2026年3月27日金曜日

「5分後に〇〇な結末」で見える、「何にも縛られない書き方」と「構成的な書き方」



(写真は神奈川県山北町の大野山です。富士山がとても綺麗に見えるのでおすすめです)

 今年担当した6年生はもう卒業していきました。今日は雨。学校の桜が少しずつピンクに色づき始め、桜は見頃を迎えていますが、今日の雨で花は濡れていることでしょう。まだまだ咲いたばかりで、活力があります。きっとこの雨ではまだまだ散らないことでしょう。桜の花びらと卒業していった子どもたちが重なります。中学校でいいことも楽しいことも存分に吸い上げて、美しい花を咲かせてほしいと思っています。

5分後に〇〇な結末


 12月に作家の時間のユニットを開発しました。前期は「推し」をテーマに作家の時間のユニットを作りましたが、12月のテーマは「短編」です。手のひらに収まるような物語を紡ぎ、お互いに楽しめるような学習を作家の時間という枠組みを使って考えてみました。

「推しの魅力を伝えよう」についてはこちらから

「5分後に意外な結末」シリーズという本をご存じでしょうか? 小学校高学年から中学生に人気があり、学校の図書館には必ず入っている本だと思われます。コンセプトはタイトル通り、5分程度で読めるショート・ショートであることと、「意外な結末」という言葉がある通り、そのショート・ショートは読者の想定外の結末をねらう物語であるということです。もちろん、意外な結末の中身は決まっていませんので、感動したり、笑ったり、時には教訓めいたメッセージを受け取ることができる内容になっています。朝読書の人気ランキングで1位になったこともあるように、読書が好きな子どもだけでなく、読書が苦手な子にもすぐに読み終えられるということで、たくさんの子どもたちに読まれました。

「5分後に意外な結末」シリーズ

 このフォーマットを作家の時間に活用することはできないか? 結末まで展開の見通しを持って書き進める構成力、長過ぎて冗長にならない5分後と言う制限、さらに、自己満足ではなく読者の心情をイメージする相手意識、私がこれまで行ってきた作家の時間で子どもたちになかなか身につけられなかった力を、このフォーマットの助けを借りて育てられるのではないかと考えました。

ねらいは「構成」


 私の実践してきた作家の時間の作品を見ていて、一つの課題をもっていました。子どもたちは自分の創作の着地する場所を考えていないということです。つまり、簡単に言うと「終われない」ということになります。全ての子どもではないですが、物語の全体像をイメージしないまま、最初はすごい熱量で描き始めるものの、熱量が維持できずに尻つぼみになり、結末らしい展開に行きつかずに、安易に「つづく」としてしまうのです。

 「5分後に意外な結末」シリーズのフォーマットがあれば、物語の全体像をある程度イメージしながら、そして、読者にどのようなどのようなメッセージを受け取ってほしいのか、どのような読後感を提供したいのか意図を持ちながら、書くという活動を行うことができます。今回の学習のねらいは、まさに「構成」がポイントでした。

 ツールは、タブレットでアプリ「ロイロノート・スクール」を使って書いています。タブレット付属のキーボードを叩き、カードでページを構成していきます。手書きのイラストや画像なども入れることが可能です。提出もアプリ上の提出BOXで集約できますし、共有ノートを使っているので、自分の作品を他の友達に読んでもらうこともすぐにできます。共有ノート上でお互いの作品を読み合うので、紙に印刷をする必要はありませんでした。作家の時間の悩みの一つに、本の形にするのに時間がかかるという点がありますが、新しい形として試してみました。

 完成した短編の提出先として、6つの「島」を用意しました。
 まず、読者の感情に焦点を当てた「笑い」「驚き」「感動」です。短編を最後まで読み終えた時、この3つのどれかの感情が生まれることを、作家である子どもたちがねらって書きます。もちろん、感情はグラデーションなので、この3つのどれかに近い感情でも構いません。子どもたちが書きたがる「恐怖」という感情は、クラスの中で読み合える作品にならない可能性が高いので、除外しました。
 そして、「成長」「人とのつながり」「大切なもの」という島も作りました。こちらは、読者が読み終えた時に、筆者からこのテーマについてのメッセージを受け取れるような作品が集まった島です。こちらの島は、読者の感情に焦点を当てた最初の3つのテーマよりも、書き手側のメッセージに軸足をずらしたテーマになっていて、自分主体で作品作りを行える特色がありますが、着地点を定めて書くと言う意味では、どちらも見通しをもって書く必要があります。
 テーマが重複している場合もありましたが、どこに置くかを子どもが選ぶことで、相手意識や構成を意識した作品作りができる環境を作っていきました。

 さて、この計画で6学年全員である約100名が取り組みます。この計画がどのような実践になったかを振り返りたいと思います。



成果

成果① たくさん書く 短い文章でハードルは下がる


 作家の時間の特徴上、子どもたちはたくさん書きました。特に書き慣れている子どもたちは、すぐに書きたい構成を思いつき、自分らしい表現を追究するような姿が見られます。作家の時間のよさが発揮されたように思います。そして、「5分後」という制約があるので、作品は長編になることはありません。自分で読んでみて5分以内で読めるという緩やかな制限でしたが、1分でもいいという緩さがハードルを低くしたように思います。
 中には、「〇〇文庫」のように、10作品程度の自分の作品をひとまとめにして一つのカードにまとめる子どもも複数人いました。いろいろな構成や文体で描かれた作品群は、その子の本気を伝えるとともに、いろいろな自分の表現を試しているのだなあと感じました。まるで、役者が芝居の稽古をするように、イラストレーターが何度も何度も書き直すように、いろいろな自分の表現を形にしていました。すばらしい作品群でした。

成果② 作った文章は、子どもたちにも読みやすいものになる


 このような力のある子ども、書くことが趣味で創作の経験のある子どもは、ときとして非常に長い小説を書いてしまうことがあります。それは素晴らしいことなのですが、読み手である友達や教師が、長すぎて反応できなかったり、読み終えられなかったりすることがあります。また、終着点を見失い、さまよい続ける子どもが、終わらせることも続けることもできずに力尽きることもよくありました。今回は制限があったので、そのような子どもは少なく、納得がいかなくて頓挫しても、また書き直しをしやすいというメリットがありました。
 お互いに読むこともしやすい環境になりました。児童指導上、タブレット上でいつでも自由にファンレターを送り合うということはしませんでしたが、私の指導のもとファンレターを送り合う時間を設け、書きためておいたファンレターを送ることもできました。

成果③ 文章の長さではなく、構成や文体にこだわりをもつ


 ある程度長さに制限を加えたことが影響したのか、構成や文体にこだわって書く子どもが多かったように思います。最後に驚きの展開にするためには伏線を作っておかなければなりません。また、感動をつたえるためには、試練や逆境を越える展開が必要です。構成を意識した小説作りは、この点においてはしっかり成果を出したように思います。また、詩的な表現で書いたり、絵本のようにメルヘンチックに書いたり、文体にこだわりを感じた作品が多くありました。これは、単元の環境設定というよりも、6年生らしさという可能性もあると思います。

 6年生ですので、自分の作品が自分らしさであることを意識して取り組んでいます。計算問題や教師が目的を設定した単元では、自分らしさはないですが、作品となると、そこに自分の断片が否応なく表出されます。その点については、メリットでもありデメリットでもあるでしょう。子どもたちは自分が納得のいく作品作りに夢中になれる子がいる一方で、どのように自分を表現したら良いかわからずに、迷い続ける子どももいます。「子ども理解」や「子ども研究」を大切にしたいと思っている私としては、作品から子どもの好きなことや考えていることが分かるということは、とても大切です。作家の時間の醍醐味はそこにあると考えています。

「子ども理解」や「子ども研究」に関連するリンク





課題 ゴールを定めないで書くことの楽しさもある


 あとに続く実践者のために、この実践の課題も表しておきます。
 私は物語全体の構成を考える支援として、4コマ漫画型のワークシートを用意し、そこに起承転結のように文字やイラストなどで流れを整理できるような支援を行いました。しかし、律儀な子どもの中には、その4コマワークシートを埋めることができず、なかなか書くことに進むことができない子どもが一定数いました。
 反対にゴールを定めないで書き初めて、思いつくままに、自分の意識と無意識の中から立ち現れる文章をキータイピングや鉛筆の走るままに書き綴っていく書き方もあります。私の場合、この文章にしてもそうですが、最初に大雑把な構成は考えるものの、書いているうちに思考が深まったり、より書きたいことが立ち現れたりして、結果的に最初の構成とは大きく異なる文章ができあがります。構成を明確に決める書き方とは違い、自分の「声」のまま言葉を表出して文章を形作っていく、書くことへの向かい方の一つです。ここでは、「何にも縛られない書き方」と名前をつけたいと思います。
 子どもたち、特に学齢が幼い子どもたちの作家の時間の取り組み方を観察してみると、結末を考えて書くよりも、書きながら頭の中で主人公が動き始めて、それを文字にしながらどんどん展開もすすんでいき、そして、自分の好きなように結末を迎えるような書き方をしている子どもをよく見ます。一方で、全体を俯瞰しながら、目的に向かって書き進めるという書き方は、メタ認知や相手意識など中学年以降に獲得していく思考方法で、おそらく学齢が上がってからできるようになっていく書き方なのかもしれません。
 そのような思考方法に慣れていない子どもたちは、4コマワークシートの段階で止まってしまいます。その状態が、作家の時間で大切にしている「書くことを楽しむ」というスタンスに干渉してしまっているように感じました。のびのびと白い画用紙に絵を描くように、綺麗な砂場で遊ぶように、作家の時間に取り組んでほしい。そう思って、そのような子には、4コマワークシートを手放して、「まずは自由に書いてみよう!」と声をかけました。今回の構成というねらいに向かう支援を手放してしまったと言えば、そうなってしまうのですが、最も大切にしたい「書くことが楽しい」ということを保証するためには、この方法がもっとも適切だったように思います。

何も縛られることなく書くことのできる学習環境が学校にはあるか?


 日常の学校の学習では、教師やクラス全体が設定した目的に合わせてジャンルや文種、フォーマットや表現などがある程度既定されています。様々な目的や条件に合わせて、いろいろな言葉の使い方ができるということは、学校教育で必ず経験させておきたい技能であると私も思います。けれども、今回思ったことの一つに、本当に自分のために文章を書くという経験を持っている子が、本当に少ないなあという感覚です。そういう私も、小学校の頃の苦手教科は国語だったので、自分が書きたい文章を書くという活動を経験した記憶はありません。書くことが楽しかったという思い出も、もちろんありません。今の子どもたちも、おそらくは同じ状況でしょう。
 そんな中で、構成力は大切ではありますが、そこに焦点を当てて単元を作るという学習は、全体の中の一部であっていいと思います。そして、必ず自由に書くことの楽しさを味わえるような学習をしっかり用意してあげるべきです。つまり、年間のカリキュラムの中で、構成的なライティングと同じ程度に、ゴールを定めない書き方をねらった学習を位置付けて、書くことの楽しさを存分に享受するべきなのではないかと思います。
 今回の6年生全体の作家の時間の中で、ユニットを組めたのは前期と後期に1回ずつ、2回だけでした。前期は「推しの魅力を伝えよう」、後期はこの「5分後に〇〇の結末」です。構成力に焦点を当てた今回のユニットのねらいが、適切であったかどうかはもう一度考え直して良いと思います。

学校の中で書くことへの安全地帯を作ることの難しさ


 今回「5分後に〇〇の結末」の単元を実践することによって、「何にも縛られない書き方」の価値について再考することになりました。学校の中で、本当に自由に書くことを味わえる時間というのは、それほど多くありません。たとえば、日記を書いたり、学習の振り返りを書いたり、それはその建て付けは「何にも縛られない書き方」に近い状況ではあると思いますが、どうしてもそれは教師に読まれることを前提に書かなければならない状況であったり、教師に評価されるかもしれないことを想定して書く必要があったりと、「何にも縛られない書き方」をしてみようという学習の枠組みではありません。
 「先生に『読んで』と提出されたもの以外は読まないよ。」とか「振り返りの内容は成績には入らないよ」とか、子どもたちが本当に書くことが自分の成長に資する活動であることを実感するためには、子どもたちの安全地帯をもっともっと学校の中で広げてあげる必要があります。何を書いてもいいと言うと人権的に問題があったり、卑猥な内容を書く子どもも確実にいるので、そのような安全地帯を広げる学習活動を設定することは簡単なことではないでしょう。それでも、「何にも縛られない書き方」の価値を信じて取り組むことには、新しい自分との出会い、深く自分を知ること、言葉の獲得、内省を深めることなど、大きなメリットも多くあると思います。この活動で成績は絶対につけることはできませんが、子どもたちの心がもっと豊かになる可能性を秘めているように思います。




自分のために表現する時間


 誰のためでもなく、自分のために表現するという活動は、小学校入学前には当然のように行われてきたはずです。昨今の教育事情を鑑みるとそうとも言えない状況になっているかもしれませんが、未就学の子どもがのびのびと自由に書く様子は、私もたびたび目にして、その度に心を動かされてきました。子どもたちを社会的要請に基づいて、自分ではない相手や社会のために、表現することを軽視すべきではないと思います。その視点で子どもを育てることが学校の役目であることも否定はしません。しかしそれ一辺倒では、自分を見失ってしまう子どももいるのではないでしょうか? 心を病んでしまう子どもたちの増加は止まるところを知りません。自分を大切にするための学習は、学校の中でもう少しあっても良いように思います。
 本当に自分のために書く、表現するという活動は、数字にはならない大きな価値があります。そこにしっかり時間をかけられるくらい、余裕のある学校であったらいいなと思います。

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