2014年12月5日金曜日

目的と評価の関係


「教えるという行為は、どういうことなのか」彼これ30年ぐらい考え(もがき)続けています。

・子どもたちが知らないことを、わかるようにすることなのか?
・これまでできなかったことを、できるようにすることなのか?
・知識や技能はもちろんのこと、それと同じ(か、それ以上)に大切な態度や姿勢 ~ 具体的には、EQとライフスキル社会人基礎力など ~ も身につけられるようにすることなのか?

・子どもたちが自立的かつ主体的に学べるように、子どもたちと一緒に授業をつくり出していくことなのか?
教師や教科書の知識や価値観を越えて、教師が予想もしなかったような発見・気づき・学びを子どもたちが実現することなのか?
などです。★

そして、
それらを実現するための効果的な方法には、どのようなものがあるのか?★★

上記のことはすべて、それがどう達成されているのかという評価と密接に関係します。
(ここでいう「評価」は教え終わった後にするテストやつける通知表とはまったく別物です。)

それは、
1)何はすでにできていて/知っていて(強み)、さらに伸ばせるのか
2)何はまだ十分ではなく(弱み)、伸ばす(補強する)必要があるのか★★★
を把握し続け、その判断に応じて適切に指導/サポートすること(まだ扱っていない前回の4番目の項目)です。

子どもたちの状況は一人ひとりかなり違いますから、必然的に、個別的なアプローチ(指導/サポート)にならざるを得ないことを意味します。

なお、評価(状況把握)をするときに、前回提示した
 ・今日読む目的は何か? → この本をなぜ読んでいるのか?
 ・何を明らかにしたくて読んでいるのか?
 ・自分が理解したこと/知ったことをどう示せるのか?
 ・読み手としての自分について今日何を学べるのか? 自分はどう賢くなるのか?
を、読み手(そして教師も)がどれだけ意識しているかは決定的に重要な気がするのです。(書く場合は、書き手と教師が)

何といっても、何よりも大切なのは、他者による評価ではなく、自己評価ですから。教師も含めた他者による評価は、あくまでそれを補うものでしかありません。

もし、読み手も、教師もこれらを意識していない場合は、どういうことが起こるのでしょうか?

現状の「朝の読書の時間」や「図書の時間」や「国語の読解の授業」が続くだけのような気がします。それで果たしていいのでしょうか? それで読む力はついていくのでしょうか? 「自立した読み手(あるいは、書き手)」になっていけるのでしょうか? 教師は、よりよい授業ができるようになるのでしょうか?

目的・目標と評価は、コインの裏表の関係にあります。★★★★
特に、評価と指導と一体化を考えた場合は。

最初に戻りますが、教えるとはどういうことかを考える時に、日本の教育(というか、日々の授業)を見て弱い状態であり続けているのが、これら目的(目標)、評価、そして指導の3者の関係のような気がします。子どもたちが参加する目標設定や評価や指導(教え合い)にしていくためにも、前回の1)目的 と2)本物 を意識することはとても大切だと思うのです。



★ 他にも、いい説明の仕方があったら、ぜひ教えてください。

★★ いろいろある中で、もっとも効果的な方法の一つは確実にライティング・ワークショップとリーディング・ワークショップおよびそれらの他教科への応用だと思います。少なくとも、上の5つの問いは満たす教え方だと思います。

★★★ この2つの項目以外に思いつく方がいたら、ぜひ教えてください。

★★★★ ちなみに、日本で現在行われている指導目標の明確化とそれに準拠した評価(=評価規準)は、あくまでも教師側の建前(指導案レベルの「作文」?)であって、教えられる側の生徒たちにとってはまったくと言っていいほど意味のないものです。子どもたちが目標設定に関わっているわけでも、評価によって学びが促進する形で行われているわけでもありませんから。(正直、私は無駄なことに時間をかけているな~としか思えません。「無駄」を通り越して「弊害」と言った方がいいかもしれません!)従って、今のままでは「指導と評価の一体化」は、「絵に描いた餅」状態が続くことを意味します。

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