2022年2月5日土曜日

Invitational education/ Invitational learning

 生徒たちに強制する学びではなくて、生徒たちを招待する/招き入れる学びのことです。

「招待教育」というのも変なので、カタカナのままにしました。

読み・書き(国語)を含めて、ほとんどの教科というか、学校での学びは「苦役」として捉えられることが少なくありません。楽しいものと捉えているのは小学校段階(低学年?)くらいまででしょうか? 「強制する学び」と「学校で教えること・学ぶこと」はほぼイコールと捉えられがちです。

それは、洋の東西を問わないようで、そうした背景から、この「インヴィテーション教育ないしインヴィテーション・ラーニング」が誕生しています。ある意味では、原点回帰の試みと言えます。学校に通い始める前の子どもたちにとって、学ぶことは生きることそのものであり、楽しいものですから。(ウェンディ・オストロフ著の『「おさるのジョージ」を教室で実現』は、そんな一冊なのでおすすめです。原書タイトルは、Cultivating curiosity in K-12 classrooms : how to promote and sustain deep learning。)

 ライティングとリーディング・ワークショップを実践している人の中には、自分を「インヴィテーション教育ないしインヴィテーション・ラーニング」の実践者とは位置づけなくても、実はそれを見事なぐらいにやっている人が少なくありません。

 そういう一人が、小学校のあらゆる学年を教えた経験があり、現在は全米英語教師協議会の会長を務めているフランキー・スィバソン(Franki Sibberson)です。その仕事で忙しくなる前は、A Year of Reading (readingyear.blogspot.com)というブログも書いていました。

 そんな彼女、「何よりも、自分の読書人生は招待で満ちている」と言います。「友人が読むべき本を薦めてくれるし、ブッククラブに招待してくれるし、SNSを通じて多様な本の紹介が流れてきます。これらはすべて、一切義務ではありません。選択は私にあります。私がその時点で読むか否か選ぶ裁量をもっています。」

 「私は、教室も同じような環境であってほしいと思っています。なので、教師としての私の大きな役割は、若い読み手たちが読むことに関してどんな可能性があるか招待することです。その際使う方法として、ブックトーク、テーマに沿って収集した本のかご、子どもたちに読み方/考え方を示した掲示物などです。」

 「しかし、テストが大きな位置を占める教育の中で、教師はテストのために(日本でいえば、そのテストのために「教科書をつつがなくこなす」?)授業をすることを強いられ、子どもたちを招待しにくい雰囲気になっていますし、招待する時間をどんどん削られています。そんな中では、招待も強制に変化してしまいがちです。でも、リーディング・ワークショップ(あるいは、読み書きを統合したリテラシー・ワークショップ)を実践するとは、本当の意味での招待を提供し続けることを意味します。」

 「“本当の意味での招待”とは、それが実際子どもたちによって行われなくても気にしないことが何よりも大切です。あくまでも誘いであって、指示や強制ではありませんから。この事実を、繰り返し自分の言い聞かせることも大事です。」

 具体的な例も挙げてくれています。教室のみんなが好きな作家による新しい本が出版されました。その本を読み聞かせした後、その作家の他の本も一緒にして、子どもたちに「もしよかったら、他の本も読み直して、感想を聞かせてくれない/紹介文を書いてくれない」と投げかけました。しかし、その時は一人だけがそれらの本に触れただけで、その後10日間、誰も興味を示しませんでした。新しい本はもちろん、彼女の他の2冊もいい内容の本なので、再度子どもたちを招待する声をかけることはできました。しかし、子どもたちにオウナーシップと選択権を与えたかったので、自分で選んですること待つことにしました。もし、私が再度声かけをしてすすめたら、子どもたちは教師が自分たちに望んでいることをしなければいけないと思いはじめ(そして、実際そうし始め)ることでしょう。

 スィバソンは言います。「もし、私たちの目標が生涯にわたって読み続ける人を育てたいなら、何は強制し、何は招待するのかを考え直す必要があります。子どもたちは、何に対して責任を負うべきなのでしょうか? 私は自分自身に対して次のように問うことを学びました。『自分がしようと思ったことは、子ども全員がしなければならないことなのか? それとも、いまのある子にとってのみ適切なことなのか?』と。ほとんどの場合の答えは、後者になります。

 もちろん、招き入れる役割を担う中心は教師ですが、教室の中にいる他のクラスメイトや、本の形で存在する有名な(あるいは、まだそれほど有名ではない)作家たちも、生徒たちを学びに招待することはできます。そのプロセスややり方が見事な形で紹介されている本が、ピーター・ジョンストン他著の『国語の未来は「本づくり」』ですので、ぜひご一読を!(それの中高用は、ナンシー・アトウェル著の『イン・ザ・ミドル』です。)

参考:https://choiceliteracy.com/article/invitations-vs-accountability/

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