2023年10月28日土曜日

教室に本物の編集者さんがやってきた 特別支援学級の作家の時間

(すべての子どもの名前は仮名です。エピソードや児童の特性などにも、ある程度の加工を加えています)

 あまり季節の変化を感じさせないTシャツばかりの子どもたちでも、上着を羽織って登校する姿が多くなってきました。私が担任する特別支援学級の子どもたちは、一部の活発なアウトドア派を除き、まったりと教室で「作家の時間」をしたり、教室のテーブルコーナーでおしゃべりをしたり、休み時間はインドア志向が強いのですが、それぞれの過ごし方で休み時間を過ごしています。

 先日、図書文化社の渡辺さんと村田さんが「作家の時間」で学ぶ子どもたちの様子を参観しにきて下さいました。お二人は、「作家の時間」と「特別支援」の両方に興味を持っていただき、ご連絡をいただきました。教育に関する発信をしていただいていますが、お話によると、なかなか現場を直接ご覧になる機会も少ないとのこと。それではということで、都内からはるばる横浜の郊外までご来校いただきました。

 今、ノンフィクションのユニットをひとまず区切り(ノンフィクションを書き終えたい子はまだ書いています)、フィクション作品の制作に取り組んでいます。ご見学いただいた日のミニ・レッスンは、「ファンタジーの入り口」の話。『めっきらもっきらどおんどん』(長谷川摂子作 ふりやなな画 福音館書店)を題材に、現実の世界から突然ファンタジーの世界に切り替わる時のポイントについて、考えました。千と千尋の神隠しの「トンネル」と同じという話も出て、よく理解できている子もいます。まだ子どもたちは、フィクションを書き始めたばかり。構想を練っている段階で、物語の概略を作るために有効な作家のテクニックだと思い、取り上げてみました。

作品作りは一進一退の大介くん

 今年度が始まって半年ほどの間、イラストしか描かなかったり、描いても恥ずかしくてすぐに捨ててしまう3年生の大介くん。失敗やうまくいかないことへの不安から、人の目を気にしすぎたり、少しうまくいかなかっただけで捨ててしまったり、なかなか継続できませんでしたが、オリジナルキャラクターの「大チュウ」を創作したことで、彼の中で少しずつ変化が生まれていました。(2023年9月22日の投稿にも登場)

 なんと、タブレットで描いた「大チュウ」を印刷して欲しいと、私に頼んできたのです。これは、前回もらったクラスメイトの保護者からのファンレターがもう効果を発揮したのでしょうか。 私は早速、カラーで3枚印刷しました。1枚は家庭用、もう1枚はお気に入りファイル用(自分の好きなものを蓄積できるポートフォリオ リンク先の生活科ワークショップのお宝ポートフォリを参照)、そして、それとなく教室の壁面掲示板に貼っておく用の3枚です。

 今日はなんと、文字とイラストの両方が書ける原稿用紙に絵と字を描いているではありませか!!もう3年様子を見ている私からすると、これは奇跡です。大介くん自身が決めたものを、誰からも指示をされずに取り組んでいるなんて。しかも、字も絵も書いています。本当に素晴らしいことです。私は、「大介くんの作品、楽しみにしているよ」と声をかけるだけで、特に何も支援をせずに、自分の作品作りをすることにしました。あまり大袈裟に褒めて、プレッシャーになってしまうことを避けたかったからです。

 しかし、授業後、これまで以上にしっかり書けている大介くんの原稿用紙の束が捨てられていることに気がつきました。ショック…。やはり、理想が高すぎるのか、人の目を気にしすぎているのか、難しい局面です。一応、ゴミ箱からこっそりその束を拾っておきました。

 子どもの成長は一進一退。また、ゆっくり慌てずに、文字で自分を表現する楽しさを味わえるように、あの手この手で促していこうと思います。

ここぞとばかりに自分の作品をPRする康太くん

 5年生の康太くん(2023年8月26日の投稿にも登場)は、動画クリエイターやイラストレーターのような仕事に就きたいと考えています。今日は雑誌のプロの編集者さんである渡辺さんと村田さんが来ると聞いて、朝から自分の作品のPRをしたいと気合いが入りっぱなしです。お二人が教室に入るや否や、テーブルコーナーに誘い込み、自分のこれまでの動画作品や作家の作品を見せ、将来のために自分を売り込んでいます。素晴らしい行動力!! これは将来、本当に大物になりそうですね。

 もちろん、この日の作家の椅子は、康太くんが名乗り出ました。康太くんは、アニメや漫画のように人物のセリフや行動のみの記述になってしまい、場面の設定への記述や情景の描写を書き込むことができずにいましたが、前回のカンファランスで「天気」「風」「温度」などで、人物の心情を表現するテクニックを教えました。「任せといて!!」という感じだったので、康太くんならやってくれると思っていましたが、本当に恐ろしいほど理解が早いです。お城に他国の兵隊が攻め込んで、王子様が亡くなり、ペットが飼い主を亡くして途方にくれる様子を、セリフを少なくして表現し、ショート・ストーリーに仕立て上げました。康太くんはこれを、2日間ほどで仕上げてしまうので、すごいです。(気分屋で多動傾向が強く、かつては教室で学ぶことができませんでした。一つのことを熟考することは苦手で、インスピレーションと瞬発力で、一瞬にして作品を形にします。余った時間は好きなことをしています。)

 編集者のお二人にもしっかりPRできて大満足の康太くん。将来本当にお仕事をすることがあるかもしれません。

時間割変更してでも作家の時間を欲しがる紀之くん

 この日の作家の時間も、「ミニ・レッスン」「ひたすら書く」「作家の椅子」と進み、授業が終わって帰りの支度を始めています。3年生の紀之くんは将来、作家になりたいそうです。独特の世界観をもち、これまで読んだことのないストーリーを作ります。今は、2時間後、4時間後、8時間後の未来から来た主人公と現在の主人公が一緒に難しい宿題を協力して行う長編作品(100ページ以上に及びます)を執筆中です。

 その紀之くんが時間割ボードのところに来て、もう一人の担任の高木先生に、文字通り口角泡を飛ばして訴えています。「明日の国語を4時間目にズラしてください!!交流があって、作家ができません!!」私と高木先生は目配せをして、国語の時間を移動させることにしました。

 紀之くんは普段はとても穏やかですが、一つにこだわると頑固な職人さんのようにとことん突き詰めるタイプです。もうこうなると、紀之くんを説得するのは困難であることは、私たち担任には分かっていました。同時に、私たちは嬉しくもありました。一人ひとりの興味関心に寄り添える特別支援学級の学習といっても、これほど子どもたちが自分で設定した目標を達成したいという意欲に溢れる姿を見られるのは、それほど多くないものです。紀之くんの自分らしく学びたいという気持ちを発露させたこの行動は、私たちにとっても嬉しいものでありました。

編集者から見たライティング・ワークショップの感想

 さて、昼休みから5時間目の作家の時間、帰りの会の様子を見ていただいた渡辺さんと村田さんには、この子どもたちの姿はどのように映ったのでしょうか? 後日感想をいただくことができました。

村田さんからいただいた感想

 今回、特別支援学級でのライティング・ワークショップの授業を1時間見学しました。この実践の教育的考察は私にはできませんが、取り組みをみた感想を述べたいと思います。私は編集者をしていますが、この仕事のなかでいちばんの苦難は原稿がこないことです。ただしこれも避けては通れない生みの苦しみ、きっと寝る間も惜しんで原稿と向き合っているのだろう、とこれまで自分を納得させてきましたが、実はそうでもなかったのかも知れません。

 ライティング・ワークショップをみてみると、子どもたちは自分からあれを書きたい、これを書きたいと手を挙げます。書いているあいだはもの凄い集中力で、見学者には見向きもしません。できあがったら発表して友だちに感想を聞き、「おもしろかった」と答えると「どこが? 具体的には?」と聞き返すのです。書くことへの強い意欲、そしてよりよい作品づくりへの貪欲さを感じました。授業のおわりには、「もっと書く時間をくれ」と先生に時間割変更の交渉までこなしてしまいます。

 自分が抱いていた作文授業のイメージとはあまりにも違っていて戸惑いっぱなしの1時間でしたが、ものを書くという知的活動を子どもたちが存分に楽しんでいる姿が印象的で、いまも目に焼き付いています。これが「生みの喜び」なのだと思い知られました。私がお願いしている原稿が待てど暮らせどこないのは、そういうことかと反省した次第です。

 最近は出版界隈にも生成AI旋風が巻き起こっていますが、これからは文章作成も校正もなんでもAIがやってくれるそうです。子どもたちが大人になる頃には、人間が文章を書く必要がない時代になっているかも知れません。だからこそ、喜びであれ苦しみであれ、知的な生産活動をこれからも全力で楽しんでいってほしいと思いました。(村田さん、ありがとうございました)

渡辺さんからいただいた感想

 いつ授業が始まるのかな? 作文の授業とうかがっていたのに,子どもたちがまずは自由にお絵かきするところから始まったことに,戸惑いを感じました。しかし,そのうちに子どもたちは,絵に合わせて,ぐんぐんとストーリーを書き始めました。

「これは,いわゆる読解や作文の学習とはまったく異なるぞ」ということが,だんだん感覚を通して私にも理解されはじめました。

「好きなことだから,楽しかったことだから,そのことを自分は書きたい」「一生懸命書いたから,それがみんなにも伝わっているかを確かめたい」「書くのが好きだから,もっと上手くなるための意見やリクエストがほしい」,こういったシンプルな願いが原動力になって子どもたちの活動が進んでいくのです。そして,読み手の「もっと続きが読みたいな」「○○さんの世界をもっと知りたいな」という反応が,さらに書き手を鼓舞していきます。

「真正の学習」とはこういうことか,と頭で考えるよりも先に納得が生じました。本の編集を仕事にしている端くれとしても,この活動には「ものを書くということの本質」がたくさん詰まっていることを感じました。

 特別支援教育の教室で実践されているということで,ひとりひとりの子どもの様子にあわせた学習上の工夫もたくさんありましたが,私がいちばん感動したのは上記の点です。「好きなことだから,楽しかったことだから,そのことを自分は書きたいのだ」という自分中心の原動力からスタートした子どもたちが,これからどのように他者の視点を意識したり,社会のニーズに応える文章の書き方を獲得していくのか,そのプロセスについて,次はまたお話をうかがってみたいと感じています。(渡辺さん、ありがとうございました)

感想を頂いて

 村田さんの「生みの喜び」は、私たち大人が忘れかけている感覚かもしれません。「プレイフル」「メイカー」「ティンカリング」など、学習者中心の学び方と根底を同じくする大切な感覚なのだと思います。これを投げ出してしまっては、学ぶことは「よくできた偽物」にすり替わってしまうかもしれません。

 渡辺さんの「社会のニーズ」についての投げかけは、私自身も自ずと思考を巡らせてしまうような問いを頂いたと思っています。特別支援学級の子どもたちにとって、「社会のニーズ」とはどのような形に見えているのか。また、私たち特別支援学級の教師にとって「社会のニーズ」に応える国語とは何なのか、そもそも、学校とは「社会のニーズ」とどのように相対して行けば良いのか。これについては、またの機会に考えていきたいと思います。

(写真は雲取山への登山道で見つけた巨大なカラカサタケ)



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