合う方法(『読書家の時間』の133~138ページ)、などがあります。人間、知っている人や友だちが興奮して読んでいるものは、トライしてみたくなるものです。

 いずれの場合も、いいモデルが鍵で、その結果として「自然とシフト」する場合が見られるようになることでしょう。リーディング・ワークショップは、大人や友だちの中にたくさんのいいモデルがあるのを分かっているので、それらを有効に活用しているわけです。(教科書に依存し過ぎる伝統的な国語の授業とは極に位置づけられるかもしれません。)


2016年10月22日土曜日

想像力を駆使する練習


 ケリー・ギャラガー(Kelly Gallagher)という著者の『Readicide』(Stenhouse, 2009、未邦訳)という本を読みました。Readicideという耳慣れないタイトルは、genocide(虐殺)やsuicide(自殺)やhomicide(殺人)と同じ-cideという言葉をreadにくっつけたもので、強いて訳せば「読殺」とでもなるでしょうか。物騒なタイトルに思われますが、副題には「学校がどのように読むことを殺しつつあるか、そしてあなたはそれについて何ができるのか(How Schools Are Killing Reading and What You Can Do About It)」とあります。過度に教えすぎることや、大切なことを教えずにすべてを子どもに任せてしまうような教え方が、「読殺」を招いているのが現在の米国における理解指導の現実であり、それを克服するために、本や文章をじっくりと読んで考え、理解するような学習が必要だというのが『Readicide(読殺)』という本の趣旨です。
 もちろん、米国の現状についての警鐘を鳴らす本ですから、日本の現状に直接言及しているわけではありません。むしろ、この本のなかでは、米国では「読殺」が着実に進行しているけれども、日本や中国・韓国・シンガポール等のアジアの国々はそうではないと書かれています。ですが、「学校がどのように読むことを殺しつつあるか、そしてあなたはそれについて何ができるのか」という副題の問いは米国だけのこととは思えないのです。
 一つだけ、この本に何度も引かれている言葉について書きます。それは言語哲学者ケネス・バークの本のなかに出てくる「想像力を駆使する練習(imaginative rehearsals)」という言葉です。
 彼女がバークの言葉を引きながら言っていることを、かなり意訳して言えば、次のようになります。

ケネス・バークは、若者が本を読まなければならないのは、本が現実世界への「想像力を駆使する練習」を提供するからだ、と言っている。バークが主張しているのは、本を読む子どもたちはただ単に物語を読んでいるのではなくて、読むことによって自分の生きる込み入った世界を理解する機会が彼らには与えられつつある、ということだ。

 子どもが本をじっくり読んで、考えて、発見するための「想像力を駆使する練習」にならないような授業とカリキュラムは、どのようなものであっても「readicide(読殺)」を招くというわけです。じっくり読んで、考える時間があるからこそ、読むこと、理解することの学びは子どもの人生とつながるというわけです。
『Readicide(読殺)』は警鐘を鳴らしているだけではなく、読書体験を回復し、読み手を育てるためのたくさんの対策を示してもいます。それはジャミカの言葉への回答として書かれた『理解するってどういうこと?』の著者が探究したのと同根の問題意識をもったものに思われます。世界中の小さなジャミカを「読殺」しないようにするため私たちは何をすればよいのか、という問いを私たちが共有していかなくてはならないという問題意識です。
 タイトルにひかれて読み始めた、平川克美さんの『なにかのためではない、特別なこと―失われた「大人の哲学」を求めて―』(平凡社、2016年)には、「弱さ」を中心に据える社会の持つ強さについて、自らの経験にもとづいた魅力的な言葉がたくさんありましたが、その一つに次のようなものがあります。

学ぶとは何かを分かるために行うのではなく、分からないことを巡る旅のようなものであり、一巡りすると自分の目の前の風景が以前とは異なって見えるようになる。おそらくは、学ぶとはそういう経験のことなのだろう。(79ページ)

 平川さんのたどり着いた「学ぶとは何か」に対する回答も、おそらく「想像力を駆使する練習」を繰り返した成果です。平川さんの本は読書についてだけのものではありませんが、「想像力を駆使する練習」もまた「なにかのためでない、特別なこと」の一つなのだと思います。「読殺」を回避するためのすばらしい知恵がここにも示されています。

2016年10月14日金曜日

子どもの本をたくさん読む、3つの理由

 知人のブログで、司書さん二人に教室に来てもらって、本の紹介のデモンストレーションをしてもらったという、「息ぴったり、司書さんコンビのブックトーク」という書き込み★を読みました。

 子どもたちが実際に本の紹介をする前に、いろいろなモデルを見せる価値を感じながらも、私が印象に残ったのは、お手本のようなブックトークをした司書さんについての、次の一文でした。

  「実は一週間前にリクエストしたその日に、本を何冊も持ち帰られて検討してくださった」

  この時の本の紹介には、「類の異なる2冊以上の本をつなげて紹介する」という条件がついていたのでハードルが上がったとは思いますが、本のプロの司書さんでも、いい紹介をしようと思えば、それだけの努力がいるのだ、と改めて思いました。

 これを読んで、思い出したのが、アメリカでの中学校レベルの優れた実践者が、「詩集を1冊読んでも、子どもたちに紹介したい詩が1つしか見つからないこともある」というような内容のことを書いていたことです。
 司書さんでも、RWやWWの優れた実践者でも、教えている子どもたちが興味を持てそうな本や詩を紹介したり、見つけたりすることは、決して簡単なことではない! のです。

 今日のRWWW便りは、「子どもの本をたくさん読む3つの理由」ですが、まず一つ目は、「(1) 司書さんでも、優れた教師でも、いい本を紹介したり、興味の持てそうなものを見つけたりするのは、タイヘン!!」だからです。

 しかも、「詩集1冊から、一つの詩」みたいに、あまり効率よくできることではなさそうです。となると、「焦って集中して行っても、効果があがることではない」ので、普段から読むしかなさそうです。

(2)二つ目の理由は、「たくさん知っていることで、選書のカンファランスがより効果的にできる!」です。

  もちろん、子どもたち同士も、教室内でお互いに本のお薦めをしたりして、お互いに選書を助けていますから、選書を助けることは、司書や教師だけの仕事ではありません。

 SFに強い子ども、ある分野のノンフィクションに強い子どもなど、教室の中に、あるジャンル・作家の専門家?が出てこれば、その子どもたちに活躍してもらうこともできます。

 そういう子どもたちに活躍してもらうためにも、教師だって、「この作家ならまかせて」、「このジャンル・トピックならまかせて」を複数持っておきたい、と、なおさら思います。

(3)三つめは言うまでもなく、楽しい!です。読むこと自体もそうですし、本を通して子どもや本の好きな他の大人たちとつながる楽しさです。

 余談ですが、数日前に、市の図書館に 上橋菜穂子さんの『鹿の王』(上・下)を返却し、岡田淳さんの本を借りて帰宅しました。どちらの作家も、RWで知り合った先生に教えてもらいました。今日、教室に新たに持っていったのは、マイケル・モーパーゴの『世界で一番の贈りもの』の英語版(私は英語を教えているので)。この作家もRWやWWで知り合った人に教えてもらいました。RWに関わると、自分の読書生活は、確実に豊かになります。
★ 冒頭で紹介した「息ぴったり、司書さんコンビのブックトーク」のURLは以下です。 いいお手本を見せることの価値をしっかりと感じます。よく考えて計画された本の紹介なので、詳しくは以下のURLでぜひ!
  http://askoma.info/2016/09/17/3870 


2016年10月7日金曜日

教師/司書/親の役割は、良書を提供すること?

読者から、以下のようなメール(+質問)をもらいました。

◆
今年も、読者家の時間というほどではないですが読むことを大切にしてすごしています。
一学期は、本を借りる時間をこまめにとり、全員で流れ星にお願いを読み、ペアでの読書もやり、もちろん読み聞かせも。

幸運なことに今年は読書教育に熱心な図書主任の先生と司書さんがいます。ステキ!なんですが先日こんな話がでました。

『モモ』とか『果てしない物語』とか読ませたい本がある。各学年でリストにしよう。これは納得。さらにそれを強制するのはどうかということになりました。(例えば2年で10冊クリアしようみたいな)ここは、まさにうーん(-_-;)です。個々の読書記録程度としてならなあ。

確かに読んでほしいものってあるんですけどね。でも、私にはアドバイスはできるけど強制はできない。

読んでほしいと思っているものを手に取れる、または手に取ってもらえる工夫は必要だと思います。少なくとも読む時間をとる。これすら大してしていないのに、読むようにはならないですよねぇ。
環境がものをいうと思うんですけど。

世の中で読書家の時間を実践している先生がたも、読ませたい本ってあると思うんです。でも高学年でいわゆる高学年向けの本を読めない子っているじゃないですか?そういう子たちは自分に合ったものを選んで読んでいるのではないんですか?という質問です。

◆◆

以下が、質問への回答です。

読書教育に熱心な図書主任の先生と司書さん が、学校に二人もいるのはラッキーですね。
でも、そういう人たちに限って、「読ませたい本」にこだわる部分も大きいので、困りもんでもあります。
読ませたい本(教科書も、まったく同じアプローチを取っています!)と、子どもたちが読める本や読みたい本の間には、大きなギャップがあります。
本来は、そこまで認識した上での図書主任の先生と司書さんでないと困るのですが、日本の国語関係者や図書関係者は「良書主義」にあまりにも毒されすぎています。

環境がものをいうと思うんですけど。
まったく、その通りです! それは、教室の中に充実した図書コーナーであり、そして読書家の時間の確保というか、実践だと思います。(一言でいえば、こういうことで、『リーディング・ワークショップ』の中には他にもたくさんの環境づくりの方法が紹介されています。何よりの環境は、良書を押し付けるようなことはしない本が大好きな教師の存在かもしれません。)

世の中で読書家の時間を実践している先生がたも、読ませたい本ってあると思うんです。でも高学年でいわゆる高学年向けの本を読めない子っているじゃないですか?そういう子たちは自分に合ったものを選んで読んでいるのではないんですか?という質問です。
まさに、その通りです。
で書いたテーマそのものです。

私は自分に合った本を選べるようにしてあげることこそ、一番大切なことだと思っています。
他は、付録みたいなものです。
(良書を紹介するのは、優先順位が100ある中で、95か96です!)
読書教育に熱心な図書主任の先生と司書さんも、世の中でいいと言われている本(要するに、良書)を子どもたちに読ませる努力をするのではなくて、一人ひとりの子どもに選書能力こそをつけてあげる方向に転換してほしいです。

どうでしょうか?
を同僚二人に見せてあげては。

ここ1週間ぐらいかけて、『リーディング・ワークショップ』を読み直していました。
何回読んでも、とてもいい本です。
読むことが好きになり、同時に読む力をつけ、生涯にわたって読み続ける読み手を育てる環境がここで描かれていると思います。

これを、二人に紹介してあげるのも、もう一つのアイディアかも。


2016年9月30日金曜日

ブッククラブのいろいろな活用法(外国語も含めて、他教科への応用の可能性)


先日のことです。「それなら、ブッククラブで読めば?」という発言に、一瞬、「え??」という感じで、会話が止まりました。


これは英作文の教科書で、「比較と対照」とか「時間順に並べる」等の、段落構成方法の説明が複数出てくるので、その説明を授業でカバーしていると時間がなくなる、と一人の人が話したことへの助言でした。「それなら、ブッククラブで読めば?」と言った人の説明は以下の通りでした。



 「今、自分の授業では、テキストを使って、スピーチとプレゼンを教えているが、その説明は学校では行わない。自宅で読んできてもらって、学校では、読んできたものについて、ブッククラブをして、それから、そこで学んだことを使ってスピーチとプレゼンの練習やカンファランスをしている。ブッククラブで出てきたことを聞いていると、こちらが要点としてまとめようと思っていることが、すべて出てきている。そうであれば、教師が一方的に、教えるポイントをまとめたり、決めたりして、教えなくていいのでは?」



 面白いと思いました。というのは、「ミニ・レッスン」のバリエーションとして、ブッククラブを使っていると思ったからです。ミニ・レッスンのトピックを決めて、ミニ・レッスンで教える代わりに、ミニ・レッスンの題材を学習者に渡してしまっているようにも感じました。低学年には難しいかもしれませんが、学習者の年代や教える内容(やそのためのテキスト)によっては、応用可能な方法のように思います。



 その人と話していると、ブッククラブを、日常的に、かなりいろいろな方法で使っていることが分かりました。



 そこで、他教科にもいろいろ応用可能だと思ったので、「『RWWW便り』で紹介したいので、例を出してください」、とお願いしたところ、上以外に、現在進行形で使っているブッククラブとして、以下を教えてくれました。



1 (自分の)大人の学びの場としてのブッククラブ


オフ会とも連携して、同じ仕事の人とブッククラブを楽しみ、スキルアップ。同時に専門的な知識も楽しく深める。



2 リーディング・ワークショップ(英語の授業)でのブッククラブ


 「実に楽しげ、笑いあり、涙ありの充実した時間で、学生たちは皆この時間が好き」だそうです。



3 共通のテキストを使う英語の授業でのブッククラブ



 これには二つのパターンがあるそうです



1)一つは上で紹介した、スピーチやプレゼンの例です。つまり、ある特定の伸ばしたいスキルがあり、そのパフォーマンスを高めるために、参考とするために読み、ブッククラブをします。



2)もう一つは、RWでよく行われているブッククラブと少し主眼の置き方が異なる、「外国語学習」に特化したブッククラブです。



このブッククラブの場合、「読んできて学んだ言語を使うことが、随所に織り込まれて」いるようです。このブッククラブは、学んでいる外国語で再話することから始まりますし、読みやすいような準備シートも作っているそうです。



 またブッククラブの要約と報告を授業内で行い、そこから出てきたポイントをクラス全体で行う、この一連の作業を学んでいる外国語で行えるようにサポートしています。



(⇒ ガイド読みならぬ、ガイド・ブッククラブ、みたい、と私は思いました。)



 ある意味、「教科書のブッククラブ的使用」と言えるかもしれませんが、大きく違うところは、与えられた教科書を使ってブッククラブをしているのではありません。

 話を聞いていると、上のようなガイドいっぱいのブッククラブに適したテキストで、かつ内容(コンテンツ)がブッククラブのネタになるものを、かなり注意深く選択しています。



 いろいろな活用を教えてくれたこの人は、日常的に自分で複数のブッククラブを行っていて、その魅力を体感しているからこそ、「ブッククラブ活用」を、いろいろな場面で応用・模索しているように思いました。



 そういえば、先日、英語の先生の集まりで、ピーター・レイノルズの『っぽい』の英語版のブッククラブで大いに盛り上がったのですが、ブッククラブで他の人と学ぶ楽しさを一度体験すると、教室で再現したくなるのかもしれません。

 

★ブッククラブの楽しさを知らない方は、ぜひ、一度、ブッククラブ体験を! 『読書がさらに楽しくなるブッククラブ~読書会より面白く、人とつながる学びの深さ』吉田新一郎著、新評論、2013年を見ると、具体的にイメージしやすいです。

2016年9月23日金曜日

「何も書くことがない!」への対応の仕方


9月から作家の時間(WW)に取り組み始めた先生から、「ほとんどの子たちは順調に書いていますが、数人の子たちが何も書くことがない状態で困っています。何かいい対応の仕方があったら教えてください」というメールをもらったので考えました。

1)子どもたちが好きなこと、得意なこと、学校以外のところでよくすることなどなど、子どもたちについて知ることがまずは考えられます。ある程度以上の学年であれば、子どもたちを対象にアンケートを取れますが、低学年なら保護者に協力してもらうといいかもしれません。

2)カンファランスでは、その子について聞きまくります。好きな本は? 作家は? テレビは? 遊びは? 興味関心は? 趣味は? 自分にとって大切な人は? 場所は? これまでに書いたものの中で、自分がいいと思っているものは? などなど ~ これら自体、上記のアンケートのテーマになり得ます。要するには、アンケートないしインタビューで、子どもについて尋ねてあげるのです。★

ここまで書いて、このブログでは過去に何回も、このテーマを扱ってきたのを思い出しました!

3)たとえば、サッカーがとても好きだということが分かったら、それについて根掘り葉掘りインタビューします。そして、「それってとても面白いよ。ぜひ書いてみて」と誘ってあげます。『ライティング・ワークショップ』の「はじめに」のジェレミのように。

4)なかなか書く題材が見つからない子が何人かいる一方で、多くの子たちが書けているなら、その子たちに作家の椅子で発表してもらいます。「ああいうのを書けばいいんだ」「あれなら、自分も書ける」「ああいうの自分も書きたいな」というモデルが多様に提示されることが刺激になります。(それは、教師の誘いよりも、インパクトがあるぐらいです。立場が近い子どもがすでにやってしまっていることなので。)

5)教師と子どものカンファランスではなくて、子どもたちに話させる(会話をさせる)ことも、インパクトがあります。主には、問いかけに対して答える形で自分の書きたいものが生まれることが少なくありません。従って、書く時間は静かにするのではなくて、特に書けない子たちにとっては、自分のアイディアを(興味やこだわりや趣味等について)聞いてもらい、それに対して質問をしてもらうことで、自分は何を知っているのか、何が書けるのかを発見できるのでとても価値があります。要するに、ピア・カンファランスです。

6)書き手はどこから/どうやって題材(書くアイディア)を集めているのか、というミニ・レッスンをやることも大切です。それも、本物の作家たちのモデルを紹介しながら。(『作家の時間』の第5章「題材探し」を参照してください。詳しく紹介してあります。)

7)時間制限をして(約5分)、各自で(あるいは小グループで)、書ける/書きたい題材のブレーンストーミングをし、その後で相互に紹介し合い、最後に出されたものの中から自分が書きたい題材を自分の作家ノートに書き足します。

8)教室のWWの時間だけ書く努力をするのではなくて、作家ノートを持ち歩き、書けるテーマを書き出すように提案してみます。自分は書き手であるというアイデンティティをもってもらうこと★★は、とても大切です。提案するだけでは弱いので、教師が自分でモデルを示すことが先決かもしれません。

9)そのアイデンティティをもってもらうために何よりもインパクトがあるのは、自分が作家の椅子に座って発表し、友だちの反応(ファンレター)をもらうことです。そういう機会を早く(可能なら度々)もってもらえるように、最大限のサポートをします。

他のアイディアを実践している方、他のアイディアが浮かんだ方、ぜひ教えてください。


★ 日本の作文教育を含めた国語教育は、子どものことを知らなくても教えられてしまうことが、一つの特徴なのではないでしょうか? それに対して、WWもRW(読書家の時間)も子どもたちのことを知ることがスタートラインです。この違いは、大きな違いを生み出します。

★★ 書き手を育てるうえで、書き手としてのアイデンティティを確立することは欠かせませんが、この考え方も日本の作文教育には存在しません。いい作品を書くことには努力していますが。