元日には、こんなのも書きました!
タイトルは一見、国語とどう関係あるの? と首をひねりたくなるタイトルですが・・・それが、大有りなのです。もともと中学校の先生だったウェンディ―・ソールという大学教授が読み書き(ということは、リーディング・ワークショップとライティング・ワークショップ=RW&WW )と理科教育を統合する形でやれないか、と模索し始めたのがきっかけだったのです。
その実践開発プロジェクトに参加した人の一人が、この本の著者のチャールズ・ピアス先生でした。
ですから、本のあちらこちらにRW&WW を知っている人なら、すぐに気がつく方法が見られます。その筆頭が、探究のサイクルだと思います。
この図とhttps://wwletter.blogspot.com/2012/01/blog-post_28.htmlの「作家のサイクル」や「読書のサイクル」と比較してみてください。似ていると思いませんか?
日本でも探究学習が注目されはじめていますが、このサイクルを意識した実践ははたしてどれだけあるでしょうか? 探究学習をするということは、このサイクルを生徒たちが自分で回せるようになることを意味しているのです! RW&WWで、生徒が自分で作家や読書のサイクルを回せるようにするのと同じで。(それができるようにならないと、自立した書き手、読み手、探究者、学び手にはなれませんから!)
RW&WWは、理科をはじめ他教科の教え方に影響を及ぼしているわけです。そして、理科や算数・数学や社会科の教え方が変わり、そちらでの実践が今度は国語=RW&WWの教え方に刺激を与える番です。(日本でそういうことって、起こっていますか?)
以下に紹介するのは、井久保大介さん(公立中学校の理科教師)のこの本の下訳段階の原稿を読んだ感想です。
・学び方を教える
『だれもが<科学者>になれる!』と『イン・ザ・ミドル』を読むと、2つの実践には、「教える」「教えない」の二項対立をこえた「学び方を教える」という点で共通しています。しかも、その教え方はどちらも圧倒的に緻密で丁寧。驚くほど準備をして、しっかり教えています。
本書では探究心をキャンプファイヤーの火に例えています。火を大きくするには薪を丁寧に組む。そのときは慎重さと忍耐が必要。その通り本書では、問いの立て方から検証可能な問いに変換して、それを実験によって検証し、発見するという探究のプロセスを、教師のカリキュラムによって教えていく。さらに、最終的には火はひとりでに燃え続けるように、火のついた生徒の探究心をどんどん拡げる場を提供する。その教えるプロセスは、決して手放しではなく、むしろかなり明確に学び方、探究の進め方のノウハウを教師から生徒に預け渡しています。
・科学的探究での教師と生徒の関係性
そういう意味では、まずは教師が自分自身の「科学的探究心を育む」姿勢がないと難しいなと感じました。
そもそも、教師自身が科学的探究の経験がないのではないか?と思いました。少なくとも、中学校での学びは全員教科書ベースの系統的な学びを経験して来たはずです。教えられるのは系統だった知識しか持ち得ていない?
そうなってくると、教師側に生徒と共に探究心を育んでいくような姿勢が問われるのではないでしょうか。
本書の「はじめに」で、「探究は、教室の生徒たちを驚くべき力で平等にする」とありますが、教師と生徒の関係性も平等にするのかもしれません。
・カリキュラムの捉え方
とはいえ、じゃあ教師は生徒の探究を見守ることが仕事かというと、そうではなく、既存のカリキュラムを利用するという提案が第6章にありました。ここは自分自身に響きました。
「答えは、カリキュラムを終わり(目的)としてではなく、始め(導入)として用いるところにある。」
「理科のカリキュラムは探究にとって価値ある道具になりうる。実際のところ、カリキュラムは予備知識として重要な内容を与えるだけでなく、生徒たちが自らの探究にとりかかるために必要なスキルを磨きもする。」
日本もそうですが、スタンダードのカリキュラムが目的になっているという指摘がすごく腹落ちしました。新学習指導要領では、カリキュラム・マネジメントという言葉で、各教科のカリキュラムを組織的に連携させることで、子どものコンピテンシー、汎用的能力の育成をする、と書かれています。しかしこれは、カリキュラムが目的になっている教科が、いくら束になっても実現されないのではないかと思います。子どもがカリキュラムで学んだことを使う場を与える責任を、カリマネという言葉で棚上げしているようなイメージです。
カリキュラムは、子どもの科学的探究心を育むための導入として位置付ける。そう考えると、今の教科書に書かれていることをすべて教えていたら時間がないし、探究には必要ないものがたくさんあります。その視点で教えることを精査すれば、もっと明確な教え方が可能になるのではないでしょうか。「教える」か「教えない」ではなく、「子どもの自立的な学びを呼び覚ますために何を教えるべきか」です。私は第6章「カリキュラムを使いこなす」がかなり印象的でした。
・読むこと
では何を教えるか?というところで、本書では読むことを教えるのをとても大事にしています。これまでの理科の授業は、文献は教科書と、あっても資料集1冊。しかも教科書や資料集には、参考文献が全く示されていません。知識のリソースが教科書だけです。大人になって何か学ぼうとするとき、本を探して、選んで買い、読むことから始まります。そのプロセスを学ぶ場が学校にありません。そこに大きな違和感があります。「教師は本を読まない」とよく指摘されますが、まさに教師自身が学び方を知らないのではないか、とも思います。私自身、恥ずかしながら、「学ぶためには本が大事だ」と実感したのは大学院に入ってからです。
・書くこと
あとは書くこと。本書には初めワークシートに自分の考えを書かせる活動が多いですが、徐々にワークシートによる制約を少なくして、子どもに書かせる部分を多くしている印象を受けます。
日本でも実験のレポートを書かせていますが、誰に対して、何のために書くのかということが明確ではありません。伝えたい相手のいないレポートなど、誰が書きたくなるでしょうか。
本書では、いろいろな相手に伝えるために文章を書くことが子どもに求められています。研究費を取るために予算の執行委員に計画書を書く、探究する時間を確保するために親や先生に契約書を書く、実験レポートや論文はクラスメイト、他のクラスの子、さらにこれからやってくる後輩に対して探究の成果を伝えるために書く。書くということが、自分の探究を伝え広めて、さらなる探究のきっかけとなることを体験的に学んでいきます。
この点は、ライティング・ワークショップでも同様ではないでしょうか。
・子ども探究学会
あと特徴的なものが、子ども探究学会です。発信の機会が与えられているということ。私の実践で高校の先生や大学の物理学科の学生を発表会に呼んだだけでも、生徒たちの探究への熱というかやる気がぐっと高まっていたような気がします。
本書の探究学会は、他校との交流もある大きなもので驚きました。場所を企業が提供していることも、子どもの本物度を上げる要素になっていると思います。子ども探究学会は、ペーパーテストで評価するよりはるかに効果的な評価だと思います。
・これからの実践に向けて
本書の実践をそっくりそのままやることは非常に難しいかもしれません。この実践は作者とその時の子どもたちのトライアンドエラーの積み重ねによって生まれた、作者と子どもたちだけの実践であることを意識しておく必要があると思います。作者も本書冒頭で、「教室に探究を持ち込むための唯一の正解は無い」と述べています。教師がそのときの子どもたちと作り上げる実践こそ探究理科であると捉えて、自分なりの実践を行っていくことが大事なのだと思います。
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