「※ここまでの『すてきな三にんぐみ』の読み解きは、作者の意図とは無関係な私の解釈です」
上の文章は、9月25日の投稿で紹介した『新・絵本はこころの処方箋 〜絵本セラピーってなんだろう』(岡田達信著、瑞雲舎、2021年)の中に出てきます(20ページ)。その前の数ページを割いて、岡田氏が『すてきな三にんぐみ』を、何度も何度も読み直す中で考え続ける様子が描かれています(14〜20ページ)。そして、考える中で、「ここまで想像したときに私は初めてこの絵本が本当に理解できたような気がしました」(19ページ)という思いになれたそうです。私は「本との対話」ってこんな感じなんだと思いながら、興味深く読みました。
岡田氏は自分の読み解きを「作者の意図とは無関係な私の解釈」と書かれています。そして、「他にもさまざまな解釈があるので、ご興味のある方はどうぞ」ということで、『すてきな三にんぐみ』にかかわる数冊の書名も提示されています(20ページ)。
考えてみると、誰かに自分の読んだ本の反応を伝える時に、私も時々「これは全体のテーマには関わらないのですが」とか「著者の意図とは違うと思いますが」と前置きをすることがあります。ある場面が心に残り、その場面について語りたい、でも「作者の意図」とは外れているのだろう、とどこかで思っています。なんだか不自由な感じですね。
『新・絵本はこころの処方箋 〜絵本セラピーってなんだろう』では、研修やセミナーで絵本を使っていた岡田氏が、『ぐるんばのようちえん』に対して大人たちがそれぞれ解釈・反応している例も紹介しています。第3章「絵本に何を見ていたのか」の「3-1 大人の絵本トークバトル」(28〜34ページ)から、『ぐるんばのようちえん』に対する大人たちの反応を少し抜粋します。
・新卒採用の社員から「分かりました、仕事が合わなければどんどん転職したほうがいいんですね」(30ページ)
・会社の経営者から「ぐるんばには顧客視点が抜けています」(31ページ)
・会社役員から「ぐるんばは悪くないと思います。悪いのは管理職です」(33ページ)
大人たちがぐるんばの幼稚園に様々に反応する様子は、その理由も書かれていて、なるほどと思います。この大人たちも「作者の意図」とは異なるところで、それぞれに反応しているのでしょうか?
また、先日、別件で、大草原の小さな家シリーズの著者ローラ・インガルス・ワイルダーの検索をしていたときに、「米国の西部開拓時代の生活を描いたワイルダーの作品は、米先住民や有色人種を非人間的に描く表現が使われていると批判」されてきて、「ローラ・インガルス・ワイルダー賞」を「児童文学遺産賞」に変更することが決まったという記事を見つけました。https://www.bbc.com/japanese/44610932
「米先住民や有色人種を非人間的な存在である」ことを著者が伝えている(意図している?)と判断されたことで、賞の名前が変更になっています。最初に賞の名前が決まった時とは異なる視点で著者の意図が捉え直されているのかもしれません。
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そんなことを考えているときに、少し古い本ですが、Constance Weaverの本★の中に「読むことは意味をつくり出していく能動的なプロセスだ」(201ページ)と書かれていること、 そしてそのプロセスに影響を与える多くの様々な要素が記された後に、「したがって、意味はテキストの中にあるのではない。意味は一人ひとりの読み手によって、ある程度まで、ユニークにつくりだされる。著者と読者のコミュニケーションが完全に一致することは決してない」(201ページ)と説明されていることを思い出しました。(★Constance Weaver, Understanding Whole Language: From Principles to Practice, Heinemann, 1990)
上記から考えると、教室にいる子どもたちの経験がそれぞれに異なるので、読むことから得られる(つくりだす)意味もそれぞれに異なるので、それぞれが自分の思ったことを「比較的自由に」話す場合、出てくる反応は多様で予想外なのだろうと思います。でも、それぞれにユニークにつくり出していく意味は、もしかすると「著者の意図」や「著者の言いたいこと」という、フレーズの中で消えていったり、横に押しやられることもあるのかもしれないとも思いました。
ある本のさまざまな解釈は、おそらく著者に詳しい人、著者の生きた時代や社会背景に詳しい人などが、それぞれの知見を駆使して提供されていることと思います。それらからは、優れた読者の読み方の一つを学ぶ学ぶこともできそうです。とはいえ、程度の差はあれ、それらも、やはり個々の読者がそれぞれにテキストやその他の文献等と対話しながら、つくりあげていくものになります。そう思うと、「著者の意図」は私がこれまで考えてきたよりも、緩やかに?捉えることができるものなのかもしれません。
より深く理解できるような効果的な読み方を知ることは大切、考え聞かせ等で優れた読み手がどうやって読み取っていくのかを見せることも効果的、本に書かれていることを根拠にして論じることも大切、でも、そこから先に生まれること、つくりだされる意味は、それぞれにユニークであり、広い世界がある。その広がりを、私は「著者の意図」というフレーズで、無自覚に狭めてきたのかもしれません。
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