2013年3月29日金曜日

学年末と学年始めにすべきこと


 2012度の子どもたちに、WWRWの評価はしてもらいましたか?
 それをするかしないかでは、新年度の実践がまったく違ったものになります。(毎年、同じことを繰り返していては、子どもたちにとってはもちろん、自分にとってもよくありませんから、ぜひ来年度の最後には忘れないでください。★)

 これまでは、アンケートインタビューの形で子どもたちの読むことや書くことの実態を把握するのがいいと思っていたのですが、より効果的な方法があることを知りました。★★
 それは、読書ノートや作家ノートに、

・読むこと/書くことについて間違っていないこと(=正しいこと?)
・自分の読み手/書き手としての歴史を書いてもらう

といったテーマ★★★で書いてもらう極めて単純な方法です。
 この方法なら、一人ひとりの個性が丸出しになります。書きたいことが書けるわけですから。(あるいは、書けないこともモロに明らかになってしまいます。)アンケートなどと比べて、統計はとれなくなりますが、より大切なのは読み手や書き手としての一人ひとりの子どもたちですから、得られる情報量は比べ物になりません。
 早速、新年度のはじめに試してみてください。

 この方法は、子どもたちにとっても自分が書けることが、時を追うごとに変わっていくのが実感できる方法でもあります。単に、数字が2から3に変わっただけでなく。

 さらには、教師だけが子どもたちが書いたものを見るのも、もったいないです。子どもたち同士で共有し合えれば(必ずしも、読みあう必要はない!)、相互に得られるものは計り知れません。 テーマ★★★を変えて結構ひんぱんにトライしてみてください。(やってみた方は、ぜひ報告をお待ちします!)


★ 評価は、成長する=学びを促進するためにあるんであって、成績をつけるためにあるのではありません。評価=成績という考え方は、単に時間の無駄です。「時すでに遅し」というか、それをもらったからといって、何も修正・改善ができないのでは意味がありませんから。 その意味では、このアンケートやインタビューも年度当初と年度最後にやるだけでなく、ぜひ学期末など適当なタイミングを見計らって、数回行ってください。

★★ Notebook Connections (Aimee Buckner)の17と27ページ。

★★★ 他の質問項目については、『「読む力」はこうしてつける』の28ページを参照してください。でも、ベストは目の前の子どもたちのことを踏まえてひねり出した自分の質問です。

2013年3月27日水曜日

<教科書検定>「英語で授業」基本に


http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130326-00000098-mai-soci

↑ この記事、全部が私にはマンガ★としか読めませんでした。
(改定のたびに繰り返されることですが。)

もちろん、それに付き合わされる生徒たちはかわいそうです。
そして、そのツケは、社会として払い続けます。
これまで何十年も払っているのと同じように。

国語は、大丈夫ですか?



★ 上の「マンガ」は、「悲劇」と置き換えられます。
  「犯罪」と置き換えた方が、より正しいかもしれません。

  もちろん、それは高校レベルだけで起こっているのではなく
  すべてのレベルで。

  さらには、すべての教科で、です。

2013年3月25日月曜日

桑原武夫の「読書のアドバイス」

 桑原さん続きです。『わたしの読書遍歴』という中で10のアドバイスを提示してくれています。すでに紹介している『ペナック先生の愉快な読書法―読者の権利10ヶ条』と、井上ひさしの「優れた読者」というか、「少し(かなり?)熱狂的な読者」というか、「書くことにつなげている読者」の十箇条とぜひ比較してみてください。

1.読書はコミュニケーションの有力な、しかし一つの形式にすぎず、人間形成にはそれのみでは不十分だと知ること
2.経験をおろそかにする読書は無効であること
3.多読のためには飛ばし読みはさけられない。それを罪悪感をもってせず、その技術を研究すること
4.インタレスト(興味)がおこらぬ本は読むな
5.問題意識を常に多く、鋭くもて
6.読んだことを話し合うこと
7.耳学問を重視し、利用せよ
8.カードを作れ
9.最愛の著者の全作品を読み、これを全人としてとらえること
10.外国語の原書を努力して読むこと

2013年3月22日金曜日

『文章作法』 ③


  桑原武夫さんの最終回です。

112 一気呵成で流露感がある文章がいいことは確かだけれど、私は事実を含まない、内容空疎な感想ないし感動だけの文章は大嫌いですから、内容は充実させたい。そこで書こうと思うポイントを、それぞれ紙切れにごく短くメモしておく。これも文書を書く上の一つの方法だと思います。
  (原稿用紙)20枚くらいのものなら、10から15くらいのメモを机の上にならべておく。どういう順番に、どれを使うかは書いているうちに決まってくるのです。書いた分から破りすててゆくのですが、そこに一種快感があります。もちろん使い切れないものが残る。残ったときのほうが出来がいいのです。
113 教訓するのでもなく、雄大な世界観を展開するのでもないかぎり、文章とくに短文は、人を知的におもしろがらせる遊びの要素が必要なわけです。といっても軽口やじょうだんでなく、知的な話題になりうるような事実を提出するのがよいのです。
114 直球でなく、何度もカーブがかかっていて、知的な遊戯となっているわけです。
  私の文章は欲張って中身をつめこみすぎるので、気品がないという批判をうけたことがあります。それは抗弁はできませんが、本人はそれが好きでやっているわけで、仕方ありません。

122 「てにをは」や助詞にも細かい神経を払う
123 不必要な反感を与えない
125 自分の使う言葉の内容を吟味する  ~ 誤解を与えない
129 無理のない言い方 = わかりやすい言い方
130 結びの言葉が大事

137 さまざまな現象を見てその現象を羅列するだけではなく、現象の底に、少し無理になっても理論を ~ 理論という言葉は悪いかもしれないが、定式、公式をさぐり当てていくことが必要です。伝統がこういうところに生きているのだとか、そういう仮説をもって書くと、(事実や現象を)並列するよりもおもしろいと思います。

141 自分の主張をはっきり出す
 文章を書くには、相手を説得しようというファイトが大切です。
143 作文を書くためには、写真でいうとピントを合わす練習をする必要があります。このごろは、自動的にフォーカスのあうカメラもあるようですが、そんな作文を書いてはいけません。ピントを合わす。それから構図を考える。絞りをきかせる。そういったことを考えてください。
149 文章を書くときには、とにかく書くということが、一番大切なことのように思います。まずは自分が関心を持っていることについて、自分の流儀でとにかく書いてしまう。そのあとで句読点を、もっとたくさんつけて直していく。
156 普通のことを、なるべく普通の方法で言うほうがいい。そこになにか少し気のきいた表現をとろうとすると、紋切型になる。少し気のきいたというところに、紋切型がひしめいている。


 以上、3回にわたって紹介してきましたが、鶴見さんのとあわせて、WWで日ごろしていることとの共通点があまりに多いことに驚かされた次第です。(ほとんど「そのもの」と言ってもいいぐらいかも。 もちろん、週3ないし最低でも週2の時間が確保されていることが前提ですが。)
それに対して、なかなか作文教育ではやられていなかったのではないでしょうか? 綴り方では?

2013年3月15日金曜日

『文章作法』 ②


 桑原さんの2回目です。

49 いつも心にあることを書く
51 私は文章を書くとき、できるだけサラッと書きたいと思っています。なにか書こうと、と思ってから考え出したのじゃなくて、いつも心にかかって考えていたこと、あるいは、いつもインタレスト(関心、興味)の強いことが、サラッと出たのが、随想でも、論文でも、できがいいように思います。

  基本的なこと(32~43ページで言ったこと)を生かしたうえで、できるだけフリー・スタイルで自由に書くようになっていただきたいと思います。

55~65 梅棹忠夫の『文明の生態史観』の書き出しを例に取りながら、いい文章(パンチをきかせた文章)の解説をしている

68 文章は、真理をふまえながら人々をつかまえることが大切。しかも広告(紹介/宣伝)文ですから、人をキャッチしなければいけない。
69 広告文は渓流でイワナを釣るようなものですから、読者の関心をパッとひっかけなくてはいけない。
   一つの文章のなかには、はじめて言うようなことを、ところどころ盛りこまなくてはいけません。広告文の場合はとくにそうです。
70 物を書くときに、事実だけ積み重ねたら書けるというのは科学の立場です。しかし、文章を書くという作業は、事実を並べるが、事実と事実との間は自分の責任でつなぐということです。
71 短文の場合、一つのフレーズのなかで、対句的なものをだすことも有効な手段です。
72 広告文やすいせん文を書くときは、人を納得させるようにもってゆく。そういうことを、お考えになって書いていただきたいと思います。

密度の濃い文章を書く
73 もう少しコンパクトな文章、中身の詰まった文章を書くように練習してください。密度を濃くということです。
   減らす努力を、切り詰める努力をしてください。フランスのラファイエット夫人という有名な文学家が、自分は文章を短くするために努力している。単語を一つ減らすと百円、パラグラフを一つ削ると千円、とそういうふうに思うべきだと書いている。
74 内容を減らせということではありません。不必要なことはいわない。ムダな言葉は使わないということです。自分はこれを言いたいということがあって、それを効果的に発言するようにしていただきたい。

101 句読点は、分かりやすい文章を書く上で重要な役割を占めています。梅棹忠夫の文章(=『文明の生態史観』の書き出し)を参考にしてください。
106 書き出しは、読者を文章の中へ引きずりこむ必要があるわけで、十分に注意してください。
107 しばらくたちどまって考えなくてはわからない文章はだいたい、悪い文章です。

2013年3月8日金曜日

桑原武夫の『文章作法』①


 前回紹介した鶴見さんの『文章心得帖』に負けないいい内容なので、桑原武夫の『文章作法』を紹介します。★ちなみに、改訂版を出すときに、編集者が「人生作法」とタイトルを変えたいというほどの内容であることを、解説で多田道太郎が書いていました。
 数字はページ数です。

 パート1には、「人様に迷惑をかけない文章の書き方」というタイトルがついています。
17 自分で考えたことを書く
20 文章を書くということはひとりごと、つぶやき、あるいは叫びではない。それは独語ではなく、相手のある言葉、すなわち対話です。モノローグ(独白)ではなくて、ダイアローグ(対話)です。つまり、メッセージであって、思うこと、知っていること、考えたことを伝えることです。アランの言葉で言えば、パンセ(思想)が含まれていなければいけないということです。
   思想といっても、マルクス主義思想とか、ダーウィンの思想とか、そういったむつかしい意味にとらないで、自分の考えたことという程度に考えてください。それを達意の文として書く練習を、これから勉強してゆきたいと思います。

21 他人の文章をまねない
23 できるだけシンプルに書く
24 基本点の誤解ならやむをえないが、周辺的な、手続き的なところで誤解されるのはつまらないから丁寧に言うんだ(書くんだ)ということ。

27 文章の理想というのは、その文章によって外界が(自分以外の人間または物が)何ほどか変化する、それが大切なのではないか、というふうな気がします。

28 優れた作家のお喋りとただのお喋りのお喋りとの違うところは、前者が喋ることによって真実に近づいていくとき、後者がその同じことによって真実から遠ざかるという点にある。しかしもともと真実というものは、舌足らずに語られてならないと同様に言いすぎられてもならない。文章においてわれわれの苦心するところは、この喋りすぎず、けれども言うべきことを言いきるという点にある。こういう苦心を我々がすればするほど、あたりまえのことで、それが仁丹的文章(=毒にも薬にもならない文章)から遠ざかる。

29 その文章を書いた人にとっては、書かない前よりか、書いたあとのほうが真実に近づいているようなもの、それがいい文章だというわけです。

31 できるだけすなおに短く書きたい、というのが基本的な態度です。

33 平凡ですむことは全部できるだけ平凡にしてそして内容のどこかでシャープなところをだす。人生の生き方でもそうです。普通のしきたりは守ります。しかし、あるところについては断じて譲らない。これが正しい生き方だと思います。作文も同じことです。
36 できるだけ字づかいは平凡にする。平凡だと思わせておいて、ピリッとした思想、着眼があるということが現代のすぐれた文章ということになるわけです。

37 受身、条件法、婉曲話法で主体性をかくし、責任をのがれようとする。これは、いわば精神的にインゲン無礼です。文章を書く精神のまったく反対です。 ← 政治家や役人の話し方!?

 文章の書き方に、日本ではあまりないのですが、西洋にも中国にもレトリック、修辞学というものがあります。否定の前には肯定を、肯定の前には否定をという原則です。

38 次に、問題を限定する、ということです。思いつくこと、知ってることを全部書こうとすると文章が解体しますから、問題を限定して、私はこれだけのことしか言いませんよ、と言っておいてそれをちゃんと書く。ほかのこともよく知っているに違いない、とそういう心象を与えるレトリックもあります。

39 理想をいいますと、原稿はいっぺんにすっと書いたほうがいい。そのほうが文章に流露感、湧出感がでてくるからです。

41 独り言になってはいけない
   不必要なことは書かない
42 読者を考えていない文章を書いてはいけない。
   思い入れのありすぎる文章=独り合点はいけない。

 長くなりましたので、今回はこのぐらいにします。


★ この本は、前回の鶴見さんの文章教室と同じく「現代風俗研究会(略称ゲンプーケン)」が、その活動の一環として1979年に実施したのをまとめたものです。どちらが先に行われたのかはわかりません。

2013年3月1日金曜日

鶴見俊輔の『文章心得帖』


 今回は、鶴見俊輔著の『文章心得帖』(1980年)から、私がメモした中でWWに関連するところを抜粋して紹介します。

 これは、京都で行われた文章教室をまとめたものです。実際に参加者に書かせることと、それに関連することの知識やスキルを提示することをうまくミックスさせながら進めていたようです。ある意味では、WW的アプローチをとっていた、と言えるかもしれません。すでに70年代の終わりにこんなことをしていたわけです。
 会場が、京都四条柳馬場の美容院の2階というのも、なんともいいです。いい規模で行われていた、ということですから。しかも、講師陣には鶴見さんをはじめ、桑原武夫や多田道太郎などですから、すごい顔ぶれです。★

 数字は、ページ数です。

14 他人のうまい文章を書き抜く意味(鶴見さんは、小さいときからこれをずっと続けてやっているようです!) ~ 一つには、自分の文章はまずいなという感じを保つことができる。もう一つは、自分の文章を別のものとして見る目ができる。自分の書いた文章をもう少し形を整えようとするとき、役に立っていると思う。花田清輝、竹内好、梅棹忠夫、山田慶児、多田道太郎などの文章は、自分の陥りやすい紋切型をつきくずす助けになる。
15 文章を書く上で大事なことは、まず、余計なことをいわない、ということ。
16 私は名文家ではないが、もっといい文章を書こうという理想を持っているものです。ですから皆さんと理想を共有することができる。常に紋切型との殴り合いに終始している。その問題をおたがいに自分の前に置いてみましょう。その問題を前に置かなければ、文章はなかなかうまくならないと思う。

18 理想(いい)の文章の3つの条件
       誠実さ ~ 紋切型の言葉に乗ってスイスイ物を言わないこと。つまり、他人の声をもってしゃべるんじゃなくて、自分の肉声で普通にしゃべるように文章を書くことです。人のつくったある程度気の利いた言い回しを避けることです。普通の光らない言葉、みんなの共通語を主に使って、これというところについては、その普通の言葉を自分流に新しく使うこと。それが自分の状況にかなう言葉なんです。
       明晰さというのは、はっきりしているということ。そこで使われている言葉を、それはどういう意味か、と問われたら、すぐに説明できるということです。・・・行動とか経験による定義になる。自分で定義できない言葉を使うのは具合が悪い。明晰さは事実に合っていることが重要です。推論の正しさもそれには含まれる。ほかの人の推理に寄りかかるというのはだめです。
       特定の読者に対してわかりやすい。<読者に対して>というときの読者は、自分であってもいい。自分にとってわかりやすいということでもいい。読者としての自分というのは重要であって、文章はまず自分にとって大事なんです。自分の内部の発想にはずみをつけていくものが、いい文章なんです。文章を書いているうちにどんどんはずみがついてきて、物事が自分にとってはっきり見えてくる。そういう場合に、少なくとも自分にとっては、いい文章を書いていることになる。


  <メルマガからの続き>


24 けれども、わかりやすさというのはたいへん疑わしい考え方で、究極的にはわかりやすいなんていうことはない。自分の言いたいと思うことが、完全に伝わることはない。だから、表現というのは、何か言おうとしたならば、必ずうまく伝わらなかったという感じがあって、出発点に戻る。
  そこで、文章をまとめてゆく段階を考えてみると ~
(1)       思いつき
(2)       裏づけ
(3)       うったえ
 これを表現という行動の3つの段階だと考えましょう。<思いつき>というのは、各個人の心の内部にあるものです。<裏づけ>は、どういう言葉を使っているか、その言葉がどの程度に定義だれているか、どの程度に整理されているか、どの程度に事実に合っているか、どの程度に資料の裏づけがあるか、という用意。<うったえ>は、ある社会、ある状況のなかに、文章あるいは言葉を投げ入れることです。 ← 題材選び、下書き、修正、校正、出版の流れに即している!?
 そのとき、読者とそれをとりまく人に、なかなかうまく伝わらずに、何か残ってしまう。そうすると、それはまた振り出しに戻る。こうやって無限の循環をする。それが表現というものなんです。完全に伝わるということはない。だから一種の無窮運動だというふうに考えられます。 ← 一方通行の流れというよりは、行きつ戻りつしながらのサイクルを回し続ける
 この<うったえ>のところで、社会に向かって、たとえば手紙で相手に出すとか、活字になって人が読むとか、いろんなことがあるわけですが(出版)、その時になってはじめて社会とかかわるかというと、そうではない。実ははじめに自分が内部に思いつくということは、自分のなかに社会が入ってくるということなんです。
25 言葉をもつということは、外側の社会がわれわれのなかに入り込んできたことで、内面化された会話です。他人とのやり取りが内面化されて、自分一人でそれをもういっぺん演じている。ですから、思いつきそのもののなかに、すでに社会というものがある。
26 こういう図式を考えてみると、文章を書くことは他人に対して自分が何かを言うという、ここで始まるものではない。実は自分自身が何事かを思いつき、考える、その支えになるものが文章であって、文章が自分の考え方をつくる。自分の考えを可能にする。だから、自分にはずみをつけて考えさせる文章を書くとすれば、それがいい文章です。 ← 構成を考えてから書くのではなく、筆に語らせる/Free writingの大切さ。
 自分の文章は、自分の思いつきを可能にする。それは自分の文章でなくても、人の書いた文章でも、それを読んでいると思いつき、はずみがついてくるというのはいい文章でしょう。自分の思いつきのもとになる、それが文章の役割だと思います。 ← まさにWW

50 文章には、絶対的な法則などありません。
117 なるべく日常語に近い普通の言葉で書くのが重要。
118 終わりは強くしないほうが利く。なるべく単純化して、強調しないほうが効果がある。

 後半はほとんど紹介していませんが、鶴見さんはメンター・テキストを豊富に持っている人なんだな~、と感心してしまいます。それらを知ることも含めて、一読する価値のある本です。



★ この人たちが、「現代風俗研究会(略称ゲンプーケン)」というのをつくっていて、その一環として1979年に実施された文章教室をまとめたものだそうです。参加者は15人限定。職業も年齢もあえてさまざま。