2020年2月7日金曜日

「本物」の学びをつくり出す「本物」の評価


 かなりの部分、学校で行われている評価は「偽物」が横行しています。単に習慣だからという理由で、行われています。それにどういう意味や価値があるのは考えられることなく。それは、単に「まずい」評価をし続けるだけでなく、そのための準備として何を(=どんな授業)し続けるかと、コインの裏表の関係にありますから、問題は評価の問題にとどまりません。つまり、「テストのために教科書をカバーする授業」ということです。
 そのセットによって、読む力や書く力がついたという経験をもっている人はどれだけいるでしょうか?(いたとしても、極めて少数派のはずです。その大方は、授業やテストに関係なく、元々好きだった可能性が高く、私のように圧倒的多数は、「正解あてっこゲーム」によって、読む力や書く力が身につかないだけでなく、読むことも嫌いにさせられますから、弊害は極めて大きいです。国語の時間は、そういう時間だということです!)
 テストを中心にした「偽物」の評価に対して、少し感情的になってしまったかもしれません。偽物の評価には、テスト以外に何があるかというと、読書感想文、読んだページ数の記録、作文の文字数(原稿用紙を使うこと自体?)、毎年お決まりの題材で書かされることなどが含まれます。要するに、実社会では行われておらず、学校の中だけでしか行われていないもの(=学校ごっこ)です。

 それでは「本物」の評価とは、どういう評価でしょうか?
 それを明らかにする一番いい方法は、優れた読書家たちが実際にしていることを参考にする方法です。

    その本が適しているかどうかを評価するために友達の推薦に耳を傾ける。
    GoodReads★注・様々なジャンルの本のお勧めサイトのことです。日本なら、読書メーターやアマゾンのカスタマーレビューなどに相当します。後者は、関係者による「やらせ」もあり得るので、若干差し引いて読む必要があるようです。★やその他のソーシャルメディアのサイトに書かれたブックレビューを読む。
    本の曖昧さや面白い部分、登場人物の動機や作家のスタイルに目を向けながら他の読み手とのディスカッションに参加する。
    本を評価したりレビューを書いたりする。これは、GoodReadsAmazon、ブログなどへ投稿したり、自分だけの本リストを記録したりするといった形でできる。
    本を読んだ体験を振り返って書いたり、その本の内容についての観察記録をつけたり、特定の種類の人々に対して推薦したりする。これは共有ブログや個人ブログの中で投稿することができる★注・一冊の本だけでこれをやり続けている例が訳者の一人が10年以上書き続けている「ギヴァーの会」のブログです。覗いてみてください。★。
    その面白さについて熱く語ったりその内容を知らせたりするために、友達に本について話をする。
 以上は、現在翻訳中の『Hacking Literacy(学校での読みをハックする)』の70ページに紹介されているリストです。(他に、思いつくものがありましたら、pro.workshop@gmail.com宛に教えてください!)
 最初の2つは、自分の読みたい本探しを継続的にやり続ける部分です。
 3番目は、「ブッククラブに参加する」と言い換えられます。
 3番目も含めて、4番目以降は、主に発信する部分です。3番目は、まだ考えが曖昧でもOKです(Douglas Barnesが1970年代に紹介した「探究的な話し合い(Exploratory Talk)」がもっとも歓迎される話し合いの形態という意味で)。それに対して、4番目以降は自分の考えをかなり確固としたものにした上での発信が求められます。4番目と5番目は書く形で、最後の6番目は口頭で。6番目は、「ブックトークをする」と言い換えられます。
 これらの取り組みを、通常の国語の授業(読むことに関係する単元)でどのくらいやられているでしょうか?
 リーディング・ワークショップ/読書家の時間では、かなり日常化しています。(まだ、読まれていない方は、『リーディング・ワークショップ』『読書家の時間』『イン・ザ・ミドル』『読書がさらに楽しくなるブッククラブ』がおすすめです。)
 『読書家の時間』には、小学生でもみごとなブックトークができてしまう事例が紹介されています。それは、ほとんどどれだけその本を紹介したいかという紹介者の熱と比例関係にあります。
 4番目の本を評価したり、レビューを書いたりすることについては、『イン・ザ・ミドル』とhttp://wwletter.blogspot.com/2020/01/blog-post_24.htmlで紹介されています。

 「本物」の評価の特徴は、他の誰かの参考になる情報を発信すること、つまり具体的な作品/成果物をつくり出すことにありそうです。その過程で、本人の学びは最大化されるという関係です。ある意味では、「指導と評価の一体化」ならぬ「学びと評価の一体化」が実現していると言えます。
 逆に、作品/成果物は作らない従来のテスト的な評価だと、ほとんど「一夜漬け」的な努力でごまかせてしまうので、「本物」の学びもつくり出せません。
 子どもたちがイキイキと主体的に取り組む授業や、単に教科書をカバーする授業から抜け出したいと思っている方には、評価にこそ目をつけることがポイントかもしれません。コインの裏表の関係になっていますから。

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