2011年1月17日月曜日

書くこととマルチ能力

 私のマルチ能力へのこだわりは本を翻訳して、出版してしまうぐらいの筋金入りです。(『マルチ能力で育む子どもの生きる力』トーマス・アームストロング著、小学館 ~ 残念ながら絶版!)

 簡単に、マルチ能力を説明すると、人の能力は多様だということです。少なくとも、①言語能力、②論理的‐数学的能力、③空間認識能力、④音感能力、⑤身体‐運動能力、⑥自己観察・管理能力、⑦人間関係形成能力、⑧自然との共生能力があります。(「マルチ能力」ないし「マルティプル・インテリジェンス」で検索すると、たくさんの情報が得られます。)

 学校で主に能力というときは、9割がた以上は①言語能力と②論理的‐数学的能力のことを指しているのではないでしょうか。他は、ほとんど能力として捉えられていませんから、それらにいくら秀でていても、少なくとも学業では役に立たないと思われてしまいます。
 でも、人間が生きていくに際して必要なのは、これら8つが極めて大切だと主張しているのがマルチ能力の理論です。実際、それらの能力で食べている人がたくさんおり、人間は言語能力と論理的‐数学的能力だけで食べているわけでも、人の価値が決まっているわけでもありません。
 このマルチ能力の視点で人を見られるようになると、多くの子どもたちが救われることになります。一般的に、人は一つか二つで秀でているものをもっているからです。

 なお、言語能力は国語で、論理的‐数学的能力は算数・数学や理科で、音感能力は音楽で、身体‐運動能力は体育で磨くというふうに教科に対応しているわけではありません。
 使い方としては、音感能力や身体‐運動能力が秀でた人にとっては、音楽を使ったり、身体を使ったりして、国語や算数・数学や理科や社会科を学べると、それらが苦手であっても、すんなり入る可能性が高いということになります。私の場合だと空間認識能力が高いわけですが(なんと、大学、大学院で学んだことと最初に就いた職業が都市計画でした!)、それは当然地理や歴史で生かされましたが、他の教科ももっと空間に関連づけて教えてくれていたら、あまり苦労せずに学べていたというわけです。

 国語で言語能力を使うというか、磨くのは当然のことなのですが、他の能力に秀でた人たちにとっては、それらも使ってくれると国語が好きになるというか、国語ができるようになる可能性は飛躍的に高まります。

 たとえば、前回紹介された詩について言えば、私自身、ここ4ヶ月ほど俳句や詩(もどき!)を一日一句作ってきてつくづく感じることですが、外に出るとスラスラ出てくることが多いのです。部屋の中で、言語能力(と論理的‐数学的能力?)だけで書こうと思ってもなかなか出てきません。外に出て五感で感じることで、考えもしなかったようなものが出てくるのです。その意味では、空間認識能力や身体‐運動能力や自然との共生能力と関係してくるのかと思います。
 音感能力に秀でている人にとっては、音楽を聞くことで詩が浮かんでくるような可能性もあるのではないでしょうか?
 さらには、一人でいるときにいい詩が思い浮かぶ人(論理的‐数学的能力ないし自己観察・管理能力)もいるでしょうし、他の人たちと話し合っている時にひらめく人(人間関係形成能力)もいるでしょう。

 ぜひ、言語能力以外をうまく活用することも考えてみてください。特に、私と同じように言語能力に秀でていない子たちにとっては救いになるはずです。

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