2018年6月15日金曜日

理解するための「心のバリア」を除く法

 
 わたくしは勤務先の大学で「国語教育学」を教えています。高校では「文型」クラスに所属し、大学では「教育学部国語科」に進学したので、国語の先生の知り合いはたくさんいます。その知り合いのなかに、高校時代に「理系」クラスに所属していた、という人が案外たくさんいます(ちなみに、大学・大学院で論文指導をしていただいた先生は数学がとても得意でした)。今指導している国語科の大学院生に尋ねてみたところ、全員が高校の頃に数学や理科が得意だったそうで、すばらしい!!

 ですから、『理科系の読書術』(中公新書、2018年)という本を書店で見かけて、「理科系」で読書が不得意とは限らないのになぁ、いったいどういうことが書かれているのだろうと思いながら、ページを繰りました。著者は鎌田浩毅さん。ファッショナブルなスーツに身を包む姿を時折テレビで見かける京都大学の先生で、火山学者です。
 とても歯切れのいい、わかりやすい文章で書かれた本です。どうしてわかりやすいのかというその理由を考えてみました。鎌田さんは「読書」を「著者と読者のコミュニケーション」と捉えて、次のように書いています。

  本が難解なのは、著者と「フレームワーク」が合わないからではないかと、あるとき気がついた。フレームワークとは「考え方の枠組み」「思考パターン」「固定観念」のことである。(中略)よいコミュニケーションのキーポイントは、このフレームワークにある。自分と他人のフレームワークの違いを意識することが、人づきあい上達法の秘訣なのである。自分のフレームワークを相手へ上手に橋わたしできたときに、意思の疎通がはじめてうまくいく。私はこの方法を「フレームワーク法」と名づけた。(『理科系の読書術』49~51ページ)
 
 つまり、著者の「フレームワーク」を知ることが、「難解な本」をわかるための秘訣だとういうのです。そしてそれは、人とのコミュケーションをはかることと同じだというのです。
 
 世のなかには、なぜか自分には理解しづらい文章がある。しかし、内容に興味が持てないが、読まなければならないレポートや本があるときは、どうすればよいか。
 ここでは「相手の関心に関心を持つ」というテクニックを使う。「相手の関心に関心を持つ」とは、相手の置かれた立場や状況に関心を持ってから、考えの中身に迫ることを言う。どんな著者も何らかの意図や関心があって外部へ意思表示しているのだが、著者の関心にこちらの関心を寄せるのである。ここでは短く「関心法」と呼んでみよう。(51~52ページ)
 
 「相手の関心に関心を持つ」というフレーズは『理科系の読書術』のなかで繰り返し使われるフレーズです。キーンさんの『理解するってどういうこと?』で使われている用語を使って言えば、「相手の関心に関心を持つ」ということは、鎌田さんが編み出した「理解の種類」と言ってもいいでしょう。この本には、この「相手の関心に関心を持つ」という「理解の種類」の「成果」が具体的に示されていきます。「フレームワーク法」も「関心法」も「相手の関心に関心を持つ」という理解の種類とその成果を生み出す「読書術」なのです。
 タイトルに「理科系」とありますが、「理科系」の人向けの本というよりも、読書が苦手だと思い込んでいる人に向けて書かれています。またたくさんの「○○法」が出てくるので、ハウツー本のように思われるかもしれませんが、けっしてそうではありません。むしろ読者の心理に目を向けているところにこの本の神髄があります。鎌田さんは「あとがき」で次のように言っています。
 
 実は、読書の初心者にとって、読書を苦行にしているのは、本人の「実力不足」ではない。すなわち、難しい話は苦手だから、漢字を知らないから、といったことではない。また、活字を目で追うのが遅いからとか、というような「技術不足」でもない。一番大きな原因は「心のバリア」にあることを、私はうすうす感じていたのだが、本書を書くにあたってその思いを再び強くした。(202ページ)
 
 「速読とは自分を取り戻す読み方」(83ページ)のような魅力的なフレーズも、読書を苦手だと思い込む「心のバリア」を少しずつ取り除いていくための工夫です。「心のバリア」を取り除いて、本と自分との間に生きた回路をつくることができれば、読書は「苦行」ではなくなるという考え方を示した本であると言うことができるでしょう。「理科系」の人の読書どころか、あらゆる読書にあてはまる「法」ですね。
 鎌田さんはこの本のことを「心のモヤモヤを減らすテクニック集」とも言っています。『理解するってどういうこと?』をエリンさんに書かせた、あの小学校2年生のジャミカの問いに対する別解を、鎌田さんはわたくしたちにプレゼントしてくれたのです。

2018年6月8日金曜日

「他の人からどのようなフィードバックがあれば、書き手として成長できますか?」



これまでも、本ブログで度々紹介してきたナンシー・アトウェル著『イン・ザ・ミドル』の翻訳作業も大詰めで、いま校正をしています。書名も『イン・ザ・ミドル ナンシー・アトウェルの教室』(三省堂)に決定。しかし、このタイトルでは、国語や読み・書き等のキーワード検索では一切引っかかりません! なので、ブログの読者の皆さんの普及協力が不可欠になりますので、よろしくお願いします。

 上記の「他の人からどのようなフィードバックがあれば、書き手として成長できますか?」の回答で、生徒はどのような書き手か、教師はどのような実践をしているかが分かってしまう、ある意味、とても恐ろしい質問です。
本の第6章の冒頭部分で、アトウェルさんは以下のように書いています。

生徒(中学生)たちが、これまでに書き手としてどのように歩んできたのかを知るために、私は新年度に書くことアンケートを行っています。その中に「他の人からどのようなフィードバックがあれば、書き手として成長できますか」という質問項目があります。毎年、この問いへの生徒の回答から、若い書き手たちがいかにやる気いっぱいで、目的意識をもち、果敢に学ぼうとしていることがわかります。★

 単に、やる気の高さだけではなく、「ほとんど作家になっている」と思わされるような回答です。ご覧ください。

・自分が書くことを後押ししてくれるコメント
・先生や友だちが、よくできている点と、改善できる点を指摘すること
・明確でない点、表現不足の点、わかりにくい点を教えてくれること
・理解できない箇所や加筆の必要がある箇所を示してくれること
・建設的な批判。これは傷つかないし、書き手として改善できる点を示してくれて、作品がもっとよくなる
・進む方向を決められる具体的な助言
・具体的なので、それを学ぶことで、後で恥ずかしい思いをすることがない批判
・再考し、使えるかもしれない具体的なコメント
・書いているものの流れがよくなるような具体的な指摘
・自分が行おうとしていることについての具体的な助言

 アトウェルさん自身が書いているように、「生徒たち(=書き手たち)は、読んでもらうため、理解してもらうため、そして鑑賞してもらうために書くということを知っている教師や生徒からの助言を求めているのです。★」

 このリストの中で、作文教育から出てくるものはどれでしょうか? 逆に、出てこないのはどれでしょうか? 書き手を育てるための教え方と、作品をよくする教え方は、根本的に異なります。生涯にわたって書き続ける書き手を育てるためには、はやくライティング・ワークショップ(そして、その読み版のリーディング・ワークショップ、さらには、他教科でも数学ワークショップ、理科ワークショップ、社会科ワークショップ・・・)に転換しないとまずいな~、とつくづく思った次第です。★


★ これまでの数々のブームと同じように、アクティブ・ラーニングの流行もすでに(大分前に?)ピークは過ぎたようです。「結局は何も変える必要はない」というのが大方の先生方(小学校から大学院まで)の理解のようです。それに対して、この本で紹介されている学び方・教え方は、究極のアクティブ・ラーニングです。それは生徒たちが教師やクラスメイトに求めるもののリストから明らかだと思います。「うまい作文ではなく、自立した書き手」「正解の解釈ではなく、自立した読み手」「正解ではなく、自立した問題解決者」「正解ではなく、自立した科学的探究者」「正解ではなく、自立した市民/歴史的探究者」等を育てられるアプローチに転換しないと、教育が危ないだけでなく、社会も危ないです。

2018年6月2日土曜日

ブックガイドは何度も美味しい

 RWやWWの教室の描写で出てくる本に目を通すなかで、絵本、子ども向けの本、ヤングアダルト向けの本が大好きになりました。いつも何か読んでいます。最近の読んだなかでは、マーク―ス・ズーサックの 『本泥棒』と、ニール・ゲイマンの『ネバーウェア』が印象に残っています。どちらも。中学校の教室の描写の中で登場した本ですが、この作家たちの本はもっと読んでみたいと思いました。

 子ども向けやヤングアダルト向けのブックガイドもいろいろ見るようになりました。2,3日前に 『今すぐ読みたい10代のためのYAブックガイド150!』(2017 年 ポプラ社)という本をパラパラ見ていました。そして、ブックガイドは「読み書き両方に、いろいろ使える」ので、何度もその美味しさを楽しめる、と思いました。

 というのは、パラパラ見ている20分ぐらいで、自分が次のように考えていることに気づいたからです。特に「書き手の目で見る」ことを教えるミニ・レッスンに、いろいろ使えそう!と思いました。

① まずは、自分の知っている本に目がいきました。どんなお薦め文が書いてあるのか?と気になります。パラパラ見ていて、C. V. オールズバークの絵本『ハリス・バーディックの謎』(村上春樹・訳)を見つけて、意外でした。ヤングアダルト向けのガイドブックなので、比較的読み応えのある分厚い本が多いのか、と思っていたのですが、「絵本もあり」なんだと思いました。でも、最後にこの本と関連する『ハリス・バーディック年代記』が紹介されていて、こういう入り方もいいなと思いました。(この年代記のほうも、読みたくなり、図書館に予約を入れました。)

② 「本の上手なお薦め文を書くには?」を学ぶために、学習者に、実際のお薦め文をいくつか読んでもらって、分析してもらうのに、使いやすいと思いました。この本は複数の人がお薦め文を書いているので、ここからいくつか、そして違うパターンのブックガイドからもいくつか使って、その特徴を考えるみたいな感じのミニ・レッスンをイメージしています。

③ この本の場合は 、お薦め本1冊につき見開き2ページで紹介されています。最初のページは本の写真、1~2行使って、大き目の字での縦書きの紹介、そして下の方に4~5行程度で横書きで短くアウトライン、そしてその次の1ページが紹介文となっています。

 それぞれの本の1~2行の縦書きの紹介を読むだけでも、面白いです。例えば

『ハリス・バーディックの謎』は、「あふれ出る物語を/つかまえて!」(226ページ)

『ジェーンとキツネとわたし』は、「モノクロの毎日が/カラーになった日」 (230ページ)

 『フラダン』は、「話してつながると/空はこんなに広い」(48ページ)

 これらをざっと見て、ひきつけられるものを選び、どうして?と考えても面白そうです。

④ 複数の著者が書いているので、「書き出し」と「終わり方」を学ぶのにもいいなと思いました。紹介文自体は1ページと短いので、「書き出し」だけに限定したあとに、全体を短時間でさっと目を通せるのも便利です。

⑤ 本の紹介のときに、ひたすら「あらすじ」を語る学習者がいますが、この本では横書き4~5行でアウトラインが書かれています。この形式自体、よく工夫されているなと思いますし、短くアウトランを書く練習にもなりそうです。

 ⑥ この「WW/RW便り」を入力しながら、著者たちが「漢字と平仮名」を、使い分けているのもわかります。こういうことも、書き手の目で見て、気づくことかもしれません。

*****
★ 読みながら、ミニ・レッスンのアイディアがいろいろ浮かびました。もちろん、欲張ると、何も残らないので、ミニ・レッスンに使うときは「教えすぎ」にならないように、焦点を絞らなくては、と思います。

⇒ そして「書き手の目から見るミニ・レッスン」を考える中でも、面白そうな本が紹介されていると、そちらに目がいきますから、結果として、読みたい本も同時に増えそうです。邪道な使い方かもしれませんが、いいお薦め本を知る以外にも、ブックガイドはいろいろ使えそうです。

2018年5月25日金曜日

新刊案内『最高の授業』



本書は、『The Best Class You Never Taught(あなたがこれまでに教えたことのない)最高の授業』の全訳です。


 この本は、ライティング・ワークショップ(WW)やリーディング・ワークショップ(RW)ととても相性のいい本です。
 国語は基本的に、「読む、書く、聞く、話す」で構成されています。WWとRWでは、「書く」と「読む」に焦点を当てながらも、ピア・カンファランス、共有の時間、ブッククラブ、作家クラブなどで、十分すぎるぐらいに「聞く、話す」の練習をしていますが、それでは足りないという方に最適です。というか、もっと聞く、話すに積極的に取り組みたいという方に。(ある意味では、聞く・話すワークショップの実現と言えるかもしれません!)

 この本の存在を知ったのは、去年の10月でした。翻訳企画として、確かその月のうちには決まり、11~12月と翻訳し、1~2月とは数人の協力者に下訳を読んでフィードバックをもらい、3月には最終原稿にしたという流れで、かなり超特急で出版にこぎつけました。(それほど、価値ある本と判断したわけです!)

 12月には、ある先生から「授業の話し合い活動で苦労をしているので、何かいい方法はありませんか?」と尋ねられ、これ以上のものはないので紹介したところ、彼女と同僚たちは、1月から早速取り組み始めました。(なので、すでに日本でも実践可能であることは証明済みです。それどころか、極めてパワフルであることが証明されています。訳者あとがきに、この学校での実践例が詳しく紹介されています。)

 必要なのは、下のようなルーブリックと、紙と鉛筆(これで、クモの巣図を描きます!)と、生徒たちが話し合うテーマ(ないし本や動画など)だけです。あとは、生徒たちにお任せ! かえつ有明中学校で使ったルーブリックは、次の通りです。
   この中でもっとも大切なことは「みんなが同じくらい話すこと」です。
そして、実際にその話し合いを描き出したクモの巣図は、次の通りです。


練習を繰り返すと、本物のクモの巣のようにきれいな形になっていくから不思議です。
かえつ有明中学校では、スパイダー討論を観察してクモの巣図を描く役割を最初から「エキスパート」という名称の生徒2人に任せています。教師がしてしまうのではなく、生徒にあえてさせるという発想がスゴイと思いました!(これによって、人数の多いクラスでも、2つや3つに分かれて全員が参加できることになります。教師が観察役を担っていては、2~3つに分かれて当時に話し合いをさせることは不可能です。)

 事前に提示した時間までは、ひたすら話し合います。その後は上記のクモの巣図なども参考にしながら、自分たちでやり取りの評価をつけます。
 もちろん、最初からAやBは取れません。そういう体験をしたことがありませんから。(ちなみに、教員を含めた大人たちも無理です!!)初めてスパイダー討論をするときは、DかよくてもCです。しかし、必ず徐々に良くなります。それは、本書の中に繰り返し「書くことを教える場合と同じように、長い期間にわたって行う練習とフィードバックによってプロセスを磨くことが大切」と書いてあるように、繰り返し行うことによって実現します。
その過程で、生徒たちは多くのことを学び、そして身につけます。もちろん、設定したテーマ等についても学びます。(その様子が、https://www.youtube.com/watch?v=goFqrpQA4j4&feature=youtu.be で見られますので、ぜひご覧ください。)

◆1冊(書店およびネット価格)2700円のところ、
WW便り割引だと、   1冊=2300円(送料・税込み)です。
5冊以上の注文は    1冊=2000円(送料・税込み)です。

ご希望の方は、①冊数、②名前、③住所(〒)、④電話番号を 
pro.workshop@gmail.com 宛にお知らせください。 

※ なお、送料を抑えるために割安宅配便を使っているため、
到着に若干の遅れが出ることがありますので、予めご理解ください。

2018年5月19日土曜日

「私たちは見ているようで何も見ていないのです」

 
 『理解するってどういうこと?』の第8章「すばらしい対話」は、「夢中で対話すること」という理解の種類を扱っています。これは「アイディアについての集中した対話に取り組み、これまで考えていた以上に言うべきことを自分が持っていたことに気づく。自分や他の人たちの意見やその根拠を理解するまで、他の人たちの考え方を考慮したり、疑問を投げ掛けたりする。自分の思考が思いのほかはっきりすることに驚くこともある」という理解の種類です。アンリ・マティスとパブロ・ピカソとの絵による応酬のことや、「対話」をとおして絵本を深く意味づけていく子どもたちの姿が描かれているのですが、いずれも「他人の目で見る」ことを通して、自分の思考をはっきりさせて意味をつくり出しています。


 最近になって、伊藤亜紗さんの『目の見えない人は世界をどう見ているのか』(光文社新書、2015年)という本を読んだところ、この「夢中で対話すること」のもう一つの意味に気づかされました。第4章「言葉 他人の目でみる」で取り上げられている、美術鑑賞の「ソーシャル・ビュー」の体験と考察を取り上げます。たとえば、伊藤さんたちの「ソーシャル・ビュー」では、美術館の絵画作品を前にして、「見えない人」と「見える人」との次のようなやりとりが展開されます。

 

ひとまず見える人が見たものを言葉にしていきます。映像はどんどん動いていくから言葉にするのもなかなか大変、その言葉を、ひとつひとつ確かめるように耳を傾ける白鳥さん、しばらくすると彼も質問を投げかけ始めます。

「飛び込んでいるのは大人? 子ども?」

見える参加者が答えます。

「子どもです……とっても楽しそうで……。インドかどこかの国かな」(158ページ)

 

 こういう「対話」の面白さを伊藤さんは次のように言っています。

 

 情報化の時代にわざわざ集まってみんなで鑑賞する面白さは、見えないもの、つまり「意味」の部分を共有することにあります。もちろん、作品を見たその瞬間にぱっと意味が分かる人なんていません。しばらく眺め、場合によってはまわりをまわったりして、自分なりに気になった特徴を「入り口」として近づいてみる。もやもやしていた印象を、少しずつはっきりさせ、部分と部分をつなぎあわせて、自分なりの「意味」を、解釈を、手探りで見つけていく。鑑賞としては遅々とした歩みであり、ときに間違ったり、迂回したり、いくつもの分かれ道があったり、なかなか一筋縄ではいきません。しかし、この遠回りこそが実は重要なのです。(165ページ)

 

 たとえば、ダヴィンチの「モナ・リザ」を「理解する」というのはどういうことを言うのでしょうか? わたくしには「モナ・リザ」を理解することができた、というふうに言い切る自信はありません。が、「気になった特徴」を話したり、「部分と部分をつなぎあわせて」考えた「意味」を語ったりすることならできるかもしれない。最初の引用に登場する「白鳥さん」は「見えない人」ということですが、「見える人」が見たものを言葉にしたことに質問し、それに「見える参加者」が応えていくなかで、まるで協働作業のようにして「意味」がつくられていく。ここで重要なのは「見える参加者」にもはじめから絵の「意味」をすべて把握しているわけではなくて、「白鳥さん」の質問に答えようとして少しずつ言葉を加えることで、絵の「意味」をつくり出しているということです。伊藤さんはこのことを次のように考察しています。

 

 変化は見えない人の中でも起きます。白鳥さんは、美術鑑賞を通して「見る」ということについての考え方が変わったと言います。「それまでは、見えているのはいいことで、見えていないのは良くない、見えていることは正しくて、みえていないことは正しくない、という印象が子どもの頃からずっとあった。見えている人の言うことは絶対的な力があったんですよ。見えている人は強くて、見えていない人は弱い、というような。でも見えている人が湖と野原を間違うというような出来事があって、何か違うぞと思い始めたんですね(笑)」。

 つまり、「見る」が絶対的なものでないことを、白鳥さんは知った。そう思うことによって初めて、見えない人にとっても、見える人に対する関係が揺れ動き始めます。

「見えていても分からないんだったら、見えなくてもそこまで引け目に思わなくてもいいんだな、見えている人がしゃべることを全部信じることもなく、こっちのチョイスであてにしたりしなかったりでいいのかな、と思い始めました」

 ある意味で、見える人も盲目であることを、白鳥さんは知った。障害が、「見るとは何か」を問い直し、その気づきが人びとの関係を揺り動かしたのです。福祉とは違う、「面白い」をベースとした障害との付き合い方のヒントが、ここにはあるように思います。(186~187ページ)

 

 絵画鑑賞は「見える人」にしか分からない、「見える人」が「見えない人」に伝えてあげることが大切だ、という考え方を根底から覆す発見がここには示されています。「見るとは何か」の問い直しによる気づきが「人びとの関係を揺り動かした」というところがとても大切だと思うのです。「夢中で対話すること」によって生まれる「驚き」もそれに近いように思えるのです。

 ある日、世界じゅうの「見える人」の視界が真っ白になってしまったらどういうことになるか。その世界を描き切った『白の闇』(雨沢泰訳、日本放送出版協会)という小説があります。ポルトガルのノーベル賞作家、ジョゼ・サラマーゴの傑作小説ですが、彼はその「あとがき」で「私たちは見ているようで何も見ていないのです」と言っています。わたくしが大学生になった年に生まれた伊藤さんの知性と卓見溢れる本を夢中で読みながら、わたくしはその言葉を思い出していました。

2018年5月12日土曜日

スキーマをRWに応用するには?

 「スキーマ理論」という言葉を初めて聞いたときは、難しそうな印象を持ち、そのときは「スキーマを活用して本を読む」と言われても、スキーマという言葉自体に馴染みがなかったので、「うん???」という感じでした。

 でもその後、何度かこの理論の引用などに出合っていくうちに、少しずつ、実際の授業で本を読むときに、子どもたちが応用できることを考えるようになってきました。

1)まずスキーマについて簡単に説明します。すでに、よくご存じの方は、すぐ下の説明を飛ばして、下の2)からお読みください。

『わかったつもり~読解力がつかない本当の原因』(西林克彦著、光文社新書)には、スキーマ研究の実験に用いられたブランスフォードたちの文章が紹介されています。

 まずは、以下の一節をお読みください。なお参照・引用ページ数を(  )で示しておきます。

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 新聞の方が雑誌よりいい。街中より海岸の方が場所としていい。最初は歩くより走る方がいい。何度もトライしなくてはならないだろう。ちょっとしたコツがいるが、つかむのは易しい。小さな子どもでも楽しめる。一度成功すると面倒は少ない。鳥が近づきすぎることはめったにない。ただ、雨はすぐしみ込む。多すぎる人がこれをいっせいにやると面倒がおきうる。ひとつについてかなりのスペースがいる。面倒がなければ、のどかなものである。石はアンカーがわりに使える。ゆるんでものがとれたりすると、それで終わりである。(45ページ)
*****
 
 上の一節は、言葉としては特に難しいことはないのに、何が書いてあるのか?と言われると見当がつかないです。しかし、上のことが、「凧を作って揚げること」についてであるとわかれば、すっと内容が頭に入るというような説明があります。(45~46ページ)

 そして、「何の話かがわかると、私たちは、それまでちんぷんかんぷんだった文章が、わかるように」なること、それは、凧に関する知識が文章を処理する際に使われるから」であること、また、「このように、あることがらに関する、私たちの中に既に存在しているひとかたまりの知識」がスキーマと呼ばれることなどが説明されています。(47ページ)

2)上の凧揚げの話は、なるほど、と納得です。そう思って読むと理解できます。

 さて、この話から、「読書家の時間」などで実際に本を読むときに応用できることは? ですが、まず、すぐに浮かぶのは以下です。

・単語もすべてわかるのに、話が全く頭に入ってこないときは、何の話かわかっていないからかもしれない、と考えてみる。

⇒ 一つの問題解決として何の話かわかるかどうかの努力を、少し行ってみる。例えば、その本の帯や裏表紙、書評や紹介文を読んでみる。すでにその本を読んだ友達と話しをしてみる。 何かの記事であれば、見出しや写真など全体を眺めてみる、等々。

・何の話かわかった場合は、その話について自分がどの程度知っているのかを考える。必要であれば、知識を少し補った上で、改めて読んでみる。あるいは、この話に関する知識を得るのはかなり難しいと判断したときは、その本を読むのをやめる、という選択をすることもありうる。

3)最近、気になっていて、もっと知りたいと思う点は、頭の中にあるスキーマを増やすことと読む速度の関係です。

 このブログでも度々紹介している中学校レベルの優れた実践者、ナンシー・アトウェルの教室の様子を見ていると、生徒たちは「読んでいるものについて、それに関わるスキーマを持っていない場合は、読むペースを落とす、 読んでいるものについてのスキーマを豊かにしっかりもっていて、たやすく読める場合、スピードをどんどんあげてもよい」とわかっているようです。

 まだうまく自分のなかで整理できていないのですが、その前提に、「興味をもって自分のレベルで無理なく読める本を大量に読む経験が、読むことに関わるスキーマを増やしていく、そうするとそのスキーマを使って、スラスラ速度を上げて読むことができるようにもなる」ことがあるように思います。(In the Middle 第3版、2015年、176-177ページ)  

 こういう点からスキーマを見ていくと、具体的な読み方を学ぶときに応用できそうなことがさらに増えそうに思います。この点は、考え続けて、いつか、再度ブログに書きたいと思っています。

*****

 *余談ですが、私は英語を教えているので、上の凧揚げの話の英語版を出して「分かった?」と聞くことが時々あります。そうすると、頷く学習者がけっこういるのです。それは単語も文法も難しくないので、「さらっと一通り母語に訳せる」からです。「何が書いてあった?」と尋ねると、さらさらと訳を言ってくれる学習者もいます。

 しかし、何の話?と、尋ねると、きょとんとしています。「英語を読む=内容が理解できる」ではなくて、「英語を読む=母語にできる」と思い込んでいる学習者も、けっこういるのだなと思わされます。

2018年5月4日金曜日

「カンファランスの数が少ない!」の問題解消法



これは、「作家の時間(WW)」や「読書家の時間(RW)」の時だけでなく、「数学者の時間」でも大きなネックになっていることが連休中のミーティングで明らかになりました。

あなたは、1時間の授業で何人ぐらいの生徒と顔を合わせてやり取りができれば「よし」としますか?

もちろん、たくさんの数がこなせても、質が伴っていなければ、あまり意味はありません。

それでは、量と質の両方を伴ったカンファランスとはどういう状態のことを言うのでしょうか?

Conferring with Young Writers, by Ackerman & McDonough(Stenhouse)に書かれていることを参考にしながら、紹介していきます。

カンファランスを、一人ひとりの生徒をいかす時間です。(『ようこそ、一人ひとりをいかす教室へ』には、WWやRWはそのための方法として紹介されていませんが、「究極」の一人ひとりの生徒をいかす方法と言えます!!)クラス全体への教師の指導を聞いて、分かった気にさせてしまうのではなく、カンファランスは「あなたの強みは何で、さらによくなるためには何ができる」かを具体的に教師が生徒に語れる教え方です。

それができるためには、教師と一人ひとりの生徒との信頼関係がベースになければなりません。

その上で、この本では、3つの大切なことが紹介されています。それは、①頻度、②焦点、そして③フォローアップです。そのいずれかが欠けていても、カンファランスは成功したとは言えないという、スタンスを取っています。

①   どうしたら、より頻繁に一人ひとりの生徒とカンファランスができるか?
 鍵は、教室運営にあると言います。何よりも、教師に指図されなくても、生徒たちが自分の判断で動ける教室をつくり上げることに。要するに、誰もが知っているWWやRWのローティンが大切だということです。それと同じレベルで、生徒たちに選択が提供されていること、物の配置が分かっていること、そしてパートナー(クラスメイト)と助け合える状態になっていることが。
 WWやRWの時間には、自分たちは「こういうふうに行動すること」が当たり前だという「規範」★ができあがっている状態にするわけです。

②   何を教えることが一つひとつの作品ではなく、書き手を育てるのか?
この本では、題材集め、構成、言語事項、焦点、主張(書き手の声)、入念に作り上げること(読み手が映像として描けられるものを提供すること)の6つの焦点を当てています。これら6つはジャンルに関係なく大切なものだからです。

③   子どもたちが使いこなせるようにするにはどうしたらいいか?
フォローアップ抜きでは、なかなかそうなりません。そのためには、繰り返しの練習が必要で、それに対してその都度の教師の介入というよりは、励ましが必要であることを意味します。
 フォローアップの具体的な方法としては、形成的評価、ガイド書き(似た課題を抱えている子どもたちを集めての指導)、メンター・テキストの利用、作家の椅子での発表、そしてその他多様な共有の仕方(http://wwletter.blogspot.jp/2018/04/blog-post_13.html)などが柱になります。

①~③を通して、量と質の両方を伴ったカンファランスが実現されると主張されています。これが、RWの場合はどうか? 数学者の時間ではどうか? 科学者の時間ではどうか? 市民/歴史家の時間ではどうか? を考える必要があります。


★ この大事な規範については、今月末に出る『最高の授業 ~ スパイダー討論が授業を変える』アレキシス・ウィギンズ著、新評論が参考になります!