2023年7月22日土曜日

自分自身の考えに耳を傾け、意識的に振り返る時間をもつ

 『理解するってどういうこと?』の第4章は「アイディアをじっくりと考える」という理解の種類について書かれています。「私たちはいろいろなアイディアをじっくり考える。自分自身の考えに耳を傾け、意識的に振り返る時間をとる。アイディアを洗練するために、繰り返し考える。それには、静かに考えたり、他の人たちと話し合う必要がある。私たちは記憶に残る助けとなるようなアイディアをつくり出す。」(『理解するってどういうこと?』116ページ)

 この章の後半には、メキシコからきた「スペイン語を母語にしている」リタという女の子と、キャスィという教師が、アレン・セイの『おじいさんの旅』(大島英美訳, ほるぷ出版, 2002年)を読みながらカンファレンスする場面があります。

 

「リタのように英語を学んでいる者にとって、この本はそれほど単純な筋の話ではありません。そのアレン・セイの『おじいさんの旅』にリタがどんなことを言うのか、私はとても興味をもちました。この絵本は、日本からアメリカに移住してそして日本に戻った、数十年にわたるとても複雑なお話なのです。

「この本のこと思い出した」とゆっくりリタは話し始めました。「作者のおじいさんが、住むところを得られなかったという話ね。」

「他には?」とキャスィはその子に促しました。

「わすれちゃった。」

キャスィは微笑んで、少し間を取ります。

「リタ、読むときみたいに、あなたの頭のなかで話している声が聞けるように、しばらくじっと黙ってみよう。リタ、いいかな。私が本のページをめくるときに、一番大切かもしれないことや、本当に重要かもしれないことを考えてみて。自分の頭のなかで話されることを聞いてみて、おじいさんやおじいさんの住んでいた場所よりも重要なのは何かな? もっとしっかり考えたいと思うのはどういうテーマなのかな?」これが、自立心を育てるために教師が子どもたちにより深い、考えた反応を求める働きかけです。

 リタは、キャスィがこの本を指でめくるのを居心地悪そうに見ていました。泣き出すのではないかと思ったほどです。何度か、キャスィは聞こえるか聞こえないかのかすかな声で言いました。「何が本当に重要なのかな? どんなことについて考えたくなる? どこの出身だろうと、誰にでもあてはまることはあるかな? リタ、すぐに言わずに、頭を働かせて、じっくり考えて頭のなかの声を聞いてみて。」

 それから長い間があって、リタはやっとのことで口をひらきました。「そうか! このおじいさんは日本も愛していたし、ここ(アメリカ)に住むことも愛していたのね。」

 私はキャスィと目を合わせました。というのも、中心人物のアンビバレンス(両面感情)こそ、この物語で一番の鍵となるテーマだったのです。」(『理解するってどういうこと?』127128ページ)

 

 こうしたやりとりの後、リタは英語がまだ十分に読めないにもかかわらず、『おじいさんの旅』を自分で読んでみようとします。メキシコでの思い出とアメリカで住むこととの間で感じていたことをもっとじっくりと考える時間を持とうとしたのだと思います。

『ギヴァー』(島津やよい訳, 新評論, 2010年)の作者ロイス・ローリーの『水平線のかなたに―真珠湾とヒロシマ―』(田中奈津子訳, 講談社, 2023年)には、1941127日(日本時間128日)に行われた日本軍のハワイ・真珠湾攻撃のことと、194586日の広島市への原子爆弾投下のことが、ケーナード・パークのうつくしい挿絵とともに41の詩的散文で描かれています。内容については実際に読んでいただくしかありませんが、「作者あとがき」に書かれた印象的な二つのエピソードを紹介します。

 一つは、1980年代にバージニア州に住んでいた年老いた両親をローリーが訪ねたときのエピソード。父親が劣化しているから捨てるつもりだと言った古いフィルムをみんなで見た時のことが書かれています。

 

「ある夜、友人たちが遊びにきたときに、ビデオデッキにそのテープを入れ、みんなでわたしの子ども時代の映像を見ることにしました。ピエロ姿のヘレン。ワイキキの浜辺で遊んでいるわたし。ボンネットが風にさらわれそうになるのを、笑いながらおさえています。それから、はだしのヘレンとわたしが、母の花壇に水をやりはじめました。

「ちょっと待って」とつぜん、友人のジョンがいいました。

「一時停止して、浜辺のところへもどって」

 わたしはそうしました。ジョンはボストンの弁護士でしたが、海軍兵学校の卒業生で、以前は原子力潜水艦の艦長だったのです。浜辺の映像にもどると、ジョンは前のめるになりまいた。そしていったのです。

「水平線のかなたを見てごらん。あれは戦艦アリゾナだ」

 部屋にいた人たちはことばを失いました。」(『水平線のかなたに』72ページ)

 

 もう一つのエピソードは1994年に、リタが読んでいた『おじいさんの旅』の作者アレン・セイにローリーが出会い、話しているうちに、二人とも子どものころ東京の、しかも近所に住んでいたことがわかった時のことです。

 

「アレンは当時コウイチ・セイイという名前で、1945年、広島の近くから家族で東京にやってきたというのです。おどろいたことに、渋谷の学校の校庭で友だちと遊んでいたとき、緑色の自転車の少女がとまって、こっちを見つめていたことを、アレンはおぼえていました。

「それ、わたし」わたしはうちあけました。

「きみか」アレンは納得して笑いました。」(『水平線のかなたに』7374ページ)

 

 『水平線のかなたに』のPart 1には「戦艦アリゾナ」に乗船していた一人ひとりの兵士たちのことが書かれています。Part 2では原爆投下後の広島市内で傷つき死んでいった人たちのことが書かれています(その冒頭で山口県東部の田布施にいた「セイイチ・セイイ」が86日の朝に広島で何かが起こったことを知る場面が描かれています)。そしてPart 3では戦後の日本でローリーとセイが出会う場面が描かれます。『おじいさんの旅』のことはまったく出てこないのですが、『おじいさんの旅』はセイの家族の物語でもありますから、その登場人物たちが『水平線のかなたに』の空間にいたことは確かです。

 ローリーは、『水平線のかなたに』を書くときに「自分自身の考えに耳を傾け、意識的に振り返る時間」を持ち、「記憶に残る助けとなるようなアイディアをつくり出す」営みを確かにもったのではないでしょうか。そして、このあまりにも運命的ないくつもの出会いの物語を読むことで、読者である私たちもまたそのような時間を持ち、「記憶に残る助けとなるようなアイディア」をじっくりと考えるのです。おそらく『おじいさんの旅』についてキャスィの問いかけに答えてじっくりと考えリタの内面でもそのようなことが起こっていたはずです。いや、こうして書いている私自身がこの不思議な出会いの物語に驚き、「自分自身の考えに耳を傾け、意識的に振り返る時間」をもつことをしていました。

『水平線のかなたに』の最後に置かれた「トモダチ TOMODACHI」という詩的文章を引用します。

 

「友だちになれなかった。あのときはまだ。

 雲がすっかり消え去るまで。

 たがいが心をもちなおし、忘れる時間が必要だった。

 友だちにはなれなかった。あのときはまだ。

 長い年月がすぎて出会い、

 たがいの心のわだかまりを、理解しあうまで。

 友だちにはなれなかった。あのときはまだ。

 雲がすっかり消え去るまで。」(『水平線のかなたに』69ページ)

 

「たがいの心のわだかまりを、理解しあう」ために「自分自身の考えに耳を傾け、意識的に振り返る時間」をもつこと、それは、『水平線のかなたに』が伝えてくれる大切な「理解の種類」だと思います。

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