2022年1月29日土曜日

そのままノートに書き留めたくなる瞬間 〜効率と評価

 前回、1月22日の投稿「一冊の本を『私たちのもの』にする勇気」の中に、「読み進めながら、これほど引用したくなる本も珍しいものです。しかも、要約ではなくて、本人の言葉をそのまま受け取り、ノートに書き留めたくなるのです」という文がありました。

 ここから思い出したのが、ここ2週間ぐらい読んでいる若松英輔氏の詩についての本『別冊NHK100分de名著 読書の学校 若松英輔 特別授業「自分の感受性くらい」』(NHK出版 2018年)でした。氏が、中学生を対象として行った詩についての特別授業についての本です。その中に以下の文があります。(以下の引用のページ数はこの本からです。)

 「小さなことであり、でも重要なことだともいえるのですが、自分にとって大切な詩に出会ったとき、その詩を書き写してみることをおすすめします。パソコンにキーボードで打ち込んでもよいのですが、できれば自分の手で紙に書いてみてください。詩は短いので、書くこと自体に労力はいらないし、書くという行為によって言葉が身体にしみこんでいくような経験ができます。そうすることで、自分の中で豊かな言葉の世界を経験することができるのです」(Kindle版 67ページ)。

 そのままノートに書き留める時間。これまでは、この時間についてあまり深く考えたことがありませんでした。「作家ノート」に気に入った言葉やフレーズをメモしている人もいるので、「作家ノート」にかかわるミニ・レッスンで、そういう紹介もできるだろう程度でした。

 そのままノートに書き留める時間に行われる動作は「書く」ですが、「書く」よりも「読む」ことの一つとして捉える方が、私にはしっくり来ます。それは、先週の投稿にあるように、まさに「本人の言葉をそのまま受け取る」という時間であり、また、若松氏が書いているように、書くことで「言葉が身体にしみこんでいくような経験」でもあるからです。

「そのままノートに書き留めたくなる」ということから、「効率」と「評価」について、考えました。

 まず、「効率」です。

 私はせっかちで、何かを写すことは、コンピュータを使うにしろ手書きにしろ、面倒だなあという気持ちが先に来ます。

 リーディング・ワークショップを学び始めてから、詩を読むようになり、自分の好きな詩を集めた自分だけの「自分用アンソロジー」を作ったりもしました。でもその作り方は、コピー機でコピーして、切り取り、糊とセロテープでノートに貼るという、原始的かつ手間と時間を惜しんだものでした。(そんな雑なものでも、折にふれ、この「自分だけのアンソロジー」を読み直すことがあります。)

 「心に残った部分をそのまま書き写そう」ということを、もし、読む時間のミニ・レッスンで扱うと、どうなるのでしょうか。

 既成のワークシートなどに、ポイントや概要をどんどん穴埋めしていく方が、一見、効率的にも見えるかもしれませんし、もし、子どもたちが「ただ写している」のを目にすると、教師は時間の無駄に感じてしまうかもしれません。

 一見、効率が悪い読み方に見えます。第一、「そのまま受け取りたい」本や詩との邂逅は、読み手の経験の中で、それほど頻繁に起こらないかもしれません。だからこそ、「本や詩が、そのまま受け止めることへと招いている」と感じる時は、それに耳を澄ませて、それに応える時間を取ってみよう、そんな「一つの読み方がある」ことを紹介するミニ・レッスンになるのかもしれません。

 (→ 試しに、今の自分にぴったりくる詩を、小さなノートに先ほど書き写してみました。今まで何かを写す時は、できるだけ早く写したかったのですが、今回は「この書き写すことが受け止める時間なんだ」と思って、文字もゆっくり書きました。そのまま書き写すことで、普通に読むよりも読むスピードが落ちる、それもいいなと思いましたし、ほっと深呼吸したような気持ちにもなりました。また「この単語、理解しないで読んでいたなあ」と気づいた箇所もありました。何よりも、急いで写す必要はないし、こういう時間をつくることはプラスだ、と経験できたことが大きかったです。)

 次に「評価」です。

 若松氏の上記の本は、中学生を対象とした授業です。もちろん子どもたちの学年や発達段階も関わってくるとは思いますが、心に残った文や詩を、一律に時間を決めて「読書ノート」もしくは「作家ノート」に書き写しなさいと指示し、それを集めて評価するという「指導」にはフィットしません。

 若松氏は「みなさんに試みて欲しいのは、『読む』と『書く』の往復運動です。誰かの詩を読んだら、詩をもって応える。詩には詩をもって、手紙で返事をするように書いてみる。そうすると人は、自分でも驚くようなことを書き始めます」Kindle 版、61ページ)とも言っています。

 これは、人に見せたり、人に評価されることを目的に行うのではありません。むしろ「他人の言葉を読み、他人に向けて書くのではなくて、己に向けて書き己が読む」(Kindle 版 43ページ)という時間であり、「自分に向けて書き、自分が読む」という「評価を拒む世界」(Kindle 版 42ページ)かと思います。(*Kindle 版 42ページはこのことを図で示し、43ページ以降がその図の説明となっています。)

*****

 過去の投稿で何度か紹介してきた、リーディングのカンファランスについての本★の中に、誰のため(誰を意識して)に読むのかということについて、①自分自身、②自分と関係のある人、③会うことのない人の3つに分けて説明している箇所があります。

2016年9月9日の投稿では、以下のように紹介していました。

①ですが、自分のために読むときは、自分が読み方を決めていくことが多いです。

②にですが、たしかに少し考えてみると、ブッククラブの準備で読むとき、クラスメートに本を紹介するために読み直すとき等、読み方が変わります。

③については、この本では、例として「テスト」を挙げています。テストの読み方が要求されるわけです。

→ これまで、私は②と③はミニ・レッスンで扱うトピックというイメージで、①にはほとんど注意を払ってこなかったように思います。

 「そのまま受け取ることに招いているような本や詩」に出合った時に、その本の一部をそのまま受け取ったり、書き写したりする。そして、それに対して、短く自分も書いてみる。それを教師の評価のためではなく、あくまでも自分という読者のための時間として行う。これは私がこれまであまり注意を払ってこなかった①に入ることだと思います。

 このような作業や時間は、効率や評価を考えるとミニ・レッスンのトピックには上がってこないかもしれません。また、そこで読み書きされる内容は教師には入れない世界です。でも、この①の部分を「どのように陶冶していくのかという方法」を教えることの価値に、今回、興味を持ちました。そして、その「方法」はミニ・レッスンのトピックになりうることも。

*****

★ Conferring: The Keystone of Reader's Workshopです。Patrick A. Allen著で、2009年にStenhouseから出版。62-75ページに、目的と読者(purpose and audience) について、詳しく説明されています。 

ブログ版(http://wwletter.blogspot.com/)の左上に、Patrick とキーワードを入れて検索すると、この本に言及した投稿が出てきます。


0 件のコメント:

コメントを投稿