2012年11月17日土曜日

「読者の権利 10ヶ条」再考

今年の4月に、ペナック先生の「読者の権利 10ヶ条」を取り上げています

とてもいいリストなのですが、これですべて網羅されているわけではありません。
(世界人権宣言や子どもの権利条約が、すべてを網羅していないのと同じように。)
欠けている部分は、教師が子どもたち(や司書や保護者)と協力しながら補っていくことが求められています。

もう一度、掲載します。(元のリストに、私のコメントつきで。)

   1. 読まない権利  → これが最初にあるのが、なんともいいです!
   2. 飛ばし読みする権利  → 本には、ほどほどお付き合いすればいい!
   3. 最期まで読まない権利 → 最後までお付き合いする必要はない!
   4. 読み返す権利 → とても大事なのに、なかなか出来ない(特に、大人は)
   5. 手当たりしだいに何でも読む権利 → 読みたくないものは読まない権利
   6. ボヴァリズムの権利(小説と現実を混同する権利)→私の場合は、『ギヴァー』
   7. どこで読んでもいい権利  → どんな姿勢で読んでもいい権利?
   8. あちこち拾い読みする権利 = 全部はちゃんと読まない権利
9.  声を出して読む権利  → ということは、出さないのが普通?
10.    黙っている権利 = 感想を求められても、言わなくていい権利

  (出典:『ペナック先生の愉快な読書法―読者の権利10ヶ条』
      ダニエル・ペナック著、藤原書店、2006年)

あなたが、他に加えたいものはありますか?

今年の4月20日の書き込みには、「多くのいい本にアクセスできる権利」が加えられていました。

いま、ブッククラブの本を書いている私としては、「何人かと一緒に読む権利」をぜひ加えたいところです。

あなたも、子どもたちと一緒に、「自分たちのクラスの読者の権利」をぜひつくってください。その際、数を10に限定する必要はまったくないと思います。

ペナックさんのリストには、「どこで読んでもいい権利」が含まれていますが、「いつ読んでいい権利」というのは含まれていません。それがあると、問題の方が多いからでしょうか?
「本を読みなさい、読みなさいと言われない権利」というのは、どうでしょうか?
でも、たとえそれを教師や司書や親から言われ続けたとしても、第1条の「読まない権利」で守られているのかもしれません。
ある意味で、「場所と時間(と姿勢まで)を制約されて読むのが、朝の読書の時間」なわけですが、そういうのは読書と言えるのか、と考えさせられてもしまいます。そもそも、朝の読書が目標としていることは、何なのでしょうか? そのための方法として、適切なのでしょうか? などとも。

ここまでは「普通の読者」を対象にした権利を扱っていますが、「優れた読者」というか、「少し熱狂的な読者」というか、「書くことにつなげている読者」の十箇条を紹介します。それは、2年半前に亡くなった井上ひさしさん(『本の運命』文藝春秋)のです。

     オッと思ったら赤鉛筆
     索引は自分で作る
     本は手が記憶する
     本はゆっくりと読むと、速く読める
     目次を睨むべし
     大部な事典はバラバラにしよう
     栞(しおり)は一本とは限らない
     個人全集をまとめ読み
     ツンドクにも効用がある
     戯曲は配役して読む

全部ではなくても、部分的には子どもたちだって十分にできるものがあります。モデルを示して、やれるようにしてあげる価値はとても大きいと思います。(これらができてしまうと、国語の学習指導要領に書かれていることはすべて押さえられるだけでなく、相当のお釣りもくるのではないでしょうか? しかも、生涯にわたって使える読み方も身につきます。)

2012年11月9日金曜日

「読む内容」と「読み方」のブック・プロジェクト

 ここ2週間ぐらい、二つのクラスでブック・プロジェクトをしています。今回は、一つのクラスは「読む内容」、もう一つのクラスは「読み方」に焦点をあてて、ブック・プロジェクトを導入しました。

  読む内容に焦点をあてたブック・プロジェクト

 「読む内容」に焦点をあてたクラスでは、「ブック・プロジェクトは、選択の幅を広げるのにとてもいい機会」ということを、改めて実感しました。

 RWでは、子どもたちの読むものの選択が大切にされています。とはいえ、通常の授業の場合、「教室(あるいは図書館)にある本の中での選択」が、中心になることが多いです。

 しかし、ブック・プロジェクトを導入すると、教室の中の本の範囲では、いまひとつ興味のある読み物に出合えていなかった学習者がよく見えてきます。

 実際のところ、今回のブック・プロジェクトの結果から、一人の学習者については、教室の中のものを読むかわりに、しばらく、今回のプロジェクト関連のトピックをインターネットなどから、読み続けるように提案してみよう、そのほうがこの学習者にとってはプラスではないかと思い始めています。

  「読み方」に焦点をあてたブック・プロジェクト

 もう一つのクラスでは、「読み方」に焦点をあてて、「読むことについての課題」からブック・プロジェクトを考えてもらいました。

まずは、「ここ6週間の振り返りと、現在、読むことについて持っている課題」を考えた上で、「その課題を克服することに役立ちそうなことを1週間でやってみる」というブック・プロジェクトにしました。

そして、「自分の読むことについての課題克服に役立ちそうなブック・プロジェクト」を考えている段階で、全員にカンファランスをしました。

「その課題克服に適した方法か?」と「実現可能か?」に絞ってのカンファランスです。特に問題がなさそうな学習者については、ほとんど時間をかけずに、「いいね、それでやってみて」で、30秒ぐらいです。

  
 でも具体的にどうやっていいのか分からないとか、その方法が適切だと思えない学習者には、少し時間をかけてカンファランスをしました。また、こちらからも「こうやってみたらどうだろう?」という提案もしました。

 「読み方(や読みの課題)」に関わるブック・プロジェクトは、通常はブック・プロジェクトの選択肢の一つにすぎません。でも、今回、その一つの選択枝に焦点を絞って行い、カンファランスをセットにすることで、何らかの形で、定期的に読み方を振り返ることの大切さも見えてきた感じです。
 
  なお、ブック・プロジェクトについては、『リーディング・ワークショップ』(ルーシー・カルキンズ著、新評論、2010年)の12章(リーディング・プロジェクト)208215ページをご参照ください。
 
 またこのRWWW便りも、いくつかのページに「ブック(リーディング)・プロジェクト」というラベルをつけてみましたので、よろしければご覧ください。

2012年11月2日金曜日

作家ノート


 『ぼくたちの散歩』(工藤直子作、文溪堂)は、子犬のカンタが日記帳をもって散歩に出かけるという設定で、書かれた歌やお話がたくさん載っています。
 おそらくなりきって書くのが大好きな工藤さんのことですから、実際にこんなふうに書いているんだろうな~、と想像してしまいます。
子どもたちに作家ノートの使い方を教えるときに、この本の一部を読み聞かせてあげると、作家になるということがどういうことか、日記帳の代わりに作家ノートをいつも持ち歩くということがどういうことかがイメージしやすくなると思いました。
長新太の絵も描かれているので、書くことだけじゃなくて、絵でもOKということも伝わります。
ということで、低学年にはもちろん、高学年でも(特に、詩や自分の日常の中から題材を選んで書く時など)試してみてください。

もうひとつ、作家ノートについて作家本人が書いているのも見つけました。『安房直子コレクション2 見知らぬ町ふしぎな村』(偕成社)の巻末エッセイ(336ページ)です。「一冊のノートのこと」というタイトルで、以下のように書いてありました。

 思いついたことは、何でも、メモすることにしています。
 そのためのノートを一冊、いつも、引き出しにしまっておいて、ときどき、とりだしては、書きこんだり、ながめたりします。
 そこには、おぼえたての花の名前や、珍しいお料理の作り方、猫の会話や、うさぎのひとりごと、そして時には、短編のはじめの一行や、きちんとしたあらすじや地図まで、何でも書いておきます。ごたまぜの、すごいノート! 他人には、とても見せられないし、見せたって、誰にもわけのわからないノートですが、これは、私の宝物です。
 ひとつ作品を書き上げて、さあ、次は何を書こうかしらと、とりとめなく、このノートを開く時が、私のいちばん幸福な時です。
 このノートの中身が、豊かであるかぎり、私は、これから、いくらでも、作品を書いていけるし、その過程の苦労にも耐えてゆけるという気がするのです。
              『児童文学の世界』1988年 偕成社刊

2012年10月26日金曜日

オーストラリアの理科教育



Three key ideas I believe to be important in school science:
•  Science education shouldn’t be prescriptive – it is about the ‘spark of excitement’ that stems from discovery
•  Open-ended tasks and relevance are vital – students need to understand the world around them and make rational decisions on important issues
 Teacher confidence and professional development is just as important as the students’ learning materials.

これを、日本語に訳すと、以下のような感じです。

学校における理科教育に大切なことは3つある。
・理科教育は、教師(教科書)のシナリオ通りに行われるべきではない ~ 興奮したり、発見できることこそが大事。
・唯一の答えが存在しない活動と子どもたちが意味を感じられる活動が大切 ~ 生徒たちは自分の身のまわりの世界について理解し、重要な問題について考え、そして意思決定ができるようにしてあげるべき。
・子どもたちの学習材と同じレベルで教師が学び続けることから得られる自信が大切である。

以上は、オーストラリアで理科教育の新しいあり方を提案する報告書の中に書かれていた一節です。
 これは、読むことにも、書くことにも、話すこと・聞くことにも(ということは国語で)、そして他のすべての教科でも言えてしまうことではないかと思って紹介しました。

 教科に固有なことなんて、いったいどれほどあるのかとも思わされました。(扱う内容はともかく、少なくとも学び方・教え方に関しては!)

 わが国において主流であり続ける教え方(=教師のシナリオ通りに行われる/唯一の答えが存在する/教師が学び続けないので自信がないなど)では、上記で大切だと言われていることとは逆さまな状態にあり続けています。軽視どころか無視です。

 いったい、なぜそういう現象が起こり続けるのでしょうか?

 少なくとも、WWとRWはこれら3つをしっかり押さえた形で行われています。
 その意味では、WWやRWは国語だけで実践しているのはもったいなく、理科やほかの教科にも応用していくと、子どもたちは(そして、教師も)よく学べることを意味します。


出典: Re-imagining Science Education: Engaging students in science for Australia’s future, by Russell Tytler, Australian Council for Educational Research, 2007

2012年10月19日金曜日

問うことの大切さ


 読むにも、書くにも、「問うこと」「疑問を出してみること」「なぜ、と思うこと」の大切さを改めて感じさせてくれる本に出会いました。

 タイトルは、『藪の中の家 芥川自死の謎を解く』(山崎光男著、文芸春秋)です。

 書き出しの7~9ページに、以下のように書いてあります。

 芥川龍之介の晩年の作品に『三つのなぜ』という小品がある。
       なぜファウストは悪魔に出会ったか?
       なぜソロモンはシバの女王とたつた一度しか会わなかったか?
       なぜロビンソンは猿を飼ったか?
 以上、3つの疑問に龍之介一流の機知と皮肉を交えて答えを呈示している。
 わたしの芥川龍之介に対する「なぜ」は、「なぜ自殺したのか」に集約できる。『ひとつのなぜ』である。が、このなぜを惑星にたとえると、そのまわりには無数の衛星的ななぜが点在する。
 昭和2年7月、芥川龍之介が自殺した日、全集(昭和30年、岩波書店版)の年譜には、次のように記載されている。
 24日未明、田端の自宅に於いて、ヴェロナール及びジャールの致死量を仰いで自殺した。枕元には聖書があった。
 30年前にも眼にした同じページの同じ活字である。以前は何の疑念も抱かず、並んだ活字をあるがままに受取り、次の行に移っていた。ところが、いまはわずか数行の記述が気になって仕方がない。
 睡眠薬とおぼしき、ヴェロナール及びジャールとはどんな薬か。
 致死量はどれほどの量か。
 薬の入手先はどこなのか。
 死亡診断書を書いた医師はだれか。
 蘇生させられなかったのか。
 医者は自殺を思いとどまらせる治療はできなかったのか。
 龍之介に持病はあるのか。
 主治医はだれなのか。
 ・・・・・・
 次々に疑問が湧いて出た。

 この本は、これらの疑問を解明するために書かれたのです。
2行の文章から、これだけの疑問が生まれ、そして本になってしまうのです。

読むとは、こういうことなのか、と思わせてくれるとてもいい例でした。
読むことが、さらに知ること/調べることにつながっていますし、その次にある書くという行為にもつながっています。
30年後に、読み直すという行為も。

山崎さんは、2行の文章から湧き出た質問群をリストアップしているのですが、実は、実際に使ったのは最初の1行だけでした。
「枕元には聖書があった」の方は、まったく関心を向けていません。
最初から自分が書きたい本の対象と考えていなかったのか、芥川龍之介とキリスト教のことには関心がなかったのか?
「芥川龍之介と宗教」でネット検索するとかなりの情報が得られますし、同じタイトルの『芥川龍之介とキリスト教』が川上光教紗玉によってすでに書かれています。


 前回は、小学校1年生が詩人のように世の中を見たり、聞いたり、考えたりして書く事例の「あのね帳」の実践を紹介しましたが、今回は、本物の作家がどのように本を読み、そして自分が書く本の題材をつくり出す事例でした。

 「このぐらいなら、自分にもできそう!」と思っていただけたでしょうか?
 それとも、「難しそう!」と思われたでしょうか?

2012年10月12日金曜日

フィードバック


 前回の中心テーマのフィードバックの続きです。


子どもが書いたいい詩が読みたくて、鹿島和夫さんの小学校1年生の実践として有名な『1年1組せんせいあのね』を借りてきて読みました。4冊出ています。

とてもいい詩が大量に紹介されています。

もちろん、知りたかったのは、なぜこういう詩が続々と書かれたのか?です。

 答えは、日々のフィードバック(+問いかけ)に尽きます。

巻末に、灰谷健次郎との対談が載っているのですが、この日々のフィードバックは教室レベルではもちろんですが、学校レベル、教育委員会レベル、教育システム全体レベルでとても大切だと思わされました。それが、実態はほとんど行われていません。

 と同時に、アプローチにライティング・ワークショップやリーディング・ワークショップとの共通点も強く感じました。

 以下は、鹿島さんが最近になって自分の「あのねちょう実践」を振り返って書いた本『せんせい、あのね ~ ダックス先生のあのねちょう教育』(ミネルヴァ書房)からとったメモです。 数字はページ数、斜体はメモをとった際のコメントです。


 <メルマガからの続き>



48 あのね帳は、考える子どもを育てる手段
   徹底してやることの大切さ  ~  日本中の学校が「考える子」を教育目標に掲げながら、徹底してやっていないので(教科書をカバーすることしかしていないので)身につかないという悲劇が続いている!!!

51 話す言葉の中に子どもたちの宝があることを繰り返し紹介する
53 モデルを示す ~ 面白い本や詩を読み聞かせる
54 良い作品の基準 = ユーモアと笑い
65 4月から、時間割、教科を無視して「かな」を教える。じゃないと、子どもたちが「あのね帳」を書けないから。
71~74 白い紙に書かせる助走期間 ~ 絵を描くこととセット
  テーマを提示して、絵と文を書く
  それにフィードバックして、家で見てもらい、話してもらう
75 私の口癖は「考えなさい」 ~ 生活、遊び、授業の中で思いついたことや考えたことを一つだけお手紙の形で書いてほしいと言って、あのね帳を配布
   書くことによって、考える生活の習慣化
77 朝の1時間、子どもたちを迎えて、書いてきたあのね帳を受取り、フィードバックを書く
78 力をつけるには、ひたすら継続
80~1 大切な題材選び
  何でも書きなさい、遊んだことを書きなさい、はダメ。
     よく見つめなさい。自分の目で見たことを書きなさい。
     黙って聞いていなさい。そして、聞いたことを書きなさい。
     美しいものを見たら、手で触ってごらん。鼻でかいでごらん。その感じたことを書いてください。
     へんだなあと思ったら、なんでかなと考えたことを書いてください。
五感を働かせて考えることを求める
82~4 タネをみつけられるように
85~7 具体的に。 イメージ豊かに
88 人間の言動を見つめてほしい/聞いてほしい
89 自然の移り変わりを凝視してほしい
91 疑問、異議・怒りをもってほしい。抵抗してほしい
94 体験/身体で確かめてほしい
98 主題は一つ。  一生懸命書くと長い文になる
101 短い方がいい、に修正していく
102 足りない場合は、付け足す

104 しんどいことには喜びを
105  ① フィードバックを書く
            赤丸 → 学級通信に活字になって掲載される
  個々の子どもの絶対評価で。
115 丸がもらえる作品
     子どもたちの感動した心、考えた事柄、見知らぬ出来事の発見、疑問に思ったことが明確に書かれた作品など。小さく焦点化されたものが良い作品。
     子どもたちの考える生活から生まれてきた作品

118 学級通信 ~ 親とのパートナーシップの形成

144 解放された平等感のある人間関係の中で、芽が出せる
150 自立する力をつけるには、時間がかかる
179 感動すると同じレベルで、批判する/疑念を抱く感性を大切に育てたい

2012年10月5日金曜日

カナダの教師たちの書く指導



4~8年生(中2)を教えている教師192人に対して「書く指導」に関する電話インタビューを行った結果を入手しました。
質問は、以下の3つです。

1)あなたは、生徒同士のピア・フィードバックを活用していますか?
2)あなたは、カンファランスなどで頻繁に生徒にフィードバックをしていますか?
3)あなたは、評価基準表(ルーブリック)を使って生徒にフィードバックを提供していますか?

あなたの答えはどうですか?

1)カナダでは、94%の教師が生徒同士のピア・フィードバックを活用しています。
一人の教師が、すべての生徒たちに満遍なくフィードバックをし続けることは難しいですから、最も使われているのが、生徒同士のピア・カンファランス/ピア・フィードバックであることは理解できます。★
逆に、日本ではこの極めて効果的な方法が書く指導ではもちろん、読む指導でも、他の教科でもまだ活用されていないのではないでしょうか? (その理由は、教師が一斉指導の形でがんばりすぎることではないかと思います・・・★★)
生徒同士のピア・フィードバックは、する側もされる側も学べる方法ですから、とても有効です。

2)カナダでは、82%の教師がカンファランスなどを通じて、自分が直接生徒たちにフィードバックを頻繁にしているようです。
この数字で、カナダの教師もちゃんとがんばっていることがわかりますが、がんばり方が日本の教師とは違うようです。

3)生徒たち自身がそれを見れば何をどう直していけばいいのかがわかる評価基準表を使いこなせている教師は、43%です。上の1と2だけでも、「指導と評価の一体化」はかなり図れますが、評価基準表は基本的には成績のガラス張りを意味しますから、究極の「指導と評価の一体化」と言えるかもしれません。生徒たちにとっては、何をどうすればいい成績=いい作品になるのかの情報を事前に知らされている状況です。生徒と教師は、その実現のために協力して努力していきます。

 電話インタビューの結果の出典は、Educational Leadership, September 2012, p.9, ASCD。


   <メルマガからの続き>



★ 生徒同士のピア・カンファランス/ピア・フィードバックの具体的な方法として最も効果的なのは、「大切な友だち」です。(詳しくは、『作家の時間』の69~73ページを参照してください。)
 具体的には、以下のステップで進めます。
1)     後でいい点や改善点を指摘できるように作品を読む
2)     読んでいてわからなかった点やハッキリしなかった点の質問を1つ、2つする。
3)     特にいいと思った点を2つ、3つ指摘する。
4)     直したり付け加えた方がいいと思った点について質問の形で2つ、3つ問いかける。
5)     3)か4)の中から一番伝えたいことを「愛を込めたメッセージ」として書いて渡す。

 慣れないうちは、4)が難しいですが、要領を得ると小学校中学年以上ならかなりうまく質問できるようになります。
 この進め方が世の中の基調になれば、世の中大きく変わると思います。現状は、いい点を具体的に指摘できず、すぐに悪い点を改善するための質問をするのではなく、指摘することが横行しているからです。「愛」がないので、いくら指摘したところで、指摘された側は変えられません。

★★ 残る確率としての数字を思い出してください。表2の●●● と ◆◆◆ は、何だと思われますか?

表1:老子の教え       表2:アメリカの研究者の数字

  聞いたことは、忘れる。         聞いたことは、  10%
  見たことは、覚える。          見たことは、   15%
  したことは、わかる。          聞いて見たときは、20%
  (見つけたことは、できる。)      ●●●●●ときは、40%
                      体験した  ときは、80%
                      ◆◆◆◆◆ときは、90%

              出典: 『効果10倍の教える技術』27~79ページ)