『作家の時間』の「読み」版である『読書家の時間』を最終原稿にする過程で痛感したことを一つ紹介します。
①それぞれがベストの原稿を書いた上で、6人のメンバーが相互に「大切な友だち」の要領でピア・カンファランス的なことをしてよりよい原稿にしていた時(その時は原稿の分量を度外しして、とにかくベストの原稿にすることを最優先にしていました)と、②全部の原稿が出揃って、上限として許されるページ数から逆算してかなりの程度各原稿を削らないといけない作業として「編集者」としての役割を担う時の大きな違いについてです。
前者は、書き手に寄り添うことが中心です。
それに対して、後者は編集者ないし読み手の立場に立つことが中心です。何は残して、何は削っても差し支えないかの判断も伴います。
立場が違うので、見えるものがかなり違いますから、指摘できるものが違います。
とうぜん、両方大切です。
教師の添削は、どちらかといえば、後者の気がします。でも、それをやってしまう前に、前者の寄り添う部分がないと、子どもたちはせっかくの教師の添削も受け入れづらいだろうな~と、今回の作業を通じてつくづく感じました。
しかし、出版前の「校正」段階では、この「編集」というプロセスもたまには体験することも大切だとも。
というのも、「大切な友だち」で「修正」している段階では、どちらかというとわかりやすくするために、補足するウェートが多くなり、必然的に分量は多くなる傾向があります。カットするという投げかけは、たとえできたとしても、補足するのと比較したら、1対3から1対5ぐらいの割合かと思います。
しかし、それなりにベストの原稿に仕上げた上で、分量制限を提示して、縮める作業は題材選び→下書き→修正に一番コミットしてきた書き手にはできません。「編集者」である第三者にしか。
その体験は、自分の原稿を縮める際に、徐々に役立つ気がします。
縮めるときにだけでなく、作家のサイクル全体に影響を及ぼす気さえします。
ぜひ「編集者」の体験をさせてあげてください。
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