2018年5月19日土曜日

「私たちは見ているようで何も見ていないのです」

 
 『理解するってどういうこと?』の第8章「すばらしい対話」は、「夢中で対話すること」という理解の種類を扱っています。これは「アイディアについての集中した対話に取り組み、これまで考えていた以上に言うべきことを自分が持っていたことに気づく。自分や他の人たちの意見やその根拠を理解するまで、他の人たちの考え方を考慮したり、疑問を投げ掛けたりする。自分の思考が思いのほかはっきりすることに驚くこともある」という理解の種類です。アンリ・マティスとパブロ・ピカソとの絵による応酬のことや、「対話」をとおして絵本を深く意味づけていく子どもたちの姿が描かれているのですが、いずれも「他人の目で見る」ことを通して、自分の思考をはっきりさせて意味をつくり出しています。


 最近になって、伊藤亜紗さんの『目の見えない人は世界をどう見ているのか』(光文社新書、2015年)という本を読んだところ、この「夢中で対話すること」のもう一つの意味に気づかされました。第4章「言葉 他人の目でみる」で取り上げられている、美術鑑賞の「ソーシャル・ビュー」の体験と考察を取り上げます。たとえば、伊藤さんたちの「ソーシャル・ビュー」では、美術館の絵画作品を前にして、「見えない人」と「見える人」との次のようなやりとりが展開されます。

 

ひとまず見える人が見たものを言葉にしていきます。映像はどんどん動いていくから言葉にするのもなかなか大変、その言葉を、ひとつひとつ確かめるように耳を傾ける白鳥さん、しばらくすると彼も質問を投げかけ始めます。

「飛び込んでいるのは大人? 子ども?」

見える参加者が答えます。

「子どもです……とっても楽しそうで……。インドかどこかの国かな」(158ページ)

 

 こういう「対話」の面白さを伊藤さんは次のように言っています。

 

 情報化の時代にわざわざ集まってみんなで鑑賞する面白さは、見えないもの、つまり「意味」の部分を共有することにあります。もちろん、作品を見たその瞬間にぱっと意味が分かる人なんていません。しばらく眺め、場合によってはまわりをまわったりして、自分なりに気になった特徴を「入り口」として近づいてみる。もやもやしていた印象を、少しずつはっきりさせ、部分と部分をつなぎあわせて、自分なりの「意味」を、解釈を、手探りで見つけていく。鑑賞としては遅々とした歩みであり、ときに間違ったり、迂回したり、いくつもの分かれ道があったり、なかなか一筋縄ではいきません。しかし、この遠回りこそが実は重要なのです。(165ページ)

 

 たとえば、ダヴィンチの「モナ・リザ」を「理解する」というのはどういうことを言うのでしょうか? わたくしには「モナ・リザ」を理解することができた、というふうに言い切る自信はありません。が、「気になった特徴」を話したり、「部分と部分をつなぎあわせて」考えた「意味」を語ったりすることならできるかもしれない。最初の引用に登場する「白鳥さん」は「見えない人」ということですが、「見える人」が見たものを言葉にしたことに質問し、それに「見える参加者」が応えていくなかで、まるで協働作業のようにして「意味」がつくられていく。ここで重要なのは「見える参加者」にもはじめから絵の「意味」をすべて把握しているわけではなくて、「白鳥さん」の質問に答えようとして少しずつ言葉を加えることで、絵の「意味」をつくり出しているということです。伊藤さんはこのことを次のように考察しています。

 

 変化は見えない人の中でも起きます。白鳥さんは、美術鑑賞を通して「見る」ということについての考え方が変わったと言います。「それまでは、見えているのはいいことで、見えていないのは良くない、見えていることは正しくて、みえていないことは正しくない、という印象が子どもの頃からずっとあった。見えている人の言うことは絶対的な力があったんですよ。見えている人は強くて、見えていない人は弱い、というような。でも見えている人が湖と野原を間違うというような出来事があって、何か違うぞと思い始めたんですね(笑)」。

 つまり、「見る」が絶対的なものでないことを、白鳥さんは知った。そう思うことによって初めて、見えない人にとっても、見える人に対する関係が揺れ動き始めます。

「見えていても分からないんだったら、見えなくてもそこまで引け目に思わなくてもいいんだな、見えている人がしゃべることを全部信じることもなく、こっちのチョイスであてにしたりしなかったりでいいのかな、と思い始めました」

 ある意味で、見える人も盲目であることを、白鳥さんは知った。障害が、「見るとは何か」を問い直し、その気づきが人びとの関係を揺り動かしたのです。福祉とは違う、「面白い」をベースとした障害との付き合い方のヒントが、ここにはあるように思います。(186~187ページ)

 

 絵画鑑賞は「見える人」にしか分からない、「見える人」が「見えない人」に伝えてあげることが大切だ、という考え方を根底から覆す発見がここには示されています。「見るとは何か」の問い直しによる気づきが「人びとの関係を揺り動かした」というところがとても大切だと思うのです。「夢中で対話すること」によって生まれる「驚き」もそれに近いように思えるのです。

 ある日、世界じゅうの「見える人」の視界が真っ白になってしまったらどういうことになるか。その世界を描き切った『白の闇』(雨沢泰訳、日本放送出版協会)という小説があります。ポルトガルのノーベル賞作家、ジョゼ・サラマーゴの傑作小説ですが、彼はその「あとがき」で「私たちは見ているようで何も見ていないのです」と言っています。わたくしが大学生になった年に生まれた伊藤さんの知性と卓見溢れる本を夢中で読みながら、わたくしはその言葉を思い出していました。

2018年5月12日土曜日

スキーマをRWに応用するには?

 「スキーマ理論」という言葉を初めて聞いたときは、難しそうな印象を持ち、そのときは「スキーマを活用して本を読む」と言われても、スキーマという言葉自体に馴染みがなかったので、「うん???」という感じでした。

 でもその後、何度かこの理論の引用などに出合っていくうちに、少しずつ、実際の授業で本を読むときに、子どもたちが応用できることを考えるようになってきました。

1)まずスキーマについて簡単に説明します。すでに、よくご存じの方は、すぐ下の説明を飛ばして、下の2)からお読みください。

『わかったつもり~読解力がつかない本当の原因』(西林克彦著、光文社新書)には、スキーマ研究の実験に用いられたブランスフォードたちの文章が紹介されています。

 まずは、以下の一節をお読みください。なお参照・引用ページ数を(  )で示しておきます。

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 新聞の方が雑誌よりいい。街中より海岸の方が場所としていい。最初は歩くより走る方がいい。何度もトライしなくてはならないだろう。ちょっとしたコツがいるが、つかむのは易しい。小さな子どもでも楽しめる。一度成功すると面倒は少ない。鳥が近づきすぎることはめったにない。ただ、雨はすぐしみ込む。多すぎる人がこれをいっせいにやると面倒がおきうる。ひとつについてかなりのスペースがいる。面倒がなければ、のどかなものである。石はアンカーがわりに使える。ゆるんでものがとれたりすると、それで終わりである。(45ページ)
*****
 
 上の一節は、言葉としては特に難しいことはないのに、何が書いてあるのか?と言われると見当がつかないです。しかし、上のことが、「凧を作って揚げること」についてであるとわかれば、すっと内容が頭に入るというような説明があります。(45~46ページ)

 そして、「何の話かがわかると、私たちは、それまでちんぷんかんぷんだった文章が、わかるように」なること、それは、凧に関する知識が文章を処理する際に使われるから」であること、また、「このように、あることがらに関する、私たちの中に既に存在しているひとかたまりの知識」がスキーマと呼ばれることなどが説明されています。(47ページ)

2)上の凧揚げの話は、なるほど、と納得です。そう思って読むと理解できます。

 さて、この話から、「読書家の時間」などで実際に本を読むときに応用できることは? ですが、まず、すぐに浮かぶのは以下です。

・単語もすべてわかるのに、話が全く頭に入ってこないときは、何の話かわかっていないからかもしれない、と考えてみる。

⇒ 一つの問題解決として何の話かわかるかどうかの努力を、少し行ってみる。例えば、その本の帯や裏表紙、書評や紹介文を読んでみる。すでにその本を読んだ友達と話しをしてみる。 何かの記事であれば、見出しや写真など全体を眺めてみる、等々。

・何の話かわかった場合は、その話について自分がどの程度知っているのかを考える。必要であれば、知識を少し補った上で、改めて読んでみる。あるいは、この話に関する知識を得るのはかなり難しいと判断したときは、その本を読むのをやめる、という選択をすることもありうる。

3)最近、気になっていて、もっと知りたいと思う点は、頭の中にあるスキーマを増やすことと読む速度の関係です。

 このブログでも度々紹介している中学校レベルの優れた実践者、ナンシー・アトウェルの教室の様子を見ていると、生徒たちは「読んでいるものについて、それに関わるスキーマを持っていない場合は、読むペースを落とす、 読んでいるものについてのスキーマを豊かにしっかりもっていて、たやすく読める場合、スピードをどんどんあげてもよい」とわかっているようです。

 まだうまく自分のなかで整理できていないのですが、その前提に、「興味をもって自分のレベルで無理なく読める本を大量に読む経験が、読むことに関わるスキーマを増やしていく、そうするとそのスキーマを使って、スラスラ速度を上げて読むことができるようにもなる」ことがあるように思います。(In the Middle 第3版、2015年、176-177ページ)  

 こういう点からスキーマを見ていくと、具体的な読み方を学ぶときに応用できそうなことがさらに増えそうに思います。この点は、考え続けて、いつか、再度ブログに書きたいと思っています。

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 *余談ですが、私は英語を教えているので、上の凧揚げの話の英語版を出して「分かった?」と聞くことが時々あります。そうすると、頷く学習者がけっこういるのです。それは単語も文法も難しくないので、「さらっと一通り母語に訳せる」からです。「何が書いてあった?」と尋ねると、さらさらと訳を言ってくれる学習者もいます。

 しかし、何の話?と、尋ねると、きょとんとしています。「英語を読む=内容が理解できる」ではなくて、「英語を読む=母語にできる」と思い込んでいる学習者も、けっこういるのだなと思わされます。

2018年5月4日金曜日

「カンファランスの数が少ない!」の問題解消法



これは、「作家の時間(WW)」や「読書家の時間(RW)」の時だけでなく、「数学者の時間」でも大きなネックになっていることが連休中のミーティングで明らかになりました。

あなたは、1時間の授業で何人ぐらいの生徒と顔を合わせてやり取りができれば「よし」としますか?

もちろん、たくさんの数がこなせても、質が伴っていなければ、あまり意味はありません。

それでは、量と質の両方を伴ったカンファランスとはどういう状態のことを言うのでしょうか?

Conferring with Young Writers, by Ackerman & McDonough(Stenhouse)に書かれていることを参考にしながら、紹介していきます。

カンファランスを、一人ひとりの生徒をいかす時間です。(『ようこそ、一人ひとりをいかす教室へ』には、WWやRWはそのための方法として紹介されていませんが、「究極」の一人ひとりの生徒をいかす方法と言えます!!)クラス全体への教師の指導を聞いて、分かった気にさせてしまうのではなく、カンファランスは「あなたの強みは何で、さらによくなるためには何ができる」かを具体的に教師が生徒に語れる教え方です。

それができるためには、教師と一人ひとりの生徒との信頼関係がベースになければなりません。

その上で、この本では、3つの大切なことが紹介されています。それは、①頻度、②焦点、そして③フォローアップです。そのいずれかが欠けていても、カンファランスは成功したとは言えないという、スタンスを取っています。

①   どうしたら、より頻繁に一人ひとりの生徒とカンファランスができるか?
 鍵は、教室運営にあると言います。何よりも、教師に指図されなくても、生徒たちが自分の判断で動ける教室をつくり上げることに。要するに、誰もが知っているWWやRWのローティンが大切だということです。それと同じレベルで、生徒たちに選択が提供されていること、物の配置が分かっていること、そしてパートナー(クラスメイト)と助け合える状態になっていることが。
 WWやRWの時間には、自分たちは「こういうふうに行動すること」が当たり前だという「規範」★ができあがっている状態にするわけです。

②   何を教えることが一つひとつの作品ではなく、書き手を育てるのか?
この本では、題材集め、構成、言語事項、焦点、主張(書き手の声)、入念に作り上げること(読み手が映像として描けられるものを提供すること)の6つの焦点を当てています。これら6つはジャンルに関係なく大切なものだからです。

③   子どもたちが使いこなせるようにするにはどうしたらいいか?
フォローアップ抜きでは、なかなかそうなりません。そのためには、繰り返しの練習が必要で、それに対してその都度の教師の介入というよりは、励ましが必要であることを意味します。
 フォローアップの具体的な方法としては、形成的評価、ガイド書き(似た課題を抱えている子どもたちを集めての指導)、メンター・テキストの利用、作家の椅子での発表、そしてその他多様な共有の仕方(http://wwletter.blogspot.jp/2018/04/blog-post_13.html)などが柱になります。

①~③を通して、量と質の両方を伴ったカンファランスが実現されると主張されています。これが、RWの場合はどうか? 数学者の時間ではどうか? 科学者の時間ではどうか? 市民/歴史家の時間ではどうか? を考える必要があります。


★ この大事な規範については、今月末に出る『最高の授業 ~ スパイダー討論が授業を変える』アレキシス・ウィギンズ著、新評論が参考になります!

2018年4月27日金曜日

「指導案」は役立つ? それとも妨げになる?



 先週、ある県の指導主事の方々を対象にした研修会で、「指導案も、研究協議もない方がいい」というニュアンスの発言をしたことから、その後何人かの参加者と継続的なやり取りが続いています。

 あなたは、指導案の作成・検討や、それをベースにした研究授業を参観しての研究協議で、自分の授業力が向上した経験をもっていますか?

 学校教育現場においては、基本的に、教員研修ないし教員の質向上には「指導案(およびそれを元にした授業)」が最も有効であるというスタンスを取り続けていますから★、上のような発言は、受け入れられるはずもありません。
 なかには、薄々その意味の無さに気づいている方もいますが、声を出して言えるような空気はありません。(研修会で感じたのは、前者が7~8割ぐらいで、後者は2~3割といったところでした。)

 私が80年代に「参加体験型の研修(要するに、ワークショップ)」をやり始めたのは、指導案およびそれをベースにした研究協議(=一斉指導)に代わる方法としてだった部分が多分にあります。
 それを、表にしたのが、http://projectbetterschool.blogspot.jp/2015/03/blog-post.htmlです。

 表の真ん中のファシリテーション型のワークショップを指導案で運営する人はいないと思います。
 しかし、そこにも書いたように、私は、1994~5年には、ファシリテーション型のワークショップには限界を感じてしまいました。
 そこで、5~6年間、生徒たちが主体的に学ぶことを可能にする教え方を探して、見出したものの一つが、ライティング・ワークショップ(作家の時間=WW)とリーディング・ワークショップ(読書家の時間=RW)のアプローチでした。
 それは、表の一番右側にあるように、生徒一人ひとりが本物の作家(ジャーナリストやノンフィクション・ライターや詩人)や読書家といえる人たちになりきる形で学ぶアプローチです。

 そして、その2行目に示したように、「個々の生徒のニーズに対応する教え方」をしますから、指導案という、あたかもクラス全員を同じと想定して描くような授業の進め方はできません。個々の生徒は、一人ひとり歴然と違いますから。
 この辺に関して、最も参考になる本は、『ようこそ、一人ひとりをいかす教室へ』です。(私がこの本を見出したのは、WWとRWに出合ったのと同じ時期の1999年~2000年ごろでした! 根底の部分でつながっていたから、おもしろいです。)

 だからといって、WWやRWおよび一人ひとりをいかす教え方は、無秩序に授業が展開しているわけではありません。通常の一斉授業よりも、はるかに複雑なことが教室中で展開しています。(そうしないと、より多くの生徒たちが熱中して学ぶことはできませんから!)
 あなたは、自分の授業を準備するのに、どういう表記法を使っていますか?
 自分の実践を同僚等に(あるいは、保護者にも)伝えるのに、どういう形で示していますか? ぜひ教えてください。


★ 指導案や研究協議よりも効果的な方法は、たくさんあります(表1を参照)。

何よりも大切なことは、教師が「(苦役として)やらされる」のではなく、「自分で選んで取り組める」ということでしょう。自分が効果的だと思うものを。

2018年4月20日金曜日

知らないことは素晴らしい


 東京・神田の大きめの新刊書店の文庫本コーナーで、平積みなのにひっそりと置かれた本を見つけました。ひっそりと置かれているのに、残りが3冊。タイトルが気になったので手に取ってみました。『考え方のコツ』(朝日文庫、2014年、もともと朝日出版社から2012年に刊行されています)という本。2006年から2015年まで『暮しの手帖』誌の編集長だった松浦弥太郎さんの本で、奥付に2017年6月で文庫版11刷とありますから、愛読書の一つだと言う人がいるかもしれません。

第1章       思考術:なんでも知っている人ではなく、なんでも考える人になる

第2章       想像術:面ではなく、たくさんの点をイメージする

第3章       コミュニケーション術:群れの中で群れにのみ混まれない泳ぎ方とは

第4章       時間管理術:時間に好かれ、時間を味方につける

第5章       グローバル術:メンバーではなくプレーヤーとして働く力

 章タイトルと副題を眺めるだけでも、読みたくなる本ですが、実は目次には章内の見出しも掲げられていて、その見出しの一つひとつが、モットーとして、頭のなかのどこかに刻みつけておきたい魅力的な文になっています。

 たとえば第1章の見出しは「一日二回「思考の時間」を確保する」「考えることをあきらめない」「知らないことを調べない」「思考を「書くこと」で視覚化する」・・・と続きます。もちろん、これだけでは行動リストのようで、そうした行動をどうしてしなければならないかはわかりません。「どうしてなのかな?」と思って、本文を読むと、松浦さんの体験に根ざした納得の説明がある、という仕組みです。

 たとえば、「知らないことを調べない」の節で言われているのは、知らないことを調べることを仕事の中心にすると、当然のことながら知識が増えて、それはそれで悪いことはないけれども、「何も知らない自分」を忘れてしまい、「考える」ことをしなくなってしまう、というドキッとするようなことが書いてありました。次のような文が続きます。



 知らないことは素晴らしい。最近あらためて感動したのは、『暮しの手帖』の新入社員が書いた、初めての原稿を読んだときのことでした。編集者としての経験も知識もないから、自分の内側を探るしかない。自分の心と向き合って、答えを見つけるしかない。そんな彼女の文章は、技術的には稚拙ですが、素直で見事なものでした。どんなベテランにもかなわない、思考の果ての輝かしい発明がありました。

 調べることをやめて、知らないことの素晴らしさを思い出そうではありませんか。(『考え方のコツ』30ページ)



 「グーグル化」する世界への警鐘ともとれる文章です。あるいは「無知の知」を、松浦流に言い換えたものと考えることもできます。「考える」ということが、自分の頭でじっくり考えて発見することだということを教えてくれます。

 考えながらじっくり考えて発見することは、他者を理解するための大切な方法ですが、松浦さんは、ほかにも、「自分が人と人をつなぐハブになること」という方法を提案し、そのためには「人の話をよく聞くこと」が大切だとして、次のように言っています。



自分の話やアピールは全部忘れ、ひたすらじっくり聞くことです。最後まで聞いて、そこで学んだことを実行に移せば、人と人とのハブになる一助となります。(『考え方のコツ』146~147ページ)



 このあたりまで読み進めたときに、『理解するってどういうこと?』の最終章にある、「わかる(理解する)ってどういうこと?」というかつてのジャミカの問い対するエリンさんの答えを思い出しました。



私たちが子どもたちに根気よく問いかけをし、彼らが答えてくれることに信頼を寄せてさえいれば、より深い、表面のレベルを超える考えがいつもあるのです。そして、ジャミカ、理解しようとするあなたを支えることは、私たち大人たちがあなたの果てしない知性を損じて、あなたが世界に対してしっかりと考えて手に入れたすばらしい発見を共有しようとすることなのです。ジャミカ、あなたが理解するのを手助けするために、私たちは問いかけるだけでなくて、しっかり聞くことを約束します。(『理解するってどういうこと?』358ページ)



「ひたすらじっくり聞くこと」は、エリンさんが言うように、話す相手の「発見」を共有して、理解しようとする営みなのです。理解しようとする営みだからこそ、人と人とをつなぐ「ハブ」になれるのです。裏返せば、人と人とをつなぐ「ハブ」になろうとするからこそ、「自分のため」を離れることができるので、相手を深く理解することができるということになるのではないでしょうか。


2018年4月13日金曜日

多様な振り返り/共有の仕方のバリエーション



 ライティング・ワークショップ(WW)の振り返り/共有の時間は、毎時間のサイクルの中で欠かせません。①ミニ・レッスンと②ひたすら書く/カンファランスの後には、必ずやります。★ 理由は、生徒たちにやる気、刺激、学びを注入する時間だからです。そのためには、いつも同じ方法(たとえば、作家の椅子)だけでするのではなく、多様な方法でした方が、エネルギーのレベルは上がります。

①定番は、何と言っても「作家の椅子」です。自分の作品を読んだ後に、クラスメイトから質問やいい点の指摘を受けます。多くの子どもたちは、この椅子に座って、自分の作品を発表し、ファンレターをもらうのを楽しみにします。発表はしなくても、クラスメイトの作品を聞いたり、それに対する質問や指摘から多くのことが学べたりする、とてもいい方法です。子どもたちが慣れてきたら、小グループをつくって、グループ毎に作家の椅子を行うことも考えられます(教師がすべてに目を光らせている必要はありません。)

②パートナーとの振り返り/共有。時間が短い時は、特に効果的です。「何でもいいから振り返って共有しましょう」とするよりも、「今日、書き直しや書き出しで工夫したこと」などテーマを限定した方が、焦点が絞れていいです。テーマは、教室の状態などを踏まえて、基本的には何でもOKです(というか、タイミングを見計らって適切なのを選びましょう!)

③学んだことの共有。子どもたちに今日学んだことを共有してもらうことで、同じ時間を過ごしていたにもかかわらず、多様なことを学んでいたことがわかる。たとえば、作品の終わり方について、タイトルのつけ方について、詩の行の換え方について、インパクトのある動詞の選び方についてなど、たくさん上がるはずです。これらの多くが「作家の技」なのですが、教師がそれらを教えるよりも、すでに教室の中にそれらを使っている/使いこなしているエキスパートがいることが分かるので、今後は相互に教え合うことも可能になります。

以下の2つは、『ライティング・ワークショップ』の日本での実践である『作家の時間』の中で紹介してある事例です(83ページ)。

④公開カンファランス。教師が一人の子に対して行うカンファランスを、他の子どもたち全員が丸くなって観察します。カンファランスを受ける子どもがたくさんのことを学べるのはもちろんですが、他の子どもたちも、作品はドンドンよくすることができること、質問の仕方、共有の時間の新たな可能性を知るきっかけになります。

⑤一人一文紹介。子どもたち全員が一文ずつ紹介するという方法です。たとえば、ミニ・レッスンで「効果的な書き出しとは」を扱ったので、カンファランス中に書き出しを修正している子どもがたくさんいることに気づきました。そこで、共有の時間のテーマを「書き出し」にしました。でも、一人か二人の書き出しだけをその後の文章と一緒に紹介してもらうよりは、文脈はわからなくとも、全員の書き出しを紹介してもらうことで、可能性はいろいろあることを知ってもらえます! これをする時は、サークルになってテンポよく行うのがいいでしょう。

⑥ハイタッチをしながら共有。これは動きを伴った共有の時間になります。内容的にすることは、②や③と同じです。誰かと共有し合ったら、今度は次の人とハイタッチをして共有し合います。できるだけ短い時間に、たくさんの人と共有し合うのがポイントです。まさに、活性化して授業を追われます。

⑦写真や動画で共有。スマホやタブレットの普及で、ひたすら書く時間に起こったことを簡単に撮れてしまう時代です。それを、教室内や教室外(特に、保護者や学校の先生や他教室の友だち)でも共有できてしまいます。既に存在するICTを使いこなす判断をするか否か、それが問題です。
なお、この方法は、形成的評価の手段としても効果的です。デジタル・ポートフォリオに収納することも容易ですし。

⑧互いのいい点を書く! 自分以外の名前が書かれた紙を全員に配り、それに、自分が書き手としてもっとも自慢できることを書いてもらいます。それにかかる時間は2~3分です。書き終わったら、それを名前の人に渡して、授業は終わりです。これによって、互いの得意なことが分かり、相互に教え合える関係もできます。と同時に、教師が後で集めると、クラス全員の形成的評価の情報の一つにも位置づけられます。

あなたは、どんな振り返り/共有の方法を考え出して、実践していますか? ぜひ教えてください。


★ これ3つが、密接に絡み合っていい授業をつくり出していることが、『作家の時間』の第1章「ミニ・レッスン」、第2章「書く時間とカンファランス」、第3章「共有の時間」のあとの、85~88ページで解説されています。


2018年4月6日金曜日

WWとRW,新学期の緊張をほぐすアクティビティ3つ

 新学期の最初、RWやWWのクラスで、緊張をほぐしたり、少しお互いを知ったりするためのアクティビティを通しながら、できれば効率よくWWやRWに入れないか? とよく考えます。

 私のお気に入りの方法や、今学期、少しアレンジして、トライできないかな?と考えてるものを3つ紹介します。

(1) 自己紹介と WWの「書けそうな題材リストつくり」を兼ねる方法

・これは、WWの研修会で学んだ方法に、自分なりに少しアレンジを加えたものです。

・適当な小グループになり、自己紹介を兼ねて、お互いが好きなものを一つずつ話します。それを5,6周、繰り返します。(年齢や学習集団によりますが、1周目は、わりと当たり前のことがでてきて、だいたい4,5周めぐらいから、面白いものや個性が感じられるものがでてくる気がします。)

・ そのあとに、「書けそうな題材リスト」を導入します。まずは、今、自己紹介で話した「好きなもの」は、とてもいい題材になる可能性があることを伝えます。そして、題材リストの最初の項目として、自己紹介で話した好きなものを記入します。

 加えて、好きな場所、好きな食べ物、好きな時間の過ごし方、好きになりたいことなど、どんどん範囲を広げ、かつ、過去と現在と未来のどの時制から考えてもいいよ、と伝えます。黒板にキーワードをいくつか書いておいてもいいかもしれません。

 また、 好きなことがなくなってしまったら、「苦手なこと、イラッとすること、改善したいこと」等々も書くこともOKと伝えておきます。

・それぞれが、しばし、自分のリストを作成します。その後に、グループを変えて、書いたリストから1つか2つを選んで、自己紹介。他の人の「題材リスト」から「これはいいな!」と思うものがあれば、自分もメモしておくように言います。

(2)教室や学ぶ場所の探検ゲーム

・すでに教室に図書コーナーがある先生、 あるいは図書館でRWやWWを実施する先生は、学ぶ場所の探検ゲームも、新学期によい活動のように思います。

 『読書家の時間』(新評論、2014年) 1章は「最初の10時間」で、1年生の1時間目は「教室の本の世界を探検してみよう」です。

(5年生の1時間目は「図書コーナーをつくろう」で、この先生は1時間目は、下準備をしておき、一緒に本を手に取るところからスタートです! また、5年生の2時間目は、本の紹介と自己紹介を兼ねた活動です。子どもたちが本を1冊持って登校し、先生が本の紹介のお手本を見せたあとで、リラックスした雰囲気で、ペアで本を紹介し、そのあと、列をずらして違うペアで本を紹介します。この活動も、なかなか楽しそうです。)

 ・このブログで度々紹介している、中学校レベルの優れた実践者、ナンシー・アトウェルさんも、グループでの「教室の探検ゲーム」を、新学期の定番の活動としているようです。アトウェルさんの本★によると、リストと地図をもって、グループで教室を探検します。

 リストには27項目も並んでいますが、例えばいくつか紹介すると、以下のような感じです。

・ブックトークで、情熱的に語りたいので、ブックトークしたいことを先生に知らせるために、ブックトークをしたい本を置いておく場所
・本を読み終わったら、その書名を記録するときに開く引き出し 
・素晴らしいスポーツものの小説が並んでいる書棚
・書き終わった作品を、赤ペンで自ら校正した後に入れるトレイ。
・先生たちの教材が入っているので、生徒は触ってはいけない棚

(3) 読むことと共有することを組み合わせた自己紹介

・これは、英語の先生から教えてもらいましたが、中身を変えることで、国語の授業でも、英語の授業でも使えそうです。

・さっと読めるような、ひとまとまりの短文を何種類も準備し、1枚のカードに1つずつ印刷します。(この活動を教えてくれた英語の先生は、50単語以下のコンテストの優秀作品を使っているようでした。日本語であれば、例えば「一筆啓上」シリーズ? 川柳? 教室の図書コーナーにある本から、印象に残るような1,2文でもいいかもしれませんし、読むことや書くことについての、素敵な引用文でもいいかもしれません。)

・そのカードを教室の机の上にあちこちにおきます。

・教室を歩き回って、そのカードを読みます。カードが置いてある場所を変えることはできないので、自分が気に入ったことが書いてあるカードがあれば、それがどこにあったかを覚えておきます。

・だいたい参加者が、ひととおり目を通したら、自分が気に入った言葉が書いてあるカードのところに集まり、同じカードを選んだ人どうしで、自己紹介をし、なぜ、そのカードが気に入ったかを話します

・ 一つのカードに人が集まりすぎたら、2,3のグループに分けます。

・ そのカードを選んだのが1~3名の場合は、そのカードを手にとり、他のカードを選んだ3名以下の人と併せて、一つのグループにします。

・ 各グループから、選んだ文と、どんな反応があったのかを、全体に報告します。

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★ In the Middle (Heinemann, 2015) 第3版の69ページに27項目のリストが載っています。