俳人・小津夜景さんの40編の文章からなる『ロゴスと巻貝』(アノニマ・スタジオ、2023年)を読みました。「読書というもの」という文章から始まります。もちろん、著者の小津さんがその折々に読んだ本がきっかけになって書かれているのですが、関連づけが幅広い。書評集なのかと思って読み始めたのですが、読者である私の、本と自分とこの世界とのつながりを考えていくことになりました。
冒頭の「読書というもの」には「いまわたしが抱いているのは、これまで自分の心を照らしてくれたさまざまな本への感謝と、自分もまた誰かの胸に灯りをともせたらというだいそれた願いだ」という言葉のあとに、ヘルマン・ヘッセの「書物」という詩が引かれています。ヘッセの詩の第一連は「この世のどんな書物も/きみに幸せをもたらしてはくれない。/だが それはきみにひそかに/きみ自身に立ち返ることを教えてくれる」(岡田朝雄訳)と始まります。本を読むことが「ひそかに」「自身に立ち返る」手がかりになる。これは小津さんのこの本が読者の私に伝えてくれたことでもあります。
読書が重要なのは、本や文章の言葉を読むことによって新たな知識や情報を獲得するということよりも、むしろ読む過程で頭のなかに刻みつけた言葉から自己内の対話が導かれ、読者が他ならぬ自分自身に「立ち返る」ことになるからなのです。ヘッセの詩の引用は、そういった小津さん自身の書物観・読書観を示していると考え、共感を覚えました。実際、そのように「自身に立ち返る」きっかけになった本や文章こそ、記憶に残るものとなり、自己の一部になってきました。つまり、本や文章を「理解」しながら、同時に自分自身について何事かを「理解」したということにもなります。
以前にも引用したことのあるものですが、『理解するってどういうこと?』の第9章にはエリンさんの次のような言葉があります。
「私は知識を得るために読みます。あるいは、さまざまな登場人物を通して、自分の感情を経験するために読みます。いずれの場合であっても、読むことや学ぶことが、ずっと残り続ける何かに導いてくれるということを知っています。それは自分自身について発見することだったり、読んでいなければ消えてしまったであろう細部が記憶にとどまる、ということです。感情と記憶は切り離せないのです。」(『理解するってどういうこと?』339ページ)
小津さんの『ロゴスと巻貝』に収められた文章の一つひとつも「読むこと」が「ずっと残り続ける何かに導いてくれる」ということを教えてくれます。その中程にある「戦争と平和がもたらすもの」には、1990年8月に始まった「湾岸戦争」に際して「戦争の目で言葉/文学は無力か」という議論に対して、高校生だった小津さんの考えたことが書かれています。
「わたしも湾岸戦争の映像を見ながら考えてみたけれど、納得のいく回答が浮かばない。そんなとき、人間の言葉と思想の力は戦争のなかに生まれ平和のなかに死んでゆく、というラスキンの言葉を読み、その直感的洞察に自分が立ち返るべき地平を見たような気がして、もしかすると「言葉/文学は無力か」をこのタイミングで自省してみせる態度の裏には、世界を遠巻きにながめる特権階級的な傲慢さがひそんでいるのかもしれない、と我に返った。
言葉や文学が無力であるわけがない。だってそれは種を蒔いたり、苗を植えたりすることと同じ種類の、生命をはぐくむ営みなのだから。むしろ戦争が起こっているいまこそ、蒔かないといけないし、植えないといけないし、育てないといけない。たとえ嘲笑され、批判されたとしても。蒔いても刈られ、実を結び見込みがないからといって、種を蒔かない者がいるだろうか。平和ばかりでない。いかなる概念も勝手に空から降ってきて実を結ぶようなことは起こらない。それを成立させるためには、人間の意思でもって種を蒔いて育てるよりほかはないのだ。そんなふうに高校生のわたしは思った。そしていまでもまったく同じように思っている。」(『ロゴスと巻貝』114~115ページ)
「ラスキン」は19世紀英国の社会思想家ジョン・ラスキンのこと。私はこのくだりを読みながら、ああこれは人がなぜ書くのか、なぜ読むのかということを考え、掘り下げてくださった文章であると感銘を覚えました。読むことも書くこともが私たち「生命をはぐくむ営み」なのです。日々の営みのなかでそれを絶やさずに続けていくことの他に、ラスキンの言う「人間の言葉と思想の力」を生む道はないのです。
最後にもう一つ私の心に響いた小津さんの言葉を引きます。
「忘れないようにしよう。意味にこだわる大人の読書もいいけれど、意味なんて気にせず、ただその影ばかりが心に流れていく感覚の読書も最高だってことを。むしろやすやすと意味に安住することのなかったあのころこそ、言葉をあるがままに受け止めていたってことを。」(『ロゴスと巻貝』48ページ)
小津さんの言葉はエリンさんの言う「ずっと残り続ける何か」がどのように生み出されるのかということを私に教えてくれました。
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