2021年1月15日金曜日

「自立心」を引き出す働きかけ

 『理解するってどういうこと?』の第4章の後半には、チャールズ・レイク小学校のキャスィ先生とジョディ先生の、自立心と協調性にあふれた教室が描かれています。リタという、英語を学び始めたばかりでまだうまく話せない子ども(彼女の母語はスペイン語です)とキャスィとのカンファランスに触れて、エリンさんは次のように書いています。

 リタとのカンファランスを聞くことによって、自立心を生み出すということは、子どもたちが読んだり、書いたりしているときに、新しいことに挑戦させること、そしてそのときには、その新しいことが今子どもが理解していることの少し上のレベルにあるということを十分に理解しながら促すことなのだということを私は理解しました。普通の教師なら、『おじいさんの旅』はリタにはむずかしすぎると考えるでしょう。しかし、思い出してみると、彼女がはじめから終わりまでこの本を読むのを、確かに私は見たのです。彼女には読む時間と意志がありました。これまでにその本の読み聞かせを4回も聞いていました。単語の認知と理解に必要な方法も身につけていました。私たちの多くは、彼女のような子にはもっと簡単なものを読むように言うことでしょう。でも、それはとんでもない間違いなのです。キャスィは『おじいさんの旅』を読めるというリタの能力を強く信じていました。だからこそ、リタは、自分はこの本が読めると確信させることができたのです。リタとのやりとりでキャスィが果たしていた役割は、「柔らかい金づち」のようなものでした。彼女の声は甘く、励ますような感じで、とても穏やかで、ユーモアも漂っていましたが、リタは必ず大事な課題に取り組むことができるという強い思いを持っていました。だからといって、キャスィは、単語の認知と理解に必要な方法を提供せずに、むずかしい本をリタに読ませようとしたのはありませんでした。しかし、キャスィは、英語の学習を始めたばかりのリタにはできることとできないことがあると決めてかからなかったのです。この教室が自立心と協調性との緊張関係を具体的にあらわしていたことは言うまでもありません。(『理解するってどういうこと?』132133ページ)

 ここで言われている「リタとのカンファランス」は『理解するってどういうこと?』のこの引用の直前、127ページから130ページに書かれています。「協調性」とはその教室にある「尊敬」「信頼」「自由」などです。「自立心」とは、他の人から言われなくても深く考え抜いて反応し判断するということです。リタとキャスィ先生とのカンファランスはそのなかで営まれました。では、英語がまだ覚束ないリタがどうして『おじいさんの旅』(アレン・セイ、BL出版)を「読める」と確信し、この本の内容について深く考え抜いて反応することができたのでしょうか?

 エリンさんの考察の後半に書かれているようにキャスィ先生が「リタにはできることとできないことがある」と決めてかからなかった――つまり、読めない子だと「診断」しなかったからだったからではないでしょうか。キャスィ先生は次のようにリタに話しかけていました。「何が本当に重要なのかな? どんなことについて考えたくなる? どこの出身だろうと、誰にでもあてはまることはあるかな? リタ、すぐに言わずに、頭を働かせて、じっくり考えて頭のなかの声を聞いてみて。」「リタ、本のある部分が他の部分よりも大事だということについて、みんなでどんなふうに話しあったか覚えているなな?」「えっとね。リタ、自分の知らない単語に出会ったときにあなたにできるのはどんなこと?」子どもを信頼しながら、自分の頭のなかでじっくり考えたり、思い出したりするように働きかけて待っているのです。まるで医者が患者と対話しながら治療法を探るように。

 國松淳和さんの『医者は患者の何をみているか―プロ診断医の思考―』(ちくま新書、202010月)に書いてあることと重なります。いえ、正確に言えば國松さんの本はエリンさんの本の内容とはまったく関係ありません。徹頭徹尾、医師が「診断」で使う思考法を丁寧に解説してあります。一般的なそれというよりも、國松先生の「みる」方法をです。「診断における【十一の斬りかた】」(110ページ~ )など、プロの意思の思考法を(むずかしいですが)とても明快に示しています。

この本のなかで心に残るのは「診断は実在しない」という言葉です。もちろん治療に対する影響は大きいのですが、それが最終目的ではないという意味でもあります。形のないものをみようとする医師の営みについてわかりやすい言葉で、明快に語った本の最後に次のような言葉がありました。

 私はこの本で診断のことについて述べました。この本でいいたいのは、ある医師にかかれば必ず自分の症状が解決できる診断名を得られるはずだということではありません。(中略)診断名なんてなくたって、治療を受けて、改善していけば良いと思いませんか? 治療の方が大切ですよ。(中略)私は、診断については医師と一緒に考えたいです。患者さんとは治療について考えていきたいです。患者さんとも診断の話はしますが、治療の話をするときに少しお話しするくらいです。治療について考えることが、症状に困る患者さんへの救済になると私は思っています。(『医者は患者の何をみているか』217218ページ)

私には「患者とは治療について考えていきたい」という國松さんのスタンスが、「リタにはできることとできないことがあると決めてかからなかった」キャスィ先生のスタンスと重なって見えます。むしろ協調性に満ちた環境を作り出して「自立心」を引き出すような働きかけを工夫することで、状況を改善していくことができる、國松さんも、「キャスィ先生」も、そしてエリンさんも、そういうことが一番大事だと言っているように思います。

理解をうみだす教え方を工夫するうえで「みる」(診断する)ことは教師にとって大切です。しかし、学習者にとって大切なのは、その「みる」の成果にもとづいて教師が「する」ことです。医師で言えば「治療する」ことですが、教師にとっては,キャスィ先生がリタに向かって働きかけていたような「自立心」をいざなう問いかけです。頭のなかでじっくり考えたり、思い出したりできるような言葉かけなのです。國松さんも、患者の「自立心」を引き出す働きかけをしているのだと思います。それは学ぶためにも、自分の身体を理解するためにも、とても大切なことに思われます。

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