ここ2回、生成AIに関わる投稿が続きました。今読んでいる『Welcome to Writing Workshop』(Stacy Shubitz & Lynne R. Dorfman, Stenhouse, 2019)の中で、「教師が書き手であること」(Teacher as Writer)というセクション(45-48ページ)があります。5年前に出版された本ということもあり、生成AIと「教師が書き手であること」の関連についての言及はありません。しかしながら、教師が書き手であることはライティング・ワークショップ成功の大きな要因であり(45ページ)、巨大な車輪のハブのように、他のすべての教育実践をつなぐ(47ページ)とも言っています。それを読みながら、生成AIやその他テクノロジーも、車軸で繋がれているひとつで、その土台(中心)にあるのは「教師が書き手であること」というイメージができました。
『Welcome to Writing Workshop』の中では、教師が書き手でなければ、ただ書くことを教えるだけであり、教師が書き手であれば、教室という書き手のコミュニティのレベルを上げていくことができる(45-46ページ)としています。
ライティングにおいてもリーディングにおいても、日進月歩のテクノロジーの場合、「定番のミニ・レッスン」を確立するのは難しいように思います。だからこそ、教師が読み手、書き手であることが、どんどん変化するテクノロジーの、どの部分を、どのように取り上げるのかという取捨選択のガイドになりそうです。
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2016年のTEDトーク「機械に奪われる仕事ーーそして残る仕事」(★1)によると、機械に適切なデータを与えて学習させると、高校生の書いた小論文を、人間の教師の採点と一致するように採点できるようになり、また、眼球の写真から糖尿病性網膜症の診断が、人間の眼科医の診断と同じようにできたそうです。そして、「教師は40年の経歴において 小論文を1万本読むかもしれません。眼科医は眼を5万個 診断するかもしれません。しかし 機械なら数分のうちに 数百万の小論文を読み 数百万の眼を診ることができます。頻度が高く 多量のデータを 処理するタスクでは 人間が機械に勝てる見込みはありません」としています。8年前に、すでにここまで機械学習が進んでいることに驚きます。
私は英語を教えてきましたが、例えばワードの綴りチェック機能など、正解が一つの事柄については、機械はとても便利です。上のTEDトークで言及されていた小論文は、おそらく模範解答的なパターンや評価基準があると思いますが、そういう基準に沿ってのチェックや、(例えば綴りや文法などが)正しいかどうかのチェックは、かなりの部分、機械が担当できそうです。
→ 英語学習について言うと、翻訳ソフト(や自動翻訳)は、「すでに作成された文」の翻訳ですから、基本的には正解らしきものは一つのはずです。しかしながら、一昔前に比べると精度は格段に上がってきたものの、「??」という箇所や、再翻訳しないと理解できない箇所も出てきます。英語の読み書きや、英語の読み手、書き手の成長という点からは、厄介というか、注意すべき点も多々あります。この点は、最後に少しだけ記しておきます。
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『Welcome to Writing Workshop』から話が少し逸れてしまいましたが、「教師が書き手であること」のセクションでは、教師が書き手であり、教室で一緒に書くことのプラス面について、『ライティング・ワークショップ』(新評論、2007年)の著者でもあるラルフ・フレッチャーがリストした、教室で教師が書くことの良い点(★2)を、以下のように紹介しています (47ページ)。
・教室を落ち着かせ、(書くことについての)真剣に取り組もうという雰囲気を作る
・とても効果的なモデルを示すことになる。
・生徒の自立を促す。教師が書いている間は、生徒が邪魔することは少ない。生徒たちに、自分たちの書くことにおける問題を、教師がいつも解決してくれると期待するのではない、というサインを送ることになる。
・生徒たちに、共有する「本当の」作品を、教師が持っている。
・ワークショップの雰囲気がわかる。つまり、ワークショップがサポートしてくれるような環境か、あるいは、辛辣なコメントが当たり前の場所になっているのか。教師が自分で書いて、それを共有することは、教室の雰囲気を掴むのにとても有効な方法。
・ワークショップのトーンや雰囲気が培える。「静かにしていなさい」という代わりに、私たちみんなが、ベストに書けるためには、どんな環境が必要?」と問いかけられる。
→ このリストを見ていると、確かに書き手のコミュニティ全体に影響を与えているのがよくわかります。
→ そして、教師が、書き手として有益なテクノロジーを実感していれば、学習者の年代や状況に応じて、自分の書くプロセスを伝えるときに提示できます。日々、変わっていくテクノロジーも、教師が実際に書き手として示す「効果的なモデル」の中にフィットした時に、ミニ・レッスンのトピック候補になるのかもしれません。
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(★1) Anthony Goldbloom の The jobs we'll lose to machines and the ones we won't というTEDトーク。4分半弱ぐらいです。
https://www.ted.com/talks/anthony_goldbloom_the_jobs_we_ll_lose_to_machines_and_the_ones_we_won_t
(★2) ここで参照されている本は以下です。Ralph Fletcher著、The Writing Teacher's Companion: Embracing Choice, Voice, Purpose & Play. Scholastic, 2017年。
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翻訳ソフトや自動翻訳についての雑感
「一瞬で」「訳(らしきもの)」が提示されますし、コンピュータの画面であれば、訳したいものを自分で入力しなくても、「一瞬で」言語を切り替えられる場合もあり、「使う手間」という点では、どんどんハードルが下がっています。
私の好きな読み聞かせサイト、Storyline Online でも、英語字幕を出す代わりに、自動翻訳を選ぶことができます。このサイトで私の大好きな名作絵本 The Tooth を自動翻訳で視聴すると、最初の文が以下のように出てきます。
「マリッサのキャンディーへの愛がついに彼女に追いつきました」
→ 出だしの文ということもあり、一瞬、キョトンとします。続けて視聴していくと、「ああ、こういうことね」と、この訳文が伝えたいことの意図は理解はできます。
5分程度の絵本なので、今回、自動翻訳で最後まで視聴してみました。全体としての精度はかなり上がっていることを、改めて実感します。訳語の選択ミスも、その前後がスムーズに流れているので、見つける難易度が上がっているように思います。
→ 翻訳ソフトは、実例を使いつつ、時折、ミニ・レッスンをしてきました。精度がかなり悪い時代は、明らかな誤訳も多く、英語→日本語であれば、日本語母語話者には、ヘンな箇所やミスはかなり多く見つけられました。
→ ただ、誤訳を指摘したり、見つけたり、解決したりという作業は、「要は、文脈にあった意味を見つけよう」というだけのことです。それは、確かに、「英語の勉強」にはなります。「辞書で提示される複数の訳語の中で正解はどれ?」という「正解探しゲーム」みたいな感覚もあります。ただ、思いの外、時間がかかります。その時間があれば、理解のためのサポートをしながら、英語の字幕で視聴する方を選択したくなります。どの程度、時間を割くのかについての選択も、自分の読み手としての時間の使い方に影響されています。