2011年4月29日金曜日

(もし、まだ教室になければ)連休中につくっておきたいもの

 今日のWW便りのタイトルは、「(もし、まだ教室になければ)連休中につくっておきたいもの」です。

 新学期が始まり3週間、題材さがしや作家ノートの作り方、そして修正の例なども教え始めて、そろそろWW
も軌道に乗り始めた頃でしょうか。

 さて、WWが軌道の乗り始めた頃には、(もし、まだ教室になければ)連休中につくっておきたいものがあります。

 それはWWの評価基準表です。

 各クラスにぴったりの評価基準表をつくり、それを子どもたちに示すことで、子ども
たちも期待されていることが分かりますし、評価基準表があることで、自己評価にも
つながります。また保護者に何か説明するときにも、こういうものがあるといいので
はないかと思います。

 この前、読んでいたWW関係の本では、WWの評価基準表が2種類載っていました。

 ひとつは、書き上げた作品についての評価基準表で、以下の項目が記されていました。

構成
クラフト(作家の技)
言語事項

 もうひとつの評価基準表ですが、それは、WWへの取り組み全般についてです。こち
らの評価基準表に書かれている項目は以下でした。

ミニ・レッスン
ひたすら書く時間
先生とのカンファランス
ピア・カンファランス
プロジェクトの完成
   共有の時間

 「なるほど」と思いました。後者もしっかり評価することで、時間の使い方や取り組んでいる様子も評
価できる、そのことがよりよい作品につながっていくようにも思います。そしてよ
りよい作品が書けることで、時間の使い方や取り組み方も、よりよくなっていくように
思います。

 もしまだ教室になければ、この連休中に、自分のクラスにぴったりの評価基準表をつくる
のはいかがでしょうか。

 なお 『作家の時間』には資料6、7、8に、評価基準表の例が、低学年、中学年、高学年に
分かれて載っています(200-205ページ)のでご参照ください。

 特に前者(つまり、書いている作品について)の評価基準表については参考になる点も多いと思います。
 
出典:
Marybeth Alley & Barbara Orehovec, Revisiting the Writing Workshop,
Scholastic, 2007.
評価基準表については、133-136ページ参照。

2011年4月22日金曜日

やはり難しい? 修正の教え方とそのタイミング

 子どもたちは、そろそろ第1作目や2作目を仕上げ、次に書く題材を選んだり、それを発展
させたりしている頃でしょうか。

 「先生、できたよ」と提出されたもの、つまり、子どもたちが完成したと思ってい
るものに対して、教師は、もっとその作品がよくなる余地が多く残されていることに
気づくことが、わりとよくあるのはないでしょうか。

 教師としては、「さあ、今から修正が始まるよ」と伝えたいものの、それは、完成した、
と思っている子どもの気持ちを思うと、意外に難しいものです(←少なくとも私の場合は)。

 いくつか方法を考えてみました。

1) 下書きの段階で修正方法をたくさん教える。

 下書きの段階で、修正方法をたくさん教えてしまうのも、一つの手かもしれません。

 WW関係で、いい本を何冊も書いているレイ氏は、「最初に書いた下書きが、ちゃん
とできていないから修正するのではない、そうではなくて、修正とは、下書きについ
て、今からどんなことが可能かを考えてみる、いいチャンス」ととらえられるように教えよ
うと言っています。

 そしてメンター・テキストからそのアイディアを得るのも一つの方法だと言ってい
ます。教師が自分のメンターテキストを語り、このメンターテキストから学んだ、
書くことについての作家の技を使って、自分の下書きに何ができるのか、

自分の下書きをどう変えたいのかを紹介しています。

 (メンターテキストは子どものよく知っている絵本だと、
子どももイメージしやすいと思います)。

2) 下書きのチェックリストや自己評価をしてみる

 私は前回のミニ・レッスンで、「いい題のつけ方」を取り上げて、いい題の条件を
書いたものをシールにして、作家ノートに貼る(← 前回のブログの、「作家ノート
は教室の壁」というところをご参照ください)ように言ったにもかかわらず、前回の
授業の終わりに、なんの工夫もない題をつけて提出した生徒もいました。

 いくつかミニ・レッスンのポイントをまとめて、例えば、「題の工夫、書き出しの工夫、終
わりかたの工夫、段落の順番(構成)の工夫」などのチェックリストをもって、自分
の下書きを見直すのもいいかもしれません。

 また、自己評価的に、自分が、そのチェックリストの項目をどのように工夫したの
か、それはうまくいったのかどうかを書いてもらうというのも、ありかもしれません。

 ただ、これは、初期だけで、いつかはチェックリストの必要がなくなるほうが、いいと思います。

(3) 完成作品だと思っているものに修正の提案をされて、気を悪くした人の話を
して、気を悪くするのはソンだとわかる例を出す。

 生徒から、「完成した」と思って提出されたものに、今から修正を教えるのはちょっと難しいなと
も感じます。

 作家ノートについても、WW全般についてもいい本をたくさん書いているフレッチ
ャー氏は、詩の書き方について書いた本のなかで、友達が詩を見せてくれたときのことを書いてい
ます。

 フレッチャー氏は、その詩の中のイメージをほめたあとで、その詩を今よりもさらによくする提案をしたとこ
ろ、その友人は、気を悪くして、「変える気はないよ」と言うシーンが出てきます。

 これが普通の人の反応なのかもしれません。一度書いたら、完成、これで終わりと
いう反応です。

  彼の書いた詩の教え方の本では、「この気を悪くした人が例外でなくて、この人
のように、作家の技をいろいろと使って、自分の詩をよりよくする意識のある人は少
ない」ことが書かれています。

 そこで、まずはこんな感じの、よりよくする提案について、気を悪くする人のエピソードを紹介します。

 (先生の周囲で実際にあったことだと、より説得力があるとは思います。)

 そして、その後、フレッチャー氏は、「でも、実は、よりよくするいろいろな方法が
ある」ことを述べ、そして、具体的な方法を具体例とともにいくつか出してくれています。

 これにならって、「実は、よりよくする具体的な方法は、いくつもあるんだよ」、と言って、
かなりパワフルな例をいくつか立て続けに紹介します。

 その具体例がとてもパワフルなので、上の人ように気を悪くするのが、ソンだと思
わせてしまうような感じがします。

 これは昨年の子どもの例を見せるのと、かなり効果的だと思います。
 
出典:

レイ氏の修正についての上の箇所は、Katie Wood Ray, What You Know by Heart
(Heinemann, 2002) の64-67ページです。

フレッチャー氏の詩の教え方についての本は Ralph Fletcher, Poetry Matters,
(HarperTrophy, 2002) で上のことが載っているのは59-73ページです。

 

2011年4月15日金曜日

作家ノートは孵卵器? 教室の壁? 道具箱?

  前回のWW便りで登場したラルフ・フレッチャー氏は、作家ノートに関する本を何冊
か書いています。その中の1冊は、訳すと『作家ノート』という題名で、若い読者(8~12
歳)に向けて、作家ノートが何かを語りかけています。

 新学期、作家ノートをつくること、そしてどうやって使うのかを、少しずつ教えて
いく時期かもしれません。

★ 作家ノートは孵卵器

 フレッチャー氏は、作家ノートは孵卵器みたいなもの、と言っています。

 卵は壊れやすく、また孵化も簡単ではありません。だから孵卵器が必要で、それは、卵の殻を破って出て
くる日まで育て上げるための、できる限りいい条件を備えた場所なのです。

 作家ノートも同じだと、フレッチャー氏は言います。まだ、卵の殻を破ってでてく
るところまでいかないアイディアを、安全で暖かく守り、育ててくれる場所だという
のです。

→ 自分の教えているクラスにとって、「作家ノートはどういうもの」でしょうか?
フレッチャー氏のように、何か(自分のクラスに合った)比喩を考えて語ると、分かりやすいかもしれません。

★ 私にとって作家ノートのある一つの側面は、「教室 の壁」です。

 中学校より上で教えている先生の場合、WWを教えるときも、先生が教室を移動する
ことが多いのではないかと思います。そうすると、教室の壁に貼っておきたいような
WW関係の掲示物も、いちいち持ち運ぶわけにはいきません。

→ 私が今年作家ノートに始めているのは、WWの教室の壁に貼っておきたいような掲
示物を、印刷して、作家ノートに貼っていくということです。つまり、作家ノートが 掲示物を貼る
教室の壁になる、です。

 私は英語の教師なので、例えば 「Said の代わりに使える50の単語」とか、「これを英語でどう表現
したらいいのか分からないときに、やってみること」とか

あとは英語には特化しませんが、「いい題とは?」、とか「書き終わり方の種類」等々です。

 ミニ・レッスンのあとに、そのポイントをまとめたものをシールに印刷して、ノートに貼っていくような方
法で考え、作り始めているところです。

★ 作家ノートは道具箱

 フレッチャー氏の本を読んでいると、作家ノートは道具箱でもあるのかなとも思い
ます。書くことに役立ついろいろな道具がいろいろな引き出しに入っているように思
うのです。

  その引き出しの一つは、もちろん書けそうな題材リスト欄だと思います。最初の何ページか
を、書けそうな題材リストにして、最初の時間に題材リストを作り始め、そのあと、
年間を通して、そこにどんどん題材を書き足していく、という方法をとっている先生
も多いのではないかと思います。
 
 (『ライティング・ワークショップ』45-46ページでは、創作中原稿ファイルに題材リストを使う方法が紹介されています)。

 フレッチャー氏の作家ノートの後ろの方には、「お気に入りの言葉のリスト」欄が
あるそうです。そこには、普段、目にしない言葉、よく知っているありふれた言葉だ
けど、それが新しい感じで使われているとき等々に、書き足していくそうです。

 それ以外にも、いろいろなリストがつくれることをフレッチャー氏は紹介していま
す。最近は「自分をイラつかせる小さいこと」というリストを作り始めたそうです。

 時には、作家ノートにこういう「引き出し」があり、こういう「道具」をいれてお
くと役立つのでは?という項目を、子どもたちと一緒に考えて、それを書き出してみ
る、そして、そこからいいなと思った「引き出し」があれば、子どもたちは自分の作
家ノートにそういうページ(引き出し)をつくる、というのも面白いかもしれません。時には、お
気に入りの引き出しから、お気に入りの道具を紹介してもらうのも、書き手としての
こだわりが分かって面白いかもしれません。

出典:
Ralph Fletcher、 A Writer's Notebook, Harper Trophy, 2003より
孵卵器については 31-32ページ、リストについては72-82ページ参照




2011年4月8日金曜日

年度始めの1~2週間

 新しい年度が始まりました。(被災地では、まだ始まれていないところが少なくありませんが。)
 すでにWWを中心に据えた国語の年間計画はできていますか?
 まだの方は、このブログで以前に紹介した年間計画のつくり方も参考にしながら、ぜひ今週末にトライしてみてください。コツは、40分以上は掛けないことです。(後で、修正していけばいいですから。)

 今回は、年度始めということで2つの点に絞って紹介したいと思います。
① 一つは、『ライティング・ワークショップ』(ラルフ・フレッチャー他著)の本でも強調しているように、最初の1~2週間で大切な「安心して書ける・たくさん書きたくなる雰囲気づくり」です。
 「子どもたちが書く時間を好きになる第一歩は、定期的に書く授業が確保されて★、子どもたちが書きたい題材を自ら選んでそれに取り組み、そして教師が子どもたちの書いているものに対して、心から興味と関心をもって接することから始まります。」(38~39ページ)
 「安心のできる環境というのは、書くことにおいて子どもたちが安心してチャレンジができるような雰囲気のことです。」(40ページ)そのベースには、教師と生徒の関係だけでなく、生徒同士がお互いを尊重し、肯定的に接する関係が必要です。
 こうした関係や雰囲気をつくるのに効果的な方法をフレッチャーらは、いくつか紹介してくれています。(41~42ページ)
・ 具体的にほめる
・ 低学年の子どもたちには絵を描くという選択肢も提供する
・ 正直な気持ちを綴った作品(メンター・テキスト)の読み聞かせをする
・ 作家ノートを使う
・ 教師も子どもと一緒に書く

 WWは「作家になる体験を通して学ぶ」学び方です。「作家とは、たくさん文章を書く人のことを指します。このことを子どもたちに伝え、そして定期的に書く時間を提供すると、子どもたちはたくさんの作品を書きますから、そのことに驚かないでください。」(43ページ)そのためには、子どもたちが自立した書き手として必要なもの(用紙や辞典や付箋紙など)を自分で取れるようにしておく必要があります。このためには教室内に「作家コーナー」(30~31ページ)を設けるのが効果的です。

② もう1点、最初の1~2週間で大切なことは、子どもたちのことを知ることです。そのためには、WWサイトで紹介している書くことのアンケートや、同じページで紹介している読むことについてのアンケートやインタビューを書くことに変えて実施するといいでしょう。
 こうして集めた情報は、子どもたちがひたすら書いている時や、なかなか筆が進まない時のカンファランスに使えます。

なお後者の子どもたちのことをよく知るためのアンケートやインタビューは、書くことや読むことに限定されず、すべての教科で同じようにやれることです。(こう書いてみて、前者の「安心して学べる環境・雰囲気」についても同じことが言えると思いました。作家になる体験を通して学ぶアプローチは、「科学者」や「数学者」や「歴史家」等になる体験を通した学ぶアプローチに容易に置き換えられますから。また、そうしていかないとよく学べない状態が続いてしまうとも思います。)


★ 小学校中学年以下では、週に3時間以上。小学校高学年以上では、週に2時間以上が「定期的に書く時間を確保」することを意味します。それだけの時間を確保しないと、「作家になる」という実感がもてないからです。

2011年4月1日金曜日

詩はアボガドの中に隠れている

 今日のWW便りは、新学期のWWに向けてできることを、「詩」という観点から、2点書きた
いと思います。


1) 詩を読む時間の確保と自分のお気に入り詩を集める

 詩人でもあり、詩の教え方についての教員研修にも携わってきたジョージア・ハー
ド氏は、「他の人には、詩を読みましょうといいながら、自分は教えることや日常の雑
務に追われていて、
なかなか詩を読めない」と言っています。

 詩を読む時間を、毎週、どこかでしっかり取る必要がある、そしていったんそれを
取り始めると、それを続けることは難しくないとも言っています。

 新学期が始まると、忙しさには拍車がかかると思います。今のうちに「木曜日の通
勤時間は詩を読む」などと決めておいてもいいかもしれません。

 また、ハード氏は、自分の好きな詩を集めたノートをつくっているそうです。これ
もいいなと思います。

→ 私も昨日の通勤の帰り道は、詩集を読んでいました。少なくとも、木曜日の通勤
の片道は、詩を読もうかなと思っています。

→ また、新学期に向けて、好きな詩を集めたノートをつくりはじめました。とりあ
えず、いろいろな詩人の、大好きな詩を15、入力して、それを印刷して、ちょうどもらった小さめの
ノートがあったので、そのノートに貼り付けました。「私のお気に入り詩集」です。

 手書きがいいとは思いますが、長い詩も多いので、手書きしようと思っているいると時
間もかかりますから、
あまり形式にはこだわらず、スタートすることにしました。

 作り始めてみると、このノート、愛着が出て、とても大切なものに思えますから、不思議です。

 ちょっといい感じの、お気に入りのノートを使ってみるのもいいかもしれません。

 昨日、読んだ詩集からも、大好きな詩をいくつか見つけたので、さっそくそれら
も、加えたいと思います。ちなみに昨日、読んでいたのは、ラングストン・ヒューズ
The Dream Keeper and Other Poemsです。

 ラングストン・ヒューズのいくつかの詩集は邦訳されているようです。

 もし、社会で公民権や人種差別などのテーマを扱うことがあれば、彼の詩で使える
ものもあるかもしれません。

2) 詩の題材さがしのミニ・レッスンを、少し違った角度で行ってみる。

 詩について、気になっている言葉があります。有名な詩人でもあるウィリアム・
カーロス・ウィリアムズの言葉らしいのですが、このブログでも何度か紹介したアト
ウエル氏も、その著作の中で引用していることもあり、気になっています。

 その言葉は、"Say it, no ideas but in things." です。

 直訳すると、「言いなさい。考えでなくて、物の中で」という感じでしょ
うか。

 「孤独」という考え(?)を書く代わりに、具体的な事象や物(例えば、去っ
ていった人がうっかり残したものなど)を書く、
つまり、具体的な物や事象の中に、詩があるということかもしれません。

 このことは、詩の題材さがしを、少し違った角度で提示するミニ・レッスンでも、
教えられることが、アトウエル氏の著作から分かります。

 (詩を4月の最初に持ってくるのがよいのかどうかは、教室によると思います。た
だ、書けそうなことや書いてみたいいことをさがし、そのリストをつくる、という題材さが
しは、4月に必要なレッスンだと思います)。

 アトウエル氏は、詩についての一つの切り口と して面白いことを言っています。

 それは、自分が詩を書こうとするとき、母親であることについて、結婚について、
年をとっていくことについて、などの大きなトピックや感情を扱わなければいけない
という、誤解をもってしまう、しかし、その誤解に基づいて書くと、つまらない、あ
りふれた、一般的なものなってしまって、うまくいかない、どうも、自分の思いに共鳴してく
れるものにならない、というのです。

 自分の感情をうまく伝えてくれるもの書くためには、そういう大きなトピックや感
情を、実生活の中の小さいひとこま、ひとこまの中に置く必要があり、それは、自分
の思いに共鳴してくれる可能性のある詩につながるような、人、物、時間、場所に注
意を払う必要がある、ということなのです。

 そして、アトウエル氏は、そういう説明を生徒にします。

 それから、自分にとって「詩が隠れていそうな場所」のリストをつ
くり、それを生徒に見せ、生徒もそういうリストを作っています。

 ちなみに生徒のつくったリストの中には、「私の古いランニング・シューズ」とい
うのもありました。たしかに、これは詩が隠れていそうな気がします。

 アトウエル氏のリストも、生徒のリストも多岐に渡るのですが、アトウエル氏のリ
ストの中の一つが「アボガド、アーティチョーク、アスパラガス」という3つの野菜
でした。

 アボガドの中にも、自分の思いに共鳴してくれるような詩が書ける可能性が隠れているよう
です。

出典など:
ジョージア・ハード氏がお気に入りの詩を集めることと、詩を読む時間については、
それぞれ、以下の本の2ページと3ページです。

Georgia Heard, For the Good of the Earth and Sun, Heinemann, 1989.

アトウエル氏の上のミニ・レッスンは、以下の本の、17-19ページに詳しく載っ
ています。

Nancie Atwell, Lessons That Change Writers, Heinemann, 2002.

上で紹介したラングストン・ヒューズの詩集は以下です。
Langston Hughes, The Dream Keeper and Other Poems, illustrated by Brian Pinkney,
Knopf, 1994. (詩自体の最初のコピーライトは1932年のようです)。

2011年3月22日火曜日

感覚を取り戻すための「書く」

詩というか、俳句を書いている(書こうとしている)ので、『ことばと深呼吸』川口晴美+渡邉十シ子著(東京書籍)を読みました。この本、とても軽い感覚で詩に触れさせてくれるのがいいです。

 学校の授業で使えそうなアイディアも結構あると思いました。例えば、
  ①「好きなもの/ことを20個リストアップ」したり、②その中の一つについて具体的に書いてみたり、③詩や文章をタイトルなしで示し、タイトルを考えて出し合ったり(みんな違うのがおもしろい!)、④椅子にタイトルをつけてみたり、対話してみたり、⑤言葉の組み合わせ遊びをしてみたり(たとえば、北原白秋の「赤い鳥」を切り刻んで並べ替えたり)といった具合です。

 今回、詳しく紹介しようと思ったのは、「言葉には、見えなかったものを見えるようにする力があるのです」(100ページ)という部分です。
 たとえば、引越ししたいと思い始めると、やたらに不動産屋さんが目に入ってくるという体験をもつことがあります。逆に、アンテナがはられていないために見逃していることも、無数にあるわけです。
 世界のなかに「わたし」はおり、「わたし」は五感をつかって世界を感じ取り、世界と関係を結んで生きているのですが、感覚というのは意外とすぐにすりきれて、弱まってしまいます。あまりにもいつも当たり前に目にしているものや、当たり前に繰り返しおこっていることは、次第に新鮮に感知できなくなってしまいます。 ← これは、残念なことであると同時に、継続して感知していたら大変なこと!! 疲れてしまいますから。

 著者たちが行っている「出張授業」でこんなことを行ったそうです(101ページ)。
 大学生たちには、授業中に教室の外へ出て、そこにあるものをあらためてみてきてもらいました。皆、1年や2年あるいは3年間を過ごしてきたキャンパスで、普段はもうほとんど意識して何かを見ることもなくなっています。でも、あとで文章作品に書くのだと思って歩けば、ぜんぜん違うはず。学生たちが教室に戻って書いた作品には、いつもと違うことをした、新しい意識を持った(=アンテナを立てた)からこそ取りもどせた新鮮な目が発見したものが、いくつもありました。

 私自身、俳句をつくるという意識で外を歩いていると、目や耳などの感覚に飛び込んでくるものが、他のことを考えて/何も考えないで(?)歩いているときとは確実に違うことを日々体験しています。ある意味では、俳人や詩人の視点で世界に触れるということは、見えてくるもの、聞けるもの、感じられるものがまったく違う世界だと言えます。これはまさに、作家やノンフィクション・ライターやジャーナリストや詩人などになることを通して書くことを学ぶライティング・ワークショップ(WW)の根幹の部分の体験と言えます。(まずは、教える側の教師自身がそういう体験をもっていることの大切さも痛感します。)

 本の最後は、「新しい言葉を書き、読むことで、新しい自分をかたちづくっていきましょう。人は何度でも、生まれ変わることができるのですから」で締めくくられています。去年の9月から長年の念願だった俳句(というよりは川柳のレベル)や詩を毎日一句ずつ書いているにすぎませんから、まだそこまでの感覚はもてません。でも書く前の状態とは違う何かが生まれだしている感覚はあります。単なる自己満足という錯覚かもしれませんが。

2011年3月18日金曜日

いろいろな言葉があること、そして選択

巨大地震・大津波から1週間が過ぎようとしています。

 被災地の状況、甚大な被害が明らかになっていくなかで、短期でできること、
長期でできることを考え、行動に移していかなければと思います。

そんな中で、言葉のもっている意味と選択ということについて、いくつか考え
ました。

○ 状況は全く違いますが、「困難な中にいるときにも人は言葉を持っている」
ということを考えていて、ある詩集のことを思い出しました。

 This Place I Know: Poems of Comfort という詩集です。題を直訳すると
「私の知っているこの場所~安らぎ、癒しの詩」という感じでしょうか。

 アマゾンに載っている説明によると、もともとは、2001年9月、同時多発テロ
が起こったあとに、安らぎ・癒し、希望をニューヨークの子どもたちに与えよう
として、19世紀から現代の詩人まで、いろいろと集めたようです。

 このような詩は、年代や場所を超えて、多くの人に語ってくれるものがあると
いうことで、それぞれの詩に絵を描くアーティストたちも参加し、そして、18
の詩とそれに合う絵がついたこの絵本のような感じの
詩集がつくられたそうです。

 WWは、書き手が書き手を教えていく授業と言ってもよいと思いますし、読み書
きのつながりも大切にされています。

 言葉の持つ力を知っている人たちがいるから、この詩集ができたのだなと
思いました。

 また一つの詩でなくて、いろいろな詩が集められているのもいいなと思いまし
た。子どもそれぞれに反応も思いも違うだろうと思うからです。

○ そんなことを考えていて『綱渡りの男』という絵本も思い出しました。同時
多発テロが起こらなければ、この絵本をつくられなかったのではないかとすら思
えます(アマゾンには、「とりわけ感動的なのは、本書の最後を飾る絵――
フィリップと彼の渡り綱によってつながれた、今や『
記憶の中』の存在となった
ツインタワーのイメージ」と書かれています)。

 書くということ一つをとっても、それぞれに、詩、絵本と、いろいろな表現方法があるとも思
いましたし、その選択を子どもたちが持っていることも大切だと思います。

 そして子どもたちにとっても、いろいろなメンター・テキストになりうるもの(メン
ター・テキストも一人一人違うと思います)に触れることも大切だと思います。

 WWの中で の「選択がある」ということは、書く題材だけでなくて、書き方(ジャンル)もメンター・テキストの選択においても、そうである、と改めて思います。

 (メンター・テキストについては 2010年9月17日と10月1日のブログをご参照ください)。

○ ここ何回かのWW便りに紹介したドナルド・マレー氏の書いた、直訳すると
「ひとりの書き手が書くことを教える」(原題:
A Writer Teaches Writing)と
いうような題になる本を最近読んでいました。

 その中に、以下のような文がありました。ざっと訳の拙訳で申し訳ありません
が、2カ所、紹介します。

 「どのクラスも、いろいろな生徒がいて、その多様性がチャレンジでもあり喜
びでもある」

 「書くことは、世界を理解する一つの方法であり、私たちの多様な理解を共有
することによって、私たちが匿名性と孤立から抜け出す一つの方法である」



出典など:

This Place I Know: Poems of Comfort という詩集の説明は、以下のアマゾン
のサイトで、(上で説明したよりも)もう少し詳しく書かれています。
http://www.amazon.com/This-Place-Know-Poems-Comfort/dp/0763628751/ref=sr_1_1?ie=UTF8&s=books&qid=1300430778&sr=8-1


『綱渡りの男』(モーディカイ・ガースティン著、川本 三郎訳、小峰書店
2005年)の説明は以下で見れます。

http://www.amazon.co.jp/綱渡りの男-YOU-絵本コレクション「Y-」-モーディカ
イ・ガースティン/dp/4338202041/ref=sr_1_1?ie=UTF8&qid=1300431832&sr=1-1-
catcorr

(→ もし、実話をもとにしたすぐれた絵本を生涯10冊選べと言われると、私の
場合、この絵本は入るように思います)

マレー氏の本情報は以下です。

Donald M. Murray, A Writer Teaches Writing (revised second edition)
Thomson, Heinle, 2004.


上の言葉が載っていたのは、それぞれ、245-246ページ、246ページです。