2025年11月22日土曜日

ともに「意味の源」に向かう仲間となる

  エリンさんは『理解するってどういうこと?』の「はじめに」で、ズィマーマンさんと一緒に書いた『思考のモザイク』が教育現場にどのようなことをもたらしたのかということを次のように振り返っています。

 「この十年ほどのあいだ、多くの教師たちが『思考のモザイク』で私たちが提示したアプローチを活用してくれただけでなく、それらを巧みに、そして創造的に応用してくれました。読み手が理解するための7つの方法(以下、「7つの方法」ないし「理解するための方法」と略)を子どもたちに教えることで、それほど多くの学習が可能になるとはまったく想像していませんでした。教師たちは一つひとつの方法に、私たちが考えていなかったような側面があることを発見し、7つの方法をどのような順番で教えたらいいかをさまざまに試し、そして特定の方法を教えるのにふさわしいタイミングを見出しました。さらに、子どもたちに方法について明確に説明する新しい言い方を考え出したり、子どもたちが考えたこと(=理解していること)を捉えて記録する方法を開発したり、7つの方法について考えたことを声に出して言うことが巧みにできるようにする方法まで見出したのです。」(『理解するってどいうこと?』ⅲページ)

 7つの方法」とは、『理解するってどういうこと?』の巻末「資料A 理解するための方法とは」に掲げられた「関連づける」「質問する」「イメージを描く」「推測する」「何が大切かを見極める」「解釈する」「修正しながら意味を捉える」の7つです。どういう「方法」かということは「資料A」にエリンさんの詳しい説明がありますのでご参照ください。しかし、その一つひとつを解説することが「7つの方法」を教えるということではありません。『思考のモザイク』を読んだ教師たちがやったように、「7つの方法」を実際に本や文章を読む際に子どもたちが使いこなすことができるように、どの「順番」で教えたらいいかを試行錯誤したり、ある方法を教える「タイミング」を発見したり、子どもたちが理解したことを書き留める(記録する)方法を編み出したり(ワークシートも含めて)。どうすれば「7つの方法」をつかってわかったことを他の人に話して伝えることができるのか、そのやり方を編み出したりすることです。本や文章のなかで「7つの方法」のどれかを使わざるを得ない箇所を見つけて、それを「道標(signposts)」と名づけた研究者もいます★。

 「7つの方法」は言うなれば学ぶための「道具箱」のようなものですが、エリンさんが述べているような教える工夫をしなければ、学習者の頭と心は動きません。

 20221119日の「メッシュワーク(編細工)としての理解過程」で取り上げた『生きるということ』の著者で哲学者のティム・インゴルドの近著『教育とは何か』(古川不可知訳、亜紀書房、202510月)には次のような一節があります。

 「盤をはさんで対峙するチェスの指し手が、それでもゲームへの共通の愛に加わるように、教育においても教師のアカデミックな構えは、言語への愛と世界への愛を児童と共有するというさらに根本的な責任によって支えられており、それが教育の根底にある使命をもたらす。それは何が周囲で進行していのかに注意を払うように訴える形の、直接法現在のなかで展開する使命であることを思い出すかもしれない。「いいものを見せてあげる」と教師は児童に言い、「きっと見る価値があると思うよ」と付け加える。まさにこの瞬間、児童は興味の源に視線を向け、もはや教師と相対するのではなくその源へと同じ方向を向く。そして児童たちは教師とともに、仲間としての構えに加わるのだ。」(『教育とは何か』、155156ページ)

そして「勉強」についてこんなことも言っています。

 「勉強は永遠の開始の過程において進行するのであり、あらかじめ定められた目的の達成を目指すのではない。それは共通の関心を生み出すことであり、個人の欲求を充足させることではない。それは友情や配慮(ケア)、愛さえももたらすのだが、個人的な幸福を提供するふりはしない。勉強は変容をもたらすものであって、訓練ではない。保護や安全を提供したり、物事を容易にしたりすることとはまったく違い、勉強は困難かつ不穏なものであるだろう。それは先入観の防壁を打ちこわし、思考を揺るがす。だがそうすることによって、勉強は私たちを自由にすることができるのだ。」(『教育とは何か』、165ページ)

  教師と学習者が一つの関心を共有し、変容する。学ぶことがお互いを「自由」にする。こういう「勉強」なら夢中になることができると思いませんか? 

 エリンさんが自分の本に示した「7つの方法」を、子どもたちが使って本や文章をわかることができるように工夫した教師たちのやったことは、インゴルドの言う「いいものを見せてあげる」「きっと見る価値があると思うよ」と働きかけることだったのではないでしょうか。だからこそ子どもたちは教師の顔色などには目もくれず「意味の源」にまっすぐに「視線」を向け、本や文章を理解することに没頭したのです。「7つの方法」を使って「意味の源」を探ろうとする「仲間としての構え」をとることができたのです。それが「7つの方法」を教えることの理由だと、教師たちは気づいたはずです。「意味の源」へと同じ方向を向いた仲間に加わる――理解することを教え・学ぶうえでとても大切で、とても素敵なことだと思います。

 Kylene Beers and Robert Probst(2013) Notice and Note. Heinemann. たとえば登場人物の「予想外の言動」に注目して、「この人物はどうしてそういうことを言ったりしたりしたのか?」という問いを考えていけば「推測する」という「理解のための方法」を使わざるをえなくなります。

 

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