2024年5月18日土曜日

コレクティブ・エフィカシー

 昨年の11月に刊行された、ジョン・ハッティ、ダグラス・フィッシャー、ナンシー・フレイ、シャーリー・クラーク著(原田信之訳者代表)『自立的で相互依存的な学習者を育てるコレクティブ・エフィカシー』(北大路書房、2023年)という本のなかに次のような一節があります。

 〈多くのスポーツと違い、学校のグループでは、全員がある一定レベルの内容理解に到達することが目標である。授業開始時に多くを理解している生徒もいるし、読み書き力や計算力が高い生徒もいる。したがって、学校では、「私たち」スキルが重要になるであろう将来の社会での役割のために生徒の土台を形成しつつ、「私」スキルを伸ばして強化することが、協働的な段階の学習目標である。生徒のコレクティブ・エフィカシーの核心は、チーム内で個人のアイデンティティを確立し、自分が貢献できる自信をもち、そして、ばらばらの個々人よりもグループのほうがより成果を収めるという信念を構築するために、生徒が互いに協力することである。私たちの生徒は、貢献者、翻訳者、伝達者、批評家としてグループで活動することが今後ますます求められ、それによって方略的で有能なチームのメンバーとして、グループでどのように活動するのかを認識して明確にすることが必要となるであろう〉(『自立的で相互依存的な学習者を育てるコレクティブ・エフィカシー』132-133ページ)

 「コレクティブ・エフィカシー」(collective efficacy)は、心理学者アルバート・バンデューラ★のつくった概念で、直訳すれば「集合的効力感」となりますが、それでは何のことかよくわからないので、この本では「『他の人と一緒に行動することで、より多くを学ぶことができる』という生徒の信念」とされています(16ページ)。「『私』スキル」とは「自分自身に対する『ちょうどよい』程度の自信とグループに貢献する能力」「自分が学習者であることを認識する能力」「グループの目標を設定する能力」等に加えて「口頭でのコミュニケーション・スキル(争いの解決、交渉、のぞましい議論)」や「非言語コミュニケーション・スキル(アイコンタクト、ジェスチャー、ボディランゲージ、表情、声のトーン)」のことです。これに対して「『私たち』スキル」とは「社会的感受性(共感、間違いを認める、他者を受け入れる)」や「一緒に課題に取り組む意欲」「順番を守る能力」「グループやチーム内での柔軟な役割分担」等のことです。チームで学ぶことによって「コレクティブ・エフィカシー」を育てることが「『私たち』スキル」と「『私』スキル」を伸ばすことにつながる、ということが、上の引用文では強調されています。

学校で学ぶことが必要なのはこの「コレクティブ・エフィカシー」を育てることが「社会」を編むために重要だからだと言うことができるでしょう。「互いに協力する」ことが個人のアイディンティや能力を育てるために不可欠であるとも、上の引用文では言われています。この本には、そうした「互いに協力する」ことのもつ関係をつくる学びの姿が描かれています。たとえば、「ジグソー法」は学習者相互の相互依存関係がなければ取り組めない課題を扱うものですが、だからこそ「グループに対する生徒のコレクティブ・エフィカシーを促進する最も協力な教授法の一つ」であるとされています(p.156)。生徒の「コレクティブ・エフィカシー」が促進されるからこそ、協働の学びに夢中になることができて、その成果として「『私たち』スキル」と「『私』スキル」との双方を伸ばすことになるというわけです。なぜペアやグループで学ぶのか、ペアやグループで学ぶやりがいはどこから生まれてくるのかという、授業づくりでの重要な問題を考える手引きになる本だと思います。

しかしその一方で、「コレクティブ・エフィカシー」が促進されることは、学ぶことに対する生徒のワクワク感を増すことになり、それはそれで大変大切なことだけれども、いささか「社会的」に過ぎて、一人ひとりがじっくりと考えて何かに気づく時間はどのように位置づけられているのだろうかという思いを持ちました。思い出したのは『理解するってどういうこと?』第4章「アイディアをじっくり考える」にあった「ある日曜日の朝」と題された詩と絵についてのサラとオードリーという二人の教師が対話に関するエリンさんの考察です。 

〈その絵と詩についての彼女たちの解釈を強化したものは、単に話合いをしたということだけではなくて、いっしょに考える時間を持ちながら沈黙のなかにいることの、彼女たちが感じていた居心地の良さだったのです。彼女たちは、隣り合って座り、絵を見、詩を読み返し、作品に向かう自分たちの頭のなかに耳をすます一瞬一瞬に、その絵と詩に隠されていたゆたかな意味の多くに光が当てられるようになったと結論しました。このような彼女たちの発見を手がかりにして、もし私たちが自分の読んだものの微妙な意味を考えるとき、自らに沈黙という贈り物をすれば、人生がどれほど充実したものになるのだろうかと私は考えるようになったのです。また、そのような沈黙において、私たちは単に視覚だけでなく、聴覚をとおしても世界を見つめることになるかもしれないとも気づきました。もしも子どもたちに、周囲に沈黙をつくり出す方法や、自分の頭のなかの声にじっくりと耳をすます方法を教えたなら、また、彼らが深く理解しようとしている本や文章や概念のなかのさまざまな意味を聞き取れるようコーチしながら、どれほど大きなインパクトがもたらされるか、はかりしれないと考えるようになったのです。〉(『理解するってどういうこと?』145-146ページ)

  いや、これもまたハッティらの言う「互いに協力すること」がもたらすことの一つなのかもしれません。「いっしょに考える時間を持ちながら沈黙のなかにいる」「居心地のよさ」によて、そうでなければけっして発見できなかった「ゆたかな意味」が彼女たちにもたらされたからです。二人とも、一人ではけっして発見できなかったことですから。それはまた「自立心、探究心、協調性のある」場の賜物でもあります。読み書きの学習に関して言えば、「自立心、探究心、強調性のある教室」(『理解するってどういうこと?』pp.46-47)をつくることが「コレクティブ・エフィカシー」を促進することになるのではないでしょうか。

 ★「セルフ・エフィカシー」(self-efficacy:自己効力感。困難な状況に直面しても自分ならそれを達成することができるという自信や信念や期待)という概念も提唱しました。『社会的学習理論人間理解と教育の基礎』(原野広太郎訳、金子書房、オンデマンド版、2012年)という翻訳書があります。

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