2018年4月27日金曜日

「指導案」は役立つ? それとも妨げになる?



 先週、ある県の指導主事の方々を対象にした研修会で、「指導案も、研究協議もない方がいい」というニュアンスの発言をしたことから、その後何人かの参加者と継続的なやり取りが続いています。

 あなたは、指導案の作成・検討や、それをベースにした研究授業を参観しての研究協議で、自分の授業力が向上した経験をもっていますか?

 学校教育現場においては、基本的に、教員研修ないし教員の質向上には「指導案(およびそれを元にした授業)」が最も有効であるというスタンスを取り続けていますから★、上のような発言は、受け入れられるはずもありません。
 なかには、薄々その意味の無さに気づいている方もいますが、声を出して言えるような空気はありません。(研修会で感じたのは、前者が7~8割ぐらいで、後者は2~3割といったところでした。)

 私が80年代に「参加体験型の研修(要するに、ワークショップ)」をやり始めたのは、指導案およびそれをベースにした研究協議(=一斉指導)に代わる方法としてだった部分が多分にあります。
 それを、表にしたのが、http://projectbetterschool.blogspot.jp/2015/03/blog-post.htmlです。

 表の真ん中のファシリテーション型のワークショップを指導案で運営する人はいないと思います。
 しかし、そこにも書いたように、私は、1994~5年には、ファシリテーション型のワークショップには限界を感じてしまいました。
 そこで、5~6年間、生徒たちが主体的に学ぶことを可能にする教え方を探して、見出したものの一つが、ライティング・ワークショップ(作家の時間=WW)とリーディング・ワークショップ(読書家の時間=RW)のアプローチでした。
 それは、表の一番右側にあるように、生徒一人ひとりが本物の作家(ジャーナリストやノンフィクション・ライターや詩人)や読書家といえる人たちになりきる形で学ぶアプローチです。

 そして、その2行目に示したように、「個々の生徒のニーズに対応する教え方」をしますから、指導案という、あたかもクラス全員を同じと想定して描くような授業の進め方はできません。個々の生徒は、一人ひとり歴然と違いますから。
 この辺に関して、最も参考になる本は、『ようこそ、一人ひとりをいかす教室へ』です。(私がこの本を見出したのは、WWRWに出合ったのと同じ時期の1999年~2000年ごろでした! 根底の部分でつながっていたから、おもしろいです。)

 だからといって、WWRWおよび一人ひとりをいかす教え方は、無秩序に授業が展開しているわけではありません。通常の一斉授業よりも、はるかに複雑なことが教室中で展開しています。(そうしないと、より多くの生徒たちが熱中して学ぶことはできませんから!)
 あなたは、自分の授業を準備するのに、どういう表記法を使っていますか?
 自分の実践を同僚等に(あるいは、保護者にも)伝えるのに、どういう形で示していますか? ぜひ教えてください。


★ 指導案や研究協議よりも効果的な方法は、たくさんあります(表1を参照)。

何よりも大切なことは、教師が「(苦役として)やらされる」のではなく、「自分で選んで取り組める」ということでしょう。自分が効果的だと思うものを。

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