この『RW/WW便り』に書き始めてちょうど10年になりますが、「共感」について幾度も話題にしてきました。理解することができたという実感を覚える時に「共感」はとても大事なことだと考えるからです。『理解するってどういうこと?』の347ページにある「表9.1 理解することで得られる成果」にも(おもにフィクションの理解について)「共感」だけで「共感全般」「登場人物への共感」「舞台設定への共感」「登場人物の葛藤への共感」「作者への共感」という五種類の「成果」が挙げられています。
しかし、共感することがなぜ大事なことなのでしょうか。
山極壽一さんの『共感革命―社交する人類の進化と未来―』(河出新書、2023年)には、人類が約七万年前に言葉を獲得したときに起こった「認知革命」以前に、「共感」による革命を経験して仲間とつながることを可能にしたことが、人類史上最大の革命だったのではないか、ということが論じられています。
まず、山極さんは「共感力」の起源と言葉との関係を次のように説明しています。
「言葉を獲得する以前の、意味を持たない音楽的な声と、音楽的な踊れる身体への変化によって、共鳴する身体ができる。この身体の共鳴こそが人間の共感力の始まりで、そこから音楽的な声は子守歌となり、やがて言葉へと変化する。人間はそうやって共感力を高めながら、社会の規模を拡大していったのではないか。」(『共感革命』11ページ)
そして人間は「言葉」を手に入れ「認知革命」を起こすのですが、「言葉」の何がよかったのでしょうか。
「恐らく自分が経験していないことを他人の言葉によって伝えられるネットワークができたことが大きかったのだろう。会話によって、自分では見ていないものをあたかも見たかのように実感できる。そうやって人と人、やがて集団同士がつながれるようになった。
また言葉によって計画性も生まれた。言葉がないと計画は立てられない。例えば、数日のうちにこの山の上で落ち合おう、というような約束は、言葉を持っていない時代にはできなかった。」(『共感革命』78ページ)
お互いがつながるネットワークができたこと、「自分では見ていないものをあたかも見たかのように実感できる」ようになったこと、そして「計画性」が生まれたこと、が挙げられています。「自分で見ていないものをあたかも見たかのように実感できる」ようになったこととは、すなわち「虚構」をつくることが可能になったことでもあります。それは素晴らしいことではありますが、危うさも生み出します。山極さんは次のように言います。
「戦争の起源にあるのは言葉の持つ類推、比喩、アナロジーだ。言葉は世界を、集団の外と内を切り分けた。集団の仲間を思いやるがゆえに集団の外に敵をつくっていく、狩猟採集による移動生活の時代は、お互い違う場所へ移動していけば取り合いにはならなかった。ところが農耕牧畜によって定住が必要となり土地にしがみつくようになる。自分たちの共同体が努力して得た利益を守ろうとし、外の人たちを敵視するようになる。敵視は言葉によって顕在化する。オオカミのように陰険なやつだと、人間ではないものになぞらえる。このアナロジーによって簡単に相手を敵視できるようになり、本来なら敵ではないはずの人間を敵とみなすようになった。」(『共感革命』136-137ページ)
人間は「言葉」によって「本来なら敵でないはずの人間を敵とみなす」というわけです。考えてみれば、昔話にあらわれる「鬼」も「言葉」によって生み出されたものです。この、「言葉」が集団の内・外の切り分けと「敵視」を生み出す事態をどのように回避することができるのか。山極さんは「人と人、人と自然のつながりを再認識することが必要だ」と言い、「共感力」を「同調や共鳴という身体の働きから得る能力」だと再定義した上で、次のように述べています。
「主人公になったつもりで小説を読めば、物語内の出来事を追体験することになるし、ドラマを見て感激したり怒ったりすることでも共感力は培われる。共感力は何かに憑依する能力でもあるのだ。」(『共感革命』198ページ)
こうした小説やドラマの受容の過程で、山極さんの言う「共感力」を育てるために、エリンさんが次のように言う働きかけが大切になると考えます。
「たとえば、理解のための方法の一つを教えるとき、教師は自分の推測したことを考え聞かせして、その上で、その推測によって自分が(たとえば)その登場人物にどのようにして共感できるようになったか、つまり登場人物の置かれた状況と自分の状況とはかなり違っていて、いかにその人物の感じ方に共感する助けになったかを考え聞かせる、という次の段階に進むのです。こうして、私たちは徐々に、子どもたちが自分で行った推測だけでなく、そうした推測が、その理解のための方法を使わなければ理解できなかったどういうことを理解させてくれたのかを共有するように、求めることができるでしょう。それを繰り返すことで、それまでになかった成果が示されたら、子どもたちはこのモデルに付け加えることができるようになります。」(『理解するってどういうこと?』350ページ)
理解のための方法(関連づける、質問する、イメージを描く、推測する、何が大切か見極める、解釈する、修正しながら意味を捉える)の一つを使って自分がどのように登場人物や舞台設定や登場人物の抱える葛藤や作者に共感できるようになったのかということや、子どもたちが同じようにやって得たことを共有することは、理解するとはどういうことかを実感するためにも、「共感力」を育てていくためにも大切なことです。そのような場面でどのような「同調や共鳴」が引き起こされるかをお互いに見つめ、聴き入ることが、相手に共鳴し、その気持ちを推し量ることや、友だちが登場人物の感じ方に共感するときに頭のなかや心のなかで何が起こっているのかということにみんなで目を向け、共有することができるのです。共感するとはどういうことで、それがなぜ自分たちにとって大切なのかということを知ることができるのです。