2016年7月15日金曜日

言葉で描いた絵


 一月ほど前に『理解するってどういうこと?』の共訳者である吉田新一郎さんから、アラン・ド・ボトン『旅する哲学-大人のための旅行術-』(安引弘訳、講談社、2004年)を紹介していただきました。5部構成で、9つの章の本です。


Ⅰ 計画の愉しみ-出発を前に

第一章 大いなる期待/第二章 船旅の詩情、ドライヴ・ウェイのポエジー

Ⅱ 日常脱出の愉しみ-わたしたちを衝き動かすも

第三章 エキゾティックなものの誘い/第四章 未知なるものの魅惑

Ⅲ 自然と向き合う愉しみ-風景の言葉に耳を傾けながら

第五章 自然は都市生活者を癒す/第六章 崇高なるものとの出会い

Ⅳ 眼の愉しみ-芸術は現実を濃縮する

第七章 目から鱗が落ちる/第八章 美を自分のものにするために

Ⅴ 帰宅後の愉しみ-習慣がわたしたちを目隠しする

第九章 日常生活の発見

 著者は、エジプト、アムステルダム、マドリッド、イギリス湖沼地帯、シナイ半島、フランス・プロヴァンス地方、を訪れていて、この本はその旅行記を含んでいます。デ・ゼッサントから始まり、ボードレール、ホッパー、フローベル、フンボルト、ワーズワス、『聖書』、ゴッホ、ラスキン、ド・メーストルといった、画家や詩人や哲学者や歴史家や美学者の仕事と言葉を織り交ぜながら、それぞれの旅の道程を描きつつ、ド・ボトンの「旅する哲学」が語られていきます。
 この本の表紙になっているのが『理解するってどういうこと?』で「沈黙を使う、深く耳をすます」という理解の種類のモデルとして登場するエドワード・ホッパーの『車両番号293, コンパートメントC』です。ホッパーのこの絵は第二章で、旅の詩情を著者が考察するところで引かれています。『理解するってどういうこと?』でエリンさんが取りあげている「線路脇のホテル」なども。しかし、そこは『旅する哲学』ですから、旅するなかで画家の出会った光景として引きあいに出されているのです。旅路の列車やホテルが「わたしたちを心の習慣から解き放つ」機会をもたらすということをド・ポドンは指摘しています。
 ヴィンセント・ヴァン・ゴッホは『理解するって・・・』では「もがくことを味わい楽しむ」のモデル(「よきメンター」)でした。しかし、『旅する哲学』第七章ではそれとちょっと違った取りあげ方がされていておもしろいです。「いままでの画家たちはプロヴァンスの現実を表現してはいない」というゴッホの言葉を取りあげながら、ド・ボトンは次のように言うのです。

世界の鍵となる要素をそれらしく伝えてあれば、どんな絵でも写実的と名付けてしまう――わたしたちはそんなところがある。だが世界は充分に複雑であって、同じ場所を描いた二枚の写実的な絵が、画家の様式や気質によって、ひどく違って見えることになる。写実派の画家が二人、同じオリーヴの茂みの端に坐っても、まるで違うスケッチが生まれるかもしれないのだ。/あらゆる写実的な絵画は、現実のさまざまな特徴のどれを際立たせるか、その選択を表している。すべてを捉えた絵画など、いまだかつて存在しない。(『旅する哲学』243ページ)

 そして、「ヴァン・ゴッホを知ったあとでは、プロヴァンスでは色彩にもまた、何か普通ではないところがあると、わたしは気づき始める」と著者は書きます。これもまた理解の種類の一つなのではないでしょうか。絵を見ることで、現実をより深く捉えられるようになるということなのでしょうから。もちろん、ヴァン・ゴッホの絵だからこそそういう「理解」が可能になるのでしょう。
 このような考察が『旅する哲学』の全体にわたって繰り広げられるので、私はすっかり魅了されてしまいました。でもその全部について書くわけにもいきませんので、もう一つだけ、著者がジョン・ラスキンの「言葉で描いた絵」というものに触れたくだりを引用します。

湖はきれいだと思っただけで満足せず、もっと力強く自分自身に問いかけなければいけない-この水の広がりのなかでも特に魅力的なのは何だろう? どんな連想を誘うだろう? ただ「大きい」というよりましな言葉はないものだろうか? 仕上がった「言葉の絵」に天才のひらめきはないかもしれない。しかし少なくとも、経験を本当に言い表す言葉を探すという動機に導かれたものにはなっているだろう。(『旅する哲学』293ページ)

「言葉で描いた絵」ですから写生文のようなものでしょう。しかし、ラスキンはその成果物としての「言葉で描いた絵」よりも、むしろ「言葉で描いた絵」を書こうとして自分が見た風景について「質問する」(「理解のための方法」の一つです!)ことが大切だと言っています。わざわざ「言葉で描いた絵」にするからこそ、現実の新しい見方を私たちは手に入れることができる、とラスキンは言っているのですが、『旅する哲学』の著者の考え方の中心にあるのも、このような考え方です。旅が私たちにもたらす一番大きな価値とは、自らの見慣れた場所を「前に一度もここに来たことがないみたいに、周りを見回す」ようになるということだと言うのです。それが、何もないところから多くのものを得る心性を私たちにもたらすのです。

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