筆者が埼玉・西武ドームから帰途、偶然に出会った留学生の恩恵さんとの出会いや交流、そして恩恵さんの中国や韓国にいる家族との出会いについて書く最相さんその人もまた「ナグネ」なのです。恩恵さんのルーツをたどり、その中国北部の実家に行き、朝鮮族であればこそ故郷の中国と、自分たちの民族的ルーツの韓国との狭間で揺れる、恩恵さんの一族の姿もそこにはありありと書かれています。この本を書くために、最相さんが示した「理解の種類」は多彩です。愛する人について書くということが、自らの理解の姿をあらわにし、親しい友を理解しようとすることが、その人ばかりでなく、自分をも社会をも深く知って掘り下げることになるということを、私に教えてくれた本でした。
この本を読みながら、私の頭のなかには、『理解するってどういうこと?』の第9章の最後のあたりで、エリンさんが、3年生の教室で、ロバート・コールズの『ルビー・ブリッジス物語』を使って「関連づける」という理解のための方法に焦点を当てたミニ・レッスンのことが浮かびました。アフリカ系アメリカ人の女の子サマンサや男の子デヴォンテたちは、コールズの物語と自分の体験とを関連づけて、この物語を意味づけていきます。そして、各自の体験を彼女たちは共有していきました。エリンさんは「関連づける」という理解のための方法が生み出した成果を「共感」と名づけて、次のように語ります。
「共感とは、みんなが他の誰かの体験を理解するだけでなくて、それを本当に共有するということです。みんなは、他の人が話したことを、自分の力で感じたり知ったりしていました。みんなの心臓はしっかりと記憶するたびにドキドキして、自分もまったく同じだと感じたら、みんな頭のなかに自分の生活の一コマを思い起こしました。それが、読むときにみんなが経験することのできる一番大切なことのひとつなのです。自分の頭と心でそんなふうに感じるとき、みんなは確実にその本を理解できているのです。これは特別で、とても大切な経験なのです。」(『理解するってどういうこと?』、353ページ)
一方、最相さんの『ナグネ』の「あとがき」の一節には、次のように書かれていました。
わかり合うとは、互いの違いを知ることである。相違は相違として受け止め、相手の立場を尊重しながら手探りで歩み寄ることである。そんなわかったようなことをいいながら、では、私自身はどうなのか。目の前にいるたった一人の中国人のことすらしらなかったではないか。その無関心は、ふだん苦々しく思っている一部の人々の偏見や差別的言動と実は紙一重なのではないのか。もちろん彼女が中国や韓国という国や民族、キリスト教徒を代表するわけではない。しかし、こんな身近にいる中国人のことを何も知らないで日中友好も国際理解も何もない。(最相葉月『ナグネ―中国朝鮮族の友と日本―』、206ページ)
これ以外のところにも、『ナグネ』には、最相さんが恩恵さんを理解しようとしたことが、そのもがきのありようが、述べられています。彼女のこの本の場合、書くということが理解するということなのです。くわしく調べて書くことが理解の種類の一つであるということを『ナグネ』という本は教えてくれます。恩恵さんについて書くために最相さんが使っている方法は、「理解のための七つの方法」に他ならないと思われますが、大切なのは、どのような方法を使っているのであれ、喜びを味わったり、ある部分にこだわって、じっくり考えようとする欲求を覚えたり、支持しようとする強い願望を抱いたり、思考や知識の修正を行ったりするという、理解の成果が得られ、それが『ナグネ』という本のかたちをとったということなのです。
ところで、『理解するってどういうこと?』第9章で、エリンさんはサマンサやデヴォンテたちに「共感」について先のように語った後、『ルビー・ブリッジス物語』の中心人物ルビーにサマンサやデヴォンテたちアフリカ系アメリカ人の子どもたちが示した「共感」を、一人の白人としての自分にとって「理解不能な領域の共感」であり、「心が張り裂けそうだ」と言っています。そして、デヴォンテに向けて次のように語りかけます。
「デヴォンテ、私にはわかりっこないのよ、完全に共感することはけっしてできないの」と彼に言いました。「でも、どれほどあなたがたが共感したのかということは、この心で感じることができるの。」(『理解するってどういうこと?』355ページ)
「どれほどあなたがたが共感したのかということ」を「この心で感じることができるの」というエリンさんの言葉とその思いが最相さんの『ナグネ』「あとがき」の言葉と思いに重なって見えて仕方ありません。そしてエリンさんもこのエピソードを思い出して、書くことで理解しているのです。最相さんも、書くことで、恩恵さんのことを深く理解しようとしています。最相葉月さんの『ナグネ』を、深い理解についての本だと私が考え、感銘を覚え、記憶にとどめることのできたわけが、そこにあります。
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