2024年5月25日土曜日

中だるみで疲れていませんか? 作家の時間を長く続けるためのスタンスとアイデア

 前回(https://wwletter.blogspot.com/2024/04/blog-post_26.html今年から作家の時間を始めたい先生へという投稿で、作家の時間に興味のある先生方に向けてメッセージを書きました。そろそろ疲れが出てくる時期ではないでしょうか? 長く作家の時間を続けていると直面する悩みに、今日は答えていきたいと思います。


中だるみ

 原因の一つに、中だるみがあります。作家の時間を継続的に行うと必ず子どもたちのなかから、何を書いたらいいかわからない、アイデアが沸かない、のような言葉が出てきます。また、先生たちの中でも、これを続けていて良いのか確信がもてない、という疑念が浮かんでくると思います。私自身も何度もそのような思考によって停滞したり、自信をなくしたりすることもありました。そこで今回は、私自身の中だるみ経験を思い返し、それを避けるための手立てを考えていきたいと思います。今回の話題は、読書家の時間の旧第10章「教師の変容」がとても参考になります。未読の方は、リンク先から無料で読めますので、ぜひどうぞ。​​https://tommyidearoom.com/%e3%80%8e%e6%94%b9%e8%a8%82%e7%89%88%e3%80%80%e8%aa%ad%e6%9b%b8%e5%ae%b6%e3%81%ae%e6%99%82%e9%96%93%e3%80%8f%e3%80%80%e3%82%aa%e3%83%b3%e3%83%a9%e3%82%a4%e3%83%b3%e7%ab%a0/


作家の産みの苦しみ

 ゴールデンウィークが明けて、梅雨の気配が感じられる頃になると、子どもたちも作家の時間の苦しさも感じられるようになっていきます。作家の産みの苦しみです。自由に書けるという新しい喜びをエネルギーに躍進した子どもたちも、クリエイティブ・ワーカーが直面するアイデアの枯渇に初めて出会います。それは貴重な成長の機会でもあるのですが、子どもたちはこれまで、そのような状態を学校生活で経験したことがないため、自分はダメな作家なのだと誤解してしまうこともあるでしょう。一人ひとりの作家の悩みに耳を傾けるために、ジャーナルやログを活用していますか? 自分の振り返りや簡潔な学習記録を教師が読み、「悩み苦しむことこそ、作家の仕事の大切な部分であって、新しいステージに上がるための準備をしている状態である」と書き残して、ポジティブに背中を押してあげたいところです。


教師の中だるみは子どもへ向かう

 子どもの中だるみよりも大変なのが、教師の中だるみです。どんなに作家の時間にやる気をみなぎらせてスタートさせた教師でも、確実に中だるみは訪れます。経験の少ない先生は、小単元、1時間単位の学習や板書計画など、取り組みやすさばかりで指導法や教材選びをしてしまうことも多く、先輩先生の自分としては、老婆心ながら心配をしています。総合的な学習の時間や教科横断的な学習で、30時間以上の大単元は、あまり見られなくなりました。その日の学習ばかり考えていると、目標を見失い、教師も意味を感じられず、中だるみの疲れが生まれやすい状況になってしまいます。

 中だるみであるという自覚症状がないと、まず、自分自身も作家の時間が楽しめなくなっていきます。目の前の子どもたちがいきいきと書いていても、「またこの類の話か」とか、「言われた通りにしかできない」とか、「作品を磨かずにすぐに終わらせようとしている」とか、教師が子どもの姿を楽しめなくなってしまいます。

 すると、そのフラストレーションの矛先は子どもに向かいます。教師は子どもたちの余白を埋めるように指示や制約を増やしてしまいます。例えば、アイデアを膨らませるために友達とたわいもない話をしている姿を、学習に向き合っていない望ましくない姿として叱責してしまいます。構想を紙に焼き付けるために絵を描いているのに、文字を書くことを執拗に強いてしまい、子どもを追い込んでしまいます。実はご想像の通り、これらは、私自身の体験です。

 作家の時間で子どもたちも自分たちの中だるみと戦っている最中です。これまで、そのような粘り強さを必要とする学習を経験してきていない子どもたちは、なおさら苦しいと思います。子どもたちは自分たちなりに、事態を打開するために行動を起こしているのです。それが、私たちの思いと子どもたちの姿のズレを生じさせます。

 私たちは、自分の理想的な作家の時間の子ども像と目の前の子どもたちの姿にズレが生まれた時、感情が生じます。落ち着かなさ、焦り、怒り、不安、見捨てられたような感情、そして、子どもたちを自分の意のままにコントロールしたい欲求です。その感情のまま、子どもと向き合ってしまうと、あなたらしい支援はできません。(私もこれを書くことで、自分自身の感情を振り返っています。このブログが、私自身の振り返りジャーナルともなってなっていますね。)

 そのような感情を充足させようと、作家の時間の後、相手に合わせることへの疲れから揺り戻しが起きて、子どもたちの意図を無視した機械的で合理的な一斉指導を敷いてしまうこともあります。教師の指示通り学習する子どもの姿は、教師の心に満足感を与え、不安を一時的に解消してくれるでしょう。でも、これでよいのでしょうか。本当は子どもたちの意図を大切にした学習を展開したいと心の底から考えているにもかかわらず、それに疲れてしまうのです。


中だるみと上手に付き合っていくためのスタンスとアイデア

 さて、子どもや教師の中だるみを、打開するというか、上手に付き合っていく方法をいくつか紹介していきたいと思います。


教師も一緒に苦しもう

 まずは、先生自身も作家になって、一緒に苦しむということです。 作家の時間は、教師も子どもも、作家としてアウトプットをする学び方を進めていくことが根底にあります。しかし、多くの場合、先生自身が作家の時間に作品を書いていなかったり、ブログや日記などアウトプットのある生活を送っていないと、作家として学ぶとはどういうことか、作家として学ぶとどのような感情が生まれるのかを、理解することができません。作家として学ぶと自分自身の中にどのような成長感や挫折感のような変化が生まれるのかを、教師自身が経験できていないのです。

 先生自身も子どもたちと一緒に作品を書くことの意味は、ここにあります。つまり、子どもたちと作家になることの喜びも苦しみも共感できなければ効果的な支援はできないからです。上手に書けるかっこいい教師のモデルを示すことは大切ですが、教師自身が作家の酸いも甘いも体験していて、書けなくて苦しんでいる姿を示し、子どもたちの感情に寄り添えることが信頼関係をつくる大前提となります。「先生も今の作品の終わり方が決められず悩んでいるんだよね」のように、子どもたちの前で弱さを表現してほしいです。私の場合、自分の原稿用紙を大型テレビに映し出し、近くに寄ってきた子どもになかなか進まないことを打ち明けたりします。作家は楽しいけれど、教師もみんなと一緒に悩み苦しむような一筋縄にはいかない行いであることを振る舞いとして伝えようと努めています。この考え方は、ヴァルネラビリティーと呼ばれています。詳しくは、『本当の勇気は「弱さ」を認めること』(ブレネー・ブラウン著 門脇陽子訳/サンマーク出版/2013年)をぜひ読んでみてください。


無駄や無意味を楽しもう

 最近の私の大切な一冊は『ナマケモノ教授のムダのてつがく』(辻信一/さくら舎/2023年)です。簡単に言えば、ムダがいかにムダでないか、ムダを大切にする心について書かれています。

 私たち教師と子どもは、目標、めあて、スローガン、に縛られています。常に他者と自分自身からの期待という名の束縛に息ができない状態かもしれません。「思考力、判断力、表現力を付けるために」、「経済的な自立をするために」、「最高学年として」、本当にこれは人が成長する環境としてふさわしいのでしょうか? 

 たしかに、学校という場で、限られた時間の中、その子の成長のために教師がするべきことを明確にすることは大切です。私もその価値観を確実にもっています。しかし、一方で、その子にはその子の、唯一無二の時間があります。子どもたち全員が同じ時間の流れ方をしているわけではありません。渓谷のように勢いよく流れる子もいれば、大河のように滔々と流れる子もいます。社会に出れば他人と時間を合わせなければならないという感覚もありますが、それで心を崩してしまう人のなんと多いことか。何を教えるか、役に立つのか立たないのか、そんなことも分かりません。むしろ、役に立つか役に立たないかという感覚こそが、子どもたちを苦しめているようにも思います。「意味ある・意味ない」で、時間を選別し、人を選別し、自分自身を選別してしまう。「意味ある人間になる」と自分や他人を傷つけてしまう大人と子どもを多く見てきました。学校は、そして、学ぶということは、今でもこれで、本当によいのでしょうか?

 ちょっと楽になりませんか? 大人も子どもも、ちょっと肩の力を抜きましょう。書くことは、本当はとても楽しことです。鉛筆の線が自分の意思でどこまでも伸びていく自由さ、自分の創造が線や言葉で眼前に現れたときの冒険心、言葉を紡いで見えなかった自分を表すドキドキと、それを大切な人が認めてくれた温かさ。字が書けなくたって大丈夫。絵やおしゃべりで伝えればいいし、あなたが書いたゾウやキリンが、誰かの心を勇気づけているのですから。遊ぶように学び、学ぶように遊ぶ。表面的な言葉ではなく、書くことで学ぶ体験を、この児童期に味わってもらいたいと私は願ってやみません。学ぶことへの再定義が求められているように思います。

 ちょっと、表現が乱暴になってしまって申し訳ありません。またこれについては、時間のあるときに、チャレンジしてみたいと思います。


年間計画で楽をしよう、ワクワクしよう

 視点を変えて、教師としての役割という点でも、少し話を進めてみたいと思います。やはり、見通しをもって長期的に子どもの学習や自分自身の支援を調整することが大切です。そのために、作家の時間の年間計画を作りましょう。年間計画については、考慮したいことも多く、この投稿だけでは到底語り尽くせませんが、中だるみの打開という視点で、ポイントをあげたいと思います。

 年間計画をつくる目的は様々に挙げられると思いますが、ここで強調しておきたいのは、自分自身の力の入れどころ、抜きどころを決めるために作るということです。常に作家の時間に全力投球できる教師は、とても素晴らしいと思いますが、私には無理です。運動会があればダレるし、学習発表会があればそちらに時間や気力をもっていかれます。自分が力を入れたい作家の時間以外の学習もあるでしょう。そのようなことを全て織り込んで、年間の大まかな計画を立てると良いと思います。

 たとえば、忙しい行事の季節は、思い切って作家の時間ではない学習を入れたり、出版の日をずらしたり、少なくしたりすることができます。経験を積めば、子どもたちがどこで中だるみになるかも予測がつくので、そこにはあえて後ほど説明する〇〇クラブを入れたりして、カンフル剤を用意しておきます。メリハリをつけて、力の入れどころ抜きどころを作れば、教師自身も楽になります。作家の時間には、子どもも教師も余裕が大切です。

 年間計画は子どもたちと共有して初めて効果を発揮します。子どもたちも、作家の時間でいろいろな文章を書けたり、いろいろな書き方をしたりすることが分かると、見通しをもつことができ、一つの作品に力をかけすぎたり、また、作品を描けなくて悩みすぎたりすることも少なくなります。教師だけでなく、子どもたちにも余裕を生み出すことができます。


〇〇クラブを設定する

 読書家の時間の中に、ブッククラブという活動があります。本について数人のグループで話し合うというシンプルな活動ですが、これを作家の時間にも応用することができます。『Writing Clubs: Fostering Community, Collaboration, and Choice in the Writing Classroom』(Lisa Eickholdt , Patricia Vitale-Reilly/Routledge/2022年)という本を私が読んで、〇〇クラブのアイデアを出しています。


ペア・ライティング・クラブ

 簡単に言えば、「二人で書く」です。一つの作品を二人で相談しながら作る方法もあるでしょうが、上記の本では二人で作品を同時に書いていて、どうやって書いたかのプロセスをフィードバックしあいながら進めていく方法が「Process Clubs」という表現で紹介されています。読書家の時間で、私はよくペア読書を行っていましたが、このペア・ライティング・クラブはそれに近い方法です。パートナーを設定して、フィードバックの機会を常に提供していきます。

 子どもたちは、友達と書くという活動は、本当に好きです。その子どもの実態により連携の仕方は様々になります。たとえば、交換日記のように、ストーリーをある程度の分量で順番に回して書く子どももいます。また、私の学級では、イラストと文章を分担して書いたり、友達の作品の登場人物を拝借して、一緒に相談しながら物語を書いたり、また、友達の知りたい情報をリクエストしてそれに応えるように書いたりする子どももいます。アンサーソングや返歌のように、友達の作った作品に、作品を作ることで返事を送ることもできるでしょう。作家の時間に熟達した子は、登場人物の視点の違いで2つの作品を書き分けようとする子どももいると聞いたことがあります。

 

ジャンルクラブ・とある作家クラブ

 「ジャンル・クラブ」(Genre Clubs)では、教室をいくつかのジャンルのチームに分けて、そのジャンルの本を読みテクニックを研究しながら、そのジャンルの自分の作品を作り上げていきます。私自身は、作家の時間で、ジャンルでユニットを作って学習する方法をよく行っていました。『Writing Clubs』の筆者はそれを否定はしませんが、肯定もしていません。自己選択の機会を尊重したり、そのチームを違うジャンルに移動させたりして、いろいろなジャンルを長期的に学ばせたり、ジャンル通しの関連するテクニックを見つけさせたりしているようです。日本の教室ではなかなか見られない教室風景です。読むことと書くことが一体となって進められていきます。私自身は、作家の時間をまだまだ狭い枠組みで考えすぎていることが、よく分かりました。

 また、それと同じ枠組みで「とある作家クラブ」(Author Clubs)というのも紹介されてます。教師のリストや子どもたちのリストから、一人の作家を選び、その作家の作品群を読んで、その作家の特徴を真似していくというものです。これも、一人で行うのではなく、何人かでグループを組んで、協力して行っていきます。


友達と書こう

 〇〇クラブの目的は、個人的な作業となりがちな作家の時間の枠組みを変え、協力したり連携したりする機会をつくり、自分自身の書き方とは異なる方法と出会うことにあります。作家の時間の良さとして、個人のユニークな強みを生かせることにありますが、個人作業や教師からのフィードバックばかりでは、そこから抜け出せない状況はよくあります。書くことは個人的な作業ではありません。これは私自身の体験ですが、読者を想定してその人の役に立つように書いたり、共同執筆してお互いの原稿を自分のものとして書き進めるように書いたりすることは、書く力を伸ばします。今までの自分にないプロセスで書くことができるからです。〇〇クラブはぜひ年間計画に入れてほしいと思います。

 余談ですが、友達と書くのがなぜ好きかと言えば、書くことを通じて、大好きな友達や新しい友達とつながれるからです。子どもたちは、友達と何かの方法でつながることを求めています。かつての私たちも、人気のアニメで、売れているゲームで、大好きな遊びで、友達と繋がって生活してきました。それを学習で達成できたら、本当に遊びのように学習を楽しめると思います。学校の大部分を占める日常の学習を通して、学級の人間関係作りや学級経営を行うことが、とても大切であると考えています。

(前回の山元先生の投稿「コレクティブ・エフィカシー」も参照してください。さらに魅力的に描かれています。 https://wwletter.blogspot.com/2024/05/blog-post_18.html )


キャンプって、いいよね


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