先週の記事の執筆者の冨田先生は、『作家の時間』と『読書家の時間』を15年ぐらい実践し、それらを社会科に応用した『社会科ワークショップ』も10年弱実践しています。なので、国語の授業を「作家の時間」や「読書家の時間」で行う際の「問い」はもはや必要なく、それらを「学校ワークショップ」として実践すべく「問い」を考えたわけです。
しかし、教科書をカバーする従来の国語の授業に疑問を感じている方(や「作家の時間」にチャレンジし始めたばかりの方)は、そういう問いがあった方が考えやすい/実践に進みやすいと思って、考えてみました。参考にしたのは、「作家の時間」を先生たちの学びのコミュニティーづくりに応用した「学校ワークショップ」をする際に冨田先生が考え出した問いのリストです。★ 問いの後には、簡単な解説や情報が得られる本やサイトを紹介しています。
・生徒一人ひとりが、主体者意識を伴った目標を設定することができるか? ~ これを可能にするヒントが、『イン・ザ・ミドル』(特に、第8章? 本全部?)や『あなたの授業が子どもと世界を変える』が得られます。
・教師による講義(話)を1コマの国語の授業で10分ぐらいに押さえられているか? ~ この10分ぐらいというのは、脳の機能に由来しています(人権問題に由来しているという人もいます!)。一番長い時間を生徒たちが実際に書く時間(「読書家の時間」の場合は、実際に読む時間)に割けていますか? 最後の5~10分は「学んだことの共有」や「振り返り」として確保できていますか? ※しかし、いま日本中で行われている振り返りシートを使った「振り返り」は弊害が大きすぎますので、要注意です!!
・国語の授業の「成果物(出版)」は出せているか? ~ 生徒たちが学んだことを発表し、輝ける機会をつくれていますか?
・生徒はポートフォリオを紡ぐことができているか? ~ 自分の学びの記録(作家のサイクルhttps://wwletter.blogspot.com/2012/01/blog-post_28.html を回し続け、それぞれの段階で試行錯誤している記録だったり、ジャンルによって、自分が学んだことやチャレンジしたことの記録など)は、宝物になります。
・生徒たちが主体的かつ対話的に学び続けられる学習環境をどのようにつくり出しているか? ~ 主体的に学んでいる人、話している人が一番よく学んでいるので、それができる環境をどのように作っていますか? http://wwletter.blogspot.com/2010/05/ww.html
・生徒が作品を作ることをモデルで示すように、教師はどのようにモデルを示しているか? ~ WW/RW便り: モデルの検索結果
(wwletter.blogspot.com) でこの点についての記事がたくさん読めます。
・国語の授業におけるカンファランスは実施できているか? ~ 作家の時間は、英語ではライティング・ワークショップ、ライターズ・ワークショップまたはカンファランス・アプローチというぐらいに、教師と生徒、教師と複数の生徒、そして生徒同士のカンファランスを中心に据えた教え方です。
・ファンレター(他者からの反応)は、誰から、どのように受け取るべきか? ~ これをもらうことが、子どもたちには最高のやる気(さらに努力して取り組み続ける意欲)になります。その意味では、最後にもらうよりも、学びの過程でもらえた方が、はるかに価値は高いです。
・生徒の成果・成長を祝うために何ができているか? ~ そもそも、成果物や成長を感じられるものをつくり出しているか? 日本ではこれまで、成果物(生徒の作品やパフォーマンス)をつくる授業や、それらに対する評価をほとんどしてきませんでした。教育界の傾向や本書は、テストに向けての授業や、テスト以外には評価方法は考えられないという「偽の教え方」や「偽の評価」から、「本物の教え方」や「本物の評価」に転換する要として、成果物が位置づけられています。『学びの中心はやっぱり生徒だ!』や、https://docs.google.com/spreadsheets/d/1KXuWtBc4kl6jRr2KGwnqPAH1vSryYkM7qNXd0ArKpYU/edit#gid=1042705275のリストの本のなかでは、本物の成果物やその発表の対象なしの学びは、「生徒中心の学び」とは言えない、という主張が貫かれています。(以上、『みんな羽ばたいて』の5ページより)
・授業を持続可能な形で運営することができるか? ~ ここは、https://projectbetterschool.blogspot.com/2023/01/blog-post_15.html が参考になります。
・一人ひとりの生徒が「学ぶ責任」に耐え、支え合えるか? ~ 生徒たちが責任を担えるような教師の教え方が肝心で、『「学びの責任」は誰にあるのか』や『一斉授業をハックする』が参考になります。
・生徒の多様性が、教師の指向に合う教育論に偏ってしまうことはないか? ~ この点については、『イン・ザ・ミドル』の第1章で著者が『教える論理』から『学ぶ論理』に移行した経緯が詳しく紹介されています。
・「世の中」 のトップダウン・マインドに対して、教室/授業(作家の時間の教え方)を防衛することができるか? ~ テストをして、その成績を出すことや、そのために教える授業がいまだに横行しています。そんな悪習に流されずに、自分を貫くことは容易ではありません。管理職、保護者、同僚たちのその悪習を踏襲する圧力に対して、生徒が書くこと(や読むこと)を好きになり、書く(読む)力をつける教え方を貫くのは大変なことです。『成績をハックする』などを参照してください。
上の問いのなかには、教材のこと、教材研究のこと、指導案のこと、教科書をカバーすることなどは一切含まれていません。それらはすべて、最後の項目の「悪習」に含まれるものであり、「教える論理」に基づいたものです。ぜひ、「学ぶ論理」に転換した教え方・学び方をお願いします。
★http://wwletter.blogspot.com/2023/11/blog-post_24.html の最後のほうで掲載されている問いは、とてもいいリストです。日本の教育書や論文を読んでいると、正解志向があまりにも強すぎて、いい問いを見かけることはほとんどありません。問いこそが、思考を促し、正解(らしきもの)は思考を停止させてしまうにも関わらず。
0 件のコメント:
コメントを投稿