2021年10月29日金曜日

文字のない絵本を楽しむ

(時々、投稿をお願いしている吉沢先生に、今回の投稿をお願いしました。)

文字がないのに、そこに言葉を感じさせるものがある。その絵本について語りたくなる。疑問が湧いてくる。そのような魅力のある絵本があります。今回は、そのような文字のない絵本のいくつかを紹介します。



安野光雅『旅の絵本』(福音館書店, 19771


 物語は、小さな舟に乗った一人の男が岸に着くところから始まります。次の場面で、男は土地の人から馬を借ります。その馬に乗って旅をしていくのです。

旅人の訪れる先々の集落、街並み、広場に、さまざまな人、家、動物、木々、乗り物、道具が描かれています。そこには英雄とか偉大な人とかは登場しません。日々の暮らしを営む人たちばかりです。

巻末の解説の中で、作者はこの絵本に込めた思いを次のように語っています。


旅人は、その人々の暮らしとは全く別の世界から来て通り過ぎ

ていくのです。何かしたいと思っても、旅人はあまり関わるこ

ともできないのですが、そこには、人の数だけ、物語があるはずです。わたしは、それを描きたいと思いました。「旅の絵本」はそうして生まれました。


初版が発行されて間もない時期に、国語教師の大村はまはこの本に出会い、早速中学1年生の授業でこの本を使ったそうです。その時の様子を、苅谷夏子が次のように書いています。


本が配られると、あっちでもこっちでも頭を本に埋めるようにして覗き込む。全てのページに数えきれないほどある、人の一瞬の姿や意外な表情、出来事や物音、生活の断片など、生徒たちは夢中になって見つけていって、気づいたことを一つひとつはまに言わずにはいられなかった。★2


人の数だけある、そのような物語の一つひとつに、私もまた思いを寄せたくなります。



ショーン・タン『アライバル』(河出書房新社, 20113


 最初のページを開くと、部屋の中のものを描いた9つの絵があります。紙で折った鳥。置き時計。フックに掛けられた帽子。鍋とスプーン。

小さな子供が描いた絵。ひびの入ったティー・ポット。飲みかけのコーヒー(?)の入ったカップ。ふたの開いたスーツケース。そして、男の人、女の人、女の子の3人の肖像。裕福な家ではなさそうです。

 その3人は家族なのです。家族の写った写真を大事にスーツケースにしまいます。ふたを閉じた手にもう一人の手が重なります。

 ようやく次のページで、部屋の全体の光景が描かれ、男が妻と娘を置いて、一人、旅に出ようとしていることがはっきり分かります。手と手を合わせる二人の姿から、二人の間に流れる愛情と別れの悲しみが伝わってきます。

 家族3人は家を出て、駅に向かいます。3人の歩く街は、巨大なしっぽのような影で覆われています。何の影か分かりませんが、不気味で不安な雰囲気が漂います。

男は職を求めて移民船に乗って、別の国へ向かうのです。着いたところは、言葉の通じない、見たこともない動物、乗り物、食べ物、システムのある世界です。何とか宿にたどり着き、職を求め、さまざまな人に出会って、その人たちの過去を知り、残る家族に仕送りをして----というふうに物語は続いていきます。


見たこともない動物や食べ物など、西洋でも東洋でもない、とても不思議な世界です。ファンタジーを感じさせる一方で、現実にある移民の人たちの思いに通じるものも感じられます。

 モノトーンで描かれた一つひとつの絵が続いて、まるでサイレント映画を見ているような感覚にとらわれます。どんな会話をしているのだろう? どんな気持ちなのだろう? というふうに、一つひとつの絵に立ち止まって考えているうちに、私はいつの間にかこの本の世界に引き込まれました。

ショーン・タンはオーストラリア生まれで、父はマレーシアから西オーストラリアに移住してきました。その父の経歴も作風に影響しているでしょう。6章からなる長大な絵本です。



ニコライ・ポポフ『なぜあらそうの?』(BL出版, 20004


白い花の咲く草地。1匹のカエルが1本の花を手にしているところから物語が始まります。

そこへ1匹のネズミが地面から飛び出してきて、花を持ったカエルに気づきます。突然、ネズミはそのカエルに飛びかかり、花を奪います。カエルは驚くばかり。

そこへ、2匹の大きなカエルが飛び込んできて、ネズミに襲いかかります。花を持って逃げるネズミ。カエルたちは、花を奪い返し、そこらじゅうの花を摘んで、大はしゃぎします。ところがネズミは黙って引き下がっていません。長靴の戦車に乗って近づいてきます。

ネズミはカエルたちを撃ちます。すると、カエルたちは、ネズミの乗った長靴戦車が橋を渡るところを狙って、橋を壊します。大勢のカエルたちが加わり、靴の戦車2台で反撃に出ます。

こんなふうにそて争いはエスカレートしていきます。仲直りとか和解とかは望めない展開になってきます。ひたすら、「最後はどうなるの?」という気持ちでページをめくることになります。


 それにしても、なぜでしょう。なぜ、ネズミは最初、カエルに飛びかかったのでしょう。「見せて。きれいだね。」と言っても良かったのに。

周囲には、花がいっぱいあるのです。自分も1本、花を手にして一緒にお話ししてもよかったのです。でも、カエルの持っている花を奪うのはなぜなのか。

 また、なぜ、当事者でない2匹のカエルが飛び込んできて、仕返しをするのでしょう。その挙句、花のことは吹っ飛んでしまい、相手をやっつけることが目的になっています。なぜそうなるのか?

 こんなふうに問いかけていくと、「これって、人間のことじゃない?」というふうに思えてきます。そう、人間のことです。そんな思いを痛切に感じる一冊です。



姉崎一馬『はるにれ』(福音館書店, 1979


「はるにれ」とは、ニレ科の落葉高木の名前です。山地に生え、高さ約30メートルにもなるそうです。その木を写真に写した一冊です。

最初のページを開くと、広々とした草地に生える1本の木が目に入ります。枯れた草色が目立ち、秋に向かう気配が感じられます。

ページをめくると、空は灰色に曇っています。時刻は夕方でしょうか。

次のページ。横なぐりの雨(雪のようにも見えます)の中の木の枝がズームアップされています。

次のページ。再び木の全景に戻り、きは雪原に立っています。冬です。

次のページ。夜に向かっています。景色全体が深い青みを帯びています。

次のページ。光が差してきました。朝日でしょうか。地平線に近い空が淡いオレンジ色を帯びています。地面は雪です。

次のページ。日が昇ってきました。木の真ん中、枝越しに太陽が見えます。空が明るくなってきました。

 

 見開き2ページの中央またはほぼ中央に木を配した構図です。木が主人公ですが、地面や草、空や雲、太陽や月、遠景の山々にも目が向きます。時刻や季節、天候によって変化する風景の美しい瞬間がとらえられています。

 木は何も言いません。ただそこに在るだけです。それだけで感動させるものがあります。この木を実際に見に行ってみたい。そんな気にさせる本です。



Paul Fleischman & Kevin Hawkes, Sidewalk Circus, Candlewick Press, 2004


 ポスター貼りのおじいさんが、何やら叫んでいますが、その後ろの壁に映る大きな影は、メガホンを持ち山高帽をかぶった呼び込みの人のよう。そんな表紙から、もうすでに物語は始まっています。

商店の並ぶ街中の電光掲示板に、「ガリバルディ・サーカスがもうすぐ始まるよ」という掲示が出ます。歩道にはベンチが一つ。座っている人、立っている人が数人。サーカスって、どこで?と思いながら、ページをめくると、工事中の梁の上を両手にバケツを持って歩く男の人が目に入ります。「おっとっと」とバランスを崩しそうになるその男の姿は、まるで綱渡り。コックさんが両手に持つフライパンでパンケーキをひっくり返している様は、まるでジャグリング。

さまざまな光景が、通りのあちこちで繰り広げられます。ハラハラしたり、微笑ましく思ったりしながら、次は何?と思ってページをめくりたくなります。

*****


 文字がないことによって、読み手の心に生まれでる言葉があるのだ、という思いを強くします。そして、誰かに語りたくなる、聞いてほしくなります。文字のない絵本を通して、たくさんの人たちと語り合いたい。私はそんな気持ちになります。


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1 『旅の絵本』シリーズは8巻まで刊行されています。ここで取り上げているのは、第1巻目です。

2 苅谷夏子『評伝 大村はま』(小学館, 2020495ページ

3 原作は、Shaun Tan, The Arrival, Arthur A. Levine Books, 2007.

4 原作は、Nikolai Popov, Why?, North-South Books, 1996.

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