A Writer’s Notebookというタイトルの本の中で、著者のラルフ・フレッチャーは、「作家のような人生を送る最善の方法として『作家ノート』があります」と言い切っています。同じことは、読書家、数学者、科学者、歴史家、市民等のような人生を送るのに読書ノート、数学者ノート、科学者ノート、歴史家ノート、市民ノートは最善の方法と言えます。ピーター・レイノルズ風にいうと「作家っぽい」「読書家っぽい」・・・・人生を送れるようになります。私は、これまでの「ギヴァーっぽい」「PLCっぽい」以外に、最近は「学校が抱える様々な問題をハックするっぽい」人生も送り始めています。
前回、ブッククラブ形式でこの本を読んだ時も、このことについては触れました。ぜひ、あなたもこだわりのある「〇〇っぽい」ライフスタイルを送ってみてください。世の中の見方や行動が確実に変わります。
今回のハイライトというか一番盛り上がったのは(5人でまだ最初の2章しか読んでいませんが)、子どもたちが日々の生活に追われて鈍感になっているのでは、ということでした。
Aさん・英語教室で中高生~大人まで、1週間の内にあった出来事を発表してもらっています。数年前に一人の高校男子がこう言っていました。「僕達は毎日学校に行き、塾に行き、家に帰って、また学校に行き、の繰り返しです。休みの日も1日塾です。毎週、大した変化はありません」私は、「まったく・・・若いのに死んでるみたいな生活だな」と思うと同時に、「それでも絶対何かあるはずだよ、生きていれば。感じていれば」と思いました。それからしばらくして、別の教室で接する子どもたちのほとんどが一週間の出来事を聞いても何があったか思い出せない、いつも自信満々で「何もない」と断言することが多かったのです。今の子どもたちは、小さいころから五感を育むことも、意識することもあまりなく、無味無臭、乾燥地帯で生きている気がしてなりません。
フレッチャー氏が書いていることを参考に今後のレッスンに活かしたいとは思いますが、「忘れ得ないこと」や「激しく頭の中で繰り返されるような疑問や好奇心や気がかり」を本当に子どもたちがもてているかどうかということや、「でも実際の子どもたちの生活はなー・・・」と不安というか戸惑いというかそんな気持ちも同時進行で感じているところです。でも、チャレンジはし続けます。
Bさん・自分も含めて(子どもたちだけでなく)、自分の中に起こる感覚に鈍感になっている気がしています。「気づかない」「感じない」症候群です。日常に忙殺され、五感がどんどん鈍くなり感性が閉じてしまっているような….。私はWWの実践の中で「身体から立ち上る感覚と言葉をつなげる」ことを大事にしています。そのために、まず五感を敏感にして「感性を開く」トレーニング?が必要なのかなと最近は考えています。感性が閉じちゃっている人に有効な方法として「街を歩くときに、たとえば“黄色”に注目して黄色があったら『あ!きいろ』『これも黄色』ってやるといいというような話を聴いたことがあります。見慣れた風景の中で見過ごしていた景色に出会う=観察の目を養うということでしょうか。そこにあるものに気づく⇒自分の中にある感情を、五感を通してありありと感じる。そこが「書く」行為の出発点なのかな、と。小さなアリが歩いている風景。小さい頃は飽きずに何時間も追い続け、そこに自分なりの物語を紡いでいたような気がします。
Cさん・でも、鈍感になっているのは、私たちが毎日を見る目がないから? ちゃんと生きていないから? 学校(授業)や家庭が死んでいるから? 生きるとは同じことの繰り返しだから? 本当に毎日が同じで、何も違うことはない生活を送り続けていいわけがないので★、作家ノートやWWの実践を通して、それが明らかになれば、ものすごくおかしいことを私たち大人が子どもたちに対してしてしまっていることを暴き出す材料にはなりますね!! 作家ノートは、それを変えるための起爆剤?
Aさん・鈍感になりすぎて変化に気づかない。スマホの画面に集中して周りを見回すことがない。それがどうしたという無関心さ。親以外と話す機会の少なさ。半径5メートルくらいの中で生活しているような視野の狭さ。こういう部分を解決できる、目を覚まさせることができるのがWWだったり、RWだったりするんだろうな、と期待はしていますが、私は学校で指導しているわけではないので、時間が足りません。保護者と協力しながらできるのが作家ノートかなー、と思っています。親や家族にもインタビュー形式で何か話を聞いてメモを取ってくるように宿題を出しています。
Cさん・遊びの仕方なんかとも、関係ありそうですね。それに費やす時間も含めて。★★
Aさん・そうなんですよね。遊び方がわからない、危険なことはまずしない、時間に管理されすぎていて「5時になったら帰る」「6時までに帰る」というきまりに支配されているため、「暗くなる時間の変化」や「肌寒くなる季節の変化」、「どこかの家から夕飯の匂いがしてきたら帰る」みたいな感覚が全くありません。「あー、帰るの遅くなった。叱られるかなー」みたいなドキドキ感もなく、うちの近くの子が遊びに来ていても「6時になったら教えて」とか「今何時?」「もう6時になった?」とか3分おきに聞いてくる、そんなのばかりです。先回りして危険を未然に防ぐ、が赤ちゃん~18歳になるまで続いているような気がして、いつまでたっても自立できない結果になっているような・・・?
Dさん・しかもいろいろなことを記述するというところに価値があるような気がします。ふわふわしたことや心の中で起こっていることを言語化することが子どもたちの中で減っているような気がしています。
Aさん・そうですよね。「言語化する」って大事なのに減っていますよね。そして「単語のみの会話(ライン等で)」でやりとりしていることが大半です。
おまけ(?)として、作家ノートの体裁や大きさについて・・・・
Bさん・具体的なご相談⇒今年度WWの授業を開始するにあたって、「作家ノート」をどのようなものにするか、悩んでいます。昨年度は「書く場所はどこでも」にこだわって、画板のような固いファイルに用紙を挟むタイプのものを考えました。でも今回この本を読んで、日常生活の中で「いつでも」にこだわりたいという思いがあります。そうすると、常に携帯できるような小さめのノートがいいのかなぁ。ちょっとした気づきやつぶやきをすぐにメモできるようなものがいいなぁと思っています。
Eさん・これから渡すのですが、もう買ってあって、キャンドゥーで三冊百円で買えるB5の大学ノートです。ケチって、半分に裁断しようかと思ったのですが、僕は大きいサイズの方がいいだろうと(『イン・ザ・ミドル』にあるように一行空けて下書きを書くように子どもたちに教えるので、大きい方がよさそうです)そのままのサイズで子どもたちに渡す予定です。ルーズリーフでやっている先生もいましたけれど、普通のノートの方がバラバラにならないでいいかな、自分的にです。小さいサイズとなるとその半分。A5サイズのノートもありかも。
目的にあったデザインがいいですよね。僕だったら、いつでもといっても、メインは授業で、家に帰って子どもたちが書く。それで休日や放課後に外に作家ノートを持ち出すこともあるかもしれないけれど、そこまで意識があれば、手提げやリュックなどカバンに入れて持っていくだろうから、B5の大学のノートでいいかなと思います。
Bさん・「作家的な生活を送ってもいいと考えている大人にも耐えうるか」とありましたが、むしろこの本を普通の?大人が読んだら「作家的な生活を送りたい!」と思うのではないでしょうか。それほど「書く」ことが人生を魅力的にきらきらさせる魔法を持っていると感じさせる本だと思いました。私も「自分の作家ノートを作って本格的に取り組もう!」と決意しました。
★『「読む力」はこうしてつける・増補版』の58~59ページに、「読むことの妨げになっている要因」が8つ紹介されています。①興味・関心やモチベーションの欠如、③読む時間(読むことを楽しむ経験)の欠如、⑤教師による適切なサポートの欠如といっしょに、⑦不十分な基礎知識(や体験)が含まれています。①~⑥および⑧は、リーディングワークショップ(や書くことに関してはライティング・ワークショップ)の導入によってすべて解決しますが、問題は⑦です。これについては、同書に次のように書かれています。「まずは、家庭が子どもたちにどれだけ価値のある体験をさせられるか、また国語以外の教科で、どれだけ意味のある学び、つまり子どもたちが自分のものと思えるような教え方・学び方が実践できるかにかかっています。」
★★この点については、『遊びが学びに欠かせないわけ』に極めて多岐にわたって(歴史学的、考古学的、社会学的、教育学的等の分析を踏まえながら)詳しく書かれていますので、ぜひご一読ください。