2022年1月14日金曜日

生徒に気軽に「さあ、フィードバックをしあいましょう」とは言うけれど・・・・フィードバックの仕方も受け取り方もちゃんと教えていない?!

 フィードバックのスキルは教室の中ではもちろん、生きていく上でも、かなり重要です!

 訳者の一人の田中理紗さんが送ってくれた『ピア・フィードバック』(スター・サックシュタイン著、新評論、2021年)への三人の先生方の書評/紹介文と、podcast(音声ラジオ)のブッククラブを紹介します。


◆ドルトン東京学園 副校長 安居先生

「読んでいて、中学校の文化祭に向けてクラス演劇の台本づくりをしていた時のようすが浮かんできた。

仲良し数人で「あーだ、こーだ」と言いながら、セリフひとつに盛り上がったり、お互いの描写にケチをつけ合ったり、展開で揉めたり・・・。休み時間や放課後に教室で、休日に誰かの家で、雁首を付き合わせて原稿用紙に向き合っていた。
できたものをクラスで発表すると、一部の女子から大ブーイング。「この展開は勝手すぎる、(男子目線で)女子のキモチをわかっていない・・・」と。
   ・
   ・
訳者の一人、田中理紗先生からいただいた一冊。

そういえば最近、教育書の類いを読んでいなかった(Facebookの投稿を見ると、確かに。たまには・・・)。そんなキモチを推し量るかのような魂の采配で手元に届き、昨夜から読み始めた。
理紗先生が「まえがき」で指摘しているように、私たち教師は、教室で生徒に向かって《気軽に》「フィードバックをしあいましょう」と声をかける。だが、そこに「どのような取り組みがあれば」、生徒同士のフィードバックがより有意義なものになるのかについては、殆ど意識していない。
本書はそこにフォーカスし、具体的な事例を交えながら、形式的で中途半端なフィードバックから、丁寧かつ意味のある「ピア・フィードバック」を実践するための具体的指針が示されている。
教室で、教師だけが一方的にフィードバックするのではなく、仲間(生徒)同士がフィードバックしあうと、「協力し合おう」という意識が生まれる。結果、以前に比べて試行錯誤や練習の機会が増えると同時に、お互いの遠慮や不安が減っていく。
生徒同士のチームワークやコミュニケーションスキルが高まる可能性が増え、互いの肯定感や自信を深めることにつながる。まさに、冒頭に書いた「クラス演劇に向けた台本づくり」が、そうだった。
ただ実際に、教師が教室でそれを《意図的に》行おうとすると、ふだんからそういったトレーニングを積んでいないこともあり、正直難しい。理紗先生が自ら実践した、「学んだことを生徒と共有し、生徒に対して正直に伝えながら、ピア・フィードバックの取り組みにていねいに向き合う」ことでしか体得できないのも事実だろう。
だからこそ、この本の存在意義がある。
生徒のパフォーマンスや学びの質を向上させ、教育効果を高めたいと願わない教師はいない。生徒が互いに学びあう教室を、どう作っていくか。
この本を通じてディスカッションし、自分の実践をクリティカルに振り返りながら、ピア・フィードバックしあうのもいいね。
書かれている内容は深い。だからこそ《気軽に》対話し、日常的に学びあおう。

読了後、そんな景色が見えた。」


◆聖ドミニコ学園 カリキュラムマネージャー 石川一郎先生


生徒たちがフィードバックが出来れば授業の歩留まりは確実によくなる
単に感想とか共感の世界を超えて、フィードバックの軸を定めて振り返り、内容を高めていく、その手法がふんだんに紹介されています
アメリカの文化性を楽しみながら受容し、日本のこれまでの教育をカッコにいれる

読むにあたり、お作法が必要ですね

 

◆東京学芸大学教職大学院 渡邉先生


一言で言えば、改善のための対話の仕方を生徒に教えることを通して学びの主体を生徒に取り戻すことを訴える本。
「訳者まえがき」の次の率直な言葉には、共鳴する先生も多いだろう。
「振り返ってみると、どのような取り組みがあれば、生徒同士のフィードバックがより有意義なものになるのか、本書に出合うまで私自身がずっと分からないまま、生徒にただ「フィードバックをしあいましょう」と声をかけていたように思います。」
本書は、そこから一歩先に進むための具体的指針を与えてくれる。
本書がもつ、目標とその達成基準を共有したうえで改善に向けてフィードバックを行い合うという志向性は、私が大事にしてきた、評価や助言よりも先に読み手や聞き手としてのリアルな反応を、という発想と少しずれる部分はある。が、私も、こうした、自分たちの活動の質を高めていくためにどのような対話をしていけばよいか(そしてそのために教師がどのようにモデルを示したり指導を行ったりすればよいか)がないがしろにされてきたという点への問題意識は共有している。そうした問題を考えるうえでの出発点になる本だ。

 

podcastのブッククラブ

https://anchor.fm/bookclubjp/episodes/20--ICT-e1bo62i?fbclid=IwAR3JkfVYf9v3PzFcUq9lbAvkIQqBTW8hjaKNPUb92AvIHl825J7xvgP6coA

 

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文字媒体の紹介と、音声での紹介の2種類を読んで/聞かれて、どのような印象をもたれましたか? これから(いま!)の時代、書くことだけがすべてではないことに気づかせてくれました。授業でも、多様な媒体を用意しないと、花開けない生徒は確実にいます。また、この本は国語の事例が中心ではありますが、ピア・フィードバックはすべての教科で使える方法です!

 

2022年1月8日土曜日

本の紹介がうまく使えない? 〜最近手にした3冊から1600冊超の書名を眺めつつ〜

 1。本、本、本

 いろいろな本についての対話が載ってる本、『ぜんぶ本の話』(池澤夏樹・池澤春菜 毎日新聞出版 電子書籍版 2020年)を通勤の時に読んでいました。これは池澤夏樹と池澤春菜のふたり(親子です)が、いろいろな本について対話しているもので、次から次へと書名が出てきます。登場する本の一覧が最後にあるので、それをざくっと数えてみただけでも200冊以上の本が並んでいます。登場する本は、章ごとのテーマ、例えば、「読書のめざめ」「大人になること」「翻訳書の楽しみ」「謎解きはいかが?」等で分類されています。自分が読んだ本と重なりが多い章もあり、大昔に読んだ本を懐かしく思い出したりもします。

 多くの書名が登場する本と言えば、全国365書店より365人の書店員さんのお薦めの一冊が、手書きポップと短い紹介文とともに紹介されている『The Books ~365人の本屋さんがどうしても届けたい「この一冊」』(ミシマ社編 2012年)を、年末に地元の図書館から借りてきました。

 この本では、書店名や書店員さん名も記載され、書店の地図もあります。各ページには、それぞれの書店員さんお薦めの一冊が、手書きポップと紹介文で挙げられています。加えて、同じページにその人の「次の一冊」も小さな字で小さく記されています。つまり、一人で2冊の書名をあげているので、2冊✖️365名。この本だけで700冊超の書名に触れることができます。

 同じフォーマットで、中高生を対象とした『The Books, green ~365人の本屋さんが中高生に推す「この一冊」』(ミシマ社編 2015年)もあります。こちらも併せて図書館から借りてきましたが、「前作とは重複のない365書店、365名の書店員さんに選書」をしてもらったそうです。ここでも「お薦めの一冊」プラス「次の一冊」が記載されていますから、この本からも700冊以上の本の情報が得られます(「お薦めの一冊」プラス「次の一冊」には、ごく僅かですが重複があります)。

 冒頭に書いた『ぜんぶ本の話』と年末に図書館から借りた上記の2冊で、合計1600冊以上となります。短い期間に、こんな多くの書名が手元の3冊にあるという経験は初めてです。

2。大好きなはずの「本の紹介」でも。。。

 本の紹介を読むのは昔から好きです。高校の頃は、次に購入する本を決めるため、特に真剣に読んでいた気がします。本の紹介から、次に読みたい本に出合えたり、自分がすでに読んだ本であれば、「そうそう」とか「あ、そうか」等々と反応したり。ですから、この3冊と楽しい時間を過ごそうと思っていました。

 しかし、年末年始、時間が取れず、『ぜんぶ本の話』は通勤で目が通せたものの、書店員さんたちのお薦めが詰まっている2冊は、ずっと手付かずのままで、図書館の貸出延長をして、それでも、積んだままでした。新年になり、図書館の返却期限が迫ってきて、慌てて、初めてページを開きました。

 この本では、書店員さんたちは、それぞれ、「お薦めの一冊」と「その次の一冊」と合計で2冊しか選べません。しかも、『The Books, green ~365人の本屋さんが中高生に推す「この一冊」』の方は、年代を想定しているとはいえ、お薦めする相手は不特定多数です。この選書は難しいだろうなあ、どんな本が集まっているのかなと思いつつ開いてみると、予想していたよりも多様なジャンルの本が集まっていました。

 『The Books ~365人の本屋さんがどうしても届けたい「この一冊」』だけを見ても、大昔、私が高校生の頃に読んだ本『赤頭巾ちゃん気をつけて』から、リーディング・ワークショップでもお馴染みの絵本『てん』や児童文学の名著『ギヴァー』もあります。

 私の知らない本や作家も数多く並んでいます。タイトルだけみても、フィクションはもとより、エッセイ、ルポ、詩集、写真集、哲学書、図鑑等、これだけ幅のある本がよく揃ったなと思うぐらい、いろいろ出てきます。ジャンルを広げるという点でも有益だと感じます。

 これはどんな本? 次に読みたい本は? と考えながら、あっちを見たり、こっちを見たりする時間は楽しいのですが、その反面、図書館の返却期限も迫る中、限られた時間では無理だとも思いました。私はTEDトークも好きで、よく視聴していますが、TEDトークは日々新しいものが追加されていくので、ウェブサイトを開くたびにその数に圧倒されます。それとちょっと似た感覚です。

3。「多量のお薦めリスト」と「上手に選ぶこと」のギャップ

 返却期限までに書店員さんたちのお薦め本を読むのは諦めて、自分用に注文することにしました。「多量のお薦めリスト」は手元にあれば、時間のある時に活用できるかもしれないものの、そのままでは時間切れで「手付かず」で終わることもある。今回の年末・年始の経験から、「多量のお薦めリスト」と「学習者が楽しんで学べるものを上手に選ぶこと」のギャップを考えてしまいました。

 英語を教えている私は、これまでも、自分の教えている学習者向けに、学校の図書館にある英語の本から作家別のお薦めリストをつくったり、お薦め本の紹介を書いたりしてきました。ここ2年は、オンライン授業の時期もあり、オンラインで読んだり視聴したりできる英語のサイト★も、それなりにいろいろと紹介してきました。できるだけ目を通し、紹介できる「量」は増えたものの、学習者が自分に合ったものを自立的にうまく選択することにつながっているようには思えません。リスト作成とその提示で終わってしまっています。

 ゆったりとした時間があれば、お薦め紹介を読むこと自体、(うまくガイドすれば)楽しめるのかもしれません。しかし、現代の子どもたちも、私が教えている学習者たちもそれぞれに忙しそうです。特に「今学期中に○つのジャンルで、それぞれ○冊以上読もう」みたいな目標が設定されていれば、目標をクリアーすることが優先順位になりそうです。そんな時に、多量のお薦めリストや情報を提示しても、利用されることは少なそうです。

4。長期休暇中の読書

 教師は、特に長期休暇中に、お薦めリストを使って欲しいと思うことが多いのではないでしょうか。

 ここから二つのことを思い出しました。

 一つは『イン・ザ・ミドル』(アトウェル, 2018年)の中の「長期休暇中の読書」という迫力ある(?)セクションです(『イン・ザ・ミドル』236−238ページ)。教室の図書コーナーから、少なくとも一人6冊は長期休暇中に読む本を見つけることを目標として、教師も生徒も、みんなですごい勢いでブックトークをすることが説明されています。教室の図書コーナーの本を貸し出すことにはそれなりにリスクがあるものの、方法を工夫してやってみると、紛失した本は過去3年間に2冊だけだったとのことです。

 アトウェルの教室では、学年の終わりにお気に入りの書名を尋ねると、その90%程度が、アトウェルや他の生徒のブックトークで紹介されたものというぐらい、ブックトークが機能しています(『イン・ザ・ミドル』143ページ)。この教室のように、教室の図書コーナーに、幅広いジャンルで相当数の本があり、それが貸出できる状態であれば、それぞれ手元に読みたい本を持たせて、長期休暇に送り出すことができそうです。

 しかし、上記のことが難しい教室もあると思いますし、卒業していく子どもたちには、上の方法は現実的ではなさそうです。

 それで思い出したのが、『作家の時間』(新評論)の中にあるライティング・ワークショップのミニ・レッスンです。先生が子どもたちに、次のように投げかけます。「図書室の本のなかから、今日は自分が読みたいと思う題名を五つ選んで、作家ノートの最初のページに書き出してみよう。それでは題名探しに出かけて下さい」

 これは、子どもたちが題名を決めるのに悩んでいたり、自信がなさそうにしているのを見た先生が、「図書室にはプロの作家が書いた本が溢れているので、子どもたちが題名を考える参考になるはずだ」と思って、図書室でミニ・レッスンをした時の様子です(『作家の時間』155〜156ページ)。

 ライティング・ワークショップで、「題名は大切です」と言うことは簡単です。でも、実際にいい題がつけられるようになるためには、例えば、このミニ・レッスンのような「練習/体験」があることで、より効果も出てきそうです。

→ そう思うと、「選書」についても同じだろうと思います。もし、多量のお薦めリストがあれば、それを使う「練習/体験」のためのミニ・レッスンをして、それを使う練習が時には必要かもしれません。もちろん、この選書リストには、教室の図書コーナー以外の本(地元の図書館やオンラインで読めるものなど)を加えることもできます。そして、長期休暇の前は、お薦めリストと遊ぶ、というか、お薦めリストとの付き合い方・使い方を学ぶミニ・レッスンもありかも、と思います。そして、それぞれの教室や年代で、利用可能なリストのより良い使い方を一緒に考えてクラスの「上手な使い方」リストを作ったり、そこで選んだ本をメモしておき、どの程度うまく選べたのか、後で振り返ったり等々です。そんな一連のミニ・レッスンを考えてみたくなりました。

*****

★ 英語のサイトとしては、複数の絵本の読み聞かせ動画サイト、TED、日本語の補助輪のついている新聞記事やエッセイのサイト、アメリカVOAやイギリスBBCの英語学習者向けサイト、Lit2Goのような多量の読み物があるサイト、図書館のeBook等々です。図書館が紹介や運営していたり、会員登録せずに無料でアクセスできるものを原則とし探していますが、英語の場合は大量にあります。私の学生時代とは隔世の感がありますし、その分「選ぶ」ことの重要性も増しているように感じます。

2021年12月31日金曜日

「ことばで描く」ということ 〜子どもの詩を読む〜

 (時々、投稿をお願いしている吉沢先生に、以下を書いていただきました。)

 私は、作者の気持ちが伝わってくる文章を読むと、そこに魅力を感じます。ところが、生徒たちに自分の気持ちのこもったエッセイを書かせようとしても、なかなか思うように行きません。「修学旅行で長崎に行ってどうだったの?」「面白かった」、「試合に負けてどんな気持ちだったの?」「くやしかった」、それで終わりです。もっと色々な気持ちがあるはずなのに、いざ文章に書くとなると難しい。

 そんなことを考えている時に、小学生の書いた詩を読む機会がありました。小学生の詩を集めた『小さな目』という本です。50年以上に発行された古い本で、時代を感じさせるものもありますが、時代を越えて伝わるものがあり、思わず笑ってしまったり、感心したりしました。今回は、そんな作品のいくつかを紹介し、「作者の気持ちが伝わる」とはどういうことかを考えてみたいと思います。

▷次の詩は、小学校1年生の作品です。最終行を予想してみてください。

テレビ★1

            高山もとひで

おとうさんが 8にせえといった

ぼくは てつわんアトムを

みたいと いうた

はやく 8にせんと

あとからおこるぞというた

ぼくは なきそうになって

8に まわした

(          )

 テレビ放送が始まったのが1953年で、一般の家庭に普及し始めたのが1960年代半ばです。手塚治虫原作の「鉄腕アトム」がテレビアニメ化されたのが1963年。そんな時代に、父親とのチャンネル争いで負けてしまった作者。内容はシンプルです。

 最終行は、「ボクシングをやっていた」です。「くやしかった」という言葉かな、と思われた方もいるかもしれませんが、ここで「くやしかった」と書かないところが、この作品の良いところです。

 もちろん、作者はくやしかったことでしょう。しかし、それを「くやしかった」と書いてしまうと単なる説明になってしまいます。作者がくやしかったことぐらい、書かれていなくても読者は分かります。それよりも、「なきそうになって/8に まわした/ボクシングをやっていた」という場面がそのまま描写されることで、泣きそうな作者、見たくもないボクシングの画面、それに見入る父親の姿が目に見えるようです。

 また、「8にせえ(8チャンネルにしろ)」など、関西弁で書かれていることも、臨場感を高めているでしょう。


▷次の詩は、小学校3年生のものです。最終部分を予想してみて下さい。

母の日★2

        竹内由美子

母の日なので

プレゼントをしてあげた

おかあさんは

だまって

なきそうなかおで

わたしをみた

わたしは

(       )

(       )

 小学校3年生の娘からプレゼントを受け取った母親は、「だまって泣きそうな顔」をしていたのです。それを見た「私」(作者)はどうしたのか。最終部分は次の3行です。

スカートで

かおを

かくしてしまった

 作者はうれしかったのでしょうか。恥ずかしかったのでしょうか。そのように考えて、気持ちを表すことばを当てはめようとしても、どれもフィットしません。作者自身うまくことばで説明できなかったのでしょう。でもとても心が動いていて、スカートで顔を隠したのです。それをそのまま書いています。そこがこの作品の魅力になっています。


▷次の詩も、小学校3年生のものです。詩の後半4行に書かれている内容を予想してみて下さい。

ほうたい★3

        江頭雅之

先生の足に ほうたいが

まいてあった

ぼくは

「そのけが どうしたの」

と きこうと思った

でも いわなかった

(        )

 )

 )

 )

 作者は、包帯が巻かれた先生の足に着目します。どうしたんだろう、という疑問が湧きますが、口に出すことはしません。そのように考えると、後半部分は、例えば、「ぼくは/しんぱいだった/でも/なぜか きけなかった」というふうにも予想できます。

 実際は以下のようになっています。

「先生 そのけが どうしたの」

ぼくは

心のなかで

そっと きいた

 これを「ぼくは/しんぱいだった/でも/なぜか きけなかった」と書いたのでは、説明にすぎません。しかも、そのようなことは、前半部分で読み手はすでに想像できています。読み手が知りたいのは、作者の心の動きです。作者は、そんな自分の心の動きをそのままことばにして描いています。

*ここまでの3つの詩に共通するのは、「くやしかった」とか「しんぱいだった」といった、感情を表すことばを使っていないということです。そして、自分のとった行動や、自分が見たもの、自分の心の状態をそのまま書いていることです。


▷次の詩を読んでみて下さい。小学校2年生の作品です。

せんとう★4

        白石良盛

ぼくは 二十ばん

おとうとは 十八ばん

ふくぬぎのきょうそうをした

いつも おとうとにまける

さきにはいったおとうとは かならず

ゆぶねのところでまっている

「はいっとけばいいのに」と

ぼくは おとうとのせなかに

ゆをかけてやる

 この詩には、感情を表すことばは一つも使われていません。しかし、作者と弟の間の細やかな心の動きが伝わってきます。3行目の「ふくぬぎのきょうそうをした」があるために、冒頭の2行からも、二人が先を競って、下足箱に靴を入れている情景が目に浮かびます。そして、競いあいながらも、兄を気づかっている弟。それに応えて、お湯を体にかけてあげる作者。何とも微笑ましい情景です。良い作品だと思います。


▷次の詩は、小学校5年生の作品です。

はくさい取り★5

        千葉好美

うらのだんだん畑で

かあちゃんとはくさい取りだ

風がビューとわたしのかおにつきささる

遠くの畑の上を

ほこりがほばしらのようにとんで行く

かあちゃんとならんで

かれたはくさいのかわをむいたら

こおりのかたまりのようにつめたい

かじけた手をこすりながら

ぼんぼんかごにほおりこんだ

かあちゃんのかみの毛に

はくさいのくずがついている

 この詩にも、感情を表すことばは使われていません。その代わりに、作者の目に映ったものや体で経験したものが書かれています。だんだん畑、風、畑の上を飛ぶほこり、枯れた白菜の皮、かご、母親の髪の毛、白菜のくず。

 想像してみてください。もしこの作品に、「わたしもがんばる」とか「かあちゃんといっしょでうれしい」、「かあちゃんは働きものだ」とか「長生きしてほしい」といったことばが書かれていたらどうでしょう。途端に、作品が陳腐なものに感じられないでしょうか。

 そのような言葉を排除し、作者は心に残った経験をそのまま言葉で描写しています。私はこの詩を読んで、ああ、白菜は寒い時期が旬の野菜だ、と思い起こしました。こうして寒い中で収穫されたものが、お店に並んでいるのか、とも思いました。母親と一緒に生き生きとして仕事をしている作者の姿が目に浮かぶようです。

*愉快な経験をすれば、「楽しかった」「うれしかった」、つらい経験をすれば、「悲しかった」「苦しかった」という表現をします。このようなことばによる表現は、正直といえば正直なのですが、実際にその人が経験した気持ちの機微、心の動きのひだを素通りしているのです。そして、喜怒哀楽の大まかな分類のことばで済ませているのです。

 しかし、上に掲げた小学生の詩では、そのようなことばを使わずに、見たもの、行ったこと、心に浮かんだことをそのまま描いています。そのことで、読み手はその情景が目に見えるような経験をし、作者の気持ちへと思いをはせます。そこに共感が生まれます。

 ことばによる描写の本質について、梅田卓夫ほか『高校生のための文章読本』は、次のように述べています。★6

「描写とは、作者の抱いた気持ちを伝えるのではなく、その気持ちを起こさせられた状況そのものを再現し、伝達するものである。つまり感情は、作者でなく、読者が用意するものであり、作者は読者に自分と同じ感情を引き起こすために描写を与えるのである。見たものを目に見えるように言葉で描くこと、読者に自分と同じ経験を追体験させ、読者を感化すること、これが描写の本質的な役割である。」

 私が読んだ『小さな目』という本は、1962年から朝日新聞紙上に掲載された詩を集めたものです。「児童詩コンクール」や「詩の教室」といったねらいからではなく、子どもたちが感じたままを率直に表現した内容に重点を置いて選ばれたものだそうです。★7 

 ここに引用した作品も、荒削りだったり、整っていないものも含まれているかもしれません。しかし、それ以上に、このような作品にふれて楽しむことで、見たままをことばで描くということについて多くを学ぶことができると思います。

 

★1 ★4 朝日新聞社編『ぼくらの詩集 小さな目 1・2ねん』あかね書房, 1964年

★2 ★3 朝日新聞社編『ぼくらの詩集 小さな目 3・4ねん』あかね書房, 1964年

★5 朝日新聞社編『ぼくらの詩集 小さな目 5・6ねん』あかね書房, 1964年

★6 梅田卓夫ほか『高校生のための文章読本 付録「表現への扉」』筑摩書房, 1986年, 77ページ

★7『小さな目』の巻頭にある「編者のことば」による。



2021年12月23日木曜日

『質問・発問をハックするー眠っている生徒の思考を掘り起こす』の紹介

 


 長年、高校で国語を教えた後、現在は大学で教員養成に関わっている佐藤広子先生(本の協力者の一人)が、紹介文を書いてくれました。

*****

この本は冒頭からいきなり、教師自身が自分の授業を振り返らざるを得ない問いかけで始まります。

授業において、あなたは生徒に対してどのような意図をもって質問をしていますか? 使う言葉に気をつけていますか? 質問するタイミングは? 質問の順番は? どのような種類の質問をしていますか? 生徒はあなたからの質問に対して、どの程度集中して取り組んでいますか? 生徒自身が、しっかりと質問について考えていますか?」

 このような質問リストが全編にちりばめられており、読むと同時に自分の授業について見直し、考え続けることができます。毎回の授業で「どのような質問を、いつ、なぜ、どのように」行うのか、改めて考えたいという先生にお薦めの一冊です。

 著者は自身も教師として、何百人もの教師と「授業研鑽チーム」のセッションを行っています。セッションは次のように進められます。

簡潔な事前説明――ホスト役の教師が授業内容を説明し、授業の進め方に関する質問に答える。②観察――ホスト役が授業をするとき、授業研鑽チームのメンバーに授業に関するさまざまなデータを収集するように依頼する。③振り返り――授業後に、授業研鑽チーム全員が授業を振り返り、ホスト役へのフィードバックを準備する。ホスト役は、まず何がうまくいって、何を変更すべきか説明したあとに具体的なフィードバックを求める。

この本は、著者が参加した300以上のセッションの記録を分析し、質問・発問の普遍的な要素を11のハック(改善点)にまとめたものです。11のハック毎に問題提起、解決のためにすぐにできること、解決までのステップ、留意点、課題の乗り越え方、実際にハックが行われている事例の順で提示されています。生徒主体の授業を作るために大切なのは生徒たち自身に考えさせることであり、教師は生徒の思考のプロセスに寄り添い、思考を活性化するための質問を適時投げかける必要があります。この本は、どのタイミングでどういう種類の質問をすればいいのか、授業者が読んで応用できるよう、わかりやすく示すための工夫が施されています。

例えば、ハック1「質問に対して全員の手が挙がると想定する――すべての生徒が学習に参加することを期待しよう」は、数名の生徒を指名して答えさせ、教師が補足説明をして終わるような授業を再考するきっかけになります。生徒主体の授業にするためには、今目の前にいる生徒は皆考える力を持っている、授業は教師の意図した答えを探る時間ではなく、生徒全員が自ら考える時間であるという認識がまず必要です。生徒全員の可能性を信じる教師の姿勢は、生徒を勇気づけます。認識を新たにした教師は、全員の可能性を引き出すにはどういう方法でどう質問すれば良いか、ハック1から多くのヒントを得られるはずです。

次のハック2「『分かりません』とは言わせない――自立的に考えるバトンを生徒にもたせ続ける」は、さらに踏み込んで「分かりません」といって生徒が考えることから逃げるのを阻止します。そこには、授業は「正解当てっこゲーム」をする場ではなく、時にはもがき苦しみながらも思考する場であるという前提があります。生徒が「分かりません」というのは、思考プロセスのスタート地点にすぎません。「分かりません」の理由は様々です。ここではその理由に応じて、どのように思考を続けさせることができるのか、対応策が提示されています。

 

このようなハックが系統性を持ちながら全部で11提示されています。11のハックに共通して言えるのは、生徒に考えさせるには、教師がどう質問で生徒の思考を引き出せるかを考え続けることが必要だということです。考え続けている教師の下で、主体的に考え続けようとしている生徒のいる教室の実例もハックごとに紹介されています。これらの実例を通して、ハックは決して理想論ではなく、実現可能であることを読者はイメージできると思います。

 

こういうハックを重ねていくと、生徒主体の学習が活性化し、教師の存在は見えなくなっていきます。生徒の可能性を信じるところから出発して、徐々に教師が前に出なくとも生徒同士で学び合い、思考を深めていける自立した学習者の教室ができていきます。最後のハック11「学びの安全地帯をつくる――生徒が挑戦できる環境を提供する」でh、生徒が安心して学べる安全な学習空間がどうやってできるのか、具体的に書かれています。その根底には信頼があるというメッセージでハックは閉じられます。

 

この本には、授業中に生徒が示した反応を読み解き、次の授業でどういう質問をすればいいか、考える材料がふんだんに提供されています。今まで行っていた質問の質は意識しなければ変わらないものです。本書をすぐに手に取れる場所に置いて、折に触れハックの質問リストに目を通してみてはいかがでしょうか。

 

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2021年12月18日土曜日

思考を変えるレンズ

 ずいぶん前に読んだはずなのにその内容がさっぱり思い出せない本というものがいくつかあるものです。私にとっては、トーマス・C・フォースター著 矢倉尚子訳『増補新版 大学教授のように小説を読む方法』(白水社、2021年)がそれです。翻訳初版は2009年で、著者はミシガン大学フリント校の教授。たぶん、大学教授が文学作品の解釈法について手際よくまとめた本だ、という不遜な感想しかもてなかったのでしょうか。読んだ記憶がありません。本棚のどこかに押し込んでそのまま…だったようです。ところが、『増補新版』を書店で立ち読みしてみると、ついつい引き込まれてしまいました。こんなことが書いてあったからです。

「素人読者は小説のテクストに向き合うとき、当然ながらストーリーと登場人物に着目する。これはどういう人間だろう。何をしていて、どんな幸運または不幸がふりかかろうとしているのだろう。こうした読者は最初のうち、あるいは最後まで、感情のレベルでしか作品に反応しようとしない。作品に喜びや反発を感じ、笑ったり泣いたり、不安になったり高揚したりする。つまり、感情と直感で作品世界に没入するのだ。これこそまさに、ペンを握った、あるいはキーボードを叩いたことなる作家が、祈りの言葉を唱えつつ作品を出版社に送るときに念じている読者の反応である。ところが英文学教授が小説を読むときは、感情レベルの反応も受け入れはするものの(中略)、主たる関心は小説のほかの要素に向けられてしまう。この効果はどこから来ているのか? この人物は誰に似ている? これに似た状況設定をどこで見たのだったのだろう? (中略) もしこんな質問ができるようになれば、こんなレンズを通して文学テクストを見る方法が身につけば、あなたの読みと理解はがらりと変わる。読書はさらに実り多く楽しいものになるはずだ。」(『増補新版 大学教授のように小説を読む方法』2324ページ)

  この引用の前半に書いてあるように、私たちは小説を読む時最初は「ストーリーと登場人物に着目」して、「感情のレベル」で作品に取り組むものです。「感情と直感で作品世界に没入」します。いま私は佐藤究『テスカトリポカ』(角川書店、2021年)をまさにそのようにして「通勤読書」しているところです。直木賞作家の描き出す世界に「没入」しています。引用後半に述べられている「英文学教授が小説を読むとき」のようには読んでいません。ですが、ここにあげられている「質問」すなわち「レンズ」を通して読もうとすれば、たとえば以前読んだことのあるラス・カサス神父の『インディアスの破壊についての簡潔な報告』(染田秀藤訳、岩波文庫)のことを思い出さずにはいられません(実際に『テスカトリポカ』の参考文献にはこの本もあげられていました)。アステカ文明についての関連本のことも。この小説について振り返り、考えて、意味づけようとすればそういうことが必要になることもわかります。ノーベル賞作家オルハン・パムクが『パムクの文学講義』(岩波書店、2021年)で使っている用語で言えば、前半で述べられているのは「直感」の読みで、後半で述べられているのは「自意識」の読みということになるでしょう。フォースターが示してくれたのは「自意識」的な読者の読み方ということになります。

 何を野暮なことを書いている本だ、小説は直感的に感じ取ってその描き出す世界に没入すればそれでいいではないか、という声が聞こえてきそうです。確かにそうですね。野暮ったいと言えば野暮ったい。しかし小説を面白く読み終えた後には、心地よい疲労感とともに一抹の寂しさとたくさんの時間を費やしてしまったというむなしさのようなものも覚えるものです。この引用の後半に書かれているような一種「自意識」的な読者になって、考えたことを書き付けたりするとずいぶん違うのです。意味をつくり出すことになりますから。フォースターの本はそのための手がかりをずいぶんたくさんもたらしてくれます。

 エリンさんも『理解するってどういうこと?』第7章「変わり続けること以上に確実なことはない」で次のように書いています。

 「小説やエッセイなどを読むのを中断して、それまで自分がもっていた考えや価値観を転換してくれたことについて書き出すとき、そういう中断なしに読んでしまう場合よりもずっと深いレベルの理解に入っていくのです。こういう振り返りのなかで、学びのプロセス、とりわけ私がこの章で論じてきた理解の種類の、時間と共に思考がいかに変わるかについて考える、貴重な機会をもつのです。もし自分の学びのプロセスについての気づきを振り返り、それを記録することができたなら、学ぶことの面白さを満喫しているというだけでなく、子どもたちの学びをどう展開したらいいのかというヒントも提供してくれることになります。これ以上に価値のある時間の使い方はおそらく考えられないでしょう。」(『理解するってどういうこと?』282ページ)

  エリンさんの言う「時間と共に思考がいかに変わるかについて考える」という「理解の種類」は、フォースターの言う「英文学教授が小説を読むとき」のような「質問」や「レンズ」を通して実現されると言ってもいいのではないでしょうか。それは「自意識」的な読者になることでもあります。確かに『テスカトリポカ』を読んだ後に、『インディアスの破壊についての簡潔な報告』やアステカ・マヤ・インカ文明について書かれた本を読んで、佐藤究の描いた世界を意味づけようとすれば、時間をかけてその世界に没入したその読む行為を意味づけることができます。明らかに私という読者の人生が拡張されることは確かなことです。未知の文献や映像作品に出会うきっかけも生まれますし、『テスカトリポカ』では「心臓」が小説の中心ですから、私の頭には夏目漱石『こころ』のことも浮かびました。

 エリンさんの言う「学ぶことの面白さ」とは、フォースターが「大学教授のように」読むために必須だという「記憶」「シンボル」「パターン」について気づくこと、そして本と本、文章と文章、テクストとテクストとの相互関連性に気づくことによって生まれるものなのかもしれません。単独で読んでいるときには思いもしないことがそういう相互関連性によって呼び起こされるのです。『理解するってどういうこと?』を知ったあとに私がフォースターの本の面白さに気づいたように。そう、私もまた「時間と共に思考がいかに変わるかについて考える、貴重な機会」をもつことができたわけです。

 

2021年12月10日金曜日

『学習会話を育む』を読んで

 


 佐賀県の小学校の先生・脇山真優さんが本の紹介文を書いてくれました。

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国語でも算数・数学でもそのほかの様々な授業でも、教師側は必ず「お隣さんとお話してごらん」という言葉を口にすると思います。このときの教師側のねらいとしては、生徒が自ら進んで学びを深めること、そして自分の考えをより深めたり広げたりすることだと思います。しかし、今の「学習会話」は、生徒たちの学習のためになる会話になっているでしょうか。ただ意見の発表をするだけの場となっていないでしょうか。

この「学習会話」をよりレベルアップさせるため方法を『学習会話を育む 誰かに伝えるために』が教えてくれます。

「生徒たち同士の会話はどのようにさせたらいいの?」

「学習会話を始めるための問いかけはどのようなものがいいの?」

「会話をさせるにあたって教師側はどのような手立てをしたらいいの?」

「会話を評価するにはどうしたらいい?」

 このような疑問を持っている方こそ、ぜひ本書を読んでほしいです。

 「会話は、学び手としての自覚を高めることに影響します。協力して考えをつくりあげる自由と考えを表現する方法が与えられれば、生徒は意識して学習におけるエイジェンシー(主体性)に取り組むようになります。」(「第1章 学習会話とは何か?」―7ページ)

目次を見てみると、その方法が「アクティビティー」という形でたくさん掲載されています。どれも生徒たちがわくわくするような仕掛けがたくさんあり、明日実践してみたいものばかりです。時間のない教師が、授業の引き出しを増やすのにもってこいの本だともいえるでしょう。

また、生徒たちの会話実例も多く掲載されており、生徒が会話によって考えを練り上げていく様子が手に取るようにわかります。生徒に繰り広げてほしい会話の例がそこにはあり、教師側も生徒の目指すべき会話のレベルが一目でわかるでしょう。

 グループワークやペアワークには、生徒たちの思考の過程が詰まっています。これを評価に活用していくことも教師側は大切です。その評価方法や生徒への働きかけ方、評価ツールの例などが本書の第五章に記されています。会話を評価することへチャレンジしている人や、その方法に困っている人はこの章から読んでみるのもおすすめです。

 現在、教育界で重要視されている「主体的・対話的で深い学び」を実現するためには、「学習会話」をすることが大切です。

お互い(会話に参加するすべてのパートナー)の頭の中にしっかりとした考えがつくりあげられるような手助けをすれば、生徒たちに自信とエイジェンシーの感覚が育まれます。つまり、自分がつくりだしたものを誇りに思い、自分のものだと思う感覚です。(「第2章 考えをつくりあげるための会話スキル」―102ページ)

本書を読むことで、生徒たちの会話を実りのある、意味のあるものにできるのではないかと考えます。そして、会話を通して生徒がつくりだしたものに誇りを持ち、自信を持ってもらえるような手助けをしたいものです。

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エイジェンシーは、学習会話でもキーワードです。

エイジェンシーに興味をもたれた方は、この姉妹プログで再三紹介してきました。https://projectbetterschool.blogspot.com/search?q=agency

そして、もう一つのブログでも・・・

https://thegiverisreborn.blogspot.com/search?q=%E6%AD%B4%E5%8F%B2%E3%82%92%E3%81%99%E3%82%8B

エイジェンシー抜きの教育(それは、生徒のエイジェンシーだけでなく、教師自身のエイジェンシーも)はあり得ません!

 

2021年12月4日土曜日

チョコレート・ムースと星空

   通勤の途中で、ふと、私にとっての詩は、空にある星なのかもしれない、と思いました。みなさんにとっては、詩はどんな存在でしょうか。

 ラィティング/リーディング・ワークショップの優れた実践者アトウェルは、詩を読むことをチョコレート・ムースを食することに喩えています。アトウェルはチョコレートが大好きだそうですが、次から次へと食べると、過剰摂取で味覚も麻痺し、甘美で深い味わいに辟易してしまう。詩も同じで、詩のアンソロジーを最初から最後まで読むことはできない、一度に読めるのはせいぜい6篇か7篇の詩で、それが限界だと書いています。★ 

 小さいときから本が大好きだったものの、後年になるまで詩を読む経験がほとんどなかった私は、最初、詩を読む時も、続きが気になる本のページをどんどんめくっていくような読み方でアプローチしてしまい、詩の美味しさがわかりませんでした。

 そんな私でしたので、詩を前にすると、「詩は極上のチョコレート、一気にたくさん食べることはできない、そういう読み方で」と、自分に言い聞かせることが時々あります。(アトウェルの喩えは、私の記憶の中では、いつの間にか「チョコレート・ムース」から「極上のチョコレート」になっていました。チョコレート・ムースは自分ではあまり食べないからかもしれません。)

 チョコレート・ムースにしろ、極上のチョコレートにしろ、詩の美味しさを知っている人の「詩の味わいかた」としては、(自分にはうまく味わえないことが多いものの)私にはしっくりきます。

 でも、食べてしまうと無くなってしまうことがちょっと残念でした。

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 通勤の途中に「詩は、私にとっては空の星だ」と思ったのは、私には折にふれて読み返す詩がいくつかあり、つい先日、そのうちの一つ★★を読み直したからです。詩を読み直すことで、自分を見直したり、自分にとっての土台の一つに戻れたり、進む方向がかすかに見えたり、励まされたりします。詩によって様々な光を投げかけてくれます。

 そのような詩たちは、存在しているものの、時には忘れてしまう、でも、読み直すと、道しるべになったり、明るく照らしてくれたりします。食べても無くなってしまうわけではありません。

 たくさんの詩に出合うと、空の星が増えてきて、星がいっぱいの夜空になるかもしれません。星によって明るさも、輝き方も、それぞれに異なります。日中や天気の悪い日は星は見えないかもしれませんが、見えなくても、ちゃんとそこに存在していることには変わりはありません。そんなイメージです。

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 星が目印や道しるべになると言うイメージは、私の中では、19世紀、アメリカで奴隷たちが北部州を経てカナダまで逃亡するのを手助けした組織があり、その逃亡の過程で北極星が目印にされていたこと、また、「ここからはじまる」で終わる、ピーター・レイノルズの絵本『ほしをめざして』を思い出したことなどもかかわっています。

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 私は詩を書けませんが、もし、私が詩を書けることがあり、もし、その中で「詩は空の星」と言う喩えを使ったとすると、その5文字の中に、上にだらだらと書いたような思いが詰まっていることになります。

 アトウェルは、詩を教えるときに、詩を「ひらく(unpack)ように読む」★★★と言います。上のようなことを考えたときに「ひらく/詰め込んだ荷物をほどく」と言うイメージが少しだけ実感できるような気がしました。素晴らしい詩人たちは、無駄な言葉を削ぎ落とし、選りすぐった言葉で綴っています。それをひらく楽しみ、これはまさにチョコレート・ムースをじっくり味わう楽しみなんだろうと思います。

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★ Nancie Atwell著の Naming the World: A Year of Poems and Lessons (Heinemann, 2006) とセットの A Poem a Day: A Guide to Naming the World の27ページに書かれています。

★★『ハビービー 私のパレスチナ』(北星堂書店、2008年)という本が邦訳されているネオミ・シーハブ・ナイ(Naomi Shihab Nye)の Famous という詩です。アトウェルが生徒たちに紹介する詩の一つでもあります。この詩は Poetry Foundation のウェブサイト(https://www.poetryfoundation.org/)で読めます。https://www.poetryfoundation.org/poems/47993/famous

なお、このサイトではネオミ・シーハブ・ナイ氏が自身の詩を朗読している動画などもあります。(例えば https://www.poetryfoundation.org/video/154493/naomi-shihab-nye-reads-separation-wall)。インターネットに関わる技術の進歩で、詩人や著者が自分の作品を読み上げる動画を多く目にするようになりました。

★★★ 『イン・ザ・ミドル』(三省堂、2018年)67〜68ページ、112〜115ページをご参照ください。