2023年10月14日土曜日

「一つの場面」に立ち止まる 〜私の絵本の読書体験から〜

◆ 時々投稿をお願いしている吉沢先生に、今回の投稿をお願いしました。

 五味太郎さんの『絵本をよんでみる』★1という本があります。自作以外の13冊の絵本を取り上げ、私はこんなふうに読んだ、ということを編集者の小野明さんと対談形式で語っている本です。その中で、ユリー・シュルヴィッツの『よあけ』の一場面にふれています。五味さんは、高校時代に山での焚き火について豊富な経験があります。そして、この絵本の「このたき火を見るだけで、ぼくにはこの本を読む価値がある」と言います。

 絵本の中の一つの場面に魅せられる。私にも同様の経験があります。読み進めていって、ページをめくった途端、ハッと息を飲んだり、「あっ」と声をあげそうになる。そこの絵に見入って思いを巡らせる。何度その絵本を読み返しても、その場面で立ち止まって考えたくなる。新たな疑問が湧いたり、自分の体験を思い出す。そんなふうに「一つの場面」で立ち止まる、そんな読み方があって良いと思います。
 
 そのような場面をほかの人と分かち合うことは楽しいものです。高校生の教室で絵本を取り上げて読んだ時は、「この絵本で、一番印象に残った場面(ページ)はどこですか?」という質問をしていました。生徒たちの選ぶ場面はいろいろです。なぜその場面を選んだかを聞いていくと、そこに自分を投影しているのがわかってきます。それを出し合うことで、お互いのつがなりが生まれ、絵本への理解も深まります。

 今回は、私が立ち止まった「一つの場面」という視点から、3冊の絵本を紹介します。

▶︎ ジェイン・ヨーレン『月夜のみみずく』★2

 冬の夜更け、女の子がお父さんと一緒に、みみずくを探しに森に出かけていく話です。
風のない静まり返った中を、雪を踏みしめながら歩いていきます。松の森に着くと、お父さんは「ほうーほう、ほ・ほ・ほ ほーーーう」と呼びかけますが、みみずくは現れません。さらに森の奥へ歩いていきます。暗い森の中にある空き地に着くと、お父さんは再び呼びかけます。「ほうーほう ほ・ほ・ほ ほーーーう」
 すると、やまびこのように、みみずくの鳴き声が聞こえてきます。再びお父さんは呼びかけます。すると、木の影からみみずくが現れます。お父さんが懐中電灯で照らす中、大きなみみずくを、女の子とお父さんが見つめています。
 そしてページをめくると、見開きいっぱいに描かれた、目を見開いたみみずくの姿。

「1分間かしら
 3分間だったかしら 
 ああもう 100分くらいに おもえたわ
   あたしたち じっと みつめあった」

 この場面に、女の子とお父さんは描かれていません。みみずくだけです。あたかも、絵本の読み手である私が、実際にみみずくと向き合っているように感じます。くりっと大きな目。茶色に毛の混じったからだ。木の枝を使っている足の爪。

 このページにたどり着くまでに、12の場面が描かれています。ページをめくりながら、みみずくはいつ現れるのだろう、なかなか出てこないなあ、などという思いにとらわれていました。じれったいような、ワクワクするような気持ちでした。そして、やっと目にするみみずくの姿なのです。

 一つの鳥の姿を、このような思いで待ち望んだことはありません。こんなふうに仔細に鳥の姿を見たこともありません。みみずくは夜行性だと言われますが、夜、目は見えるのだろうか? 暗い中でどうやって獲物を取るのだろうか。寒くないのだろうか? いろいろな疑問を思いつきます。自分は、みみずくのことを何も知らないのだなあ、と気づかされます。雪を踏みしめながら森の中を歩いた体験を思い出します。気温が下がって、表面が硬くなったところを歩くと、シャリッ、シャリッという音がします。遠くで、鳥の鳴く声が聞こえたりします。学生時代に山登りをしていた体験が、ふっと思い出されたりしました。

▶︎ モーディカイ・ガースティン『綱渡りの男』★3

 かつて、ニューヨークにあった、並んで立つ二つの超高層ビルの間を綱渡りした男の物語です。そのビルは、今はなき世界貿易センターのツイン・タワーです。フィリップ・プティというフランス人の大道芸人が、完成間際のツイン・タワーに惹かれるところから話は始まります。二つのビルの間を綱渡りしたいと考えたプティは、計画を練り、友人たちと実行に移します。工事現場の作業員に変装してビルに入り、夜になるのを待って屋上に上がります。そして、綱をつけた矢を40メートル離れたもう一方のビルの屋上に向けて放って綱を渡し、重たい綱を友人たちと力を合わせて引っ張り上げます。
 綱を張り終えたところで、夜が明けます。8メートル半もあるバランス用の棒を持って、綱の上を歩き出すフィリップ。綱の上にいる彼を、地上にいる人々が見つけて大騒ぎになり、警察官が屋上に駆けつけます。1時間ほど綱の上で大道芸を披露したフィリップは、無事、綱を渡り終えます。彼は逮捕され、裁判所に連れて行かれます。裁判官は、街の子どもたちのために公園で綱渡りをするように、と言います。フィリップは喜んでそれを実行します。
 
 そして、次のページ。見開きの左側のページには、「ふたつのタワーは、いまはもうありません。」という言葉が書かれ、右側のページには、ツイン・タワーのない街並みが描かれています。ツイン・タワーのあったところには空があるだけです。
 「えっ」と私は思いました。そうか、フィリップが綱渡りをしてから何年も経って、ツイン・タワーがテロリストの攻撃を受けて崩壊した9・11の事件があったのだ、ということに思いあたります。
 あの朝、ニュースをやっていたテレビの画面が突然切り替わり、ビルに飛行機が衝突し、そしてビルが崩れ落ちる様が映し出されました。ニュースが流れ続けました。多くの犠牲者が出ました。「テロへの報復」が叫ばれました。それに対して反対する声もありました。今から22年も前のことです。

 さらに次のページをめくると、ツイン・タワーが幻のように描かれた最後の場面になります。次の言葉が書かれています。

「でも、人々の記憶のなかには、ふたつのタワーは、空にきざみつけられたように、くっきり残っています。1974年8月7日、フィリップ・プティがタワーのあいだを歩いた、あのすばらしい朝のことも。」

 この絵本は、9・11の記憶を刻むために書かれたのだと思います。そして、犠牲になった多くの人たちを追悼し、かつて存在したツイン・タワーのことを思い返すときに、フィリップ・プティの綱渡りがあったことも知っておいて欲しいと著者は願っているのでしょう。
 私は、大道芸とツイン・タワーとの対比ということを考えます。多くの人たちが犠牲になったことは悲惨なことですが、その事件に至るまで、ツイン・タワーは輝かしい米国の社会の象徴だったのではないでしょうか。経済力を背景にした米国の威信をかけた存在であり、それが米国の誇りでもあった。だからこそ、テロリストの標的になったわけです。それに対して、フィリップの成し遂げた行為は、「芸」でした。それは、国家の威信とかとは対極にあります。世界一の貿易の拠点となるビルを作ろうという意図で作られたツイン・タワーに対して、二つのビルの間の空間を綱渡りしたら面白そうだ、という一人の大道芸人の発想。この「芸」に打ち込む人のこの発想は、とても大切なものだと考えます。

▶︎ ショーン・タン『セミ』★4

 背広を着た一匹のセミが人間と一緒で会社で働いています。データ入力の仕事をこなしています。会社のトイレに行かせてもらえず、12ブロック離れたところまで仕事を中断して行かなければなりません。そしてそのたびに給料が差し引かれます。人間が帰った後も、残業をして仕事を終わらせますが、感謝されることはありません。会社の人間はセミを嫌っていて、いじめたり、暴言を吐きかけたりします。それでも文句も言わずに17年間、勤めます。定年の日が来ても、セミは「机を拭いていけ」と言われるだけで、送別会も、握手もありません。
 やるべき仕事がなくなり、お金もなく、帰る家もないセミは階段を屋上へと登っていきます。屋上の縁に立つセミ。すると、背中が割れて、中から羽を持った赤いセミの成虫が出てきて、空に飛びます。

 そして次のページをめくると、そこには、空を飛ぶセミのが何十と描かれています。空を飛び交うセミ。そして、次のページに最後の言葉が記されています。

「セミ みんな 森にかえる。
 ときどき ニンゲンのこと かんがえる。
 わらいが とまらない。」

 この本に出会った時、セミの飛び交う絵と、最後の言葉に大きな衝撃を受けました。
「一匹のセミ」対「それをいじめる人間たち」というところから、一挙に、「世界にいるおびただしいセミ」対「この人間社会」というところへ、自分が引っ張り出されたような感じでした。

 「わらいが とまらない」とはどういうことでしょうか。私はかつて高校3年生のクラスでこの本を取り上げてブッククラブをしたことがあります。その中で、「わらいがとまらない、ってどういうことだと思いますか?」という質問を投げかけました。
 一つの意見は、いじめられていた会社から解放されて嬉しかったのだろう、というものでした。やっと、森に帰れる、自然の中に戻れるのが嬉しくて笑ったのだろう、ということです。
別の意見としては、会社から解放されて、かつて自分をいじめていた人間たちを笑っているのではないか、というものがありました。
 私は次のようにも考えます。人間のひどさを笑っていると共に、セミをいじめている人間たちも組織の中で働かされているかわいそうな存在なのだ、という意味で笑っているのではないか、という考えです。
 セミは赤い色をしています。会社に勤めている場面は、一面が灰色で描かれていたとの対照的です。赤という色に命を感じます。それに対して、灰色は生気のない世界とかじられます。
 私の自宅のそばに公園があって、夏になると、セミのジージーという鳴き声でいっぱいになります。この絵本に出会って以来、そのセミの声が「セミが人間を笑っているような声」にも聞こえてくる、そんな気になることがあります。


★1 五味太郎・小野明『絵本をよんでみる』リブロポート, 1988年発行。
★2 ジェイン・ヨーレン著、工藤直子訳、ショーエンヘール絵『月夜のみみずく』偕成社, 1989年発行。原作は Jane Yolen, illustrated by John Schoenherr, Owl Moon, Philomel, 1987.
★3 モディカイ・ガースティン著、川本三郎訳『綱渡りの男』小峰書店, 2005年発行。原作はMordicai Gerstein, The Man Who Walked Between the Towers, Square Fish, 2003.
★4 ショーン・タン著、岸本佐知子訳『セミ』河出書房新社, 2019年発行。原作は Shaun Tan, Cicada, Hoddar Children’s Books, 2008.

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