あなたは、生徒たちに読む力をつけていますか?
「読む力」って、いったい、どういう力でしょうか?★
教科書教材を順番に扱っていけば、読む力は自然に着くのでしょうか?★★
どうも、「そうではない」ということで生まれたのがリーディング・ワークショップ=読書家の時間でした。
読む力をつける(「自立した読み手」になる)際に、何よりも大切なのは、「自分にピッタリの本や読み物を選べる能力」のようです。これがないと、学校を卒業してからも、読み続けることは、ほぼありませんから。もちろん、自分が気にいる本や読み物ばかりを読んでいて、読む力がつくのかという疑問が湧くことでしょう。そこで、自分のピッタリの本や読み物に出会うために、いろいろなテーマや作家やジャンルの本を試したり、それらに関する情報を集めたり、人に聞いたりする方法を身につけることも極めて大事です。自分一人だけでは、なかなか輪が広がりませんから。内容理解も深まりませんし。★★★
ちなみに、これを選書能力と言いますが、国語教育で選書能力は扱っていません。おそらく、生涯にわたって読み続ける際に最も大切な能力かもしれません。
選書能力のコアの部分は生徒一人ひとりの興味関心やこだわり=アイデンティティー(自分自身の特性や個性、あるいは自分の存在を確認する特徴的な性質)ということになろうかと思います。それが、自分と手に取る本や読む物とのピッタリ度に一番影響を与える要因でしょうから。
そういうこととは一切関係なく、どこかの誰かが「いい」と判断したものが厳選(?)されて並んでいるのが教科書です。そして、自分の興味関心やこだわり=アイデンティティーとは関係なく読まされるのが国語の授業です。そんな状態で、身につく学びや、読む力が鍛えられることは期待できるでしょうか?
そこで、リーディング・ワークショップ/読書家の時間で、まず最初にすることは、生徒一人ひとりの興味関心やこだわり=アイデンティティーを、教師が知ることです。これには、アンケートを使う場合が多いです。
ひょっとしたら、リーディング・ワークショップを始めた人★★★★で、かつ一番長く取り組んでいたと思われる人のアンケート用紙が、『イン・ザ・ミドル』という本の123ページに掲載されていますので、ぜひご覧ください。(無料で見られるものとしては、作家の時間/読書家の時間のホームページ(何の予告もなく、Googleが閉鎖してしまいました!)に掲載されていたhttps://docs.google.com/document/d/1blBfsUIYT1RZBlLMsSOgasDuj5Ztp1PY/edit と
https://choiceliteracy.com/wp-content/uploads/2022/07/identity-survey_barnett-mills.pdf (翻訳ソフトで訳してください)があります。参考にしてください。
リーディング・ワークショップ/読書家の時間を実践している人たちは、これらの情報を、読む授業をする際のもっとも大切な情報と位置づけています。国語の教科書ではありません! これらのアンケート(ないし場合によってはインタビュー)で得られる情報こそが、自分がする授業と生徒たちとの接点だと考えています。
ちなみに、ライティング・ワークショップ/作家の時間でも、同じようなアンケートが鍵を握ります。そして、同じようなアンケートが他の教科でも。ぜひ、教科書中心の授業から、生徒中心の授業へ早く移行してください(教科書は、後者を助ける教材の一つであって、それを中心にしたままでは、いつまでたっても多くの生徒にはよく学べないまま、残らないまま、身につかないまま、教師は授業をした錯覚におちいったままが続いてしまいます)!
★そもそも、「読む力」とは何かを考えたことありましたか?
ぜひ、これは探究していただきたいです。
これを押さえたうえでないと、私のように12年間学校で国語を学んでも、読む力が全くつかないということが起こってしまいます。単に、国語の時間、教室のなかでおとなしく座っていた(実は、半分ぐらいは廊下に立たされていた!)記憶しか残っていないような残念なことが。12人の先生たちは、いろいろな教材を熱心に教えてくれていたのだと思いますが・・・私にとって、意味のあると思えたものはありませんでしたから、記憶に全く残っていませんし、読む力に役立っていたとも思えません。(ということは、あれだけたくさん過ごした国語の時間は、いったい何だったのでしょうか? 教師が給料を得るための奉仕活動? 教室/学校以外のところで悪さをしないための保育活動?)
★★全員の生徒が、同じ教材(たとえば、「ちいちゃんのかげおくり」や「スイミー」など)を扱えば、読む力はつくのでしょうか? いったい、どんな力をつけたいから、それらの教材を扱っているのでしょうか?
「ちいちゃんのかげおりく」を扱わなければいけない際に、他の戦争と平和をテーマにした本(たとえば、『せんそうしない』『へいわとせんそう』『なぜ戦争はよくないか』『せかいでいちばんつよい国』『かわいそうなぞう』『ヒロシマ消えたかぞく』『へいわってどんなこと?』『ぼくがラーメンたべてるとき』など)の中から、(子ども一人ひとりが読み比べをして)自分の読みたい本を選んでじっくりと読んでもらい、気づいたことや感じたことを相互に紹介し合ったり(紹介の方法は多様な方が望ましい!)、同じ本を選んだ子たちとブッククラブをした方が、選書能力を踏まえた「読む力」を鍛える練習にならないでしょうか?
同じことは、「スイミー」を扱う際にも言えます。レオ・レオニの他のたくさんの絵本のなかから選べるようにして、上記と同じことをした方が、選書能力を含めた「読む力」の練習になると思われませんか?
★★★私たちは、そこに書いてあることを読むのではなく、その時点で自分が読みたいことや読めることしか読めません! 残りは、すべて通過してしまいます。従って、時と場所を違えたり、刺激を与えてくれる誰かと読んだりすると、読めるものも違ってきます。一人の人間ですら、そうですから、一斉授業で一つの教材を扱うというのは(しかも、それなりの解釈というか理解に向かって集約されるような国語の授業は)、いったいどういう意味があるのでしょうか?
★★★★ナンシー・アトウェルさんは、ライティング・ワークショップも一番最初から実践していた人です。ライティング・ワークショップが効果的なので、それを読むことに応用してリーディング・ワークショップもスタートさせました。かれこれ、40年前のことです。その40年弱の彼女の実践が詰まった本がIn the Middleの第3版を訳した『イン・ザ・ミドル』です。
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