2020年4月3日金曜日

「この世界を愛する新たな理由」を見つける




  エリンさんの『理解するってどういうこと?』には次のように書かれています。



表面の認識方法にあまりにも時間をかけすぎた指導をするあまり、深い認識方法による意味づけの指導がなされないとどういうことが起きるか、私たちの皆が目撃してきました。そのような指導を受けた子どもたちはロボットのように読みがちで、読みながら無意味な書き換えを行い、自分たちが読んでいるものが意味をなしているか、確かめながら読むことはまずしません。こういう子どもたちはまた、読み・書きの全体的な過程にも無関心になってしまいます。そして、読み・書きは退屈だと嘆いたり、読むのは嫌いだと言ったり、あまりに長すぎると文句を言ったり、しなくてもいいことをいろいろしたり、そして読み・書きのできが悪いという悪循環に陥っていくことがあまりにも多いのです。こうして、さらに表面の認識方法の指導を受けることになり、いつまでも同じことが繰り返されていくのです。(『理解するってどういうこと?』174ページ)



 このような事態は珍しくありません。むしろ多いと言ってもいい。私たちは読むということに、どのような考えで臨んでいけばいいのか。このことを教えてくれるのが、広く読まれた『プルーストとイカ―読書は脳をどのように帰るのか?―』(小松淳子、インターシフト、2008年第1刷、2020年第9刷)の著者、メアリアン・ウルフです。彼女の近著『デジタルで読む脳×紙の本で読む脳―「深い読み」ができるバイリテラシー脳を育てる―』(大田直子訳、インターシフト、2020年)にも読書と脳との関係についての含蓄のある考察があります。



読むという行為は、人間が自分自身から解放されて他人に移入し、そうすることで、本来なら知ることがなかったり憧れや疑念や感情をもつ別の人になるとはどういうことかを悟る、特別な場所なのです。(『デジタルで読む脳×紙の本で読む脳』、63ページ)



ウルフの使っている「移入」という言葉は詩人のジョン・ダンからの借り物です。しかし、それはウルフがダンの描き出す世界にしっかりと「移入」できていたからこそ、借りることができたのだと思います。「他人に移入」して、「本来なら知ることがなかったり憧れや疑念や感情をもつ別のひとになる」ことこそ、ウルフの考える「深い読み」の条件なのです。

 ウルフの言う「別のひと」になることは、日常生活でなかなか経験することができません。というか、不可能です。だから読むという体験は現実体験を超えます。「他のひと」になるという体験が起こりうるのが読書体験のむずかしさでも、面白さでもあります。



私が読むのは、この世界を愛する新たな理由を見付けるためであり、同時にこの世界を離れるためでもあります―――自分の想像を超えたところ、自分の知識と人生経験の外にあるものを垣間見て、そしてときに詩人のロルカのように、「とても遠くまで行って、昔の子どもの魂を取りもどせる」、そういう空間に入るためでもあります。(同前書、142ページ)



これもまた、ウルフが繰り返し言っていることですが、そう簡単なことではありませんね。でもどうして「この世界を離れるため」に読むのでしょうか。「この世界を愛する新たな理由」ってどういうものなのでしょう? そのことを教えてくれる文章がありました。



教師や親はできるかぎり、子どもたちが自分の背景知識を読むものと結びつけるように導き、他人の立場への共感を引き出し、推論をして、自分自身の分析や熟考や洞察を表現し始めるように、質問をします。(同前書、233ページ)



このような質問を出されると、本や文章を表面的に認識しただけでは、おそらく答えることはできません。対象の構造を掘り下げながら、自分自身をつくり上げたものを見つめ直し、自分自身を読み、解釈し、分析するという行為が伴ってきます。ウルフはそれが「深い読み」を育てるための道だと言うのです。「この世界を愛する新たな理由」を見つける道です。

もちろんこれは紙媒体の本を読むときだけに限りません。ウルフの研究は、対象とするメディアが何であれ「深い読み」を導く条件を明快に示してくれます。重要なことはデジタルな読みでも、紙の本の読みでも変わらず重要だということです。デジタル・ネイティブなどと呼ばれている世代に、紙の本だけが大事だと言って済ますわけにはいかないし、大人たちもデジタルな読みを避けて通るわけにはいかないという前提で考えられているので、説得力があります。別に、読む対象が紙だからいいとか言っているわけではないのです。



危うくなるのを防ぐために、子どもの画面で読み始めたらすぐに「対抗スキル」を教えます。とくに重きを置くのは、スピードではなく意味を求めて読むことの重要性、多くの成人の読み手が行っている単語で見当をつけるジグザグの斜め読みを避けること、読みながら自分の理解を習慣的にチェックする(話の筋の順序や「手がかり」を確認し、記憶を詳しく話す)こと、印刷で学んだものを同じ類推と推論のスキルをオンラインのコンテンツにも展開する戦略を学ぶことです。(同前書、238ページ)



 デジタルの時代に、紙の本を読むことにどのような意味があるのか。これは、今後ますます重要になってくる問題です。「スピードではなく意味を求めて読む」、「斜め読みを避ける」「読みながら自分の理解を習慣的にチェックする」の三つのことは、まさしく深く理解するために、優れた読み手が採用している方法でもあります。「あぁ、面白かった!」とか「とても充実していた!」と思うとき、私たちはこの三つのどれかをやっているのだと思います。「オンラインのコンテンツ」に対してこういうことができればすばらしいと私は思うのですが、むしろ往々にしてその逆のことをやっていることが多いものです。ウルフが言うことの逆とは、「スピード重視!」「斜め読みばかりする」「自分の理解を振り返るようなことは思いもよらない(時間のムダ!)」です。情報を手に入れることに限って言えばその方が効率がいいのかも知れませんが、深い理解は望めそうにもありません。

 あれっ?? この、ウルフが大事だということの正反対のことって、冒頭に取り上げたエリンさんの「表面の認識方法にあまりにも時間をかけすぎた指導」の特徴ととても似ていませんか? ウルフの言う「深い読み」のきっかけはエリンさんの言う「深い認識」を誘うことと強く重なっています。

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