2022年8月20日土曜日

変わり続けるために

 『理解するってどういうこと?』の第7章「変わり続けること以上に確実なことはない」の最後でエリンさんは、この本のここまでの章で論じられてきた「理解の種類」を取り上げた後、「しかし、こうしたさまざまな理解の種類は、私たちの日々の生活の一部になっているでしょうか? 私たちの言動は一致しているでしょうか?」と読者に問いかけます。「熱烈に学ぶ」「頭のなかでじっくり考える」「幅広いテーマや興味やジャンルや考えを探究する」「自分自身の思考を修正する」「「作家の技」を学ぶ」「もがく」・・・ということが大切な「理解の種類」だと教えようとしているなら、自分ができているかどうか振り返ってみなさいということですね。そのような振り返りがどうして大切なのか、次のように書かれています。

自分のために読んだり書いたりし、その内容について他の大人に語ることで、自分の考えに磨きをかける機会だけでなく、内側から、学びのプロセスを振り返る機会が得られます。私たちが何かを意識的に読もうと決めたとき、私たちはもっとも頭が冴えた状態が必要であることを知っています。集中しなければだめなのです。そういう体験を通して、私たちは子どもたちが同じように読むとき、どのように感じたり考えたりするのかを理解することができます。小説やエッセイなどを読むのを中断して、それまで自分がもっていた考えや価値観を転換してくれたことについて書き出すとき、そういう中断なしに読んでしまう場合よりもずっと深いレベルの理解に入っていくのです。こういう振り返りのなかで、学びのプロセス、とりわけ私がこの章で論じてきた理解の種類の、時間と共に思考がいかに変わるかについて考える、貴重な機会をもつのです。もし自分の学びのプロセスについての気づきを振り返り、それを記録することができたなら、学ぶことのおもしろさを満喫しているというだけでなく、子どもたちの学びをどう展開したらいいのかというヒントも提供してくれることになります。これ以上に価値のある時間の使い方はおそらく考えられないでしょう。(『理解するってどういうこと?』282ページ) 

作家の島田雅彦さんによる『小説作法XYZ 作家になるための秘伝』(新潮選書、2021年)は、島田さんの『小説作法ABC』(新潮選書、2009年)を「アップグレードしたプロフェッショナル仕様」の本で、島田さん自身の「小説作法のリニューアルであり、集大成でもあり、過去の自分を矯正するリハビリテーションも兼ね」「人文知性の拡張という、より大きな目標も忍ばせ」た本です。

もちろん2009年刊の『小説作法ABC』も、魅力的な小説の引用と島田さんの解説を読むだけで多くのことを学ぶことができる本で、各章のおしまいのところには「課題」が示されています。多様な「語り手の設定」を扱った第4章では次の三つの「課題」があります。

 

課題①

「コンビニ前の駐車場での、高校生同士の殴り合い」という一シーンを、渦中の高校生の一人称と、コンビニ店員の一人称の視点で書き分けてみる。

課題②

「コンビニ前の駐車場での、高校生同士の殴り合い」という一シーンを、渦中の高校生に視点が寄り添った三人称一元で書いてみる。

→課題①の、高校生の一人称で書いたものとこちらとを比較し、「僕」が「彼」に置換されただけとはならないよう、気をつけること。

課題③

「コンビニ前の駐車場での、高校生同士の殴り合い」という一シーンを、「神」の視点の三人称多元で書いてみる。

→冷酷な神、ユーモラスな神、えこひいきな神がいてもいい。

(島田雅彦『小説作法ABC121ページ)

 

三つの課題に取り組むうちに、実にさまざまな「「コンビニ前の駐車場での、高校生同士の殴り合い」という一シーン」が生み出されそうです。同時に、小説が新たな現実を生み出すということも、書き手として体感できるアイディアです。

では『小説技法XYZ 作家になるための秘伝』ではどのように「アップグレード」されているのか。「私小説」を扱ったくだりを引用します。

 

私小説は人が言うほど単純ではない。「私」というものは定義できないから、他者との関係や置かれた環境、生きた時代との関わりの様態を書くほかない。つまり、自分を語るためには、諸関係の網目の中に顔を出す自分、あるいは時間と空間、さまざまな事象を縦軸と横軸に取った座標軸の上に点として現れる無数の自分をつぶさに後追いするしか、「私」を客観的に書くことはできないという発見があった。

存在は過去によって担保されている。年をとると親や友人など自分の過去を担保してくれる人がいなくなっていく。逆にノスタルジーは蜜の味で、時には現実さえも曇らせてしまう。過去は苦しかろうと悲しかろうと既に経験済みだから安全であり、別の自分の中に逃げ込み、自分自身を護ることができる。だから、「私」を語るためにこそ、他者の背負った過去を引き受けなければならないのかもしれない。

無数の偶然とアクシデントが積み重なった結果、「今ある自分」が出来上がってしまった、としかいいようがない。そもそも、私はこういう者である、という定義そのものが不可能であることを知ったことが、『君が異端だった頃』という私小説を書いて得た最大の成果だった。     (島田雅彦『小説作法XYZ 作家になるための秘伝』3435ページ)

 

「つまり、自分を語るためには、諸関係の網目の中に顔を出す自分、あるいは時間と空間、さまざまな事象を縦軸と横軸に取った座標軸の上に点として現れる無数の自分をつぶさに後追いするしか、「私」を客観的に書くことはできないという発見があった」という一文にはっとさせられました。こうしたことを「作家の技」と割り切って捉えるのはもったいないことで、読み書きを学ぶとはこうしたことを発見するためにあるという思いを強くしたのです。『小説作法XYZ』の各章末にも「超絶技巧エチュード」としていくつものエクササイズが次のように提示されています。

 

8、実在する人物の「なりすまし」になってみよ。丸三日間その人になりすまして生活してみる。

9,他人の記憶、トラウマを背負ってみる。

10、他人の日記を書いてみる。男性なら女性の、女性なら男性の日常を書く。

11、この文章を書いたのは自分ではないとすると、一体誰かを考えてみる。

(島田雅彦『小説作法XYZ 作家になるための秘伝』4041ページ)

 

島田さんによれば『小説作法XYZ』は「プロフェッショナル仕様」ということですが、小説家になる力も意思もない私にとっても深い知見をもたらしてくれる本です。人生仕様と言ってもいいぐらいです。上に引用した四つの「超絶技巧エチュード」は、人生の練習のようにも思われます。多くの人がそれを実行してみて、じっくり考えてみれば、いまの状況が変わるかもしれないという思いに駆られました。『小説作法XYZ』に至る島田さんの著作が、エリンさんの言う「変わり続けること以上に確実なことはない」を実践しているからだと思います。

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