2023年1月27日金曜日

日本でも、いま必要とされるSEL

 訳者の一人の中井悠加さん(島根県立大学)が以下の新刊紹介を送ってくれました。

 SELSocial & Emotional Learning)は、自己認識/自己管理/社会認識/対人関係/責任ある意思決定の5つの柱を核とする★、感情と社会性を育む学びです。この「RW/WW便り」でも、ここのところ何度か紹介されており、関連する翻訳書も出版され始めました。そのため、このブログの読者にとっては少しずつなじみのある言葉になりつつあるかもしれません★★。

 けれども、例えば「SELは自分の学習指導にも関係する概念である」と強く意識している教師がどれほどいるのかと考えれば、それほど浸透しているとはいえない状況かもしれません。特に教科指導との関わりでいえば、なおさらです。児童生徒の感情や社会性を育てる? それは道徳や生徒指導で扱うべき内容なのではないか? そのように思っている人の方が大半かもしれません。私自身、国語教育学の分野に身を置いて、楽しい国語の授業・学習を開発することに関心を寄せてきましたが、SELや生徒指導と国語学習の結びつきにも目を向け始めたのはほんのつい最近のことです。

 そんななか、このたび『生徒指導提要』が改訂★★★されました。学習指導要領と並ぶ、学校教育の基本方針をさししめす文書です。そのなかに、教科の学習と生徒指導との関わりについて触れられている箇所を見つけました(第2章2 教科の指導と生徒指導)。そこでは、教科の指導と生徒指導の一体化として次の4項目が示されています★★★★(pp.46-48)。

(1)自己存在感の感受を促進する授業づくり

(2)共感的な人間関係を育成する授業

(3)自己決定の場を提供する授業づくり

(4)安全・安心な「居場所づくり」に配慮した授業

それぞれ簡単に説明されているだけですが、詳細は『生徒指導提要』の該当ページを読んでいただければよいと思います。その上で、おそらく読んで「なるほど」と思った後に浮かぶのは、「じゃあどのようにこうした授業づくりをすればよいのだろうか?」という疑問でしょう。よりよい授業づくりを目指したさらなる知識欲と言ってもいいかもしれません。

そもそもこうしたことは、これまで授業づくりの際にどれだけ考慮されてきたでしょうか。初めからこうした環境(自己存在感の感受や共感的な人間関係など)が整っている前提で授業を構想してきてはいないでしょうか。あるいは、それらが整っていないために「やりたい授業ができない」と嘆いてはこなかったでしょうか。現場の先生方から多く聞こえる声の一つです。私たちは、こうした教科学習開発の二極化した状態を変えていくことができるのでしょうか。

前置きが長くなってしまいましたが、こうした疑問、あるいは次の知識欲に応えてくれるのが本書『成績だけが評価じゃない—感情と社会性を育む(SEL)ための評価』です。冒頭でも触れたSELの基本項目に従って、例えば「信頼できるだけの人間関係を築いて学びをサポートする(第1章)」「評価のなかで自己認識を育てる(第2章)」「責任ある意思決定を教えて、学びに対する生徒のオウナーシップを高める(第4章)」など、「新しい評価」のあり方が示されています。

自分はどんな学習者であり、何が得意で、何が課題なのか。何に関心があり、どのように仲間と協力して新しい学びを構築するか。そして次の一歩を踏み出すために自分は何を選択するのか。こうしたことを意識し考えることのできる学習者は、まぎれもなく「自立した学習者」でしょう。学校生活の大半を占める教科の学習のなかで、こうした力が育まれることは、児童生徒の学習もより良いものにし、さらにそれが学校生活やその後の人生をより良く生きるための土台となるにちがいありません。そうしたすべての基盤となる力を育てる評価方法が6つの章にわたって紹介されているのです。

ではなぜ、指導法やエクササイズではなく「評価」なのでしょう? それは、評価とは一つの「価値観」を暗に伝えることに他ならないものだからだと私は考えています。どれだけ魅力的な指導法が多く開発されても、その評価の仕方で意味をなさなくなってしまうことだってあります。例えば国語の時間でどれだけ自分の考えをしっかりもち、一人ひとりの意見や考えの多様性が活かされる授業が行われたとしても、試験や業者テストで抜き出し式のような「唯一の正解」を探して解答することのみが一律に評価されるのであれば、その時伝わる価値観は「結局自分がどんな考えをもっていようと関係ない」というものでしょう。まわりと協力して知恵を出し合い、色々な問題を乗り越えて新しい考えにたどり着くといった知の共同構築の良さを授業のなかで経験したとしても、個人で解答する筆記試験のみで評価されるのであれば、「結局一人の力で解決できなければ意味がない」という価値観を伝えてしまいます。

それほどに、「何をどう評価するのか」は児童生徒にとっての学び方や学ぶ意味、ひいては生き方すら左右する重要な教育ツールです。むしろ、評価が変わらなければどんな新しい試みも意味をなさないと言っていいくらいかもしれません。

本書では、「生徒の尊厳を守る」つまり「あなたは大事な一人」であることを全ての生徒に伝える評価の方法を、様々な教科学習を例にしながら、筆者のサックシュタイン氏自身の模索も含めて示されています。私たちが日々心を砕いている国語の時間で、児童生徒に伝えている「価値観」はどんなものだろうか。児童生徒一人ひとりを大切に、彼らが自分や他者を大切にし、責任ある意思決定をできるような授業・評価になっているだろうか。そのように、学校を「安心・安全な学びの場」として改めて捉え直し、授業づくりの前提に立ち戻らせてくれる一冊です。

 

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SELの5つの柱についてはPLC便り: 新刊『成績だけが評価じゃない 感情と社会性を育む(SEL)ための評価』 (projectbetterschool.blogspot.com)に、少し詳しく書いてあります。また、それらに教室でどう取り組めるかは、感情と社会性を育む学び(SEL マリリー・スプレンガー(著/文) - 新評論 | 版元ドットコム (hanmoto.com)の第37章を参照ください。

★★具体的には、WW/RW便り: SELの検索結果 (wwletter.blogspot.com)で見られます。また、『国語の未来は「本づくり」』はSELと国語の統合を意識した実践なので、WW/RW便り: 国語の未来はの検索結果 (wwletter.blogspot.com)も参照ください。さらに、ライティングとリーディング・ワークショップの実践者たちが●WWの思わぬ(偉大な)おまけ = EQとライフスキル - ライティング・ワークショップ(作家の時間) (google.com)で、そのほとんどを押さえていると言っています。EQのスキル≒SELのスキルです。

★★★https://www.mext.go.jp/content/20221206-mxt_jidou02-000024699-001.pdfで読めます。

★★★★学びは、すべてSEL ナンシー・フレイ(著/文) - 新評論 | 版元ドットコム (hanmoto.com)感情と社会性を育む学び(SEL マリリー・スプレンガー(著/文) - 新評論 | 版元ドットコム (hanmoto.com)生徒指導をハックする ネイサン・メイナード(著/文) - 新評論 | 版元ドットコム (hanmoto.com)「居場所」のある学級・学校づくり ローリー・バロン(著/文) - 新評論 | 版元ドットコム (hanmoto.com)私にも言いたいことがあります! デイヴィッド・ブース(著/文) - 新評論 | 版元ドットコム (hanmoto.com)などを読むと、これでは足りないことが分かります。それでも、これらの項目が国として推進されようとしていることは大事な前進です。

2023年1月21日土曜日

「作家の技」を学ぶ

 

「作家の技」を学ぶ

 

 『理解するってどういうこと?』の「表62 読み・書きを学ぶ際の主要な構成要素」という表の下部には、「目的に応じてさまざまなレベルの本や文章を用いる」ことが書かれています。「さまざまなレベルの本や文章」は大きく二つに分けられています。「基礎的なことを教えるための本や文章」と「より難しい本や文章」です。エリンさんは「ひたすら書いたり、読んだりする時間に、子どもたちにとって、難しいかもしれない本や文章に彼らが取り組むこと」を提案しています。そして、次のように言っています。

  そういった本や文章は、あなたが既に読み聞かせしたことのある本や文章であるべきです。とても短いものか、少し長い本や文章から一部を切りとったものになるかもしれません。そしていくつかの課題をあたえるのがよいでしょう。たいていの場合、子どもたちが「フラストレーション」を覚えるレベルの本や文章だと思うとき、たくさんの見知らぬ言葉や、長く複雑な文があって、情報が詰め込まれた本のことを思い浮かべます。子どもたちにとって挑戦となる本や文章に取り組ませるべきだと提案するのは、何もそういったタイプの本や文章を使うべきだと言っているのではないのです。(中略・改行)興味深くて、子どもたちの関心に応えるもので、刺激的なアイディアを示してくれる本で、子どもたちはさまざまな理解のための方法を使ったり、ブッククラブやその他の共有の形態を通じてほかの子どもたちと話し合ったり、一番関心を持ったところをより深く読んだり、そして、深い認識方法(意味づけ、関連づけ、そして、優れた読み手・書き手になる)を練習したりできます。子どもたちはテーマやジャンルや文章構造についての背景となる知識をもてた場合には、むずかしい本でも読むことができるようになります。(『理解するってどういうこと?』223ページ)

  この引用文の最後は、「テーマやジャンルや文章構造についての背景となる知識」をもつことが「より難しい本や文章」に取り組むエネルギーを子どもたちにもたらすというふうに読むことができます。確かに表63の「より難しいや文章を使ってすること」には「作家の技を学ぶ」や「作品構造を分析する」ということもあげられています。

 理解する力を高めるために難しい本や文章で「作家の技を学ぶ」ことがなぜ大事なのか、どのように学べばいいのか、ということはこの本を訳している時から疑問でした。編集者としての経験をいかして書かれた、佐藤誠一郎さんの『あなたの小説にはたくらみがないー超実践的創作講座』(新潮新書9672022年)にはその疑問にこたえるためのヒントがあります。

 佐藤さんの本は、小説を書こうとする大人向けの入門書として書かれています。読者に面白さを体験させるために何が必要なのかということを、いくつもの小説作品を取り上げながらわかりやすい言葉で届けてくれます。たとえば「意外性」について、次のように書かれています。

  意外性とは、つまるところ、著者の言いたい本当のところを読者に納得させるための「選出」なのだ。演出のなかで最も効果のあるもの、それが「意外性」なのだ。

 人間はつねに新しいもの珍しいもの意外なものを求めて彷徨う生き物だから、新しさと意外性がセットになって読者を攻撃するだけで、読者は白旗をあげて降参してしまう。

 小説における最後のクライマックスでこの「意外性」が発揮されるのは、その時テーマが本当の姿を見せるためなのだ。(『あなたの小説にはたくらみがない』56ページ)

  読者が「意外性」を覚えるような工夫の積み重ねが、その小説の読書体験を左右するという指摘です。佐藤さんのこの本の魅力は、小説を書く側が読者の読むプロセスをどのように演出するかということの重要性を繰り返し語っているところにあります。それは「テーマ」について書かれているところにも次のようにあらわれます。

 小説における「動機」は、作家がオリジナリティを発揮できる最大級のポイントであり、「テーマ」に直結して最後のクライマックスを盛り上げる橋頭堡のようなものだ。世に言う「テーマ」とは、動機をきっかけに始まる行為全体を、あらためて意味づけし、読者が我がこととして感じられるよう一般化してみせることだと思うが、その成否の大部分は、この「動機」にかかっていると思う。(『あなたの小説にはたくらみがない』133ページ)

 「作家の技」と言えば「いかに書くのか」ということを中心なのだろうと私などは考えがちですが、佐藤さんがここで述べているのは「なぜ書くのか」の重要性です。そこにこだわらないと、書き手が読者に訴えたいこと(テーマ)は伝わらないというのです。そして読むプロセスを能動的にするのが作品に仕掛けられた「予感」をいざなうことでもあるとも述べられています。

 どんなジャンルにせよ、予感が書ければ、その作品は半ば完成したものとさえ言えるのではないだろうか。予感の件りが心の中に出来上がっているということは、その先の中核部も見えているはずだからである。(『あなたの小説にはたくらみがない』161ページ)

  読む行為を推進するのは「予覚と保有の弁証法」だと説いたヴォルフガング・イーザーの『行為としての読書―美的作用の理論―』(轡田収訳、岩波書店、1982年)の読書行為論と呼応するような言葉でもあります。佐藤さんは読者が「予感」を重ねて読む作品のモデルとして、ヘンリー・ジェイムズの作品を取り上げていますが、イーザーも読書行為の能動性を説明する素材としてジェイムズ作品を取り上げています。書くことと読むことが同じ軸を共有する両輪であることを実感できる考察でもあります。

佐藤さんの本の第九章には、安部龍太郎という作家の『冬を待つ城』という時代小説の創作過程がとても詳しく分析されています(詳しく知りたい人は是非佐藤さんの本をお読みください)。

 視点人物を誰にするか、それは一人なのか複数なのか。一人称と三人称のどちらがこの作品に相応しいのか。テーマの深化を演出するためにどんな構成にすべきなのか。話の順序をどうすれば面白さを最大化できるのか、つまり、時系列をどう動かすべきなのか・・・。(『あなたの小説にはたくらみがない』186187ページ)

 プロの作家が一つの小説をつくり上げるときにどのように頭と心を働かせるのかということを明快に可視化しています。それを読む私も書けそうな気になりかけますが、それは無理なことでしょう。しかし、少なくともフィクションを書くときに「作家の技」がどのように行使されるのかということを知る貴重な文章です。エリンさんが言う「作家の技を学ぶ」ことがなぜ理解するために重要なのかということを教えてくれました。そして「作家の技」を学ぶことはひたすら読む時間にその本や文章を深く理解するために必要で、ひたすら書く時間で文章をうみだすときに何を考えればいいのかということも教えてくれます。『理解するってどういうこと?』を訳している時に私の頭に浮かんだ疑問に答えを与えてくださった佐藤さんのこの本に感謝したいと思います。

 

2023年1月13日金曜日

従来のアプローチ と 求められるアプローチ

 あなたは、次の文章を読んで、納得しますか? それとも、受け入れられませんか?

 「学びは、一人の教師(たとえ、それが最高の教師であったとしても)の掌(てのひら)に収まりきるものではありません。『学ぶ』とは、本来、大人や生徒一人ひとりが未知の内容に夢中になり、自分のニーズや興味関心に従い、自分が納得できる形で意味を理解していくというダイナミックな経験だからです」(出典:一斉授業ハックする スター・サックシュタ(/) - 新評論 | 版元ドットコム (hanmoto.com)の3ページ)

  この文章と深く関連する表を、ひと月ほど前にある本を読んでいたら、見つけていました。

 出典は、英語の本なので、試訳をしてみました。

 あなたは、左側から右側に移行するのに、どのような努力をすでにしていますか? あるいは、これからしようとしていますか? それとも、必要性を感じませんか?

 もし、試訳の表の日本語でこういう言い方のほうがわかりやすいというところがありましたら、ぜひ教えてください。(下のコメント欄ないしpro.workshop@gmail.com宛にお願いします。)タイトルは、「これまでの教え方」と「これからの教え方」の方がいいでしょうか? あるいは、「教師/教科書/教材中心の教え方」と「生徒中心/生徒とつくり出す教え方」?

 また、この表には、他にどのような(対比する)項目を加えると一層わかりやすくなると思いますか? ぜひ教えてください。(下のコメント欄ないしpro.workshop@gmail.com宛にお願いします。)

2023年1月6日金曜日

意外に難しい? 「その本だけにしか当てはまらない、あらすじ的なこと」で終わらないためのミニ・レッスン

「ある日、青い短靴は緑色のブーツに出会いました。美しい緑のブーツです。緑のブーツは青い短靴にとても親切でした。でも、彼は青い短靴ではないのです。彼は緑色です。彼はブーツです。彼は青色ではありません。彼は短靴でもありません」

 上の文章は、『てん』などの絵本でよく知られているピーター・レイノルズのThe blue shoe という絵本の一部です。The blue shoe はネット上(★1)で全文が読めます。題名の通り、青い短靴が主人公。自分の真の友を探す旅に出る話で、旅の途上で青いスニーカーや緑のブーツと出会います。私のざっと訳で紹介した上の箇所は、緑のブーツに最初に出会った場面です。(なお、shoeをここでは短靴と訳しましたが、イラストを見るとパンプスのような形の靴となっています。)

 靴の「色」が違う。靴の「種類」が異なる。読みながら「色」や「種類」のところに、「肌の色、職業、宗教、クラブ、学校など、人間社会で、他の人との隔てになる可能性のある事柄」が示唆されていると感じる読者が多いと思います。

 しかし、この本を紹介する時に、「青い短靴が旅の途中に青いスニーカーや緑のブーツに出会う話です」と紹介してしまうと、その紹介から、他のテキスト、自分、社会などとのつながりを見出すのは困難でしょうし、読んでみたいという気持ちにもなかなかなれません。

 本の紹介を聞いていると、その本だけにしか当てはまらない、あらすじ的なことだけで終わるパターンが時々出てきます。その本だけで完結してしまうと、本の紹介の時間を定期的に設けても、読みたい本があまり増えないものになってしまうこともある、と感じています。

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 「その本だけに当てはまる、あらすじ的なこと」で終わらないように、以前は、時々、「あらすじとレヴューの違い」というミニ・レッスンを行ったりもしました。これは、あっという間に読める『だめよディビッド!』のような絵本で、その違いをはっきりさせます。レヴューは「他の人のために」行うから、「あらすじを言うよりも、そこに自分の評価や他の人の参考になる情報を織り込もう」みたいな練習をして、レヴューとあらすじとは異なることをはっきりさせたりしました。

 最近、ある著者が自分の絵本を読み聞かせる前に、「姉妹の連帯、強さ、そして何が起ころうとも自分の夢を追いかけることについての本です」という紹介をしている動画(★2)を見ることがありました。

 「姉妹の連帯、強さ、そして何が起ころうとも自分の夢を追いかけること」。こういうふうに紹介されると、抽象化されるので、その本だけで完結せずに、広がりが出てきます。その本の「テーマ」に関わることを言えると、ほかの本、自分、社会との関わりやつながりが見えてきます。この動画を見ていて、「このパターンを使う」ミニ・レッスンができそう、と思いました。

 つまり、本の紹介をするときに、「姉妹の連帯、強さ、そして何が起ころうとも自分の夢を追いかけることについての本です」のように、「〇〇についての本と言う」練習です。そして、〇〇の部分に入ることを複数考えます。その際「〇〇には、他の本にもつながりそうなこと(テーマ、時にはトピック)を意識して入れる」。この練習を何回か行います。

 また、時には、口頭で、自分の読んでいる本(あるいはお薦めしたい本)について、テーマを意識して「〇〇、〇〇、〇〇についての本です」と言ってもらうと、教師側は、読み手が全体をどう捉え、どのように読み取っているかを知ることができそうです。

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 テーマを見出すことは、読むときにも、書くときにも有益な概念です。上記は読むことを教える時の、テーマについての一つのミニ・レッスンですが、「テーマ」は、書くことを教えるときにも扱いたいトピックです。

 『イン・ザ・ミドル』(アトウエル、三省堂、2018年)では、書くことを教えるときに、「テーマ、目的、中心となる考え、動機といった、生徒にはピンとこない概念を端的に表す」ために「それで?の法則」(テーマ)を紹介しています。

 これは、ある生徒の回想録について、「この回想録のテーマは、サンタクロースが実在しないことを、ローラがどう理解しようとしたのか、ということなんです」と言ったことに対して、「サンタがいないってわかったのはいいんだけど、それで?」とある生徒が反応しことがきっかけとなっています。詳しくは『イン・ザ・ミドル』174−178ページ「それで?の法則」をご参照ください。

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(★1)

URLは https://www.fablevision.com/place/library/SHOE/index.html。この本は読み聞かせではないので、自分のペースで読めます。Forwardと書かれているところをクリックしていくと、次のページに進みます。ちなみにピーター・レイノルズはこのFableVisionというサイトの創設者として紹介されています。)

(★2) Maya van der Meerによって書かれた KUAN YIN—The Princess Who Became the Goddess of Compassionと言う本です。以下の読み聞かせの最初の方で、"It's a story about sisterhood, strength and following your dreams no matter what."と紹介しています。

https://www.youtube.com/watch?v=ltFiX81-OBE