2025年3月22日土曜日

自分の時間をコントロールする

 ジョン・B・トンプソン著(久保美代子訳)『ブック・ウォーズ―デジタル革命と本の未来―』(みすず書房、2025年)という興味をそそるタイトルの本を読みました。ブック・ウォーズ。本についての戦争という意味です。現代に至る出版形態の変化・変容についてその多くのページが割かれています。

映画にもなったアンディ・ウィアーの『火星の人』(小野田和子訳、ハヤカワ文庫SF2015年)が、はじめは個人ブログで連載されたものであったけれども、ネットで話題になっていることが編集者の目にとまって公刊され、多くの読者を獲得し、映画化され、それもヒットしたことでさらに多くの人に行き渡ったというくだりは、現代における出版事情の一端を示しています。トンプソンさんが強調するのは、そうした現代における読み手と書き手の近さです。

「新たな世界では、読者は単なる読み手ではない。読んだ小説にコメントし、そのコメントを著者とほかの読者の両方に示すことができる。そしてさらに重要なのは、読み手も書き手になれるということである。」(『ブック・ウォーズ』520ページ)

 ウィアーももともと「読み手」でした。その彼が自らの生んだ物語によってベストセラーの書き手になるということは、シンデレラ・ストーリーというだけでなく、トンプソンの言う読み手・書き手の近さを象徴することです。

 ところが現代社会は多忙で、2024622日に取り上げた三宅香帆さんの『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』(集英社新書、2024年)では、自分の時間を自分でマネジメントできなくなる状況が指摘されていました。そういった現代の読者の直面する難しい状況をどうすればいいのか。トンプソンさんは次のように述べています。

「現在の世界は、すばやい応答を求めるメールやメッセージの畳みかけるような通知音によって、つねにさまざまな方向に注意を逸らされる。読書によって私たちは、気を逸らされる浅瀬から出て、より深みのある世界に没入できるのだ。(中略)多くの人が生活が加速し、自分の時間がますます減っていると感じている世界で、読書は加速のサイクルから抜けでて、時間をふたたびコントロールできるようになるひとつの方法になる。」(『ブック・ウォース』620621ページ)

 その通り!では「時間をふたたびコントロールする」には具体的にどうすればいいのか。エリンさんは『理解するってどういうこと?』の第3章で。ヴァン・ゴッホの言葉を引用した後に、次のように言っています。

「情熱的な激しさで学ぶこと、周りがおぼろげな背景に退いてしまったかのような常態で学ぶこと、それが熱烈に学ぶということなのです。魅了され、心を奪われ、没頭させられるということもまた、熱烈に学ぶことであり、生きることなのです。熱烈な学びは、新たな本や文章やアイディアや興味関心から引き出される、たまたま生に応じた状況や予期せぬ結果として生み出されるものではありません。私たちにコントロールできないような何かがあるというわけではないのです。学習者は、熱烈になることを選択することができます。私たちは、自分自身に挑戦することや、常識的な解が存在しない難題や好奇心をそそる問題を選択することができるのです。情熱を持って理解したいという欲求に駆り立てるときには、特にです。

 しかし、年少の子どもたち、苦しい生活のなかにいる子どもたち、年齢を問わず、熱心になれない子どもたちがみな、熱烈な学習者になることができるのか、と不思議に思われるかもしれません。でも、疑いもなく、子どもたちは熱烈に学ぼうと決めることができるのです。もし、子どもたちが魅了される、心奪われる、没頭する、決意する、そして夢中になるといったことはどうすることなのかわかればです。もし、持続性と情熱をもって学ぶことがどのようなものであり、どのように感じられるかということを、実際に説明し示してくれる多様なモデルを持っているならばです。」(『理解するってどういうこと?』7576ページ)

 そして、エリンさんは「学校であっても家庭であっても、私たちは自分たちにとってとても重要なことを学ぶときには、完全に我を忘れるという経験をするのです」と言っています(『理解するってどういうこと?』102ページ)。エリンさんが言っていることは「子どもたち」のことだけではなく、現代の読者すべてにあてはまることのように思われてなりません。

 もちろん、読む時間を増やすことは容易なことではありません。しかし、エリンさんがの言う「完全に我を忘れて」世界を「熱烈に」理解することは、時間の長さの問題ではないのです。何かを「熱烈に学ぶ」ということ、熱烈に理解しようとすること、それができるかどうかということが、トンプソンさんの言う「加速のサイクルから抜けでて、時間をふたたびコントロールできるようになるひとつの方法」であることは確かです。『火星の人』を読んでいる時の私は我を忘れていました。ウィアーの物語に「魅了」され、「心奪われ」「没頭」し、「夢中」になって、自分の時間を「コントロール」していました。

 夢中になれる本と環境をどのように見いだすことができるのか。この世界を「熱烈に」理解する意思をどれだけ保つことができるのか。それが、トンプソンさんが活写する「ブック・ウォーズ」の時代に生きるための、シンプルでありながら確かな「方法」だと言えるのかもしれません。

 

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