「小1の娘の読むこと/国語嫌いがスタート」というメールを、埼玉の小1のお母さんからもらいました。
日本の多くのテニス・スクールや部活で日本人コーチによって行われているのと同じことが、日々、学校の授業で行われています。
このような授業や朝読書は、全体の何割を占めていると思いますか?
それにしても、悲劇です。
ちなみに、このメールをくれた方、お嬢さんのクラスの読み聞かせボランティアを始めています。
2015年6月23日:
それから、別件ですが、娘の問題なんですが、娘は日々、国語が嫌いになっています。とても悲しいです。授業がつまらないと言っています。
また「朝読書」の時間を嫌がっています。「気分じゃなくても、本を無理やり読ませられるのが嫌だ」と言っています。この時間はただ各自に本を読ませるだけとのことで先生からのアクションは何もないそうです…
娘が国語嫌いにならないように私に何ができるのか、日々自問自答です。
また「朝読書」の時間を嫌がっています。「気分じゃなくても、本を無理やり読ませられるのが嫌だ」と言っています。この時間はただ各自に本を読ませるだけとのことで先生からのアクションは何もないそうです…
娘が国語嫌いにならないように私に何ができるのか、日々自問自答です。
2015年6月24日:
状況補足しますと、国語の時間は、娘の話によるものですが、例えば、ある説明文を毎回音読し、簡単な質問をし、最終的に説明文に書かれたものを絵として描写する、という流れのようです。娘は音読も「ゆっくりすぎていらいらするし、内容ももう飽きたし、うんざり」と言っています。
担任の先生をかばうわけではないですが、授業参観で見たところ、絵やカラーの文字カードを使ったり工夫もなさっていて、簡単なグループワークも導入したり、先生なりに一生懸命なさっていました。ですから、とても偉そうなんですけど…もったいないと思いました。
娘が小学生になり、吉田先生がおっしゃっていた「国語教育への危機感」のようなものを身近に感じるようになりました。
まるで、私の50数年前の体験を聞いているようでした!!
これは、小1に限定したことではありません。すべての学年で起こりえることです。★★というか、すでに現実に起こっていることです。
一度、嫌いになったら再び好きになるには、相当の努力が必要になります。私は大学院を卒業して3~4年経ってからのことです。押し付けられる「読み」から解放されたことと、好きな本をたくさん読めたことで好きになれました。(これって、まさにRWです。読書のサイクルを自分で回し始めたのです。)
子どもたちがどういうふうに思っているのか、ぜひ直接聞いてみてください。
上記のメールの中の先生のように、本人は良かれと思ってがんばっていても、嫌いになる子を作り出していては悲劇です。聞いたら(直接に子どもたちや親たちに)、修正できる可能性が開けますが、聞かなかったら同じことをやり続けることが約束されているだけです。
ぜひ、学期末のチャンスを活かして振り返りをしてください。★★★年度末では、遅すぎますから。
★ もちろん、カンファランスが教師の教え方のレパートリーに含まれていれば、授業中の日々の子どもたちとのやり取りから、上記のような問題は察知でき、修正することができるので、学期末の振り返りは必要ありません。その意味で、カンファランスという教え方は「指導と評価の一体化」を実現しています。評価(振り返り)まで待つ必要がないのですから。ほんらい大切なはずの子どもの声に耳を傾けることが、通常の国語の授業では行われていないということだと思います。力点が違うところにあるので。主役が違う人になっているので。
★★ しかも、国語のみで起こりえるだけでなく、すべての教科でも、です。
★★★ 以下の用紙の必要な箇所をアンケートやインタビュー形式ですることが考えられます。https://docs.google.com/viewer?a=v&pid=sites&srcid=ZGVmYXVsdGRvbWFpbnx3cml0aW5nd29ya3Nob3BqcHxneDo4ZTc0Nzc3MWIxZDViM2M
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