2015年5月29日金曜日

作家クラブ = レヴュー・カンファランス



本物の作家や作家の卵たちが本当にしていることを参考にして考え出された教室での応用です。
実際に小学校中学年~中学生は、とてもこれが好きとのこと。(それ以外は、嫌いというよりも、まだ実践されていないだけのようです。)

カンファランスの新たな可能性のその6=最終回です。
出典は、Let's Talk: Managing One-on-One, Peer, and Small-Group Conferences, by Mark Overmeyer のパート2 生徒同士の話し合い」です。

第6章 作家クラブ
93 大人の研修では、話している時間が40分の39。 実際に書いていたのは、40分の1程度。 そのぐらい話している。
 自分の書いたものに、40分の1しか割いてくれないことが事前にわかっていたら、参加していなかったかもしれない。でも、体験した方が多くを学べた気はする。もし、自分のが中心だったら、つらくなっていたからだ。他人の作品を話すので客観的に話せた。プロセスから多くを学べた。自分のから学ぶのは難しい気がする。
 こうした自分の大人としての体験を、教室で再現できないか??? ★
 夏の研修には、全員が1週間も高いお金を払って参加していた。教室は、そうじゃない。

95 ピア・カンファランスが練習になっている。
 ある程度できているのを見た上で、レヴュー・カンファランス=作家クラブの提案をする。
 多くて5人。普通は4人。メンバー構成は、多様な方がいい。

 ある程度の下書き(それも、結構自信のある)がないとやる意味はあまりないかもしれない。少なくとも、自信があるもののほうが効果的。こだわりは大切。内容的にどうでもいいのでは、入れ込みようが違うから。
 事前に読んで集まった方が、効率的。

 書き手がリードする? それとも、書き手は何も言わないで、読み手たちが話し始める?
 書き手次第!! 後者の場合は、いい点の指摘から。

96 ピア・カンファランスのときの原則は、レヴュー・カンファランスでも同じ。
 批判(批評)することが目的ではなく、意味のあるフィードバックをすること。 ~ その意味では、大切な友だちが有効!!
 ノンフィクションを扱うのは難しいかも。知識や情報のレベルが違いすぎるから。
 すでに読んでいて、すぐに話し始められるようにしておくのがコツ。

進め方 (「聞き手」は、書いた当人以外の他のメンバーという意味です。)
     事前にコピーを渡して読んでくる。
     書き手が、簡単な内容の紹介。
     書き手が、特にアドバイスがほしい箇所を言う。←読んでもらう前に言わなくていい?
     書き手が、特にアドバイスがほしいところを読む。
     聞き手は、はっきりしないところを質問する。
     聞き手たちが話し合う。書き手はそれを聞いてメモを取る。
     書き手は聞き手たちに感謝し、自分の次のステップに活かす。
     聞き手はプロセスから何を学んだか振り返る。

98 レヴュー・カンファランスの振り返りシート = ピア・カンファランスと同じ
99 最後に以下の質問がついていた。
  Something I learned when we talked about           ‘s writing was…

104 3~7年生たちは、レヴュー・カンファランスが好き

108 レヴュー・カンファランスの問題と対処法
     前の日にやり方を説明して、45分間をフルに使ってやってみる
     全員の余分なコピーを用意しておく
     時計を使って時間の管理。一人当たり7~10分で十分。
     うまくいっていることと修正が必要なことを出してもらい、常に改善する
     各グループにファシリテーター/進行役を設けさせる
     金魚鉢でモデルを見せる
     ビデオでやり方を見せる

 上記の進め方や問題への対処法などを読むと、このアプローチがブッククラブに似ていると思いませんか?


★ WWも、RWも、はじめて紹介されてもう30年以上が経ちますが、常に進化し続けています。(それは、過去30年、常にこれらの分野で刺激的な本が年に5~10冊は出続けていることからも明らかです。★★)日本の教育実践で、「進化し続ける実践」をやり続けているものはあるでしょうか? もし、ご存知だったらぜひ教えてください。 
日本には、「教育は実験ではない」という考えが濃厚にあります。(でも、すべて実験から出発しているのに! しかも、今していることは確実に効果があると立証されたわけではなく、単なる習慣に過ぎないのに! つまり、実験の域をまったく出ていないのに。)それに対して、アメリカを中心に欧米では実験を大いに大切にすることこそが教育という捉え方があります。
 ある意味では、実験を許さない風潮というのは、自分たちで学びを放棄しているアプローチと捉えられませんか? それに対して、実験を歓迎する風潮は常に学び続けているアプローチです。それとも、実験はしなくても、学び続けられるのでしょうか??

★★ 私が、WWRWにこだわり続けている最大の理由は、これです。
 何せ、おもしろい本/刺激的な本が次々に出てきますから、読まないわけにはいかないのです。読んでしまうと、あまりにもおもしろいので、紹介しないわけにはいかなくなります。(これは、好循環というのでしょうか。それとも悪循環?)日本の先生たちに、もっといい実践をしてほしくて。そして、ゆくゆくはその先生たちに、いい実践をアメリカの先生たちと同じように、本に書いてほしくて!! ぜひ、この最後のところに焦点を当てて、このブログも読んでください。

2015年5月22日金曜日

『理解するってどういうこと?』の2人の感想


◆小学校の先生・Aさん

「理解すること」について、ここまで明確に言葉にして追究した本は、
私は読んだことがなかった気がします。
学校で学ぶことは、「わかる」=「喜び」みたいなところがあります。
だから、わかりやすく教えてくれる先生は良い先生だし、わかって
すっきりすることがいいことだと多くの人が考えていると思います。

しかし、そうではない。考え続けてもがくことの価値が書かれており、
そのもがくことこそ価値があるのだとよくわかりました。
しかも、そのもがくことがとても魅力的なこと、人生をより豊かにすること
だということがよくわかりました。

また、子どもを信じること、待つこともとても大切なことなのだと
わかりました。この本の中にでてくる子ども同士の対話やマティスと
ピカソの関係、またネルーダの詩など、私がそこまで深めてこなかった、
また深めようと挑戦もしてきていなかった内容を読み、
まだまだチャレンジしていない領域がたくさんあるのだとよくわかりました。

日々の生活の中の様々なものや現象を深く見つめる目や、それを味わい、
対話する力などは人生を深く味わうことにつながっています。
私もそういう感性を育みたいとは思いつつも、具体的な方法が
わかりませんでした。
まずは教師がモデルを見せることなのですね。それをやっていなかったから
自分自身もわからなくて子どもにも伝えられませんでした。

この本を読んで、言葉を注意して使うこと、待つこと、もがくことの
価値を伝えることをまず意識するようにしています。特に8章にのっていた
ミニ・レッスンは衝撃的でした。(いかに自分ができていなかったか!)

子どもと、子ども同士と、もっともっと対話をし、理解を深めること、
探究することを味わいたいと思いました。

最後に載っている資料も深いです。かなり役に立ちます。


◆帝京平成大学の先生・白鳥信義さん

1章「理解について考え直す」のp.8に次のような文章があります。

「ジャミカの質問について書き始めたとき、理解することとは、知的能力が発達することと同義であるということに私は気づきました。一生懸命に小説のテーマや、科学的ないし数学的概念を理解することに取り組んでいるとき、私たちは知的な筋肉を形成しているのです。」

日々の授業の中で、たとえば、小学校4年生の理科では「地球と宇宙」の単元では、「月は絶えず動いていること」「空には、明るさや色の違う星があること」「星の集まりは、 1日のうちでも時刻によって、並び方は変わらないが、位置が変わること」などを子どもたちは理解するわけです。そのために、理科では観察や実験などを通して、科学的な概念を理解することが授業の目標となります。この観察、実験などもできる限り子どもたちに考えさせて、本物の科学者が追究するように、自分たちの問題として、取り組むことができるように教師は後押しをするようにしたいものです。

また、図1.1「理解することと知的発達」では、「理解が深まるとはどういうことなのか」ということがわかりやすく示されています。
次の①~③の3つのことが活動のサイクルとなり、次々と螺旋階段を上るように、上へ進んでいき、理解が深まっていくことがわかります。

①自分が興味・関心がもてるものを見出し、それを理解するために努力し、その過程で知的能力を養い、自分の考えや解釈をつくりだし、それらを他の学習者と共有していく
                    ↓
②考えることや学ぶことの満足感、好奇心、もっと知りたくなるという欲望等を体験し、自分の考えや解釈をさらに推し進め、それを他の人たちと共有し、知的な有能感、効力感を味わう                ↓

③自分の考えや解釈(概念)を保持し、新しい状況下でそれを応用し、新しい知識を自らつくり出し、それを他の人たちと共有し、その問題や概念の異なる側面や不明確な側面を理解したくなる             ↓
                また、①に進む

①の「自分が興味・関心がもてるものを見出し」は、カリキュラム作り・授業づくりにおいて最も考えなければならないことでしょう。そして、子どもたちが「自分の考えや解釈をつくりだし」ていくように、教師はじっくり考える時間を与えて、そのサポートにまわることが求められます。これがうまくいけば、②で「もっと知りたくなるという欲望」が子どもたちの学習意欲をさらに高めて、次の学びに向かう原動力となることでしょう。
このような学びのサイクルが出来上がることが、私たちがまず目標とすべきものだと思います。この本の中には、実にたくさんの「学びを促進するしかけ」がちりばめられています。
同時に、「理解する」ことが、これほどまでに知的な活動であり、素敵な営みであることを改めて確認することができるものと思います。

2015年5月15日金曜日

最相葉月『ナグネ』と『理解するってどういうこと?』

 最相葉月さんの『ナグネ―中国朝鮮族の友と日本―』(岩波新書、2015年)という本を読みました。「ナグネ」とは朝鮮語で、「旅人」という意味だそうです。この本は最相葉月という書き手が、友人の恩恵(ウネ)さんという中国朝鮮族の女性を理解しようとして書かれた一冊に思われて仕方ありませんでした。

筆者が埼玉・西武ドームから帰途、偶然に出会った留学生の恩恵さんとの出会いや交流、そして恩恵さんの中国や韓国にいる家族との出会いについて書く最相さんその人もまた「ナグネ」なのです。恩恵さんのルーツをたどり、その中国北部の実家に行き、朝鮮族であればこそ故郷の中国と、自分たちの民族的ルーツの韓国との狭間で揺れる、恩恵さんの一族の姿もそこにはありありと書かれています。この本を書くために、最相さんが示した「理解の種類」は多彩です。愛する人について書くということが、自らの理解の姿をあらわにし、親しい友を理解しようとすることが、その人ばかりでなく、自分をも社会をも深く知って掘り下げることになるということを、私に教えてくれた本でした。

 この本を読みながら、私の頭のなかには、『理解するってどういうこと?』の第9章の最後のあたりで、エリンさんが、3年生の教室で、ロバート・コールズの『ルビー・ブリッジス物語』を使って「関連づける」という理解のための方法に焦点を当てたミニ・レッスンのことが浮かびました。アフリカ系アメリカ人の女の子サマンサや男の子デヴォンテたちは、コールズの物語と自分の体験とを関連づけて、この物語を意味づけていきます。そして、各自の体験を彼女たちは共有していきました。エリンさんは「関連づける」という理解のための方法が生み出した成果を「共感」と名づけて、次のように語ります。

 

「共感とは、みんなが他の誰かの体験を理解するだけでなくて、それを本当に共有するということです。みんなは、他の人が話したことを、自分の力で感じたり知ったりしていました。みんなの心臓はしっかりと記憶するたびにドキドキして、自分もまったく同じだと感じたら、みんな頭のなかに自分の生活の一コマを思い起こしました。それが、読むときにみんなが経験することのできる一番大切なことのひとつなのです。自分の頭と心でそんなふうに感じるとき、みんなは確実にその本を理解できているのです。これは特別で、とても大切な経験なのです。」(『理解するってどういうこと?』、353ページ)

 

一方、最相さんの『ナグネ』の「あとがき」の一節には、次のように書かれていました。

 

わかり合うとは、互いの違いを知ることである。相違は相違として受け止め、相手の立場を尊重しながら手探りで歩み寄ることである。そんなわかったようなことをいいながら、では、私自身はどうなのか。目の前にいるたった一人の中国人のことすらしらなかったではないか。その無関心は、ふだん苦々しく思っている一部の人々の偏見や差別的言動と実は紙一重なのではないのか。もちろん彼女が中国や韓国という国や民族、キリスト教徒を代表するわけではない。しかし、こんな身近にいる中国人のことを何も知らないで日中友好も国際理解も何もない。(最相葉月『ナグネ―中国朝鮮族の友と日本―』、206ページ)

 

これ以外のところにも、『ナグネ』には、最相さんが恩恵さんを理解しようとしたことが、そのもがきのありようが、述べられています。彼女のこの本の場合、書くということが理解するということなのです。くわしく調べて書くことが理解の種類の一つであるということを『ナグネ』という本は教えてくれます。恩恵さんについて書くために最相さんが使っている方法は、「理解のための七つの方法」に他ならないと思われますが、大切なのは、どのような方法を使っているのであれ、喜びを味わったり、ある部分にこだわって、じっくり考えようとする欲求を覚えたり、支持しようとする強い願望を抱いたり、思考や知識の修正を行ったりするという、理解の成果が得られ、それが『ナグネ』という本のかたちをとったということなのです。

ところで、『理解するってどういうこと?』第9章で、エリンさんはサマンサやデヴォンテたちに「共感」について先のように語った後、『ルビー・ブリッジス物語』の中心人物ルビーにサマンサやデヴォンテたちアフリカ系アメリカ人の子どもたちが示した「共感」を、一人の白人としての自分にとって「理解不能な領域の共感」であり、「心が張り裂けそうだ」と言っています。そして、デヴォンテに向けて次のように語りかけます。

 

「デヴォンテ、私にはわかりっこないのよ、完全に共感することはけっしてできないの」と彼に言いました。「でも、どれほどあなたがたが共感したのかということは、この心で感じることができるの。」(『理解するってどういうこと?』355ページ)

 

「どれほどあなたがたが共感したのかということ」を「この心で感じることができるの」というエリンさんの言葉とその思いが最相さんの『ナグネ』「あとがき」の言葉と思いに重なって見えて仕方ありません。そしてエリンさんもこのエピソードを思い出して、書くことで理解しているのです。最相さんも、書くことで、恩恵さんのことを深く理解しようとしています。最相葉月さんの『ナグネ』を、深い理解についての本だと私が考え、感銘を覚え、記憶にとどめることのできたわけが、そこにあります。

2015年5月8日金曜日

「作家と読書家のノート」(その1)



 中学校レベルの実践者でもある、リンダ・リーフ(Linda Rief)氏が使っている「作家と読書家のノート」を2,3回に分けて紹介したいと考えています。

 最近、彼女のを読んでいて、「90人近い子どもを教えていて、それぞれが自分の読む本を選びます。90冊近い別々の本」という文が目に留まりました。

 中学校以上になると、1つのクラスの人数だけでなく、一人の先生が教える人数も増えます。90(あるいはそれ以上の)多くの人数の学習者を教える場合、どうやって一人ひとりに目を向けてサポートするのか(あるいはそれが可能なのか)は、私には気になる点です。

 リーフ氏にとっては、「作家と読書家のノート」(writer’s-reader’s notebook)が、極めて効果的な方法とのことです。そのノートは長年、いろいろな改善を積み重ねて、市販されるものもできたそうです。★★

 基本的には自由に書く場所がたっぷり確保されていて最初の方には「今読んでいる本のリスト」「読みたい本リスト」、そして「書くことについてのアイディア・リスト」 のページがあります。

後ろのほうには、語いや綴りなどを書くセクションもあります。

私は「作家と読書家のノート」が1冊になったものは使ったことがありませんし、ちょうど、今使っている読書ノーが終わりに近づいてきたこともあり、しばらくこのノートを使ってみることにしました。

ある程度の枠組みが決まっているとはいえ、本リストや(書く)題材リストは、自分には必要なものであるので、「これに従わないといけない」という窮屈な感じは今のところ少ないです。枠組みは提供されていますが、その中に書く内容は自由ですから、あくまでも子どもたちがしっかり考えることをサポートする枠組みでという印象です。

 考えてみるとRWやWWも、子どもたちがしっかり学ぶための枠組みです。

 このノートの枠組みがどのように機能するのか、リーフ氏がどのように活用しているのかなどを考えつつ、彼女の本も読み進めたいですし、私自身が自分のノートとして使った印象なども含めて、また書き込めればと思っています。

★  Read, Write, Teach: Choice and Challenge in the Reading-Writing Workshop (Heinemann, 2014)
106ページに90人近く教えている等の話がでてきます。またこの本の第4章(42ページ~54ページ)がなぜこのノートを使うのかという理由が 説明されています。
 
★★
 Inside the Writer’s-Reader’s Notebook: A Workshop Essential (Heinemann, 2007)とこの本にセットになったノートです。ノートだけの別売りもあるようです。

2015年5月1日金曜日

ピア・カンファランス



「カンファランスの新たな可能性」の連載第5回目です。
出典は、Let's Talk: Managing One-on-One, Peer, and Small-Group Conferences, by Mark Overmeyer のパート2 生徒同士の話し合い」です。

日本でライティング・ワークショップを導入し始めた時から、カンファランス(特に、生徒数が多いクラスで教師が一人で全員をやり続けること)は大きな課題だと言われ続けてきました。
それを乗り越えるいい方法が、この生徒同士による「ピア・カンファランス」です。


第5章 ピア・カンファランス
79 誰にとっても価値がある。
  しかし、教師によるカンファランスとの違いも認識しておく。
  作家の椅子などのやり取りを見ながら、誰が金魚鉢でピア・カンファランスのモデルを示すのがいいのかを見定める。
80 ミニ・レッスンで教えていくことも可能。本物の作家たちもしていること。
 「何について話せるか?」
81 単に「読んでみて」と言わずに、見てもらう方が(アドバイスがほしい方が)特に何についてアドバイスがほしいかを言う(焦点を絞る)。そうすることで、見るほうも楽になる/言いやすくなる。
 教師はピアではないので、モデルを示すのはおかしい!!
 練習をさせて、うまくやっているペアを見つけて、金魚鉢で見本を示してもらう。

83 いいピア・カンファランスで、書き手と聞き手がしていることのリスト

 書き手: ・何についてアドバイスがほしいかを言う。
                ・作品(下書き)のコピーを聞き手に渡す。
                ・作品を読み聞かせる。
                ・聞き手のアドバイスをメモする。
 聞き手: ・よく聞く。
      ・はっきりしないところを尋ねる。
      ・以下のような仮定の文章でアドバイスする。
          ~するといいかもしれない。
                              ~できるかもしれない。
          もし~したらどうだろう。

 2つの成果がある。
  ①聞き手のアドバイスを採用して、よりよい文章になる。
  ②自分が聞き手を体験することで、よりよい文章を書けるようになる。
つまり、書き手だけでなく、聞き手にとってもメリットがある。(←これは、教師にはない、とても貴重な成果!!)

85 はっきりさせるための質問は、大人よりもうまい → 大切な友だち

86 どこについてのアドバイスがほしいかを書き手が提示するのも、とても効果的

  また、言語事項よりも内容に焦点を当てるのが、成功の鍵。
  これに関しては、出来・不出来の差がない(少ない)から。誰もが、ストーリーをもっている。
  内容に焦点を当てると、みんな基本的には同じレベルで話し合える。

  言語事項に関しては、アドバイスを鵜呑みにしがちなので、とても危険 !!!
  言語事項のカンファランスは、教師に任せる。あるいは、それが得意な子に??

  ピア・カンファランスの主導権は、常に書き手がもっている。

87 ピアの組み合わせのいろいろ: 決まったペア、誰でも、日を決めてみんなでする、参加しないという選択肢も、など。

88 ピア・カンファランスが機能しているのか否かは、チェックする(評価してもらう)
 → 常にチェックしながら、進める。固執する必要はない。機能していないなら、やらない。書き手をサポートすることが目的で、弊害があるなら時間の無駄。全員がする必要もない。