2017年12月29日金曜日

新しい年を言葉に意識した年にする!


今年も残すところ少なくなりました。
あなたにとっての2017年は、どういう年でしたか?

3月には『言葉を選ぶ、授業が変わる』(ピーター・ジョンストン、ミネルヴァ書房)★が出る予定なので、それに関連したテーマで新しい年をはじめていただければ、と思って上記のテーマを選びました。

新しい年がはじまる時は、新しいことにチャレンジするのを決心するのに最適なタイミングです。(しかし、それは良くて数週間、悪いと数日しかもたないことも往々にしてあります。3月に、このテーマでフォローアップできるということが確約されていることも、今回のテーマを選んだ理由です!)

そこで、「新しい年を言葉に意識した年にする!」という提案です。

やる気や実際に注ぎ込むエネルギーは、私たちの思いや見方の結果とも言えます。
そこに言葉がどう関係するのか?

大いに関係します。
思いや、物事の見方を変える力がありますから、それが行動にも表れます。

詳しくは、あと2か月半ほど『言葉を選ぶ、授業が変わる』の出版まで待っていただくこととして、今回は新しい年を迎えるにあたって、その「予告編」のようなものです。

エネルギーを生む言葉遣い

その1: 「まだ」

私たちは、以下のようによく言います。
・教室の図書コーナーを整理する時間がない。
・まいった! 子どもたちはしっかり聞いて(順番に)話すことができない。
・前にはけたようにズボンをはくことができない。(太ってしまった、ということ!)

これらの文章に、「まだ」を加えるだけです。
まだ、教室の図書コーナーを整理する時間がない。
・まいった! まだ、子どもたちはしっかり聞いて(順番に)話すことができない。
まだ、前にはけたようにズボンをはくことができない。

前の3つは、変更が不可能な印象を自分自身受けてしまう(あるいは、お手上げ状態をにおわせている!)のに対して、後の3つは、私たちには状態を変える可能性ないし選択肢をもっていることが明白です。いまは理想の状態にはないのですが、努力次第でそこに到達できると思わせてくれます。

以下の文章は、どうでしょうか?
・(その効果に疑問をもちつつも)学期末には成績をつけ続けている。
・(その効果に疑問にもちつつも)教科書をカバーする授業をやり続けている。
・(その方が平等との思いから★★)すべての生徒に一斉授業形式で教えている。

「まだ」を入れたら少しは可能性が開けるでしょうか?

その2: 作業をする  遊ぶ

やらされることが前者で、やりたいからすることが後者です。
大人にとっては仕事であり、子どもにとっては勉強がやらされることです。
それは楽しくないものであり、やらなければならないものであり、多分に苦役です。選択の余地がないものです。
それに対して、遊びは楽しいから、やりたいからするものです。やめたいなら、いつでもやめられるものです。
 同じことをするのでも、勉強として捉えるのと、遊びとして捉えるのでは、出来も違うし、残りぐらいも違います。創造的/想像的になれる度合いさえ違います。さらには、遊びと捉えられるか否かが、学ぶことを好きにも嫌いにもしますし、誰に言われなくてもやり続けるか否かの境目にもなります。★★★
 指導案を書かされたり、指導案の検討をしたりして、大量の時間とエネルギーを割いたところで、授業改善が期待できないことは、それが誰にとっても苦役だからです。それに対して、『PBL ~ 学びの可能性をひらく授業づくり』が提唱しているのは、アイディア、授業、カリキュラムで「遊ぶ」アプローチ(68~69ページ)です。

その3: ~をしなければならない、~をする必要がある  ~を始める、~に取り掛かる、~に着手する、~できる機会[チャンス]を得る

これは、②と似ていますが、前者は負の感情を呼び起こしたり、エネルギーを吸い取られたりします。やりたくないのに、仕方なくやる場合に使われますから。
 「保護者会の準備をしなければならない」の代わりに、「保護者会の準備を始める/に取り掛かる」や「保護者会を開くチャンスを得る」というふうに言ってみるのです。
それだけで、負担感、不満、不安、心配、恐れが、感謝や喜びに転換し、思わぬ出会いや発見の機会にワクワクさせてくれませんか?

 ぜひ、言葉にこだわる一年にしてみてください。
 あなたにとって、2018年がよりベターな年になりますように!


★ 一言でこの本を説明すると、「教師がどのようにコミュニケーションを図れば(どのような発言をしたり、反応をしたりすれば)、子どもたちに考えさせ/学ばせ、同時に学びのコミュニティも築けるかのヒントが盛りだくさんの本」です。
 著者は実践者ではなく研究者なので、以下のような方法で本の中で分析/紹介している教師たちを選んだそうです。「教師の選定にあたっては、指導後の生徒が国語のテストでよい成果を収めている人や、その教師をよく知っている人によって推薦され、その教師のようになりたいと思われたり、自分の子どもも教えてほしい、と言われたりしている人を選びました。どの教師も自分なりに得意な方法があるだけでなく、私たちと同じように弱みももっていました。私はこれら優れた教師たちの効果的で巧みな言葉の使い方に興味を持ち、その重要性を調べ始めました」
ちなみに、それらのほとんど(ないし全員)は結果的にライティング・ワークショップ(WW)およびリーディング・ワークショップ(RW)の実践者たちでした。この最後の点については、本/著者はまったく触れても、分析もしていませんが、あなたはなぜだと思いますか? なお、『「考える力」はこうしてつける』の著者の一人のウィン・ジャンさんもWWRWの実践者ですが、そのことについては本の中で一切触れられていません。66ページの彼女の時間割に何げなく書かれている以外は。(何もそのことに触れない方が、触れることよりも、スゴイことだということを気づかせてくれた2つの例でした!)

★★ それは、錯覚に過ぎないのですが・・・詳しくは『ようこそ、一人ひとりをいかす教室へ』および http://projectbetterschool.blogspot.jp/2017/09/blog-post_17.html

★★★ 遊びの効用について考えさせてくれる本が、今年前半には翻訳出版される予定です。タイトルが決まっていないので書けないのが残念ですが、原書のタイトルは、Free to Learn: Why Unleashing the Instinct to Play Will Make Our Children Happier, More Self-Reliant, and Better Students for Life(直訳すると、「学ぶ自由 ~ 遊ぶことへの本能を解き放つことが、なぜ子どもたちをより幸せに、より自立的に、そして生涯にわたるよりよい学び手にするのか」です。でも、これでは日本語のタイトルとしては???です。)著者はピーター・グレイで、築地書館から出ます。たくさんの事例と研究成果を踏まえながら、説得力を持って遊びと学びについて、いろいろなことを考えさせてくれる本です(アクションも呼び起こすと思います! 本の特徴としては、『算数・数学はアートだ!』に似ています。これらの本は両方とも、読み・書き教育は直接的に扱っていませんが、構造的にはまったく同じであることに気づかせてくれます)。




2017年12月22日金曜日

「読み書きクラブに加入する」

「読み書きクラブ」という学習概念、あるいは学び方は、ずっと気になっていました。


「読み書きクラブ」という学び方は、リーディング・ワークショップ実践者の間でよく引用されている著者のひとり、フランク・スミス氏の著書から来ているようです。

 例えば、『リーディング・ワークショップ』の「読書家たちがつながる世界」という短いセクションのなかに、以下のような文があります。
 
Joining the literacy Club (読み書きクラブをつくろう)』(Heinemann, 1988)などのリテラシー教育に関する著書で知られるフランク・スミスは、すべての子どもたちが「心ゆくまで読み書きを楽しめるようなクラブ」の一員であると感じられるようにしよう、と提唱しています。読み書きは、極めて社会的な側面をもった活動です。私たちの話し方は、自分の接する人たちに似たり、その人に影響されて、服を選んだり考えたりするものです。
 スミスは、「『私は誰でしょう?』という質問の答えは、鏡に映った自分の中にあるのではなくて、自分の周囲にいる人たちの中にある」と言っています。それほど、周りの人の影響というものは大きいのです。クラスのみんなが「心ゆくまで読み書きを楽しめるようなクラブ」のメンバーとなれるように、教師がサポートしていくことは極めて大切なことです。(ルーシー・カルキンズ著 『リーディング・ワークショップ』、新評論、2010年、25ページ)

 また、この「RWWW便り」で何度も紹介している、中学校レベルの優れた実践者、ナンシー・アトウェル氏も、スミス氏の上記の本のなかで、「子どもたちは読むことを通して、読むことを学ぶ。子どもたちが読むことを学ぶのを促進するための唯一の方法は、読むことを子どもたちに容易なことにすることだ」と書かれていることを引用し、そのあと、次にように続けています。

ここに私は「読むことに招き入れる」ことを加えたいと思います。最初の数日の最大の目標は、すべての生徒が、純粋に自分が楽しめる本をみつけ、その話に浸れるようにするのを助けること。必要なのは多くのよい本、惹きこむようなブックトーク、本を探す時間と読む時間です。Nancie Atwell著 In the Middle, 3rd ed. 2015年、Heinemann92ページ)

 このように、RWを行う人たちがよく引用しているフランク・スミス氏。つい最近、2012年に、1冊、邦訳がでていることを知りました。『なぜ、学んだものをすぐに忘れるのだろう? ~「学び」と「忘れ」の法則』 大学教育出版会です。

この本自体は、「学びと忘れについての二つの相反する見解の物語」(4ページ)です。最後の章には、「Q & A」があり、「理想の学校とは?」等の問もあって、賛否両論あるとは思いますが、面白いです★。

「読み書きクラブ」については、第2章の4というセクションが「読み書きクラブに加入する」という題になっています。

クラブの特徴として3点、印象に残りましたので、紹介します。

1)クラブに入るために、読み書き能力は要求されない。読むことは、読むことを通してしか学べない、という当たり前のことが土台になっているクラブ。

「読み書きクラブに加入するのに、スキルのある読者である必要はないし、書くことに関する知識を持っている必要もない。むしろ、その反対である。読み書きクラブのメンバーになるまでは、読むことや書くことを学ぶことはできない」 (40ページ)

➔ 「読み書きクラブに加入する」というセクションの前に、1年間に1500語学ぶ生徒と8500語を学ぶ生徒がいて、その差異がどこから生まれるのかという研究結果が紹介されています。★★

 2.メンバーが手助けをしてくれる。でも、その中で子どもたちは、手助けしてもらうところから、自分で学ぶところに進んでいく。

「読み書きクラブに限定して話をすれば、メンバーたちが、あなたが興味を持っているものを読む手助けをし、書きたいことを書く手助けをする」 (42ページ)

➔ 読むことについては、親と子の例が載っていました。最初は子どものために読み聞かせ、それから、子どもと一緒に読む、子どもが自分でページをめくり出すときは、子どもは親を頼りにしていなくて、著者を頼りにするようになっているということです。                    (4243ページ)

 3.読み書きクラブのメンバーであるかどうかという意識がもてるかどうかは大きい。

➔ 自分がメンバーでないと思ってしまうと、「一生、読むことや書くことに関しては多くのことを学べないことになる」    (45ページ)

➔ 「それは学習能力がないのではなく、間違ったことを学んだことがあるという個人的な経験または社会文化的歴史に原因がある。<略> 親切な協力者(つまり他の経験あるクラブメンバー)のサポートがなければ、克服は不可能に近い。   (4041ページ)

 ***

★二つの相反する見解ですが、一つが「クラシックな学びと忘れの価値観」と呼ばれ、とてもシンプルで、実際に面識のある周りの人から学ぶというもの(5ページ)です。この学び方が、読み書きクラブの土台にあります。もう一つは「学びと忘れのオフィシャル理論」と呼ばれ、学びとは、努力の問題で、反復やテスト等々も重視されています。(6~7ページ)


最後の章にある「Q & A」の中では、私は「理想の学校とは?」という問の答えに、スミス氏の教育観がよく表れていると思いました。

まず、それぞれの学校がそれぞれの顔を持っているので、唯一の理想像があるわけではない。自由化された学校の本質はコミュニティで、おもしろい活動に取り組むために人々が集まる場所。

また、そのような学校に「存在しないもの」は、意味のない課題、処罰的なテスト、差別、分離、無駄な競争、生徒へのラベル付け、制限的な時間割、教師・生徒に対する公的・私的な屈辱等と書かれています。    (167168ページ)

 ★★「読み書きクラブに加入する」というセクションの前に、1年間に1500語学ぶ生徒と8500語を学ぶ生徒がいて、その差異がどこから生まれるのかという研究結果が以下のように紹介されています。

 差異を生み出していたのは、リーディング(読み)、つまり読み物にどのくらい触れているかであった。研究者たちは、これは重大な発見であるとして発表した。たくさん読む人は、たくさんの単語を覚える傾向にある。彼らによると、読むために多くの語彙力が必要なわけでもなく、読んでいる間に語彙を教えてくれる人が必要であるわけでもない。読書家になるのに必要なのは、自分が理解することができ、興味を持てる「題材」だ。  (37ページ)
 他にも、この研究者たちは、読んでいる間に人間が何を学ぶかに関する素晴らしい研究結果を発表した。すなわち、たくさん読む人は、良い読者になるということを発見したのである。もう一度いっておくが、たくさん読むためには良い読者である必要はないが、もしたくさん読めば読解力が高まる。さらに、たくさんの量を読む人は、読んでいる内容をより理解することができ、文章を書く能力、つづりを正しく覚える能力が高く、学力も高い傾向にある。38ページ)

2017年12月15日金曜日

「何が大切かを見極める」と人生の選択


 12月に入ってすぐ、ジョー・ウォルトン(茂木健訳)『わたしの本当の子どもたち』(創元SF文庫、2017年)という小説を読みました。ある老人ホームの一室の描写から始まります。物忘れが激しくなり、混沌のなかに生きる老女の、どうやら半生記のようです。



 自分の脳がまったく信用できなかった。彼女は、自分はふたつの世界を生き餌居て、そのあいだを知らないうちに行き来しちるのではないかと疑った。でも、そう考えてしまうこと自体、おそらく脳が混乱しているせいだった。

    (中略)

 しかし、本当にふたつの世界が存在しているのだろうか?

もし本当にふたつの世界があるのなら、いったいなにが原因で彼女は、そのあいだを行き来するようになった?(23~24ページ)



こうしてこのヒロインは混沌のなかで自分の半生を振り返るうち何かに気づいていきました。最初の章の終わり近くに、次のように書かれています。



もしこれが彼女の選択であるなら・・・・・・そう、たしかに彼女は、そんな選択をした覚えがあった。当時の他の思い出と同じく、そのときの情景がくっきりと蘇ってきた。彼女は、パインズ女学校の廊下に設置された小さな電話ボックスのなかにいた。電話の向こうではマークが、今この場で彼との結婚を承諾するか、それとも分かれるかという二者択一を迫っていた。(25ページ)



 「マーク」とは彼女(あえて「彼女」と書いているのは、明らかに主人公でありながら、この小説でいろいろな名前で呼ばれる女性だから)のフィアンセ。オックスフォード大学卒業後、小さな海辺の町にある「パインズ女学校」の教師をしながらフィアンセからの連絡を待っていた。そこに「マーク」からの電話があった、ということを彼女は思い出したのです。さて「イエス」か、「ノー」か。小説は「イエス」バージョンの彼女の人生と、「ノー」バージョンの彼女の人生を交互に紡ぎながら進んでいきます。どちらのバージョンでも彼女にはパートナーと子どもができます・・・え?「イエス」なら「マーク」との間の子どもだろうけど、「ノー」なら誰の子ども? いやいや、「ノー」なら一生独身かもしれないから、子どもはできないんじゃない? そもそも「イエス」でも子どもができるとは限らないのに? と、いろいろな疑問が生まれるでしょう。

 理解するということも「選択する」ということを教えてくれるのがエリンさんの『理解するってどういうこと?』です。「理解するための7つの方法」のなかで「選択する」ことに最も関係するのが「何が大切かを見極める」という方法です。本や文藻のなかの大切な部分を見つけて、なぜ大切と思うかの理由を考えることは、そこまでの読書行為を見直す作業になるでしょう。私たちはそんなふうにして本や文章の意味をつくりだしているのです。何を残して、何を捨てるのか決めなくては「何が大切かを見極める」ことはできません。その選択が意味をつくり出すのです。それは自分の注目した部分を他の事柄と結びつけようとすることになります。

 ある道を選ぶということは、他の道を行くのをあきらめることになります。だから私たちは迷うのだし、真剣に慎重に、考えられる限りの可能性を考えざるをえません。選択するということは、何かを必ず失うということでもあります。だからこそ、選んだことの背後には、選ばなかった多くのことが後景として残されているのです。どれだけ多くの可能性を捨てたのかということが、選択したそのことの重みを決定づけます。

 テリー・イーグルトンは読者論(受容理論)の主張を踏まえて、「読者は、隠されたつながりを見出し、空白部を埋め、憶測を立て、推理を確認しながら進む(中略)テクストとは、読者に言語の断片を意味あるものに構築するよう誘う、一連の「合図」以外のなにものでもない」(テリー・イーグルトン(大橋健一訳)『文学とは何か』上、岩波文庫、186ページ)と言っています。小説も人生もそのような「合図」を絶えず私たちに送っているものなのかもしれません。「大切なことを見極める」という方法を使って、私たちはその「合図」のいくつかは捨て、いくつかを選び取って意味づけるのです。

『わたしの本当の子どもたち』の最終章のタイトルも「選択」です。いったいそこで彼女は何を選択するのでしょう? この小説のヒロインの女性は「隠されたつながりを見出し、空白部を埋め、憶測を立て、推理を確認しながら」、最終的に彼女の人生において「何が大切かを見極める」ことになるのです。そして読者である私もまた(もちろん、どこまでも迷いながら)。

2017年12月8日金曜日

カンファランス・アプローチの醍醐味、難しさ、そして子どものエネルギーと多様性に乗ること



 今年8月4日のRWWW便りに「一人の教師が描いた図~WWと従来型の教え方の違い」を載せましたが、その図を書いてくれた吉沢先生とMLなどを通して、定期的にやりとりしています。

 その中で、人数の多い日本の教室で、一人ひとりと向きあうカンファランス・アプローチの醍醐味と難しさの両方を感じています。今日は、吉沢先生の了解を得て、その振り返りの一部を紹介します。

 

(1)70冊の作家ノートを前にして 

 
「楽しかったです」

 

 吉沢先生は英語の授業で、ライティング・ワークショップを実践しています。先生の授業では、作家ノートを使っていて、授業中のカンファランスだけでなく、ノートに書き込む形も併用して、一人ひとりに対応しています。

 

 水曜日のライティング・ワークショップの授業でいったんノートを集め、次の授業が月曜日。週末を使えばフィードバックが書ける、しかし週末は所属されている劇団の稽古が入っている、そんな状況でした。以下、吉沢先生の書きこみからの抜粋です。

 

 「しかし、やると決めて、稽古の後、職場にきてノートに目を通しました。

 

楽しかったです。

 

連日、文化祭に向けて、英語の歌を歌わせる指導に時間を割いています。クラス一丸となって歌わせるというのは、指導スタイルとしては一斉授業と同じなのです。教師の力でひっぱっていくぞー、というものです。時間がないですから、一人一人にじっくり付き合っていられません。

 

この『一人一人に付き合っていられない』という状態が、私にとってストレスなんだと気づきました。だから、深夜、人気のない職員室で作家ノートに向き合うのが何と楽しいことか。こんな気持ちになったのは始めてでした。<略>こういう時間を持ってしまうとライティング・ワークショップはやめられないなあ、という気分です」

 

➔ この感覚が一人ひとりに目を向けるカンファランス・アプローチの醍醐味なんだろうと思います。

 

 しかし、同時に現実は厳しいです。週末の深夜を使わないと一人ひとりに向き合う時間がないのも現実です。一クラスの人数の多さ、そして教師の多忙さも垣間見えます。

 

 またノートによる一人ひとりのやりとりとだけでは、十分ではないことも、以下からわかります。

 

「前回、今回と、とにかく全員に近い生徒に声をかける、ノートを見てまわるということを心がけています。質問の手が上がるので、そこでは立ち止まることにはなるのですが、何回も机間を歩き回ります。
 
 私が今感じているのは、やはり全体を意識した動きは大切だということです。大人数のクラスだから全員にカンファレンスするのは無理、だから数人にしか関われないというスタンスでいると、関わってもらえない生徒が置き去りにされている感覚をもつのではないか。

 簡単であっても、全員への目配りをしているということで、クラス全体の雰囲気が心なしか落ち着くように思います。教室でかかわれない分をノートチェックでカバーするというのは一つの方策ですが、やはりface to face の接触の代替にはならないのだ、と思います」

 

 吉沢先生の書きこみを読みながら、思い出したのが、『ライティング・ワークショップ』(新評論、2007年)の以下の記述です。

 

 「書き手とのカンファランスがうまくいくと、大きな充実感が得られます。<略>そこで、教師は子どもがもっているエネルギーに乗って、書き手を肯定しながら流れの方向をわずかに修正していきます。そうなれば、子どもとのカンファランスは自然なものに思えるでしょう。 [6667ページ]

 

 吉沢先生の場合、ノートを読むことにおいても、子どものもっているエネルギーと多様性が原動力になっているから、「楽しさ」が生まれるのだろうと思います。


 そういえば「子どもたちの取り組むトピックの多様性にふれることも原動力の一部なのです。それに日々接していると、教師が設定する画一的なトピックがいかに貧弱かを痛感します」とも書かれていました。

 

 「大人数のクラスだから全員にカンファレンスするのは無理」としないで、自分の立ち位置を変えてみる、すると、そこから、自分の教室で、できることが見えてくるのでは?という励ましを、私自身は感じています。

 

(なお『ライティング・ワークショップ』の本の続き(6779ページ)には、従来型の教え方・学び方しか体験していないほとんどの教師がカンファランスに違和感を覚えることと、違和感を感じる教師が学べるカンファランスのスキルと内容が具体的に示されています。「聞く」、「読者になる」、「書き手を理解する」、「子どもの状態に敏感に対応する」、「うまく書けているところをほめて書き手を育てる」、「一つのことだけを教える」という項目について、それぞれに説明されています。また、幼稚園~中学生を3つの年代に分けて、具体的なカンファランスの内容も説明されています。)

2017年12月1日金曜日

『「読む力」はこうしてつける』増補版


 このブログ(「WW&RW便り」)と並行して「PLC便り」を出しているのですが、その執筆パートナーが『「読む力」はこうしてつける』について何度か記事を書いてくれています。





 これらの記事からも、かなり応用範囲が広いことが分かっていただけると思います。

 そして、「はじめに」に書いたように、この本でメインに紹介してある「優れた読み手が使っている方法」は、読むときだけでなく、聞く時も、話す時も、書く時、見る時も使っています。つまり、考える時はいつも使っています。(他教科を学ぶ時もです!!)
 それほど重要な方法ですから、誰もが身につけておかないと、まずいと思いませんか?
 そして、それを教えられるようにしておかないと!!

 今回、単に増刷するのではなく、増補版の形にして出してくれるというので、「はじめに」の後に文章を付け足しました。その内容は、この本が出版された2010年以降の動向や今度の予定なども含めながら、本書の中で大切なポイントを項目立ててまとめたものです。

 本文は、ほとんど変えていません。必要最低限の校正・修正をしただけです。
 (従って、メインの部分は変わっていませんから、旧版をすでにお持ちの方は増補版を購入する必要はありません。ご希望の方には、「はじめに」に書き足した分をお送りしますので、pro.workshop@gmail.comに連絡をください。)


◆増補版の、割引注文を受け付けます。◆

1冊(書店およびネット価格)2160円のところ、
WW/RW便り割引だと    1冊=1800円(送料・税込み)です。
5冊以上の注文は      1冊=1600円(送料・税込み)です。

ご希望の方は、①冊数、②名前、③住所(〒)、④電話番号を pro.workshop@gmail.com にお知らせください。

※ なお、送料を抑えるために割安宅配便を使っているため、到着に若干の遅れが出ることがありますので、予めご理解ください。