2019年4月19日金曜日

「憶える」と「忘れる」

  「記憶」(憶える)について考えることは同時に「忘却」(忘れる)について考えることでもあります。テストのために一夜漬けで勉強したことは、テストが終わると忘れてしまうことが少なくないですが、それはどうしてなのでしょうか? その反面、忘れたくても忘れられない記憶がわたくしたちを悩ませる場合も少なくありません。忘れられない記憶は、人を励ます場合もありますが苦しめる場合も少なくないのです。

 はじめての「一人読み」で心を揺さぶられた時のことは覚えています。小学校2年生の時に学校の図書室で、アンデルセン童話の「みにくいアヒルの子」★を読んだ時のことでした(この記憶自体、わたくし自身何度か人前で話したり、書いたりしているので、その過程でつくり上あげられた可能性も否定できませんが)。「みにくいアヒルの子」の内容に感銘を受けたと言えばそうなのですが、むしろ周囲のアヒルたちに「みにくい」と言われていた主人公が、成長し空に飛び立とうとして、自分が白鳥だったことに自ら気づく、という最後のどんでん返しに不思議な感情(それをアリストテレスは「カタルシス」と呼んだわけですが)を覚えたのです。何か心のなかに「感動」のスイッチが入ったような感じ。

 精神科医・岡野憲一郎さん★★の『精神科医が教える 忘れる技術』(創元社、2019年★★★)には次のように書かれています。



 「あることをしっかり憶え、体に刻み込むと、それをあまり考えなくなるらしい。とすれば、しっかりと憶えることは忘れることにつながるのだろうか? これは矛盾してはいないか?」

 これは非常に重要な疑問です。このような疑問を抱くのは無理もありません。記憶に関するじつにパラドキシカルな部分であり、意識しない記憶-いわば無意識的な記憶が存在するからです。

 ふつう私たちが、ある記憶を呼び起こすとき、意識野にあるイメージを思い浮かべることだと考えがちです。しかし、そもそも記憶とは、自分の役に立つ、しっかり保持されている記憶であっても、たいていは忘れられていて一時的に意識野の外にあり、無意識的になっているのです。それは脳のどこかに格納されてふだんは姿を見せず、必要に応じて引き出されます。

 ただ、記憶のなかには、引き出すつもりがないのに勝手に出てきてしまったり、格納するつもりはないのにされてしまったり、あるいは場合によっては格納したくてもどうしてもそこで居座り邪魔しつづける、というものもあるのです。こうした不完全な格納のされ方によって「外傷記憶」が生まれたりします。(101102ページ)



 わたくしの「みにくいアヒルの子」体験の記憶は、いやな記憶ではないようです。もちろん、ずっと頭のなかの意識野に置いているわけではありませんが、人生ではじめて一人で読んだ記憶として、何度も繰り返し引き出すことができます。思い出したくない記憶にはならなかったようです。

 岡野さんはラリー・スクワイアというアメリカの心理学者の記憶分類法を取り上げ、記憶には「頭の記憶」(陳述的記憶declarative memory)と「体の記憶」(手続き的記憶procedural memory)があり、この二つの記憶がバラバラになると、忘れたくても忘れられない記憶になってしまう(「格納したくてもそこで居座り邪魔しつづける」ことになる)と言い、「あることを体験する、ということは、ひじょうに具体的な記憶の部分と、それにともなった感覚的な部分の記憶を同時に体験することです」(108ページ)と言っています。わたくしの「みにくいアヒルの子」体験で言えば、アヒルの子が実は白鳥の子だったという物語のどんでんがえしの記憶は「ひじょうに具体的な記憶の部分」であり、えも言われぬカタルシスを憶えたということが「それにともなった感覚的な部分の記憶」ということになるでしょうか。確かに「頭の記憶」だけでもないし、「体の記憶」だけでもありませんでした。両者が結びついていたのです。

 もしも「みにくいアヒルの子」のプロットや舞台設定だけを憶え込まされていたら、あるいは、わけのわからない「感動」だけを刷り込まれていたら、きっとこんなふうに幸福な記憶として「みにくいアヒルの子」の読書体験がわたくしのなかに残ることはなかったでしょう。前者の場合、読書の記憶すら残らないでしょうし、後者の場合、おそらく感動した覚えだけはあるけれども、それが何の話だったかは思い出せないでしょう(いたずらに感動したがる人になっていた可能性もあります)。いずれにしても、わたくしの読書個体史に何の足跡も残さなかったでしょうね。そしてこれは『理解するってどういうこと?』でエリンさんが乗り越えようとした事態であると思います。

 岡野さんの言う「頭の記憶」と「体の記憶」のバランスは、読むことの理解においても極めて重要です。



★学校図書館にあった、ディズニー映画になった童話のシリーズの一冊だったと記憶しています。挿絵に助けられながら読みました。

★★はじめて読んだ岡野さんの本は『心のマルチ・ネットワーク-脳と心の多重理論』(講談社現代新書、2000年)でした。「心」は単一のものではなく、多重的なネットワーク構造がそなわったもので、そのネットワークが分断されたときに、多くの問題が生じるという論に衝撃を受けました。

★★★2006年に同じ出版社から刊行された『忘れる技術-思い出したくない過去を乗り越える11の方法』を改題・新装したものだそうです。2019年版では、香山リカさんによる「復刊に寄せて」という文章が冒頭に加わっています。

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